60年たっても放射線2009/08/07

内部被ばくの写真
 長崎原爆の日を前にして、興味深い写真が報道された。長崎原爆で死亡した被爆者の体内に取り込まれた放射能が、被爆から60年以上たった今も放射線を放出している様子を撮影したというのである。撮影したのは長崎大の七条和子助教らの研究グループ。
 爆心地から0・5~1キロの距離で被爆、急性症状で1945年末までに亡くなった20~70代の被爆者7人の解剖標本を研究していたという。
 アルファ線が、被爆者の肺や腎臓、骨などの細胞核付近から放出され、黒い線を描いている様子の撮影され、アルファ線の跡の長さなどから、長崎原爆に使われたプルトニウムによるものとほぼ確認された。
 小さなニュースだけど、こりゃすごいことだよ。長年、軽視され続けてきた内部被ばくの事実が、ずばり撮影されているわけだから。やはり体の中に放射能を取り込んでしまうということは大変なことだ。低線量被ばくの危険がこれまで言われていたよりずっと大きいのではないかということも議論されるようになってきたし、内部被ばくの証拠もこれだけはっきりと撮影されたわけだから、被ばくの影響についてもう一度、根本的な再検討を行なうべきではないか。DS86 (被曝線量評価)だDS02 だ原因確率だと言ってる場合じゃないって。
 細胞の中に取り込んで60年後にこんだけハッキリアルファー線が写っちゃうんだから、内部被ばくの影響は相当大きいのはまちがいないよ。残留放射線や放射性降下物、内部被ばくの影響についてきちんと再評価して、原爆症の認定基準についても根本的に見直す必要があるだろう。
 へんな政治的配慮で緩めるんじゃなくて、きちんと被ばくの影響を再評価した方がいい。もちろん高齢な被爆者には時間がないので、救済は救済で即刻行うべきなのは当然ですよ。

千鳥ヶ淵に行ってきました2009/08/15

千鳥ヶ淵六角堂前
 8月15日、千鳥ケ淵に行った。
 千鳥ヶ淵というのは千鳥ケ淵戦没者墓苑のこと。靖国神社の南側、皇居の西側の千鳥ヶ淵公園に隣接している。第二次世界大戦の際に海外で亡くなった身元不明の軍人・一般人の遺骨を安置するために1959年に作られた、国(環境省)が維持管理する「無名戦没者の墓」だ。特定の宗教性を帯びず、仏教・神道・キリスト教等の各種団体が行事を行なっている。拝殿にあたるのは六角堂という納骨堂。古代豪族の棺を模した陶棺が置かれ、地下に、主な戦域別に6部屋の地下室が設けられ、鋳鉄製の壺に遺骨が安置されている。35万2297柱(07年5月)の遺骨が安置されている。  社民党は、毎年8月15日に平和フォーラムが主催(以前は社民党も共催)する追悼集会に参加している。ほぼ毎年、党首が出席している。僕もよほどのことがない限り参加している。黙祷して、何人かの「誓いの言葉」の後、献花をするだけの簡単な式なんだけど、うだるような暑さと蝉の声が否応なく「あの夏」を思わせる。不戦の思いをあらたにするなくてはならない場だ。

 靖国神社にはA級戦犯が祭られていてケシカランとかよく言われるわけだけど、僕はそういうこと以前に靖国より千鳥ヶ淵の方がずっと8・15の慰霊の場としてふさわしいと思っている。

 第一に、戦没者にも様々な信仰があるということだ。あの時代には確かに「靖国で会おう」と言って散った命は少なくないだろうが、そうではない者も多かった。おれは自分の寺に帰るとか、クリスチャンなら神の御許にかえるわけでしょう。
 靖国神社はとにかく全部靖国で祀るんだと勝手に決めつけてやっているわけだけど、なんでそんな判断に従わんといかんの。厚生省から戦死者の名簿をもらってきてそれを霊璽簿なる書類に勝手に書き写して祀っとくと、そのうち御神体に魂が移るというんだけど、無茶苦茶怪しい世界だ。イヤだという人の名前を勝手に書いて勝手に祀るつーのはどーシテも理解できないね。
 第二に、歴史や伝統が浅い。薩長土肥の都合で 1869年(明治2年)に東京招魂社として創建され、1879年(明治12年)に靖国神社と改称された靖国神社は、普通の神社とはまったく異なるものだ。薩長土肥の新政府が自分たちの為政に都合がよいようにつくったもので、きわめて政治的な意図の下で形式的に建てられた。神社なんか、家の近所のちっちゃな神社でも創建数百年というそれなりの古い歴史や言い伝えがあるものなんだけど、靖国神社にはそういう古い土着してきた経緯が全くないのである。儀式とかも、なんか勝手に決めてなんとなく重々しそうにかっこつけているだけにしか見えない。厚労省から名簿もらってきて書き写すと、霊になりました、ってどうすりゃそんなふうに思えるんだ?
 第三に、慰霊をする雰囲気が全然ないよ。僕は千鳥ヶ淵に行った後、時間があれば靖国神社にも行っている。今年も昭和館に寄ってから行ったんだけど、騒然としてるのね。靖国通りには街頭右翼の黒い街宣車が大音量でがなっている。周辺のあちこちで右翼的主張の若者がビラ配ったりしながら排外的な主張をがなっている。境内でも軍服着た右翼の人たちがガンつけて歩いている。

 その点、千鳥ヶ淵は無宗教で、どんな人でもわだかまりなく祈ることができる。いろんな宗教団体も参拝に来る。静かだし、聞こえるのはセミの声ばかり。おかげで軍服の人も時折現われるけど深々と敬礼して帰って行く。そしてなにより千鳥ヶ淵には遺骨があるのである。身元のわからなかった35万余中の遺骨が納められている。六角堂と、収まりきらなかった遺骨を収容するためにすぐ裏側に収容施設が増設された納骨堂。ここにある骨の力というのはすごいと思うよ。どんな形式張った儀式よりずっと力がある。
 国家神道信者は靖国に行けばいい、ミーハーな見物者もどうぞ靖国で饅頭でも買ってやってください。あの戦争で亡くした人を偲ぼうとする方は、それぞれゆかりの地でもかまわないし、自分のお寺でも、近所の教会でも結構です。それぞれの方法で故人を偲び、不戦の誓いを新たにすればよいのです。特に思い当たる場所が無い方は、もっとも広範な国民がこだわりなく慰霊ができる場所、もっとも多くの遺骨が眠る場所、として千鳥ケ淵戦没者墓苑はいかがでしょうか。と思うのですが。

いよいよ総選挙2009/08/18

 今日は総選挙の公示日。

 総務省への届出の係は7時半に本部に集合して総務省へ。8時半から受付開始でくじ引きの順に手続をする。順番が早ければ早く手続を済ませてブツを持って9時頃には帰ってこれるが、順番が後の方だと11時近くになる場合もある。前に段取りの悪い新しい党なんかがいると最悪だ。

 僕は発送担当で8時半集合。総務省からもらってきたブツの担当部分を各県毎に分けて、発送の準備をする。

 ブツというのは
 ①比例事務所表札(各ブロック内の都道府県毎1枚)
 ②ポスター証紙(各ブロック内で500枚×名簿搭載者数)
 ③自動車・拡声機表示板(各ブロックに1枚)
 ④政党等演説会看板用証票(各ブロックに8枚)
 ⑤標旗(各ブロックに比例定数と同じ枚数)

 これを各県ごとに分けて届けるわけ。
 公営物資、俗にいう「選挙の七つ道具」ってものだが、中央で扱うのは「比例代表選出議員の選挙」の「名簿届出政党」用なので、各都道府県選管で手続する「小選挙区選出議員の選挙」の「候補者届出政党」・「候補者」用のもとの少し内容が違う。腕章とかが無いんだね。

 候補者選対のいわゆる「七つ道具」は、①選挙事務所の標札、②選挙運動用自動車・船舶表示板、③選挙運動用拡声機表示板、④自動車・船舶乗車船用腕章、⑤街頭演説用標旗、⑥街頭演説用腕章、⑦個人演説会用立札等の表示、など。これ以外にも、新聞広告掲載証明書とか、候補者には選挙郵便物差出票、ビラの証紙、候補者旅客運賃後払証とかいろいろもらってくる。

 こういうのが無いと、事務所の看板も出せないし、宣伝カーも走らせられないし、街頭演説も出来ないので、一刻も早く選対に届けなくちゃならない。近県は選対の人が取りに来るし、遠方の県は飛行機便で送って空港で受け取ってもらって、なんとか昼過ぎくらいにはとどけるわけです。結局、それほど遅くなることもなく、なんとか送り出して一安心。11時くらいには作業の部隊は解散。

 いよいよ選挙戦のはじまり。小選挙区に1134人、比例代表に235人(重複除く)の計1369人が立候補する。

合計 小選挙区(定数300) 比例区(定数180) 比例単独(内数) 選挙前
自民
326
289
306
(37)
300
民主
330
271
327
(59)
115
公明
51
8
43
(43)
31
共産
171
152
79
(19)
9
社民
37
31
37
(6)
7
国民
18
9
18
(9)
4
みんな
15
14
14
(1)
4
改革
1
1
1
(0)
1
大地
4
0
4
(4)
1
日本
8
2
8
(6)
0
諸派
342
291
51
(51)
0
無所属
66
66
-
-
6
1369
1134
888
(235)
478

 前回の立候補者は1131人で大きく増えた。民主党は比例単独が過去最高の59人、自民党は過去最少の37人。共産党は小選挙区の候補者を大きく絞り込んだ。
 全ブロックに候補者を擁立したのは自民、民主、公明、共産、社民、幸福実現党の6党。

アンケートでへろへろ2009/08/22

新議員会館建設中
 今日は土曜日ですが、選挙期間ということで出勤しています。土曜は議員会館が閉館日で空調が動かないので暑い! 議員の部屋は最近、各々にエアコンがついて、休館日でも個別につけられるようになったんだけど、政党の事務室はあいかわらず会館の空調だけなので止められるとどうにもならないんだわ。もうぐだぐだになってきたので、こうしてサボっているわけですわ。
 会館が建て替われば、なんとかなるんだろうか。とにかく、せまくて資料の置き場がないのと、もともと空調が悪いところに土日は止まるという状況をなんとかして欲しい。もともと頭が悪いのに、もわっとしたらボーとしてまともな考えは浮かばないんですわ。

 それにつけてもこのアンケートの山なんとかならないもんでしょうか。この10年くらいじょじょに増えて来たのだけど、そろそろ限界を超えつつあるよ。
 たぶん、この最大の要因は、有権者が政党・政治家に白紙委任せずに自らの関心のある課題について、候補者の考えを確認したいという流れがあるのだと思う。これは非常によいことだと思うけど、一時に集中するから答える方は辛い。
 あと、安易に聞いちゃえって流れ。わかりきったことでも、一応、聞いとくかみたいな。市民グループなんかで選挙だからなんかしようかいうと、とりあえず各党にアンケートかなって。まあ、いいんだけど、あんまりわかりきったこと聞くなよなって思うときも多い。ネットで調べればすぐ分かるような、マニフェストやら政策集にでかく書いてあるようなことを、一応何文字で答えろとか言ってくる。「憲法を変えるべきと思いますか100字で」とか何十通も来ると自分で調べてくれよ、とついつい思っちゃうね。
 さらに、地方組織や各選対に答える力が無くなってきた面がある。もちろん、すべての候補者や地方組織がすべての分野の政策を理解しておけということにはならないし、どう答えたらよいか?とか、回答例ないか?っていうのは以前からあったし、問題ない。でも、最近はごく簡単なこともまるまるたらい回ししてくるようなケースが多くなっているような感じがするんだよね。これは問題。あの県は最近全部回してくるね、とか思ってると、そういう作業をしていた人がいなくなってるとか。全体が高齢化、縮小傾向というなかでやむを得ない面もあるけど、安易に中央に回すようになっていった地方はどんどん力を失っていくんだよね。アンケート対応は原因と言うより結果なんだろうけど。まあ「憲法9条を変えることに賛成ですか?」とか、そのくらいは自分で答えてくれよ。とついつい苛立つちゃう次第。
 だいたい政党が森羅万象について見識があるわけじゃない。まったく議論したことなどないようなことも、一応は調べて答えないといかんし、いちいち常幹にかけることもできない。「成田ミイラ事件への司法機関の対応についてどう考えるか?」なんて聞かれたって知らん。何が問題なのかまったくわかりましぇん。「社民党のネイチャーゲーム政策」なんてないよ。議論したことないのよ。こういうのも勝手に答えちゃうわけだけど、大丈夫かよおい。と思うわけでした。

 だいたい、アンケートは激増、マニフェスト作りやらなにやら作業は増える一方、スタッフはどんどん減っている。10年くらい前はマニフェストなんか無かったし、政審のスタッフも10人程はいた。いまは作業激増でスタッフは半分以下、これじゃ質が下がるの当然じゃないか、って感じ。
 はー。あと1個くらいやってそろそろ帰ろ。

国旗・国歌法について(メモ)2009/08/25

(2009年8月作成のメモ)

1、国旗・国歌法の背景
 1958年の小中学校学習指導要領改訂で、「儀式などを行う場合には…国旗を掲揚し、君が代を斉唱させることが望ましい」とした。77年の学習指導要領改訂で「君が代」→「国歌」と記載。84年の中曽根臨教審路線の影響を受けた88年教育課程審議会答申が「国旗を掲揚し、国歌を斉唱することを明確にする」と記載→89年の学習指導要領改訂で「入学式や卒業式などにおいては…(国旗掲揚・国歌斉唱を)指導する」と義務づけを強化。文部省(当時)の指導が格段に強化された。
 94年には村山首相が「日の丸が国旗、君が代が国歌であるとの認識が国民の間に定着しており、私自身も尊重したい。しかし、国旗の掲揚、国歌の斉唱は本来、強制すべきものではない」(94年7月20日・衆本代表質問)と答弁し社会党が容認に転換。95年、日教組が「日の丸・君が代反対」を運動方針から取り下げた。以後、現場単位での攻防が続いていた。

2、国旗・国歌法制定の経緯
 99年2月25日に小渕首相は参議院予算委員会で国旗・国歌の法制化に消極的な答弁をしていたが、直後の2月28日に広島県立世羅高校石川校長が自殺し、政府は方針を転換した。校長の自殺は県教委と組合との板挟みとなったことが原因とされ、メディアを賑わせた。
 共産党は、法的根拠のない日の丸・君が代を強制するのは問題。国民的討論を行ない法制化をすることが必要。とのキャンペーンを行なった。(※99年2月16日付、3月17日「赤旗」等)後に、共産党の主張を受け入れて法制化すると野中官房長官も国会で述べているが、共産党による典型的な「ヤブヘビ」。小渕首相は後に、2月時点では通る可能性がないと思い否定的な答弁を行なったが、きちんとした方がいい問題だと思っていた、と語っている。公明党が賛成の態度を固めたことが背景にあると思われる。
 ※8月6日参院特別委で野中氏は法制化の理由を、①教育現場で混乱が続いている事実、②世羅高校校長の自殺事件、③共産党の主張、と発言した)

3、国会における審議
 145回国会会期末(6月17日)直前の6月11日に閣議決定し、会期を大幅に延長(8月13日)し法成立をはかった。6月29日に衆議院本会議で趣旨説明。7月1日から衆議院内閣委員会で審議開始。7月21日に内閣委と文教委の連合審査、その後の内閣委で採決。民主党は「君が代」を削除する修正案を提出。民主党修正案には社共も反対し否決。審議時間は実質9時間半、7月22日衆議院本会議で賛成403、反対86で可決。
 参議院は7月28日審議入。29日から国旗・国歌特別委員会で審査開始、8月9日の参本会議で成立。賛成166、反対71で可決。
 ※ちなみに世論調査では政府案賛成58%・反対29%、日の丸法制化賛成59%・反対35%、君が代法制化賛成47%・反対45%(朝日新聞調査)。

4、国旗・国歌法の論点
 ①日の丸・君が代が国旗国歌として適当か否か
 あらゆる調査で多数派は日の丸・君が代肯定派が多いが、実際はほとんど根拠はない。「日の丸」じゃなく「菊の紋章」や「日章旗」ではどうかとか、「君が代」でなく「ひむがしののにかぎろひのたつみえて」ではどうかとか、衆内閣委の参考人として出席し反対の意見を述べた中田喜直氏の「めだかの学校」ではどうかとかいろいろ言われた。
 とくに「君が代」は「日の丸」と比べて否定的意見が強い。理由は一つは天皇賛美につながる歌詞が民主的ではないという「意味」、もう一つは作曲者がイギリス人とドイツ人と宮内省雅楽課員という「経緯」の悪さ。意味については委員会でもかなり議論された。
 ※ジョン・ウィリアム・フェントンとフランツ・エッケルトと林広守

 ②法制化が適当か否か
 両方の立場から賛否があった。一つは、日の丸・君が代が適当ではないから法制化すべきでないとの意見。もう一つは適当だが法制化にはなじまないという意見である。日本人DNAに刻まれているのだり、国会の過半数の賛成で国旗・国歌になったりならかったりという扱いをすべきではないというもので、真正の右翼の方には意外に多かった。

 ③立法経緯について
 政府の立場もゆらぐなかで会期末に突如法案を提出するような立法経緯。党利党略的に国旗・国歌を扱うことの是非である。左右両派からこの立場からの疑問があった。民主党は内部に賛否両派をかかえるなか、主に立法の経緯を批判した。

 ④教育現場での日の丸掲揚、君が代斉唱の意義・必要性
 小渕首相と有馬文部大臣は専ら、「マナー教育」であり愛国心は関係ないと答弁。野中官房長は、「愛国心の涵養」が必要というトーンで答弁している。教育であるなら音楽や社会の授業でなく、儀式での国旗・国歌の扱いのみにこだわるのはおかしい。参考人からは日の丸・君が代押しつけによる教育現場の弊害を指摘する声も多くあがった。これに対して必要性について真っ正面から答える議論はまったくなかった。

 ⑤生徒の内心の自由を侵すことにならないか
 文科大臣も首相も、子供たちの良心の自由を制約しようとするものではないと繰り返し答弁している。結論は以下の政府見解(の要旨)。  第一に、国会に敬礼するよう指導すること自体は内心に立ち入るものではない。自国の国旗のみならず諸外国の国旗について、お互いにこれを尊敬し合うということは、国際的なマナーとして定着している一般化された事項である。
 第二に、繰り返し繰り返し教える。これも程度問題。一定の限度を超えて無理強いし、強制する、そして子供たちの判断、考え方にまで踏み込むとなると、内心に立ち入るという問題が出てくることがあり得る。
 第三に、国歌が斉唱される際に起立してこれに敬意を払うことは、国際的マナーとして定着していることであり、生徒たちに国歌斉唱の際に起立を命ずることは、子供たちの内心に立ち入るものではない。
 というもの。

 ⑥教員の内心の自由を侵すことにならないか
 実質的にはこれが最大の論点といってもよい。
 より詳細には、(a)教育委員会が学校管理権にもとづいて国旗掲揚・国歌斉唱の実施について職務命令を出すことが出来るか、(b)この根拠は学習指導要領とされるが、学習指導要領はこのような拘束力のある基準なのか、(c)教師の内心の自由にかかわらず校長が職務命令でその実施を強いることが許されるか、といった論点が提起されている。
 (a)教育委員会の学校管理権、(b)学習指導要領の法的拘束力については文部省はあるとの見解だが、教育法学説の通説からは批判されており、議論がある。
 (c)について有馬文相は「国旗・国歌の指導は、(略)思想、良心を侵害するものではない。」「学校における国旗・国歌の指導について、教員は、学習指導要領に基づき、また校長の指示に従って、これを適切に実施する職務上の責務を負う」、「公立学校の教員は、公務員としての身分を有する以上、校長の職務上の命令に従い、職務を遂行しなければならない」、「思想、良心の自由は、それが内心にとどまる限りにおいては絶対的に保障されなければならない」ものの「それが外部的行為となってあらわれる場合には、一定の合理的範囲内の制約を受け得るもの」であり、「校長が学習指導要領に基づき法令の定めるところに従い所属教職員に対して本来行なうべき職務を命じることは、当該職員の思想、良心の自由を侵すことにはならない」としている。文部大臣官房長は、「職務上の責務」と補強した。

5、まとめ
・政府の立場は、①国民の思想、良心の自由は保障されなくれてはならず、強制されることはない、②生徒の内心に立ち入ることはない。国旗・国歌の尊重は国際的マナーであり一定の範囲で繰り返し「指導」はする。あくまで歌わない生徒があってもそのことによる不利益があてはならない。③公立学校の教員には内心はどうあれ、公務員としての責務がある。学習指導要領や関連法令に基づく職務命令には従ってもらう。これは外部行為を制約するもので内心に立ち入ることではない。というものだ。教育法上の通説とは異なるが、一応は一貫している。政府の主張には異論も多く、確定していない。いわゆる06年9月の予防訴訟(※国歌斉唱義務不存在確認等請求事件)の一審判決では「学校長の職務命令に基づき、上記行為を行う義務を負うことはないものと解するのが相当」として原告側のほぼ勝利判決が出ている。(現在東京高裁で控訴審係争中)
・よく反対運動側が引用するのは、小渕首相答弁「内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではない」、野中官房長官答弁「強制的に行われるんじゃなく、それが自然に哲学的にはぐくまれていく努力が必要」、村山首相答弁「国旗の掲揚、国歌の斉唱は本来、強制すべきものではない」といった発言だが、厳密に言うと苦しい。村山発言は時期が5年も前で、日の丸・君が代を認めた言い訳的側面がある。小渕発言は「生徒の内心」を語っている。野中発言は、強制するのじゃなく自然に国旗・国歌を敬うようになる方が好ましいという意味で必ずしも強制を否定する文脈になるかは微妙。小渕さんはもともとそれほど積極的ではないのかも知れないが、無難に推進した。野中さんは戦争反対・差別反対だが皇室尊重派。国旗国歌法審議での発言はあまりよくない。次にあげる米永さんを天皇が叱責した時の天皇に近い立場ではないか。
 内心の自由と、公務員として教員が職務命令に従う外部行為を区別して、前者を認めながら、後者の外部行為として国旗・国歌の取扱を求めるという点で一応一貫しており、これと矛盾する(※後者を求めないという)発言は見あたらなかった。
・2004年10月28日の園遊会に米永邦雄氏(棋士、東京都教育委員)が天皇に「日本中の学校に日の丸をあげ、君が代を歌わせるというのがわたしの仕事です。がんばっています」と話したところ、天皇は「やはりあのですね。強制になるということでないことがね、望ましいですね」と叱責された。ほめられると思っていた米永氏が、言葉を失い、「おっしゃるとおりです」とあわてて答えるさまがテレビでも放映された。処分、処分で無理に強制するのではなく、自然に日の丸・君が代が尊重されるようになることが好ましいということだろう。

6、結論
①原則対応:(略)
②「強制」を批判:(略)
③現象を批判:(略)

7、その他
○1943年 バーネット事件 米連邦最高裁判決
 「国旗に対する敬礼および宣誓を強制する場合、その地方教育当局の行為は、自らの限界を超えるものである。しかも、あらゆる公の統制から留保されることが憲法修正第1条の目的であるところの、知性および精神の領域を侵犯するものである」
 (ウエスト・バージニア州 vs エホバの証人)

○1977年 マサチューセッツ州最高裁
 「公立学校の教師に毎朝、始業時に行われる国旗への宣誓の際、教師が子どもを指導するよう義務づけられた州法は、合衆国憲法にもとづく教師の権利を侵す。バーネット事件で認められた子どもの権利は、教師にも適用される。教師は、信仰と表現の自由に基づき、宣誓に対して沈黙する権利を有する。」

8、国会審議(主な答弁)
○「これ(内心の自由にまで立ち入って強制することがあってはならない)は学校教育におきましても国民一般の場合におきましても何ら異なるところはないものと思っておりますし、教育に当たる学校の教員が、憲法に保障された基本的人権であります内心の自由にまで立ち入って強制すると判断されるような教育活動を行ってはならない。こういう点につきましては、私ども、今後とも十分留意をして参りたいと思っております。」(御手洗政府委員 99年8月4日文教委員会)

○「どのような行為が強制することになるかについては、当然、具体的な指導の状況において判断しなければならないことと考えておりますが、例えば長時間にわたって指導を繰り返すなど、児童生徒に精神的な苦痛を伴うような指導を行う、それからまた、たびたび新聞等で言われますように、口をこじ開けてまで歌わす、これは全く許されないことであると私は思っております。児童生徒が例えば国歌を歌わないということのみを理由に致しまして不利益な取り扱いをするなどと言うことは、一般的に申しますが、大変不適切なことと考えておるところでございます。」(有馬文部大臣 99年7月21日内閣委員会文教委員会)

○「今ご指摘のように、起立をしなかった、あるいは歌わなかったといったような児童生徒がいた場合に、これに対しまして事後にどのような指導を行っていくかということにつきましては、まさに教育指導上の課題として学校現場に任されているわけでございますけれども、その際に、ご指摘のように、単に従わなかった、あるいは単に起立しなかった、あるいは歌わなかったといったようなことのみをもって、何らかの不利益をこうむるようなことが学校内で行われたり、あるいは児童生徒に心理的な強制力が働くような方法でその後の指導等が行われるというようなことはあってはならないことと私ども思っているわけでございます。」(御手洗政府委員 99年7月21日内閣・文教委員会)

○「当該児童が憲法の思想、良心の自由ということを意識してそういった行為を行うということは当然あるかと思います。従いまして、あくまでも強制にわたらないということが肝要でございまして、先ほど申し上げましたように、事後に精神的苦痛を伴うような指導を行うとか、あるいは他の児童生徒に対して個別具体の名前を挙げながら適切でないというような、そういう教育的に見ても適切でないような指導を行い、それが児童生徒に心理的な強制を与えると言ったようなことであれば、これは許されないものと考えています。」(御手洗政府委員 99年7月21日内閣・文教委員会)

○「教育公務員として、あるいは教員として、地方公務員としての制約はございますね。ですから、その制約と、ご自分の、教員一人一人が持っている内心の自由、今その両方の関係をご質問だと思うけど、どの人が仮に内心の自由で何かをしたくなかったときに、その人が最終的に内心の自由でしないと言うことは、それはやむを得ないとおもいますけれども、しかしながら、教育をする人間としての義務は果たさなければいけない、そういう問題が私はあると思うんですね。ですから、その人に、本当に内心の自由で嫌だと言っていることを無理矢理する、口をこじ開けてでもやるとかよく話がありますが、それは、子どもたちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても無理矢理に口をこじあける、これは許されないと思います。しかし、制約と申し上げているのは、内心の自由であることをしたくない教員が、他の人にも自分はこうだということを押しつけて、他の人にまでいろいろなことを干渉するということは許されないという意味で、合理的な範囲でということを申し上げているのです。」(有馬文部大臣 99年8月4日文教委員会)

○「広島県立世羅高校の石川校長がみずからの命を絶たれましたことは、今、亀井委員から御指摘がございましたように、県下それぞれの学校における国旗の掲揚、国歌の斉唱に端を発して、そして教職員組合や解放同盟等の激しい糾弾の中でついにみずからの命を絶たれたということを私どもも承知をしたわけでございまして、まことに痛ましい事件でございました。心から改めて深い哀悼の意を表したいと思うわけでございます。…今、それから数カ月を経た経過を亀井委員からお伺いをしながら、私は、一人の校長先生を死に追いやるに至って、その後一人も線香を上げることがないということは、その先生を死に追いやるところまで追い込んだ先生方がどうして一人も石川校長の心情をわかってやろうとしなかったんだろうと思うと、まことに教育の現場を思う者として非常に悲しく思うものでございます。その背景となるものにまた問題を感じるわけでございます。 その後、先日も触れましたけれども、民放の報道を通じまして小森委員長が言っておる宮澤大蔵大臣に対する言葉を聞きながら、私はこういう先生方が石川校長の霊前に行きたくとも行けない背景を知らざるを得ない。そう考えるときに、やはり国旗・国歌を法文化して明確にして、そしてこれが強制じゃなく、強圧じゃなく、学校の場で自然に、そして過去の歴史のゆがめられたところは率直にゆがめられたところとして教育の中にこれが生かされて、そしてそれがこれから我が国の国旗・国歌として定着をしていくように、そして学校現場では、先ほど申し上げましたように、強制的にこれが行われるんじゃなく、それが自然に哲学的にはぐくまれていく、そういう努力が私は必要ではなかろうかと思うわけでございます。」(野中広務官房長官 99年8月2日、参議院国旗及び国歌に関する特別委員会)
……………………………………………………………………………

参考:高槻市の教員のウェブから
<ついに起こった差別事件>
 A小学校では、「君が代」の事前指導で、在日韓国人生徒への差別発言が起きた。音楽の授業で「君が代」の練習があり、4年生の在日韓国人の子どもが耳をふさぎ、歌わなかった。その後、教室に帰ってクラスメートから「なぜ歌わないのか」とせめられ、言い争いになり、そのとき、「韓国人」という差別発言を受けた。その後、子どもの保護者が学校に抗議の申し入れを行った。また、保護者・「日の丸・君が代」強制に反対する市民グループ・在日韓国人団体が市教委に抗議し、市教委は差別事件であることを認め、対応策を検討すると約束した。

<子どもへの事情聴取>
 B小学校では、6年生の在日韓国人の子どもと日本人の子ども5名が、卒業式に「日の丸と君が代はやらないでほしい」と校長に申し入れた。そして、卒業式前に担任が子どのたちを個別の呼び出し、圧力をかけた。担任は一人一人に対して、「式の時どうするの?」「親には相談したの?」「退場以外にも、友達として協力できることはほかにいっぱいあるでしょう?」と恫喝を加えた。このような圧迫をはねかえして、卒業式当日に10名ほどの子どもたちが起立せず、歌わなかった。

<子どもの良心の自由の否定>
 C小学校では、卒業式予行の「君が代」斉唱で、5・6年の子どもたちが全員すわったので、校長は「国歌は起立して歌うのが当たり前であるが、すわった人はきちんとした考えをもってすわったのでしょう。自分で判断してもらうのは結構です。しかし、今日、家の人ともう一度話をして下さい。当日、もしおうちの人が“なんですわったんや”と言われた時は、ちゃんと答えられるようにして下さい。」という強制発言した。それにに強く反発して、卒業式当日、(6年担任2人の着席とともに)6年全員が起立しなかった。

<子どもへの思想調査>
 D小学校では、終了式当日、卒業式に起立しなかった5年生の子ども全員を残し、校長が「この本(指導要領)には“国旗、国歌は尊重するように”と書いてある。」「国旗・国歌が必要ないと思う人、必要だと思う人、わからない人」のいずれかに手をあげさせた。その後、3人の子どもたちが校長に抗議した。子どもは「(憲法は)平和主義でしょう?」と校長に質問し、校長は「攻めてきたらどうするねん。」「そむく時は先生はやめさせられる。」と発言する。保護者による校長・市教委への抗議が予定されている。

<全教職員への事情聴取>
 E小学校では、6年生は5、6人を除き着席した。その後、校長は再三市教委に呼び出さた。そのため、校長が6年担任、音楽専科を呼び出し、校長は「児童がほとんど座ったのはおかしい。半分ぐらいは立つはずだ。どんな指導をしたのか。」と言い、教員の不起立のことについても、「遺憾である。仕事だと思って立って下さい。入学式の時には、起立するように。」と強制した。また、「市議会議員が市議会で追及する。」と校長は脅した。その後、春休み中にかけて、全職員が呼び出され、「どこの席で、立ちましたか、座りましたか?」と聞かれた。同様に「入学式では、起立するよう。」と強制した。 以上
――――――――――――――――――――――――――――
世界各国の状況
(内閣総理大臣官房審議室、および外務大臣官房儀典官室による1985年資料)

1)学校教育での国旗国歌の取扱い(主要40ケ国在外公館調査)

a.ヨーロッパの立憲君主国では学校での国旗掲揚や国歌斉唱をすることが殆ど無い。
イギリス: 普通の歴史と音楽の授業で取扱い、学校行事では掲揚せず歌わない。
オランダ: 特に教育する事はない。学校行事で掲揚や歌唱という事も特にない。
ベルギー: 国旗掲揚の義務はなく慣例もまちまち。国歌は教育されていない。
スペイン: 学校での規定はない。
デンマーク: 特別の教育はしない。普通の授業で言及。国歌は行事で殆ど歌わない。
ノールウエー:特別な教育はしていない。両親が教えて子供はすでに歌っている。
スウエーデン:教科書に無い。国旗は教師に一任。国歌は学校で特別に教えない。

b.ヨーロッパの共和国ではむしろ革命をおぼえて国旗国歌を強調する。
しかし、例外がいくつもある。次のとおりである。
ギリシャ:学校での規定はない。
イタリア:教科書には書かれず、それによる儀式は行われない。
スイス: 学校内で実際に国歌を歌う事は殆ど無い。
ドイツ: 各州の権限で決められる。
オーストリア:国旗は学校で特に扱われない。
ハンガリー:教科書では取り扱われていない。
旧ユーゴ:強制はない。教科書での取扱いも学校行事での使用もなかった。

c.アジア・アフリカ地区では、学校での教育を求めている事が多い。

d.米州・オセアニア各国での例

カナダ: 国旗も国歌も学校と特定の関係が見られ無い。
アメリカ:国旗が掲揚されるが儀式強制はない。国歌は学校と特定の関係が無い。
キューバ:国歌は学校での規定はない。
オーストラリア:国旗を政府が提供。掲揚も国歌も各学校に委ねられている。
ニュージーランド:学校のための統一された規準はない。

2)国歌を国民の慣習に任せ、政府が追認指示するのみで、正式の法律・勅令・大統領決定・最高議会決定で制定していないおもな国

大韓民国・インドネシア・タイ・イスラエル・エチオピア・エジプト・イギリス・オランダ・イタリア・スイス・デンマーク・ノールウエー・スエーデン・ フィンランド・オーストリア・ハンガリー・ブルガリア・キューバ・ニュージー ランド・旧チェコ・旧ルーマニア
(40ケ国中21ケ国:1975年調査を1985年修正)

こりゃひどいよ2009/08/25

産経新聞090825
 ちょっと、これはひどいんじゃない?
 まあ、産経新聞だからしょうがないと言っちゃえばそうかもしれないけど、それにしてもねえ。「自民vs民主」って感じで無視されちゃうのは、ケシカランとは思うけど、まあしょうがないとも思う。議席数の順に扱って、公明党、共産党まででしか扱わないような場合も、悪意を感じるけどまあね。
 しっかし、新党日本や新党大地、果ては幸福実現党まで載せてるのに、社民党だけを無視するとは、ちょっと露骨すぎるよ。そりゃないだろう。
 本部の方で抗議したところ、「単純ミス」ということで一応、謝罪はあったようだけど…。こういうことのいちいちにちゃんと抗議していかないとね。

勘弁してよ~ 田母神さん2009/08/26

 田母神俊雄・元航空幕僚長は8月25日、衆院宮崎1区の無所属前職の応援演説で、広島原爆の日の6日に開催された市の平和記念式典の列席者について「被爆者も2世もいない。左翼ばかりだ」などと発言したという。
 田母神氏は演説で6日に広島市で講演したことを紹介。さらに平和記念式典について「慰霊祭は左翼運動。あそこに広島市民も県民もほとんどいない。原爆の被爆者も2世もいない。並んでいるのは全国から集まった左翼。一部政治勢力が日本弱体化を図っている」などと述べたと報道されている。

 勘弁してよ~。田母神さん。
 田母神さんは高校の先輩だというのもあって、僕はそんなに悪く思っていないのですよ。もちろん世代が違うので直接面識は無いんだけど、気のいいおっチャンで、ややオッチョコチョイながら、真面目で面倒見もよいといわれている。たぶん高校の同窓生の中で自衛隊で一番偉くなった人だし。
 アパホテルの懸賞論文なんかに応募するところがそもそも軽率だし、出来レースで受賞して喜ぶあたりも可愛らしい。論文の内容とか、彼の思想や立場はもちろん、大反対なんだけど、あのくらいの右翼ぶりは保守の政治家にはゴロゴロいる。まあ、ケシカランとは思うけど、政界なんてケシカラン奴ばかりなわけだから目くじら立ててもいられないし。
 しかし、平和記念式典の話は、どう考えてもあまりにも無茶苦茶な誤り。そんなアホな話はないでしょう。むしろあれが全部左翼だったら、非常にうれしいけどね。たぶん自分では見てもいないのだろうけど、こういう明々白々なウソを言っちゃうのは自分を貶めちゃいますよ。先輩!
 ちなみに、09年3月末現在の被爆者で広島市内に在住しているのは7万3666人、その他広島県内に3万3116人だ。これは被爆者健康手帳の数だから、厚労省が「被爆者」と認めた被爆者の数で、これだけでざっと10万人以上になる。実際には手帳を持たない被爆者も大勢いるし、2世3世をいれればさらにずっと多くなる。もちろん式典に全員が来るわけはないけど、被爆者・遺族のための2000席が埋まらないわけはない。式典の参加者全体は約5万人だから、もちろん被爆者以外も大勢いるし、その中には左翼的な人もいるかもしれないけど、広島市民も県民も被爆者も2世もほとんどいなくて全部左翼なんて、荒唐無稽もいいとこだ。
 しかもその根拠は「広島の友人がみんなそういっている」からだ、っていうんだからあきれる。別に市の式典を批判してもいいし、広島の平和運動を批判してもいい。平和運動のなかではどちらかと言えば左派勢力が主導権を持っているのも事実でしょう。それを批判したって別にかまわない。でも、批判は事実に基づいてやっていただきたい。根拠薄弱意味不明のことを言って被爆者を冒涜するのは許せない。
 まあ、左翼から批判され、右翼から持ち上げられ、トチ狂ってるのかもしれないが、「軍人」ならもう少しリアリストじゃないとね。「北朝鮮に住んでいるのは普通の人間じゃない。住んでいるのは全員反日のテロリストだ。アメリカの友人がそういっていたから確かだ」っていうのと同じレベルだべ。批判は批判で結構なので、事実に基づいてもう少しまともなことを言ってください。田母神先輩! 安積高校の後輩が泣いてます。

新潟で第21回国連軍縮会議2009/08/26

朱鷺メッセ
 国連軍縮部と国連アジア太平洋平和軍縮センターの主催、新潟県・市、外務省の協力による「第21回国連軍縮会議」が26~28日、新潟市の朱鷺メッセではじまった。21ヵ国・オブザーバー2ヵ国から政府高官や研究者ら約90人が参加し、「新潟から世界へ:核兵器のない世界に向けた新しい決意と行動」をテーマに議論した。核兵器のない世界の実現に向けた具体的な行動、朝鮮半島の非核化、2010年NPT運用検討会議の展望、軍縮・不拡散分野における市民社会やマスメディアの役割といった様々な観点から議論される。
 出席はハナロア・ホッペ・国連軍縮部長兼上級代表次席、須田明夫・軍縮代表部大使、中根猛・ウィーン代表部大使をはじめ、スーザン・バーク・米大統領特別代表(核不拡散担当)や、「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」共同議長の川口順子・元外務大臣とギャレス・エバンス・元豪州外務大臣、カナット・サウダバエフ・カザフスタン国務長官など。
 スーザン・バーク米大統領特別代表は講演で、核兵器廃絶は「米国単独では無理だが、主導することはできる」、「米国は核兵器を削減し軍事的な役割を低下させる。他の核保有国にも同様の行動を求める」、「米ロで交渉中のSTART1の後継条約に法的拘束力のある検証機能を取り入れる」などと延べ、実効性のある条約を目指し核廃絶へ向けたリーダーシップを取ると発言した。
 川口順子元外相は「米ロが核兵器削減交渉に入るなど、最近の核軍縮への流れは数年前と対照的。核保有国の積極的な情報開示や国際的な枠組み設立などで、核兵器のない世界を目指すべきだ」と述べた。
 ハナロア・ホッペ国連軍縮部長は「核兵器のない世界をつくるためには核保有国、非保有国それぞれに努力が必要。生産的な議論がなされることを願っている」とあいさつ。  新潟市の篠田昭市長は「新潟市は原爆の投下予定地の一つだった。この市での開催が大きな足がかりとなれば」と述べた。
 基調講演としてカザフスタンのカナト・サウダバエフ国務長官が「核保有国こそ核兵器を削減し、核放棄の模範にならなければならない」と訴えた。

 国連軍縮会議は89年の第1回京都会議以降、毎年日本で開催され、今回で21回目。京都市で6回、広島市で3回、札幌市で3回、長崎市、2回、仙台市、秋田市、金沢市、大阪市、横浜市及びさいたま市で各1回開催されている。

これまでの開催状況

開催地 期間 参加
1 京都(第1回) 1989.4.19-22 31カ国 90名
2 仙台 1990.4.16-19 21カ国 42名
3 京都(第2回) 1991.5.27-30
37カ国 98名
4 広島(第1回) 1992.6.15-18 20カ国 61名
5 京都(第3回) 1993.4.13-16 37カ国 90名
6 広島(第2回) 1994.5.24-27 19カ国 62名
7 長崎(第1回) 1995.6.12-16 36カ国 91名
8 広島(第3回) 1996.7.17-20 22カ国 62名
9 札幌(第1回) 1997.7.22-15 28カ国 73名
10 長崎(第2回) 1998.11.24-27 23カ国 100名
11 京都(第4回) 1999.7.27-30 24カ国 60名
12 秋田 2000.8.22-25 22カ国 64名
13 金沢 2001.8.28-31 16カ国 65名
14 京都(第5回) 2002.8.7-9 13カ国 37名
15 大阪 2003.8.19-22 18カ国 55名
16 札幌(第2回) 2004.7.26-29 20カ国 70名
17 京都(第6回) 2005.8.17-19 20カ国 50名
18 横浜 2006.8.21-23 14カ国 48名
19 札幌(第3回) 2007.8.27-29 18カ国 68名
20 さいたま
2008.8.27-29
16カ国 87名

最高裁国民審査を忘れるな!2009/08/27

 8月30日の総選挙の際、同時に最高裁裁判官の信任を問う国民審査が行なわれる。
 国民審査は、任命後初めての衆議院選を迎える裁判官と、初審査から10年を経た裁判官を、衆院選の際に信任を問うもの。今回、対象となるのは05年9月の前回衆院選後に任命された桜井龍子、竹内行夫、涌井紀夫、田原睦夫、金築誠志、那須弘平、竹崎博允、近藤崇晴、宮川光治の9人の裁判官だ。
 1949年に最初の国民審査が行なわれてから、これまで20回(今回が21回目)で延べ148人が審査の対象となったが、一度も罷免された例はないし、そもそも不信任の×がついた率は最大で15.2%しかない。

 だいたい最高裁判事の人事なんかだれも関心もってないもんね。最高裁長官は「三権の長」とされながら、名前知ってる人すらほとんどいないんじゃなか。ちなみに竹崎博允って人ですが。
 形骸化が指摘され久しい。司法制度改革審議会の意見書にも一応、「最高裁判所裁判官の国民審査制度については、その形骸化が指摘されている。こうした現状を見直し、最高裁判所裁判官に対する国民の信頼感を高める観点から、最高裁判所裁判官の国民審査制度について、国民による実質的な判断が可能となるよう審査対象裁判官に係る情報開示の充実に努めるなど、制度の実効化を図るための措置を検討すべきである。」とか書かれているんだけど、まったく手つかずのままなんだよね。
 実際、辞めさせたい裁判官の欄に×印を書いて、×が過半数だと罷免されるんだけど、何も記入しなければ「信任」とみなされ、×印以外の記入はすべて無効となる。一覧の両端に書かれた人の×が多いといわれている程度でほとんど反応なしが実態だ。これを○を付けた者だけ信任するなど逆転させて、各裁判官に実績アピールさせることにすればだいぶ変わると思うけどね。一番×が多い1人を退任させるとか、活性化する方法はいくらでもあると思う。結局、「よらしむべし、しらしむべからず」的な発想の結果なんだよね。

 そもそも憲法上は最高裁判所の裁判官は、内閣が任命することとなっているが、実際は最高裁事務総局という密室の中で司法官僚によって決められている。内閣は事務総局があげてくるリストを追認するだけ。有権者やメディアの関心の薄さと、国民審査の形骸化の悪循環を、断ち切ることが出来るか。裁判員やロースクールだけじゃなく、司法改革に残された課題は多いと思うのだけど。

 なお、平和フォーラムは、護憲連合だった時代から、毎審査毎に啓蒙運動をしているのだけど、なかなか有権者の高い関心巻き起こすには至っていない。今回は、竹内行夫、涌井紀夫、竹崎博允の3人に×を付けようと呼びかけている。この他、一票の格差や国旗国歌強制問題で批判の強い那須弘平氏も×にしろいう声が強いので、結論。

 竹内行夫、涌井紀夫、竹崎博允、那須弘平氏に×を!
 当日分からなくなったら全部に×を!
 ※無効になるので○はつけないでね。


チラシ2
国民審査チラシ


韓国のロケットと北朝鮮のミサイル2009/08/29

羅老号
 8月25日、韓国政府は同国南西端の全羅南道・高興の羅老宇宙センターから衛生ロケット「羅老(なろ)号」を打上げた。衛生の軌道投入に失敗、世界で10ヵ国目の「自前ロケットで人工衛星を打上げた国」への仲間入りは出来なかった。
 羅老号は2段式で、重さ約100キロの試験科学技術衛星を搭載。1段目のブースターの切り離しには成功したが、目標軌道に乗せることには失敗した模様。ロシアとの共同開発。  航空宇宙研究院は今回の打ち上げに続き、来年5月に2度目の羅老号テスト発射を行なう予定という。ちなみに自前で衛生を打ち上げた9ヵ国は、ソ連、米、仏、日本、中国、英、インド、イスラエル、イラン。(欧州宇宙機関、北朝鮮を除く)
 6月29日、米空軍はICBM(大陸間弾道ミサイル)「ミニットマン3」の発射実験を実施した。カリフォルニア州のバンデンバーグ空軍基地の地下サイロから8700キロを飛行して太平洋上のマーシャル諸島クエゼリン環礁近くの目標に着弾した。弾頭は搭載していなかったという。

 この件についての報道や政府、各党の態度は極めて静かだ。若干の報道はあったが、それ以外はほとんど無反応と言ってもよい状況だ。確かに、アメリカのミニットマンは1970年に開発・配備されたもので特に目新しいものではないが、核廃絶の決意を示したオバマ政権にとって射程1万キロともされるMIRV(多弾頭)弾道ミサイルの実験をこの時期にすることが適切か、極めて疑問だ。韓国の羅老号は、4月5日に北朝鮮が発射した「テポドン2(北朝鮮は「銀河(ウンハ)2号」)と変わらない。
 羅老号は特に問題とされず、テポドンは国際社会こぞって安保理決議だなんだと大騒ぎした揚げ句、制裁(結局「議長声明」となった)だ、船舶検査だということになった。北朝鮮から見たらこの差は納得いかないのは当然ではないか。現に北朝鮮外務省は羅老号打ち上げについて「今後、南朝鮮(韓国)の衛星打ち上げに対する6ヵ国協議参加国の反応と態度を見れば、平等の原則が存在するのか、もしくは崩れたのかが再度明白になるだろう」(北朝鮮外務省スポークスマ、8/10)というコメントを発表し牽制していた。まあ当然だよね。少なくとも平等ではないね。

 ※06年7月のテポドン2発射を受け決議1695を採択。06年10月の核実験に関連し決議第1718号を採択。

 まあ、北朝鮮は核実験をした後の安保理決議に対してあえて挑戦しているわけだから、条件は多少違うけど、彼らの立場からすれば不平等だと考えるのは理解は出来る。韓国のはロケットでOK、北朝鮮はミサイルだから袋だたきで制裁、アメリカなんかICBMそのものを撃っても誰も問題にしないわけだから。
 核の問題にしても、そもそも米ロ英仏中は核保有が許され他の国の核保有を禁止するというNPTの不平等性が根本にあるし、NPTに加盟しないイスラエルやインド、パキスタンの核が事実上放免されていることが公平でないことは間違いない。なぜ北朝鮮の核だけ大騒ぎしてヤレ決議だ、ヤレ制裁だとやられるのか。と思うでしょう。そりゃ。

 確かに北朝鮮はケシカラン国だ。北朝鮮の核実験なんか絶対許せないし、なんとしてでも止めなきゃならない。でも核兵器の攻撃力という面でいえば既存の核兵器国や印・パ・イスラエルは比較できないレベルだし、核拡散という観点でも北の独裁体制よりパキスタンの無秩序の方がよほど差し迫った危機だ。
 ここはやはり公平に国際的規制を強化して、その規制力を強めていくという正攻法しかないと思う。つまり、NPT未加入国には断固として加入を求める。アメリカはNPT未加入のままインドと原子力協定を結びウランを提供するべきではない。NPT未加入のイスラエルにバンバン軍事援助をするなんて論外。パキスタンがNPTに入らない限り一切の援助を凍結するべきだし、カーン博士の「核の闇市場」問題を国際社会の責任で徹底解明すべきだ。NPT再検討会議の議論を実質化しNPT体制を強化する。そしてなにより核兵器国はNPT6条の核軍縮義務を誠実に履行しなくては。
 弾道ミサイルの拡散防止のためには、とりあえずミサイル関連技術輸出規制(MTCR)、弾道ミサイル拡散防止のための行動規範(ICOC)など既存のミサイル拡散防止体制の強化をはかり、ミサイル不拡散体制の条約化の議論を開始すべきだ。弾道ミサイルの新たな開発は原則禁止し、技術的に区別が難しい人工衛生打ち上げロケットの開発にあたっては「実行可能な最大限度まで情報を提供」(宇宙条約11条)することを条件に国際的監視の下で行なうこととすればいい。ジュネーブ軍縮会議(CD)や、生物兵器禁止条約(BWC)、化学兵器禁止条約(CWC)の機能と権限の強化などなすべきことはいくらでもある。
 これまで、こうした国際的な規制の強化に反対してきたのは専ら米国だ。自らの行動が規制されることを嫌って、国際的な軍備管理体制の強化に多くの場合否定的な態度をとってきた。オバマ政権下でこうした姿勢が変化していくのを期待したい。
 結局、お互い様、みんなでやめていこうよ、というやり方しかないのだ。イスラエルはいいけどイランはダメ、韓国はいいけど北朝鮮はダメ、自分はいいけど他の国はダメ、というのじゃなくて。みんなで核兵器を無くしていきましょうよ。みんなで弾道ミサイルとかは持たないようにしていきましょうよ。と。
 誤解の無いように繰り返すけど、北朝鮮への制裁に反対しているのではない。パキスタンやインドへの制裁を早々に解除して、むしろ援助しちゃうなんて論外でしょう。イスラエルの核をどうしてほっておくのか。ということをいってるわけです。