毎年毎年通常国会延長だったから ― 2006/08/02
今年は久しぶりに国会が延長なく終ったので、広島と長崎の両方に行くことにしました。ただ原水禁大会の国際会議は福岡なんだけどそっちはサボって、広島でちょうどやっている劣化ウランの国際会議(ICBUW国際大会)をのぞく予定(一部任務あり)。日程がかなり重複しているので一部しか行けないんだけど。
通信環境が十分じゃないので、このブログも後でまとめて更新の予定。
通信環境が十分じゃないので、このブログも後でまとめて更新の予定。
劣化ウラン兵器禁止国際大会 ― 2006/08/03
8月3日から6日まで、国際会議場等で「劣化ウラン兵器禁止を訴える国際大会」(ICBUW主催)が開催。ロザリー・バーテル博士をはじめ30人以上の海外ゲストを迎え、同時通訳を入れた充実した会合だ。劣化ウランというシングルイシューで4日間(実質は3日間)やるのは内容的にはややキツイ感じはしないでもなかったけど、かなりしっかりやってるなという印象。原水禁大会の日程と重なるので、ぼく自身は初日の午後しか参加できなかったけど、原水禁の国際会議よりよほど充実していたように思った。しばらく前まで、海外から何人も人を呼んで同通を入れて国際会議をするようなことができたのは、資金的にもノウハウ的にも原水禁や原水協くらいだったけど、市民運動ベースでこういうことが出来るようになってきたというのは非常に心強い。旧態依然の我が反核運動もよほど頑張らないと存在意義を問われることになりかねない。
原水禁大会開幕 ― 2006/08/04
8月4日の原水禁大会開会総会は、昨年から連合・核禁会議と共催になった。まあ、これは原水禁側から見た言い方。報道でも同様に主催に連合や核禁会議が加わった原水禁大会のような書かれ方をしていることが多いんだけど、実際は違う。昨年から、広島原水禁と長崎原水禁が主体的に担ってきた広島と長崎の開会総会は開かれないことになり、同日程同会場で連合本部が企画する集会が開かれることになったと言った方が正確。もちろん内容は大差ないし、出席者も概ね原水禁関係が多数だから同じようなものだともいえるけど、企画の主体がすり替わってしまった。04年までは原水
禁大会開会総会はそれぞれ4日と7日に開いて、連合の平和ヒロシマ集会・平和ナガサキ集会を5日と8日に開いていた。それを原水禁の総会をやめて、連合集会を4日と7日に移して、それまで連合集会の「共催」に名前を連ねていた原水禁と核禁会議を横並びの「主催」に格上げしたのが昨年。いろいろ批判があったなかで、そのスタイルを継続して定着させてしまったのが今年だ。原水禁大会参加者が全員参加する原水禁が主体的に担う場は、長崎大会「まとめ集会」のみになってしまった。
禁大会開会総会はそれぞれ4日と7日に開いて、連合の平和ヒロシマ集会・平和ナガサキ集会を5日と8日に開いていた。それを原水禁の総会をやめて、連合集会を4日と7日に移して、それまで連合集会の「共催」に名前を連ねていた原水禁と核禁会議を横並びの「主催」に格上げしたのが昨年。いろいろ批判があったなかで、そのスタイルを継続して定着させてしまったのが今年だ。原水禁大会参加者が全員参加する原水禁が主体的に担う場は、長崎大会「まとめ集会」のみになってしまった。
「8月の歌」を歌いながらそぞろ歩く ― 2006/08/05
若い頃はピュアだったから本気の本気で核廃絶と世界平和を考えていました。いや、もちろん今だって本気なんですけどね、やっぱりちょっと緩んでいるのは否めない。「反核・平和」とは当然言うけど、そうは言ってもなかなか容易じゃないよ、やっぱ実際は無理かもね、みたいなシラケた気持ちが浸入している。まあマンネリではあるけど、やはり、この時期に広島や長崎に来て被爆者の話を聞いたりすると、ちょっと気合いがはいるんだよね。その意味でも、この時期のヒロシマ・ナガサキ巡りが欠かせません。
同じく、8月になるたびに広島と長崎に集まって、そのときだけ平和を唱えていったい何の意味があると思っていました。とくに労組内の順送りで動員されてくる参加者に意味があるのか大いに疑問に感じていました。それが90年代の後半に動員する側の実務を担当した頃から、まったく逆に思うようになった。高い意識を持って主体性を持って被爆地に来る必要なんて全然ない。組合費やカンパで行けるから行ってみようって観光半分で全然かまわない。それでも原水禁大会に参加すればどっかで被爆者の話くらい聞くだろうし、原爆資料館くらい見に行くでしょう。そうすれば、やっぱ核兵器は怖いよね、平和は大事だよね、被爆者を助けないとね、っと思う人が5人に1人や10人に1人は出てくるじゃない。それが大事なんじゃないか。仮に5000人くらい広島に連れてくることが出来れば、新しく1000人くらい反核派を増やせるかもしれないんだから。主体的に来る人はモトモト放っておいても反核なんだから好きにすればいいんだよね。
などと思いながら、この時期になるとなぜか歌いたくなる浜田省吾の「八月の歌」って歌を口ずさみながら、ヒロシマをそぞろ歩きます。浜省って広島出身なんだよね。
>「8月の歌」
>
>八月になるたびに
>"広島-ヒロシマ"の名のもとに
>平和を唱えるこの国
>アジアに何を償ってきた
>おれ達が組み立てた車が
>アジアのどこかの街角で
>焼かれるニュースを見た
>今日も Hard rain is fallin'.
>心に Hard rain is fallin'
>子供等の肩をうつ
>飢えてゆく すさんでゆく
>明日への希望など持てないまま
(前後を省略)
同じく、8月になるたびに広島と長崎に集まって、そのときだけ平和を唱えていったい何の意味があると思っていました。とくに労組内の順送りで動員されてくる参加者に意味があるのか大いに疑問に感じていました。それが90年代の後半に動員する側の実務を担当した頃から、まったく逆に思うようになった。高い意識を持って主体性を持って被爆地に来る必要なんて全然ない。組合費やカンパで行けるから行ってみようって観光半分で全然かまわない。それでも原水禁大会に参加すればどっかで被爆者の話くらい聞くだろうし、原爆資料館くらい見に行くでしょう。そうすれば、やっぱ核兵器は怖いよね、平和は大事だよね、被爆者を助けないとね、っと思う人が5人に1人や10人に1人は出てくるじゃない。それが大事なんじゃないか。仮に5000人くらい広島に連れてくることが出来れば、新しく1000人くらい反核派を増やせるかもしれないんだから。主体的に来る人はモトモト放っておいても反核なんだから好きにすればいいんだよね。
などと思いながら、この時期になるとなぜか歌いたくなる浜田省吾の「八月の歌」って歌を口ずさみながら、ヒロシマをそぞろ歩きます。浜省って広島出身なんだよね。
>「8月の歌」
>
>八月になるたびに
>"広島-ヒロシマ"の名のもとに
>平和を唱えるこの国
>アジアに何を償ってきた
>おれ達が組み立てた車が
>アジアのどこかの街角で
>焼かれるニュースを見た
>今日も Hard rain is fallin'.
>心に Hard rain is fallin'
>子供等の肩をうつ
>飢えてゆく すさんでゆく
>明日への希望など持てないまま
(前後を省略)
敬虔にして公明なる心情を持って当たれ ― 2006/08/06
6日の新聞で44年7月15日付けで陸軍大臣東条英機名で出された文書(陸密第2953号 靖国神社合祀調査及上申内則)が報道されていた。靖国神社への合祀を、「戦役勤務よるものに厳密に限定しろというもの。戦争末期には上官の温情から合祀対象者が拡大傾向にあったので、合祀対象を「戦役勤務に直接起因」して死亡した軍人・軍属に厳密に限れということらしい。「敬虔にして公明なる心情を持って当たれ」と厳命したんだと。
靖国神社は前身の「東京招魂社」以来、国家のために戦地で戦役に従事して死亡した軍人・軍属を祭るための神社だ。戦後、刑死または拘置中に死亡したA級戦犯の合祀が「靖国の原則」からも大きく外れることは明らかだね。東条さん自身が厳命してるんだもんね。戦後、靖国神社は基準は大幅に緩めた。処刑された戦犯の遺族にも遺族年金などが支払われるようになった五三年の遺族援護法、翌年の恩給法改正などを背景に59年からBC級戦犯の合祀をはじめ、78年のA級戦犯合祀に至る。A級戦犯合祀はどう考えても通達違反だ。
戦地で死んでいないから乃木希典、東郷平八郎なんかも合祀されていないし、終戦時に自決したような軍人達も当然合祀されていない。何で軍人でもない外務官僚までA級戦犯だと祀ってもらえるのか摩訶不思議。ご都合主義で対象を決めてきたために、いろいろ矛盾が出ちゃってるんだよね。A級戦犯の前に西郷隆盛を祀れっていうの。
■靖国合祀秘密文書の要旨
▽「靖国神社合祀調査及上申内則」(陸密第二九五三号 昭和十九年七月十五日 陸軍大臣・東条英機)
一、靖国神社への合祀は戦役事変に際し、国家の大事にたおれた者への神聖無比の恩典。上申は公明に行え。
一、「合祀上申」とすべきは戦死者または戦傷死者、「特別合祀上申」とすべきは(1)戦地においてマラリア、コレラなど十七のいずれかの流行病で死亡した者(2)自己の重大な過失によらずに負傷または病後に死亡した者(3)戦地以外で戦役、事変に関する特殊勤務に就き、負傷または病後に死亡した者―とする。
一、死没の原因が戦役勤務に直接起因しているかどうかを子細に調べよ。
▽「靖国神社合祀者の調査詮衡(せんこう)及上申名簿等の調製進達上の注意」(陸密第三○○四号 昭和十九年七月十九日 陸軍省副官 菅井斌麿)
一、靖国神社合祀上申の対象資格者は軍人・軍属で、その死因が戦役勤務に直接起因することを前提に精査せよ。
一、結核、糖尿病、心臓まひなど戦役勤務以外に原因があったと疑われる病没者、自殺、災害死亡者などを合祀上申する場合は情状を示した部隊長の意見を添付せよ。
一、戦地以外で戦役に関する公務のため死亡しても過去に合祀された例は一、二にすぎない。
一、誤れる部下愛にとらわれたり、単なる事務処理に流れて上申することは、神霊の尊厳を冒す実にゆゆしき大事。
一、思想的に問題ある言動をした者などは、死因だけで判断せず、市区町村当局、憲兵、警察、本人の就職先などにあたり、風評を集めた上で慎重に上申せよ。
靖国神社は前身の「東京招魂社」以来、国家のために戦地で戦役に従事して死亡した軍人・軍属を祭るための神社だ。戦後、刑死または拘置中に死亡したA級戦犯の合祀が「靖国の原則」からも大きく外れることは明らかだね。東条さん自身が厳命してるんだもんね。戦後、靖国神社は基準は大幅に緩めた。処刑された戦犯の遺族にも遺族年金などが支払われるようになった五三年の遺族援護法、翌年の恩給法改正などを背景に59年からBC級戦犯の合祀をはじめ、78年のA級戦犯合祀に至る。A級戦犯合祀はどう考えても通達違反だ。
戦地で死んでいないから乃木希典、東郷平八郎なんかも合祀されていないし、終戦時に自決したような軍人達も当然合祀されていない。何で軍人でもない外務官僚までA級戦犯だと祀ってもらえるのか摩訶不思議。ご都合主義で対象を決めてきたために、いろいろ矛盾が出ちゃってるんだよね。A級戦犯の前に西郷隆盛を祀れっていうの。
■靖国合祀秘密文書の要旨
▽「靖国神社合祀調査及上申内則」(陸密第二九五三号 昭和十九年七月十五日 陸軍大臣・東条英機)
一、靖国神社への合祀は戦役事変に際し、国家の大事にたおれた者への神聖無比の恩典。上申は公明に行え。
一、「合祀上申」とすべきは戦死者または戦傷死者、「特別合祀上申」とすべきは(1)戦地においてマラリア、コレラなど十七のいずれかの流行病で死亡した者(2)自己の重大な過失によらずに負傷または病後に死亡した者(3)戦地以外で戦役、事変に関する特殊勤務に就き、負傷または病後に死亡した者―とする。
一、死没の原因が戦役勤務に直接起因しているかどうかを子細に調べよ。
▽「靖国神社合祀者の調査詮衡(せんこう)及上申名簿等の調製進達上の注意」(陸密第三○○四号 昭和十九年七月十九日 陸軍省副官 菅井斌麿)
一、靖国神社合祀上申の対象資格者は軍人・軍属で、その死因が戦役勤務に直接起因することを前提に精査せよ。
一、結核、糖尿病、心臓まひなど戦役勤務以外に原因があったと疑われる病没者、自殺、災害死亡者などを合祀上申する場合は情状を示した部隊長の意見を添付せよ。
一、戦地以外で戦役に関する公務のため死亡しても過去に合祀された例は一、二にすぎない。
一、誤れる部下愛にとらわれたり、単なる事務処理に流れて上申することは、神霊の尊厳を冒す実にゆゆしき大事。
一、思想的に問題ある言動をした者などは、死因だけで判断せず、市区町村当局、憲兵、警察、本人の就職先などにあたり、風評を集めた上で慎重に上申せよ。
宮島へいきました ― 2006/08/06
6日は午前中で日程は終り、午後は帰る人は帰り、長崎に移動する人は移動するフリータイムだ。僕は移動の時間を遅めにして、プライベートでヒロシマを体験しに来ていた社長の秘書さんと宮島へ。なんといっても日本三景だから。宮島は何度も行ったことがあるんだけど、今回は初めてロープウェイで山に登りました。往復1800円は高いよー。それにくそ暑い。早めに戻って原爆ドームそばの元安川で灯籠流しを見物。駅に向かうも予定の新幹線に間に合わず不興を買う。がーん。
さだまさしかぁ ― 2006/08/06
広島を夕方出て長崎についたのは11時過ぎ。ところが、なぜか町の中がザワザワしているのね。道を歩いている人が妙に多いし、路面電車は乗りきれないほどの人が乗り場に列をなしている。なんだろう?と思いながら宿の近くまで歩いて、メシを食おうと中華屋に入った。こんな時間いつもガラガラなんだけど、僕が入った直後にドヤドヤっと人が入ってきて超満員に。みんな同じような雰囲気の穏健そうな人たち。聞き耳を立てるまでもなく聞こえてくる話題は「サダサンが、サダサンは…」。ん、さだまさしがやってるというコンサートの日なのかぁ。
翌日、新聞を見たらさだまさしの平和コンサート「2006 夏 長崎から」だったんだって。20回目で最後だとのこと。稲佐山公園に2万8000人集まったと。さだ氏だけじゃなくて、加山雄三、BIGIN、平原綾香、大竹しのぶ、コロッケ、吉田政美等、大勢ゲストも出演してるんだけど、2万8000人も集まるのかー。すごいなぁ。平和運動で集まるのを全部会わせても負けるね。20年間を通して、さだ氏本人を除いて73人・組、延べ134人・組が出演。観客数は49万8000人だって。(←長崎新聞による)
すごいね。さだまさしっていっても「関白宣言」と「精霊ながし」くらいしか知らない。なんか辛気くさい印象であんまりちゃんと聞いたことなかったんだけど、東京帰ったらCDでも借りて聞いてみっかな。来年は9日に広島でやるっていうから行ってみたいな。
翌日、新聞を見たらさだまさしの平和コンサート「2006 夏 長崎から」だったんだって。20回目で最後だとのこと。稲佐山公園に2万8000人集まったと。さだ氏だけじゃなくて、加山雄三、BIGIN、平原綾香、大竹しのぶ、コロッケ、吉田政美等、大勢ゲストも出演してるんだけど、2万8000人も集まるのかー。すごいなぁ。平和運動で集まるのを全部会わせても負けるね。20年間を通して、さだ氏本人を除いて73人・組、延べ134人・組が出演。観客数は49万8000人だって。(←長崎新聞による)
すごいね。さだまさしっていっても「関白宣言」と「精霊ながし」くらいしか知らない。なんか辛気くさい印象であんまりちゃんと聞いたことなかったんだけど、東京帰ったらCDでも借りて聞いてみっかな。来年は9日に広島でやるっていうから行ってみたいな。
バイクで帰省 ― 2006/08/15
盆に墓参りに田舎に帰りました。もう両親とも無くなっているのですが、だいたい毎年恒例で妹と行っています。妹夫婦と2人の子どものファミリー+僕の5人連れなのでさみしいかなあとも予想していたんだけど、オイ・メイはオッチャンオッチャンってなついてくれたので平気でした。
妹ファミリーは新幹線ですが、僕は今年の頭にバイクを換えたのでバイクで帰りました。合計800キロの旅。前はアメリカンだったんだけど、今度はビックスクーター。クラッチ無いと全然ラクちん。やばいよ、堕落しちゃったよ。
妹ファミリーは新幹線ですが、僕は今年の頭にバイクを換えたのでバイクで帰りました。合計800キロの旅。前はアメリカンだったんだけど、今度はビックスクーター。クラッチ無いと全然ラクちん。やばいよ、堕落しちゃったよ。
テレビで三里塚が映っていました ― 2006/08/21
夜中にテレビを見ていたら日テレのドキュメント06で三里塚のことをやっていました。何人か知っている顔が見えたりして感慨深かった。
昔は、農民の戦いに心を打たれた学生・市民が続々と三里塚に向かったんだよね。僕も、だいたい20年くらい前に「二期決戦」だ!とか思ってよく行っていました。長期化してだんだんくたびれて、セクトばかりが目立つようになって、やれ武装闘争だ、内ゲバだみたいな雰囲気に違和感が強くなって足が遠のいていった。でも、現地の農民はその後も飛行機の騒音の下で、毎日毎日畑を耕しているんだよね。嫌気がさしても逃げ出すわけにもいかない。本当にすごいよね。
でもね、僕もその頃のその時には農民と共に戦い抜こうと、本気で思っていたんだ。そういう話をすると、「分かった。俺も行く」って仲間も結構いた。いま、同じことをしたらどうだろうか。考えだけでこわいなぁ。
昔は、農民の戦いに心を打たれた学生・市民が続々と三里塚に向かったんだよね。僕も、だいたい20年くらい前に「二期決戦」だ!とか思ってよく行っていました。長期化してだんだんくたびれて、セクトばかりが目立つようになって、やれ武装闘争だ、内ゲバだみたいな雰囲気に違和感が強くなって足が遠のいていった。でも、現地の農民はその後も飛行機の騒音の下で、毎日毎日畑を耕しているんだよね。嫌気がさしても逃げ出すわけにもいかない。本当にすごいよね。
でもね、僕もその頃のその時には農民と共に戦い抜こうと、本気で思っていたんだ。そういう話をすると、「分かった。俺も行く」って仲間も結構いた。いま、同じことをしたらどうだろうか。考えだけでこわいなぁ。
まさか、まさか ― 2006/08/22
たまに国会の中で横田滋さん・早紀江さんご夫妻を見かけます。食堂でメシ食ってたりとか。人の良さそうなご夫婦のこれまでのご苦労を思うと本当にお気の毒で、申し訳なく思います。拉致問題、確かにあまり取り組んでこなかった。まさかそんなことが行なわれていたとは思わないじゃないですか。別に北朝鮮を支持していたわけじゃありませんよ。酷い国だとは思っていた。だいたい権力を世襲しちゃう時点で社会主義もヘチマもありません。でもね、まさかまさか工作員が潜入して日本人を拉致しているとは、俄には信じられないでしょう。だって、そんな必要がないと思われたんだもの。朝鮮総連系の在日の人は10万の単位で存在しているわけだし、シンパシーを持つ日本人だっている。日本語教師が必要なら別に夜陰に乗じて拉致しなくても、声をかければ自発的に万景峰号で行く人がいくらでもいるわけです。リスクを冒して潜入して拉致する必然性ががないんですよ。今時、年間10万人から行方不明者がいるわけだし、少女を拉致して10年も監禁していた変態野郎までいる。外国工作員が潜入して拉致するというスパイ映画もどきの話より、家出したとか、普通に事件に巻き込まれたとか考える方が、現実的だったんですよ。警察に聞いてもハッキリしないし、ラチラチ騒いでいたのはサンケイ新聞と反北朝鮮活動をしてきた右翼の人ばかり。ほんまかいな? ご家族は気の毒だけど、ウヨクにいいようにのせられちゃってるんじゃないの? みたいな雰囲気だったと思います。
責任逃れするわけじゃないけどマスコミも含めて、全体にそういう反応が多かったんじゃないでしょうか。自ら必死で検証して、真剣に取り組んだりは確かにしなかったし、その点は本当に忸怩たるものはあります。でも金正日が謝ったら、自分もそれまで何もしてこなかったような連中が、いきなり左翼批判を始めるのはまったく筋違いだよ。
平沢勝栄なんか警察官僚だったんだから、自分が一番の責任者じゃないのか。拉致の一番の責任は、国民の安全を守れなかった警察にあるんでしょうが。拉致された後だって、まともな捜査なんかしなかった。ホントはどうなのって聞いてもほとんど証拠もなくハッキリしなかった。それを見て「どうかなー、ホンマかいな?」と思っていた我々より、安倍晋三の父ちゃんなんかの方がよほど積極的な責任があるんじゃないかね。
被害者のご家族からすれば、結局ウヨクの人しか動いてくれなかったわけだから、ウヨクと連携しちゃてるのは仕方ないんですけど、解決のためにどうすることが一番良いのかは冷静に考えて欲しいと思っています。この間、横田さんを見かけて「自分らの考えが甘くて申し訳なかったです、頑張ってくださいね」といいたくなったんだけど、いかにもウヨクの人が着いてたもんでねぇ。やっぱりねぇ。
責任逃れするわけじゃないけどマスコミも含めて、全体にそういう反応が多かったんじゃないでしょうか。自ら必死で検証して、真剣に取り組んだりは確かにしなかったし、その点は本当に忸怩たるものはあります。でも金正日が謝ったら、自分もそれまで何もしてこなかったような連中が、いきなり左翼批判を始めるのはまったく筋違いだよ。
平沢勝栄なんか警察官僚だったんだから、自分が一番の責任者じゃないのか。拉致の一番の責任は、国民の安全を守れなかった警察にあるんでしょうが。拉致された後だって、まともな捜査なんかしなかった。ホントはどうなのって聞いてもほとんど証拠もなくハッキリしなかった。それを見て「どうかなー、ホンマかいな?」と思っていた我々より、安倍晋三の父ちゃんなんかの方がよほど積極的な責任があるんじゃないかね。
被害者のご家族からすれば、結局ウヨクの人しか動いてくれなかったわけだから、ウヨクと連携しちゃてるのは仕方ないんですけど、解決のためにどうすることが一番良いのかは冷静に考えて欲しいと思っています。この間、横田さんを見かけて「自分らの考えが甘くて申し訳なかったです、頑張ってくださいね」といいたくなったんだけど、いかにもウヨクの人が着いてたもんでねぇ。やっぱりねぇ。
最近のコメント