議員立法禁止? そりゃね~よ2009/09/19

臓器移植法改正
 朝刊を見てびっくらこいた。議員立法を全面禁止だと。本当にそんなことが許されるのか。政府と与党を一元化するという民主党の方針を突き詰めれば、そうなるのかもしれないが、立法活動は国会議員の本来任務。有権者の信託で得た国会議員の議席を、政党の方針でどこまで縛れるのか議論が必要ではないか。ねじれ国会の中で議員立法を連発してきたのは他ならぬ民主党ではなかったのか。
 確かに、実際は省庁が関与しながら法制審や与党への説明等の手続を省略して成立をはかるために形式だけ議員立法の形をとる依頼立法のような安易な使い方には問題があるが、国民の世論を受けた弱者救済や、省庁の枠組みを超えた課題、新しい価値観を反映すべき立法など議員立法ならはの法律も多くつくられてきた。党派を越えた女性議員のパワーで実現したDV防止法や、当事者が積極的な働きかけで実現した性同一性障害特例法、臓器移植法などなど議員立法でなければ実現しなかったと思われる法律も少なくない。与野党の垣根を越えて、全国民的課題に取り組むことで、閣法(内閣が提出する法案)とはひと味違う立法を実現してきたはずだ。

民主、議員立法を原則禁止 全国会議員に通知(朝日新聞)
 民主党は18日、政府・与党の二元的意思決定を一元化するため、議員立法は原則禁止し、法案提出は原則、政府提案に限ることを決め、同党所属の全国会議員に通知した。政策決定がスムーズになり、族議員の誕生を防ぐといった効果が期待されるが、政治主導が不完全なままでは従来の政府見解にとらわれて自由な立法活動が阻害される可能性もある。
 民主党は、自民党政権では党内の事前審査を経ないと政府が法案を提出できないといった弊害があったとして、政府・与党一元化を主張しており、すでに党政策調査会の廃止が決まっている。これにより、族議員の関与で法案の内容がゆがめられたり、法案の提出が遅れたりすることがなくなるとみられている。
 議員立法が認められる例外として「選挙・国会など議員の政治活動に係る、優れて政治的な問題」にかかわる法案とした。公職選挙法や政治資金規正法の改正案といった「政治とカネ」の問題に関連する法案などが該当するとみられる。
 ただ、議員立法がこうしたケースに限られ、原則禁止されれば、超党派や党内有志による立法活動ができず、政策決定の幅がこれまでより狭まる可能性がある。例えば、改正臓器移植法や水俣病救済特別措置法など今年の通常国会で成立した弱者救済にかかわる法律は有志議員によって成立にこぎつけた。臓器移植法は党議拘束を外すことで採決が可能になった経緯もある。だが、議員立法の原則禁止により、こうした法案の提出が難しくなる恐れがある。
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 報道だけではまだわからないが、本当だとしたらダメですよ。これは。
 実際、ここまでやるとは思わなかったけど、一抹の不安はあったので三党の連立協議の際にもこのことは確認してあるのです。9月8日の三党幹事長会談の際に、「政策調整システムについての質問」事項のなかで、「与党議員の議員立法提出のプロセスはどうなっているのか。政権党においては、政策は政府に一元化するという考え方からすると、政権党としての議員立法がないことになるのか。すべてが内閣提出法案になると、国会改革への逆行とならないか。(後略)」との質問(文書で手交)を行なって、「議員立法の扱いについては従来通り」ということを三幹事長間で確認しているのです。いきなり一方的に禁止なんて認められません。与党議員が議員立法を行なわなければ、基本的に議員立法が成立することは無くなってしまうわけだから、民主党内部の問題ではすみません。

小沢一郎 おそるべし2009/09/17

小沢一郎氏
 民主党の政策調査会が無くなってしまった。政調会長もいなくなってしまった。与党と政府は一体として運用するそうで、政調のスタッフはみんな政府にいくのだと。
 理屈はわからないじゃないけど、いきなり廃止してしまうとは! 民主党の部門会議も廃止し、各省に政策会議をつくると。政府と与党を一元化するということは以前から言っていたから、政党としての政策機能の必要性は低くなることは想定済み。しかし議員立法の交通整理や、選挙政策のとりまとめ、外部からの問い合わせへの対応などは必要だろうから、政権が本格稼働したらスタッフを移して縮小するんだろうくらいに考えていた。与党時代の自民党にも公明党にも政策部門はあったわけだし。
 政府の運営の詳細もこれからだし、どうしましょうという話にそろそろなるんかいな、くらいに思っていたけど、いきなり廃止とは…。また野党になったら、こんどはいきなり作るんか? 取り組みの継続性とかいらないんかい? 本当にそれでいいのか大いに疑問だが、いずれにしてもすさまじい割り切りだ。
 正式な党内論議はなく小沢幹事長のツルの一声で決まったらしいけど、普通はそんなことできないよ。すげ~よ、小沢さん。社民党や国民新党にとってはカウンターパートナーがいきなりなくなってしまったわけで、困っちゃうんけど。

三党連立で合意 くたびれた2009/09/09

連立に合意した党首会談後ろから
 9月9日。民主党・社民党・国民新党の三党で連立政権をつくることで合意した。社民党政審スタッフとして党の政権協議対策プロジェクトチームに参加し、三党間の交渉の中心的な課題が自分の担当分野(外交・防衛)だったこともあって、党内の協議、三党の政策責任者協議、幹事長会談、党首会談のほぼすべてのプロセスに陪席することができた。
 いろいろ考えさせられることは多かったが、ここで内容を書くことは適当ではないだろう。いずれにしろ長い長い交渉でくたびれ果てた。連立政権となったこと、政権に加わったことが良かったのか悪かったのか正直言って迷う部分もあるが、みんなよくまあ根気強く頑張ったものだとは思う。覚え書き的に経過を書き留めておきたい。

 ○9月1日 14時 党常任幹事会
 ○9月2日 14時 党全国代表者会議
 ○9月2日 16時 党政権協議対策PT
 ○9月2日 17時 三党政策責任者協議
 ○9月3日 11時 三党幹事長会議
 ○9月3日 14時 党政権協議対策PT
 ○9月3日 20時 三党政策責任者協議
 ○9月4日 14時 党政権協議対策PT
 ○9月7日 18時 党政権協議対策PT
 ○9月8日 9時 三党政策責任者協議
 ○9月8日 12時 党政権協議対策PT
 ○9月8日 13時15分 三党政策責任者協議
 ○9月8日 19時 三党幹事長会談
 ○9月9日 10時 党政権協議対策PT
 ○9月9日 14時 三党幹事長会談
 ○9月9日 17時 党臨時常任幹事会
 ○9月9日 17時30分 三党党首会談
 

政権交代選挙で改憲問題はどうなる?2009/09/03

憲法問題への立場
 民主党が圧勝し、ついに政権交代を実現した今回の選挙。この結果、今後の憲法問題はどうなっていくのだろうか。
 民主党はよく寄り合い所帯と批判されるし現実にそうなのだが、憲法問題に対する立場も実に幅広い。社民党とほとんど変わらないと思われる護憲派から、自民党よりずっと右としか思えない反動派・改憲派まで実に多様だ。
 民主党が増えたというだけでは、全然安心できないのである。そこで今回の選挙の前(05年)と後の憲法問題に対する態度の比率をグラフにしてみた。元データは、朝日新聞が7月13日に立候補予定者を対象に実施したアンケート。当選者の分の回答を選ぶと、「改正すべき」が31%、「どちらかといえば改正すべきだ」が28%、「どちらともいえない」が22%、「どちらかといえば改正すべきでない」が9%、「改正すべきでない」が10%となった。これを民主党議員に限れば16%、30%、31%、13%、9%。民主党議員には改憲派も半分近くいるが護憲派も2割以上いて、全体の平均よりは護憲指向だということがいえる。ちなみに自民党は75%、21%。3%、2%、0%で、改憲傾向の議員が実に96%に達している。二大政党を前提に、どちらにつくかを選ばなければならいなら民主しかないことはこの数字からもハッキリしている。
 結局、改憲派は87%から59%に激減した。確信的改憲派に限れば半減だ。このままでは、3分の2を確保して改憲の発議までいくことは容易ではないだろう。改憲の危機はとりあえず低くなったといってよいのではないか。
 ただし安心できないのは、「どちらともいえない」人が5%から22%に急増していることだ。この22%が改憲派に行ってしまえば81%になってしまうのだ。態度未定の22%人たちが改憲派に行けないような世論の状況をつくること。それが、これからの課題ではないかと思うがどうでしょう。

最高裁国民審査の結果2009/08/31

最高裁国民審査グラフ
 最高裁裁判官の国民審査の開票結果をグラフにしてみた。
 うーん。一番不信任が多かった涌井さんでも92.27%、一番不信任が少なかった宮川さんで94%。たぶん一番批判が強かった竹内さんがワースト4。平和フォーラムが×とした竹内、涌井、竹崎の3氏はいずれも不信任が多めではあるけど、ある程度有為な差といえるのかどうか微妙か? 両脇の人に×が多いというジンクスもなり立っていない。
 労組などはそれなりに取り組んだところもあったが、はっきりと差を示すには至らなかったといわざるを得ないかな。こんなんじゃ本当にやる意味があるのか疑わしい。イチジクの葉程度の国民審査なら税金のムダじゃないか。

  氏名 ×票   信任率
  桜井龍子 4656462 62282623 93.04
× 竹内行夫 4495571 62443553 93.28
× 涌井紀夫 5176090 61763059 92.27
  田原睦夫 4364116 62575038 93.48
  金築誠志 4311693 62627434 93.56
× 那須弘平 4988562 61950605 92.55
× 竹崎博允 4184902 62754264 93.75
  近藤崇晴 4103537 62835628 93.87
  宮川光治 4014158 62925016 94.00

韓国のロケットと北朝鮮のミサイル2009/08/29

羅老号
 8月25日、韓国政府は同国南西端の全羅南道・高興の羅老宇宙センターから衛生ロケット「羅老(なろ)号」を打上げた。衛生の軌道投入に失敗、世界で10ヵ国目の「自前ロケットで人工衛星を打上げた国」への仲間入りは出来なかった。
 羅老号は2段式で、重さ約100キロの試験科学技術衛星を搭載。1段目のブースターの切り離しには成功したが、目標軌道に乗せることには失敗した模様。ロシアとの共同開発。  航空宇宙研究院は今回の打ち上げに続き、来年5月に2度目の羅老号テスト発射を行なう予定という。ちなみに自前で衛生を打ち上げた9ヵ国は、ソ連、米、仏、日本、中国、英、インド、イスラエル、イラン。(欧州宇宙機関、北朝鮮を除く)
 6月29日、米空軍はICBM(大陸間弾道ミサイル)「ミニットマン3」の発射実験を実施した。カリフォルニア州のバンデンバーグ空軍基地の地下サイロから8700キロを飛行して太平洋上のマーシャル諸島クエゼリン環礁近くの目標に着弾した。弾頭は搭載していなかったという。

 この件についての報道や政府、各党の態度は極めて静かだ。若干の報道はあったが、それ以外はほとんど無反応と言ってもよい状況だ。確かに、アメリカのミニットマンは1970年に開発・配備されたもので特に目新しいものではないが、核廃絶の決意を示したオバマ政権にとって射程1万キロともされるMIRV(多弾頭)弾道ミサイルの実験をこの時期にすることが適切か、極めて疑問だ。韓国の羅老号は、4月5日に北朝鮮が発射した「テポドン2(北朝鮮は「銀河(ウンハ)2号」)と変わらない。
 羅老号は特に問題とされず、テポドンは国際社会こぞって安保理決議だなんだと大騒ぎした揚げ句、制裁(結局「議長声明」となった)だ、船舶検査だということになった。北朝鮮から見たらこの差は納得いかないのは当然ではないか。現に北朝鮮外務省は羅老号打ち上げについて「今後、南朝鮮(韓国)の衛星打ち上げに対する6ヵ国協議参加国の反応と態度を見れば、平等の原則が存在するのか、もしくは崩れたのかが再度明白になるだろう」(北朝鮮外務省スポークスマ、8/10)というコメントを発表し牽制していた。まあ当然だよね。少なくとも平等ではないね。

 ※06年7月のテポドン2発射を受け決議1695を採択。06年10月の核実験に関連し決議第1718号を採択。

 まあ、北朝鮮は核実験をした後の安保理決議に対してあえて挑戦しているわけだから、条件は多少違うけど、彼らの立場からすれば不平等だと考えるのは理解は出来る。韓国のはロケットでOK、北朝鮮はミサイルだから袋だたきで制裁、アメリカなんかICBMそのものを撃っても誰も問題にしないわけだから。
 核の問題にしても、そもそも米ロ英仏中は核保有が許され他の国の核保有を禁止するというNPTの不平等性が根本にあるし、NPTに加盟しないイスラエルやインド、パキスタンの核が事実上放免されていることが公平でないことは間違いない。なぜ北朝鮮の核だけ大騒ぎしてヤレ決議だ、ヤレ制裁だとやられるのか。と思うでしょう。そりゃ。

 確かに北朝鮮はケシカラン国だ。北朝鮮の核実験なんか絶対許せないし、なんとしてでも止めなきゃならない。でも核兵器の攻撃力という面でいえば既存の核兵器国や印・パ・イスラエルは比較できないレベルだし、核拡散という観点でも北の独裁体制よりパキスタンの無秩序の方がよほど差し迫った危機だ。
 ここはやはり公平に国際的規制を強化して、その規制力を強めていくという正攻法しかないと思う。つまり、NPT未加入国には断固として加入を求める。アメリカはNPT未加入のままインドと原子力協定を結びウランを提供するべきではない。NPT未加入のイスラエルにバンバン軍事援助をするなんて論外。パキスタンがNPTに入らない限り一切の援助を凍結するべきだし、カーン博士の「核の闇市場」問題を国際社会の責任で徹底解明すべきだ。NPT再検討会議の議論を実質化しNPT体制を強化する。そしてなにより核兵器国はNPT6条の核軍縮義務を誠実に履行しなくては。
 弾道ミサイルの拡散防止のためには、とりあえずミサイル関連技術輸出規制(MTCR)、弾道ミサイル拡散防止のための行動規範(ICOC)など既存のミサイル拡散防止体制の強化をはかり、ミサイル不拡散体制の条約化の議論を開始すべきだ。弾道ミサイルの新たな開発は原則禁止し、技術的に区別が難しい人工衛生打ち上げロケットの開発にあたっては「実行可能な最大限度まで情報を提供」(宇宙条約11条)することを条件に国際的監視の下で行なうこととすればいい。ジュネーブ軍縮会議(CD)や、生物兵器禁止条約(BWC)、化学兵器禁止条約(CWC)の機能と権限の強化などなすべきことはいくらでもある。
 これまで、こうした国際的な規制の強化に反対してきたのは専ら米国だ。自らの行動が規制されることを嫌って、国際的な軍備管理体制の強化に多くの場合否定的な態度をとってきた。オバマ政権下でこうした姿勢が変化していくのを期待したい。
 結局、お互い様、みんなでやめていこうよ、というやり方しかないのだ。イスラエルはいいけどイランはダメ、韓国はいいけど北朝鮮はダメ、自分はいいけど他の国はダメ、というのじゃなくて。みんなで核兵器を無くしていきましょうよ。みんなで弾道ミサイルとかは持たないようにしていきましょうよ。と。
 誤解の無いように繰り返すけど、北朝鮮への制裁に反対しているのではない。パキスタンやインドへの制裁を早々に解除して、むしろ援助しちゃうなんて論外でしょう。イスラエルの核をどうしてほっておくのか。ということをいってるわけです。

最高裁国民審査を忘れるな!2009/08/27

 8月30日の総選挙の際、同時に最高裁裁判官の信任を問う国民審査が行なわれる。
 国民審査は、任命後初めての衆議院選を迎える裁判官と、初審査から10年を経た裁判官を、衆院選の際に信任を問うもの。今回、対象となるのは05年9月の前回衆院選後に任命された桜井龍子、竹内行夫、涌井紀夫、田原睦夫、金築誠志、那須弘平、竹崎博允、近藤崇晴、宮川光治の9人の裁判官だ。
 1949年に最初の国民審査が行なわれてから、これまで20回(今回が21回目)で延べ148人が審査の対象となったが、一度も罷免された例はないし、そもそも不信任の×がついた率は最大で15.2%しかない。

 だいたい最高裁判事の人事なんかだれも関心もってないもんね。最高裁長官は「三権の長」とされながら、名前知ってる人すらほとんどいないんじゃなか。ちなみに竹崎博允って人ですが。
 形骸化が指摘され久しい。司法制度改革審議会の意見書にも一応、「最高裁判所裁判官の国民審査制度については、その形骸化が指摘されている。こうした現状を見直し、最高裁判所裁判官に対する国民の信頼感を高める観点から、最高裁判所裁判官の国民審査制度について、国民による実質的な判断が可能となるよう審査対象裁判官に係る情報開示の充実に努めるなど、制度の実効化を図るための措置を検討すべきである。」とか書かれているんだけど、まったく手つかずのままなんだよね。
 実際、辞めさせたい裁判官の欄に×印を書いて、×が過半数だと罷免されるんだけど、何も記入しなければ「信任」とみなされ、×印以外の記入はすべて無効となる。一覧の両端に書かれた人の×が多いといわれている程度でほとんど反応なしが実態だ。これを○を付けた者だけ信任するなど逆転させて、各裁判官に実績アピールさせることにすればだいぶ変わると思うけどね。一番×が多い1人を退任させるとか、活性化する方法はいくらでもあると思う。結局、「よらしむべし、しらしむべからず」的な発想の結果なんだよね。

 そもそも憲法上は最高裁判所の裁判官は、内閣が任命することとなっているが、実際は最高裁事務総局という密室の中で司法官僚によって決められている。内閣は事務総局があげてくるリストを追認するだけ。有権者やメディアの関心の薄さと、国民審査の形骸化の悪循環を、断ち切ることが出来るか。裁判員やロースクールだけじゃなく、司法改革に残された課題は多いと思うのだけど。

 なお、平和フォーラムは、護憲連合だった時代から、毎審査毎に啓蒙運動をしているのだけど、なかなか有権者の高い関心巻き起こすには至っていない。今回は、竹内行夫、涌井紀夫、竹崎博允の3人に×を付けようと呼びかけている。この他、一票の格差や国旗国歌強制問題で批判の強い那須弘平氏も×にしろいう声が強いので、結論。

 竹内行夫、涌井紀夫、竹崎博允、那須弘平氏に×を!
 当日分からなくなったら全部に×を!
 ※無効になるので○はつけないでね。


チラシ2
国民審査チラシ


国旗・国歌法について(メモ)2009/08/25

(2009年8月作成のメモ)

1、国旗・国歌法の背景
 1958年の小中学校学習指導要領改訂で、「儀式などを行う場合には…国旗を掲揚し、君が代を斉唱させることが望ましい」とした。77年の学習指導要領改訂で「君が代」→「国歌」と記載。84年の中曽根臨教審路線の影響を受けた88年教育課程審議会答申が「国旗を掲揚し、国歌を斉唱することを明確にする」と記載→89年の学習指導要領改訂で「入学式や卒業式などにおいては…(国旗掲揚・国歌斉唱を)指導する」と義務づけを強化。文部省(当時)の指導が格段に強化された。
 94年には村山首相が「日の丸が国旗、君が代が国歌であるとの認識が国民の間に定着しており、私自身も尊重したい。しかし、国旗の掲揚、国歌の斉唱は本来、強制すべきものではない」(94年7月20日・衆本代表質問)と答弁し社会党が容認に転換。95年、日教組が「日の丸・君が代反対」を運動方針から取り下げた。以後、現場単位での攻防が続いていた。

2、国旗・国歌法制定の経緯
 99年2月25日に小渕首相は参議院予算委員会で国旗・国歌の法制化に消極的な答弁をしていたが、直後の2月28日に広島県立世羅高校石川校長が自殺し、政府は方針を転換した。校長の自殺は県教委と組合との板挟みとなったことが原因とされ、メディアを賑わせた。
 共産党は、法的根拠のない日の丸・君が代を強制するのは問題。国民的討論を行ない法制化をすることが必要。とのキャンペーンを行なった。(※99年2月16日付、3月17日「赤旗」等)後に、共産党の主張を受け入れて法制化すると野中官房長官も国会で述べているが、共産党による典型的な「ヤブヘビ」。小渕首相は後に、2月時点では通る可能性がないと思い否定的な答弁を行なったが、きちんとした方がいい問題だと思っていた、と語っている。公明党が賛成の態度を固めたことが背景にあると思われる。
 ※8月6日参院特別委で野中氏は法制化の理由を、①教育現場で混乱が続いている事実、②世羅高校校長の自殺事件、③共産党の主張、と発言した)

3、国会における審議
 145回国会会期末(6月17日)直前の6月11日に閣議決定し、会期を大幅に延長(8月13日)し法成立をはかった。6月29日に衆議院本会議で趣旨説明。7月1日から衆議院内閣委員会で審議開始。7月21日に内閣委と文教委の連合審査、その後の内閣委で採決。民主党は「君が代」を削除する修正案を提出。民主党修正案には社共も反対し否決。審議時間は実質9時間半、7月22日衆議院本会議で賛成403、反対86で可決。
 参議院は7月28日審議入。29日から国旗・国歌特別委員会で審査開始、8月9日の参本会議で成立。賛成166、反対71で可決。
 ※ちなみに世論調査では政府案賛成58%・反対29%、日の丸法制化賛成59%・反対35%、君が代法制化賛成47%・反対45%(朝日新聞調査)。

4、国旗・国歌法の論点
 ①日の丸・君が代が国旗国歌として適当か否か
 あらゆる調査で多数派は日の丸・君が代肯定派が多いが、実際はほとんど根拠はない。「日の丸」じゃなく「菊の紋章」や「日章旗」ではどうかとか、「君が代」でなく「ひむがしののにかぎろひのたつみえて」ではどうかとか、衆内閣委の参考人として出席し反対の意見を述べた中田喜直氏の「めだかの学校」ではどうかとかいろいろ言われた。
 とくに「君が代」は「日の丸」と比べて否定的意見が強い。理由は一つは天皇賛美につながる歌詞が民主的ではないという「意味」、もう一つは作曲者がイギリス人とドイツ人と宮内省雅楽課員という「経緯」の悪さ。意味については委員会でもかなり議論された。
 ※ジョン・ウィリアム・フェントンとフランツ・エッケルトと林広守

 ②法制化が適当か否か
 両方の立場から賛否があった。一つは、日の丸・君が代が適当ではないから法制化すべきでないとの意見。もう一つは適当だが法制化にはなじまないという意見である。日本人DNAに刻まれているのだり、国会の過半数の賛成で国旗・国歌になったりならかったりという扱いをすべきではないというもので、真正の右翼の方には意外に多かった。

 ③立法経緯について
 政府の立場もゆらぐなかで会期末に突如法案を提出するような立法経緯。党利党略的に国旗・国歌を扱うことの是非である。左右両派からこの立場からの疑問があった。民主党は内部に賛否両派をかかえるなか、主に立法の経緯を批判した。

 ④教育現場での日の丸掲揚、君が代斉唱の意義・必要性
 小渕首相と有馬文部大臣は専ら、「マナー教育」であり愛国心は関係ないと答弁。野中官房長は、「愛国心の涵養」が必要というトーンで答弁している。教育であるなら音楽や社会の授業でなく、儀式での国旗・国歌の扱いのみにこだわるのはおかしい。参考人からは日の丸・君が代押しつけによる教育現場の弊害を指摘する声も多くあがった。これに対して必要性について真っ正面から答える議論はまったくなかった。

 ⑤生徒の内心の自由を侵すことにならないか
 文科大臣も首相も、子供たちの良心の自由を制約しようとするものではないと繰り返し答弁している。結論は以下の政府見解(の要旨)。  第一に、国会に敬礼するよう指導すること自体は内心に立ち入るものではない。自国の国旗のみならず諸外国の国旗について、お互いにこれを尊敬し合うということは、国際的なマナーとして定着している一般化された事項である。
 第二に、繰り返し繰り返し教える。これも程度問題。一定の限度を超えて無理強いし、強制する、そして子供たちの判断、考え方にまで踏み込むとなると、内心に立ち入るという問題が出てくることがあり得る。
 第三に、国歌が斉唱される際に起立してこれに敬意を払うことは、国際的マナーとして定着していることであり、生徒たちに国歌斉唱の際に起立を命ずることは、子供たちの内心に立ち入るものではない。
 というもの。

 ⑥教員の内心の自由を侵すことにならないか
 実質的にはこれが最大の論点といってもよい。
 より詳細には、(a)教育委員会が学校管理権にもとづいて国旗掲揚・国歌斉唱の実施について職務命令を出すことが出来るか、(b)この根拠は学習指導要領とされるが、学習指導要領はこのような拘束力のある基準なのか、(c)教師の内心の自由にかかわらず校長が職務命令でその実施を強いることが許されるか、といった論点が提起されている。
 (a)教育委員会の学校管理権、(b)学習指導要領の法的拘束力については文部省はあるとの見解だが、教育法学説の通説からは批判されており、議論がある。
 (c)について有馬文相は「国旗・国歌の指導は、(略)思想、良心を侵害するものではない。」「学校における国旗・国歌の指導について、教員は、学習指導要領に基づき、また校長の指示に従って、これを適切に実施する職務上の責務を負う」、「公立学校の教員は、公務員としての身分を有する以上、校長の職務上の命令に従い、職務を遂行しなければならない」、「思想、良心の自由は、それが内心にとどまる限りにおいては絶対的に保障されなければならない」ものの「それが外部的行為となってあらわれる場合には、一定の合理的範囲内の制約を受け得るもの」であり、「校長が学習指導要領に基づき法令の定めるところに従い所属教職員に対して本来行なうべき職務を命じることは、当該職員の思想、良心の自由を侵すことにはならない」としている。文部大臣官房長は、「職務上の責務」と補強した。

5、まとめ
・政府の立場は、①国民の思想、良心の自由は保障されなくれてはならず、強制されることはない、②生徒の内心に立ち入ることはない。国旗・国歌の尊重は国際的マナーであり一定の範囲で繰り返し「指導」はする。あくまで歌わない生徒があってもそのことによる不利益があてはならない。③公立学校の教員には内心はどうあれ、公務員としての責務がある。学習指導要領や関連法令に基づく職務命令には従ってもらう。これは外部行為を制約するもので内心に立ち入ることではない。というものだ。教育法上の通説とは異なるが、一応は一貫している。政府の主張には異論も多く、確定していない。いわゆる06年9月の予防訴訟(※国歌斉唱義務不存在確認等請求事件)の一審判決では「学校長の職務命令に基づき、上記行為を行う義務を負うことはないものと解するのが相当」として原告側のほぼ勝利判決が出ている。(現在東京高裁で控訴審係争中)
・よく反対運動側が引用するのは、小渕首相答弁「内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではない」、野中官房長官答弁「強制的に行われるんじゃなく、それが自然に哲学的にはぐくまれていく努力が必要」、村山首相答弁「国旗の掲揚、国歌の斉唱は本来、強制すべきものではない」といった発言だが、厳密に言うと苦しい。村山発言は時期が5年も前で、日の丸・君が代を認めた言い訳的側面がある。小渕発言は「生徒の内心」を語っている。野中発言は、強制するのじゃなく自然に国旗・国歌を敬うようになる方が好ましいという意味で必ずしも強制を否定する文脈になるかは微妙。小渕さんはもともとそれほど積極的ではないのかも知れないが、無難に推進した。野中さんは戦争反対・差別反対だが皇室尊重派。国旗国歌法審議での発言はあまりよくない。次にあげる米永さんを天皇が叱責した時の天皇に近い立場ではないか。
 内心の自由と、公務員として教員が職務命令に従う外部行為を区別して、前者を認めながら、後者の外部行為として国旗・国歌の取扱を求めるという点で一応一貫しており、これと矛盾する(※後者を求めないという)発言は見あたらなかった。
・2004年10月28日の園遊会に米永邦雄氏(棋士、東京都教育委員)が天皇に「日本中の学校に日の丸をあげ、君が代を歌わせるというのがわたしの仕事です。がんばっています」と話したところ、天皇は「やはりあのですね。強制になるということでないことがね、望ましいですね」と叱責された。ほめられると思っていた米永氏が、言葉を失い、「おっしゃるとおりです」とあわてて答えるさまがテレビでも放映された。処分、処分で無理に強制するのではなく、自然に日の丸・君が代が尊重されるようになることが好ましいということだろう。

6、結論
①原則対応:(略)
②「強制」を批判:(略)
③現象を批判:(略)

7、その他
○1943年 バーネット事件 米連邦最高裁判決
 「国旗に対する敬礼および宣誓を強制する場合、その地方教育当局の行為は、自らの限界を超えるものである。しかも、あらゆる公の統制から留保されることが憲法修正第1条の目的であるところの、知性および精神の領域を侵犯するものである」
 (ウエスト・バージニア州 vs エホバの証人)

○1977年 マサチューセッツ州最高裁
 「公立学校の教師に毎朝、始業時に行われる国旗への宣誓の際、教師が子どもを指導するよう義務づけられた州法は、合衆国憲法にもとづく教師の権利を侵す。バーネット事件で認められた子どもの権利は、教師にも適用される。教師は、信仰と表現の自由に基づき、宣誓に対して沈黙する権利を有する。」

8、国会審議(主な答弁)
○「これ(内心の自由にまで立ち入って強制することがあってはならない)は学校教育におきましても国民一般の場合におきましても何ら異なるところはないものと思っておりますし、教育に当たる学校の教員が、憲法に保障された基本的人権であります内心の自由にまで立ち入って強制すると判断されるような教育活動を行ってはならない。こういう点につきましては、私ども、今後とも十分留意をして参りたいと思っております。」(御手洗政府委員 99年8月4日文教委員会)

○「どのような行為が強制することになるかについては、当然、具体的な指導の状況において判断しなければならないことと考えておりますが、例えば長時間にわたって指導を繰り返すなど、児童生徒に精神的な苦痛を伴うような指導を行う、それからまた、たびたび新聞等で言われますように、口をこじ開けてまで歌わす、これは全く許されないことであると私は思っております。児童生徒が例えば国歌を歌わないということのみを理由に致しまして不利益な取り扱いをするなどと言うことは、一般的に申しますが、大変不適切なことと考えておるところでございます。」(有馬文部大臣 99年7月21日内閣委員会文教委員会)

○「今ご指摘のように、起立をしなかった、あるいは歌わなかったといったような児童生徒がいた場合に、これに対しまして事後にどのような指導を行っていくかということにつきましては、まさに教育指導上の課題として学校現場に任されているわけでございますけれども、その際に、ご指摘のように、単に従わなかった、あるいは単に起立しなかった、あるいは歌わなかったといったようなことのみをもって、何らかの不利益をこうむるようなことが学校内で行われたり、あるいは児童生徒に心理的な強制力が働くような方法でその後の指導等が行われるというようなことはあってはならないことと私ども思っているわけでございます。」(御手洗政府委員 99年7月21日内閣・文教委員会)

○「当該児童が憲法の思想、良心の自由ということを意識してそういった行為を行うということは当然あるかと思います。従いまして、あくまでも強制にわたらないということが肝要でございまして、先ほど申し上げましたように、事後に精神的苦痛を伴うような指導を行うとか、あるいは他の児童生徒に対して個別具体の名前を挙げながら適切でないというような、そういう教育的に見ても適切でないような指導を行い、それが児童生徒に心理的な強制を与えると言ったようなことであれば、これは許されないものと考えています。」(御手洗政府委員 99年7月21日内閣・文教委員会)

○「教育公務員として、あるいは教員として、地方公務員としての制約はございますね。ですから、その制約と、ご自分の、教員一人一人が持っている内心の自由、今その両方の関係をご質問だと思うけど、どの人が仮に内心の自由で何かをしたくなかったときに、その人が最終的に内心の自由でしないと言うことは、それはやむを得ないとおもいますけれども、しかしながら、教育をする人間としての義務は果たさなければいけない、そういう問題が私はあると思うんですね。ですから、その人に、本当に内心の自由で嫌だと言っていることを無理矢理する、口をこじ開けてでもやるとかよく話がありますが、それは、子どもたちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても無理矢理に口をこじあける、これは許されないと思います。しかし、制約と申し上げているのは、内心の自由であることをしたくない教員が、他の人にも自分はこうだということを押しつけて、他の人にまでいろいろなことを干渉するということは許されないという意味で、合理的な範囲でということを申し上げているのです。」(有馬文部大臣 99年8月4日文教委員会)

○「広島県立世羅高校の石川校長がみずからの命を絶たれましたことは、今、亀井委員から御指摘がございましたように、県下それぞれの学校における国旗の掲揚、国歌の斉唱に端を発して、そして教職員組合や解放同盟等の激しい糾弾の中でついにみずからの命を絶たれたということを私どもも承知をしたわけでございまして、まことに痛ましい事件でございました。心から改めて深い哀悼の意を表したいと思うわけでございます。…今、それから数カ月を経た経過を亀井委員からお伺いをしながら、私は、一人の校長先生を死に追いやるに至って、その後一人も線香を上げることがないということは、その先生を死に追いやるところまで追い込んだ先生方がどうして一人も石川校長の心情をわかってやろうとしなかったんだろうと思うと、まことに教育の現場を思う者として非常に悲しく思うものでございます。その背景となるものにまた問題を感じるわけでございます。 その後、先日も触れましたけれども、民放の報道を通じまして小森委員長が言っておる宮澤大蔵大臣に対する言葉を聞きながら、私はこういう先生方が石川校長の霊前に行きたくとも行けない背景を知らざるを得ない。そう考えるときに、やはり国旗・国歌を法文化して明確にして、そしてこれが強制じゃなく、強圧じゃなく、学校の場で自然に、そして過去の歴史のゆがめられたところは率直にゆがめられたところとして教育の中にこれが生かされて、そしてそれがこれから我が国の国旗・国歌として定着をしていくように、そして学校現場では、先ほど申し上げましたように、強制的にこれが行われるんじゃなく、それが自然に哲学的にはぐくまれていく、そういう努力が私は必要ではなかろうかと思うわけでございます。」(野中広務官房長官 99年8月2日、参議院国旗及び国歌に関する特別委員会)
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参考:高槻市の教員のウェブから
<ついに起こった差別事件>
 A小学校では、「君が代」の事前指導で、在日韓国人生徒への差別発言が起きた。音楽の授業で「君が代」の練習があり、4年生の在日韓国人の子どもが耳をふさぎ、歌わなかった。その後、教室に帰ってクラスメートから「なぜ歌わないのか」とせめられ、言い争いになり、そのとき、「韓国人」という差別発言を受けた。その後、子どもの保護者が学校に抗議の申し入れを行った。また、保護者・「日の丸・君が代」強制に反対する市民グループ・在日韓国人団体が市教委に抗議し、市教委は差別事件であることを認め、対応策を検討すると約束した。

<子どもへの事情聴取>
 B小学校では、6年生の在日韓国人の子どもと日本人の子ども5名が、卒業式に「日の丸と君が代はやらないでほしい」と校長に申し入れた。そして、卒業式前に担任が子どのたちを個別の呼び出し、圧力をかけた。担任は一人一人に対して、「式の時どうするの?」「親には相談したの?」「退場以外にも、友達として協力できることはほかにいっぱいあるでしょう?」と恫喝を加えた。このような圧迫をはねかえして、卒業式当日に10名ほどの子どもたちが起立せず、歌わなかった。

<子どもの良心の自由の否定>
 C小学校では、卒業式予行の「君が代」斉唱で、5・6年の子どもたちが全員すわったので、校長は「国歌は起立して歌うのが当たり前であるが、すわった人はきちんとした考えをもってすわったのでしょう。自分で判断してもらうのは結構です。しかし、今日、家の人ともう一度話をして下さい。当日、もしおうちの人が“なんですわったんや”と言われた時は、ちゃんと答えられるようにして下さい。」という強制発言した。それにに強く反発して、卒業式当日、(6年担任2人の着席とともに)6年全員が起立しなかった。

<子どもへの思想調査>
 D小学校では、終了式当日、卒業式に起立しなかった5年生の子ども全員を残し、校長が「この本(指導要領)には“国旗、国歌は尊重するように”と書いてある。」「国旗・国歌が必要ないと思う人、必要だと思う人、わからない人」のいずれかに手をあげさせた。その後、3人の子どもたちが校長に抗議した。子どもは「(憲法は)平和主義でしょう?」と校長に質問し、校長は「攻めてきたらどうするねん。」「そむく時は先生はやめさせられる。」と発言する。保護者による校長・市教委への抗議が予定されている。

<全教職員への事情聴取>
 E小学校では、6年生は5、6人を除き着席した。その後、校長は再三市教委に呼び出さた。そのため、校長が6年担任、音楽専科を呼び出し、校長は「児童がほとんど座ったのはおかしい。半分ぐらいは立つはずだ。どんな指導をしたのか。」と言い、教員の不起立のことについても、「遺憾である。仕事だと思って立って下さい。入学式の時には、起立するように。」と強制した。また、「市議会議員が市議会で追及する。」と校長は脅した。その後、春休み中にかけて、全職員が呼び出され、「どこの席で、立ちましたか、座りましたか?」と聞かれた。同様に「入学式では、起立するよう。」と強制した。 以上
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世界各国の状況
(内閣総理大臣官房審議室、および外務大臣官房儀典官室による1985年資料)

1)学校教育での国旗国歌の取扱い(主要40ケ国在外公館調査)

a.ヨーロッパの立憲君主国では学校での国旗掲揚や国歌斉唱をすることが殆ど無い。
イギリス: 普通の歴史と音楽の授業で取扱い、学校行事では掲揚せず歌わない。
オランダ: 特に教育する事はない。学校行事で掲揚や歌唱という事も特にない。
ベルギー: 国旗掲揚の義務はなく慣例もまちまち。国歌は教育されていない。
スペイン: 学校での規定はない。
デンマーク: 特別の教育はしない。普通の授業で言及。国歌は行事で殆ど歌わない。
ノールウエー:特別な教育はしていない。両親が教えて子供はすでに歌っている。
スウエーデン:教科書に無い。国旗は教師に一任。国歌は学校で特別に教えない。

b.ヨーロッパの共和国ではむしろ革命をおぼえて国旗国歌を強調する。
しかし、例外がいくつもある。次のとおりである。
ギリシャ:学校での規定はない。
イタリア:教科書には書かれず、それによる儀式は行われない。
スイス: 学校内で実際に国歌を歌う事は殆ど無い。
ドイツ: 各州の権限で決められる。
オーストリア:国旗は学校で特に扱われない。
ハンガリー:教科書では取り扱われていない。
旧ユーゴ:強制はない。教科書での取扱いも学校行事での使用もなかった。

c.アジア・アフリカ地区では、学校での教育を求めている事が多い。

d.米州・オセアニア各国での例

カナダ: 国旗も国歌も学校と特定の関係が見られ無い。
アメリカ:国旗が掲揚されるが儀式強制はない。国歌は学校と特定の関係が無い。
キューバ:国歌は学校での規定はない。
オーストラリア:国旗を政府が提供。掲揚も国歌も各学校に委ねられている。
ニュージーランド:学校のための統一された規準はない。

2)国歌を国民の慣習に任せ、政府が追認指示するのみで、正式の法律・勅令・大統領決定・最高議会決定で制定していないおもな国

大韓民国・インドネシア・タイ・イスラエル・エチオピア・エジプト・イギリス・オランダ・イタリア・スイス・デンマーク・ノールウエー・スエーデン・ フィンランド・オーストリア・ハンガリー・ブルガリア・キューバ・ニュージー ランド・旧チェコ・旧ルーマニア
(40ケ国中21ケ国:1975年調査を1985年修正)

米ロ首脳が核削減等で合意2009/07/07

 7月6日、就任後初めてロシアを訪れたオバマ米大統領は、クレムリン宮殿でメドベージェフ大統領と会談した。今年12月に失効する第1次戦略兵器削減条約(START1)に代わる条約締結に向け、両国が保有する戦略核の弾頭数を現状の2500前後から、1500~1675に、弾道ミサイルや爆撃機など運搬手段についての上限を500~1100へと削減する共同文書に署名した。12月までの最終合意を目指し、実務者レベルで条約の細部を詰める。
 両首脳の顔合わせは、新条約の年内締結で原則合意した4月のロンドン会談以来で2回目だ。同時にオバマ政権が優先課題に掲げるアフガニスタン戦争で、米国にアフガンへの軍事物資輸送について年間4500回の領空飛行を米国に認めるなどの合意文書にも署名した。

 米国と旧ソ連は91年、戦略核の上限をそれぞれ6000、ミサイルや戦略爆撃機など運搬手段の上限を1600とする第1次戦略兵器削減条約(START1)に調印、01年に達成している。02年には米国とロシアが戦略核の上限を1700~-2200まで削減する戦略攻撃兵器削減条約(モスクワ条約/SORT)に調印した。
 1993年に調印されたSTART2は、2003年までに両国の核弾頭数を3,000~3,500発以下に削減することや、大陸間弾道ミサイルのMIRV(多弾頭独立目標再突入ミサイル)化の禁止などを定めていた。批准が難航し期限を2007年に延長したが、結局、発効に至らなかった。START2を最終的に死に至らしめたのはブッシュ政権によるABM条約(弾道ミサイル迎撃ミサイル条約)の破棄である。
 1999年から核弾頭数を2000~2500発に削減するSTART3交渉も始まったが、START2の批准作業が進まなかったこともあり、交渉は進展せず、十分な検証体制を伴わないゆるい条約SORTに置き換えられてしまった。SALT(戦略兵器制限交渉)やSTARTが厳格な検証方法等についての規定を含んでいたのに比べてSORTはこうした合意を含まない非常にラフな条約である。核弾頭数は一応、削減されるものの、運搬手段の制限もなく、削減した核弾頭を保管することも可能であるなど実効性に欠けるなど問題が多い。
 なお、これまで1万発をベースとしていた核兵器削減交渉が1000発代を睨みはじめたSTART3交渉に当たって、NGOなどは他の核兵器国(NPTによる核兵器国:仏、英、中)を含めた交渉とすべきと主張したが、かなわなかった。

あてにならないDNA鑑定:飯塚事件2009/06/18

飯塚事件DNA鑑定
 部会で「飯塚事件」の再審請求代理人である岩田務弁護士から話を聞いた。
 いやあ、DNA鑑定ってどういうものかぜんぜん知らなかったんだけど、大変なものですね。なんとなく科学的で確実なもののような印象でいたのだけど、全然違う。塩基対の配列をデジタルに対照してるのだとばかり思っていたのだけど、初期のDNA鑑定は電気泳動にかけて一定の塩基配列の繰り返し数の違いを長さから判断しているだけ。ぜんぜんアナログな方法だ。マーカー(比較用の物差)の使い方もいい加減で、全然信用にならんぞ、こりゃ。
 イメージでは、パソコンで塩基対の型を照合しているような認識をしていたのだけど、実際はレントゲンのようなあいまいな画像をみながら、うーんこれかな、って感じで決まっていたわけです。鑑定人の能力による差も出そう。実際、飯塚事件の鑑定を科警研と別に実施した石山昱夫帝京大名誉教授は当時の科警研鑑定はズサンで、技術も未熟、「こんな鑑定は私の教室では通用しない」と法廷で発言している。うーん、まったくあてにならんぞDNA鑑定。
 飯塚事件では、足利事件以上に不出来だっと言われる「MCT118型鑑定」だけではなく、「HLADQα型鑑定」、「ミトコンドリア法鑑定」、「PM法鑑定」といくつもの方法で鑑定されているが、HLADQα型鑑定は鑑定が破綻して証拠として不採用、ミトコンドリア法では容疑者の久間さんと同じ型のDNAは出ずに別の型が検出され、PM法はプロトコル(実施要綱)違反で誤りの可能性が高いとさんざんな結果だ。
 ポリグラフ検査、面通しテスト、目撃証言の信頼性に関する鑑定結果等、消極的な証拠も多く、本人が一貫して否認しているなか、決定的な証拠とされたMCT118型DNA鑑定の信頼性が否定された以上、飯塚事件の死刑判決が誤りだったことは明らかだ。
 要するに警察ははじめから、久間さんを犯人として絞り込むといういわゆる「見込み捜査」を行なったのだろう。久間さんを真犯人と思い込み、消極的な材料からは目を背け、有罪に追い込むための証拠集めを行なった。MCT118型鑑定でクロという結果を押し出して、科学的な装いで有罪判決を勝ち取ったわけだ。
 真犯人を見つけるためではなく、犯人と思い込んだ相手を締め上げて「自白」させる、飯塚事件の久間さんは「自白」しなかったので「科学的」なDNA鑑定を押し出して裁判官をだまして有罪判決をとる。DNA鑑定の結果が揺らぎ、再審の議論がはじまったらさっさと死刑にしてしまう。ひでーよ。
 警察・検察は最後まで久間さんを真犯人だと決めつけていたようだが、これだけ証拠能力がゆらいでいるのだから、きちんとした再検証を行なうべきじゃないか。鑑定資料も警察が全部使い切っていて再鑑定が出来ないというのだから、そんなのを根拠に死刑ではかなわない。
 すくなくとも90年代初頭までのDNA検査は実験段階で実用に耐えるものではなかった。警察・法務当局はそれを承知、もしくは知らぬふりをして「科学的」な証拠として活用してきたわけだ。多分ほかにも、同様の「証拠能力のない証拠」によって有罪とされた容疑者が大勢いるのではないか。
 死刑が確定したあとに再審によって無罪となった冤罪事件だけでも、免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件の4件がある。最近でも服役後に真犯人が見つかる氷見事件のような例が発生している。冤罪の可能性がある以上、やはり死刑制度を見直す必要があるな。遺族感情ということがいわれるが、真犯人を見逃して、無実の人が処刑されることが遺族感情に叶うとはとても思えない。