ウォーレン・バフェットの寄付2006/09/02

 世界第2の富豪である、バクシャー・ハザウェイ(米の投資会社)の会長兼CEOのウォーレン・バフェット氏が自己資産の大半(85%)である約370億ドルを「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団」など5つの財団に寄付するんだそうです(表明したのは6月)。すごいですね。4兆円ですよ。兆。
 そのゲイツ財団は、マイクロソフト会長のビル・ゲイツ氏がつくった財団(厳密には父親のつくった財団を改称)で、300億ドル近くの資産を持つ世界有数の財団です。バフェット氏の寄付をあわせれば資産規模は600億ドル、毎年の助成額はUNICEF(国連児童基金)が集める寄付金の年間総額28億ドル弱に匹敵することになります。
 総資産500億ドルの世界ナンバー1の富豪と、420億ドルのナンバー2が手を組んで行なう慈善活動です。ビル・ゲイツ氏は08年の7月で現役を引退し、慈善活動に専念するそうで、政府の活動を通さない一種の富の再配分機能がどの程度有効性を持つのか注目されます。
「社会から最も大きな利益を得た者は、最終的には最も気前よく、それを社会に還元すべきである」という発想は米国の富裕層に相当程度定着しているようです。かつてアンドリュー・カーネギーは研究所や図書館に出資し全米に2800の図書館を設立しました。バフェット氏は、核軍拡競争の抑制、人口増大の抑制、教育支援のために資産を使いたいと言っていました。ゲイツ夫妻は、氏は世界の疾病対策や医療の向上に取り組んでいます。バフェット氏に刺激された、俳優のジャッキー・チェン氏も個人資産の半分を慈善団体に委ねることを表明しています。
 アメリカの慈善活動というのは富裕層の一種の社交活動の側面があるし、免罪符のような要素も確かにあるのですが、それにしてもこういうモラルが生きていることには驚かされるし、救いがあるような気もします。
 日本ではほとんど聞かない話ですね。

安倍体制下で自民党憲法草案第2次案2006/09/05

次期自民党総裁=総理大臣就任が確実視されている、安倍晋三官房長官は自民党が05年10月に策定した新憲法草案を見直し、第2次草案をまとめる方針であることが明らかになった。9月3日のテレビ番組に出演した中曽根康弘元首相が「(安倍氏は)『もし天下を取ったら、第2次草案を考える』と言っていた」、「『第1次草案はまだ十分ではない。集団的自衛権の問題とかいろんな問題がまだある』と言っていた。前文も直そうということだろう」と発言したもの。10月の新憲法草案の前文を修正し、集団的自衛権の行使容認などを明確化する意向らしい。中曽根氏が当初まとめた復古調の表現が多い前文素案の内容を取り込む可能性もある。
安倍氏が本性を次第にむき出しにしてくることには、素朴な危惧を感じるし単純にムカッとするが、実は必ずしも悪いことではないかもしれない。ファシズムは微笑みながら来るより、ファシズムらしくやってきた方がよい。
どの世論調査を見ても憲法改正に対する関心はそれほど大きくなく、景気や雇用、税制、福祉など生活に関する課題の方にずっと大きな関心がある。その中であえて憲法改正を問われた場合に、憲法改正を是とする意見は増えているようだ。現状の社会に問題が山積しており、憲法を変えることが現状を変えるための一つの手段でありうることを考えれば、これはむしろ当然だろう。しかし、改憲を是とする世論の多くは具体的な改憲内容を踏まえた肯定ではなく、憲法を変えることで日本社会の問題を解決したいという、抽象的な変革の願いに過ぎないのではないか。
問題は変えるか変えないかではなく、どのようなものに変えるのかということだ。改憲の動きが強まり、世論の関心が憲法に向いていけばいくほど、いま行なわれようとする「改憲」への理解が広がり、「改憲」への批判が高まる可能性もある。僕自身、今の憲法を不磨の大典として後生守り抜こうなどとは思っていないし改憲自体は別にいいんですよ。少しでもよいモノに変えていくことは当然。第1章なんか削除して、天皇さんは文化財のようなモノになっていただけばよろしいと思っている。変えること自体が問題なのではなくて、今の具体的な「改憲」の方向性に対して、その内容に対して反対なのである。
米国が中東に「民主主義」を押しつけようとすればするほど、「非民主的」な宗教勢力が力をつける。それににた皮肉な結果になるかもしれない。

僧侶のビラ配布弾圧に無罪判決2006/09/05

 東京地裁は、8月28日、東京都葛飾区のマンションに共産党のビラを配布するために侵入したとして、住居侵入罪に問われていた僧侶・荒川さんに対して無罪を言い渡した。当然といえば当然だが、立川の防衛庁官舎へのビラ配布では高裁で逆転有罪判決(地裁は無罪判決、被告側が上告中)が出ていたことを考えれば、有罪判決の可能性も否定できなかった。注意した住民による民間人逮捕で、23日間にわたって拘置されたことだけでも、許し難い政治弾圧と言わざるを得ない。
 もしこれを犯罪だというなら、全てのビラを公平に取り締まるべきだ。うちのポストに自民党や公明党のビラを配布する者を全員逮捕して警察に突き出してやろうかと思っていたところだ。
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ナチスが共産党を弾圧したとき
私は不安に駆られた
が、自分は共産主義者でなかったから
何の行動も起こさなかった。

その次、ナチスは社会民主主義者を弾圧した
私はさらに不安を感じたが
自分は社会民主主義者でないので
何の抵抗もしなかった。

それからナチスは、学生・新聞、ユダヤ人と順次
弾圧の輪を広げていき
その度に、私の不安は増大した
が、それでも私は行動に出なかった。

ある日遂に、ナチスは教会を弾圧してきた
そして私は牧師だった
だから行動に立ち上がった
が、もうそのときはすべてが
あまりにも遅すぎた。
(マルティン・ニーメラー)

※マルティン・ニーメラー(1892~1984)はドイツの進学者で牧師。ナチスがドイツ・キリスト者(プロテスタント)に影響を及ぼし、ユダヤ出自の牧師を迫害するに及んで、牧師緊急同盟を設立、その後「ドイツ告白教会」の中心メンバーになる。ユダヤ人抹殺計画の主唱者ローゼンベルク襲撃に係わったとして逮捕され、ザクセンハウゼン強制収容所に収監された。ダッハウ収容所に収容中に米軍に解放され九死に一生を得た。

秋篠宮妃紀子さんが男児を出産2006/09/06

 バイクで走っていたら、なんか所々に日の丸が出ているのね。何だっけなー、今日は祝日じゃねえよなぁ、とか思っていたんだけど、あ、そうだ、お世継ぎ出産の日じゃんか。帝王切開で、今日だって分かってたから、旗出してあんだなぁ。
 紀子さん9月6日午前8時27分、港区の愛育病院で無事男児ご出産だって。皇室に男子が生まれるのは、65年11月の秋篠宮さん以来で、40年ぶりの皇位継承資格者のご誕生。皇太子→秋篠宮さん→紀子さんの子だね。これで、皇室典範改正の実現はグーッと後退したでしょう。お子さんの生計費として国から305万円支給されるんだって。年寄りのささやかな年金だって課税されるんだから、これにも課税するべきだね。
 正直いって、僕は天皇さんはじめ皇族の皆さんのこと、嫌いじゃありません。当然、会ったことも話したこともないけど、天皇さんなんて純粋培養した戦後民主主義って感じで少しホッとしちゃう。皇太子さんもアンシャン・レジュームの中で一生懸命頑張っている感じがする。
 そうは言っても、やはり天皇制はやめた方がいい。生まれながらにして身分が定まるのはおかしいよ。出生、門地による差別をしないというのは、民主主義の大原則だよ。万世一系っていうけど、誰だってご先祖様はいるのだからみんな万世一系です。憲法第1章は憲法第14条と矛盾してるので、憲法変えるならまず1章(天皇条項)からじゃん。
 天皇さんには京都にでも移ってもらって、支持者の献金と一定の国庫補助で、人間文化財のように文化を伝承してもらえばいいんじゃないかね。伝統芸能とか神社・仏閣とか憲法に書いていなくてもちゃんと伝承しているもんね。


日本国憲法第14条
 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
②華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
③栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

「原爆許すまじ」2006/09/07

大衆運動の中や周辺で「思い」を伝えるために、様々な表現方法が使われます。なかでも「歌」は簡単に多くの人が参加できる最もポピュラーな手段です。ここでは機会を見て、ごく個人的趣味で、好きな歌、大切な歌を紹介していきたいと思います。

最初に「原爆許すまじ」。
 「原爆許すまじ」はたぶん日本で最も有名な、反核兵器の歌です。いまでも、広島や長崎で開かれる平和集会では必ずといっていいほど歌われます。今年の広島と長崎の原水禁大会(連合平和集会)でも歌われました。
 この歌が発表されたのは1954年6月です。1953年に第1回「うたごえ祭典」が開催され、翌54年には総評の協力も得てうたごえ運動が全国的に広まりつつあるなかで、歌われるようになりました。54年3月に第五福竜丸が被ばくするなど、国民に死の灰の恐怖が広がり、広島と長崎の悲惨な被爆の実態が知られるようになる中で、この歌が多くの人の心に響いたのです。とくにこの年の11月の第2回うたごえ祭典で歌われたことを契機に、全国に普及していきました。

僕も何度も何度も歌ってきたすごく大切な歌なのですが、正直をいうとあまり好きではありません。たぶんメロディーが暗くて、陰鬱な気持ちになるからでしょう。もちろん原爆体験は、どこからどうみても悲惨なものであり、明るい歌になどなりようはないのですが…。


原爆を許すまじ

1、ふるさとの街やかれ
  身よりの骨うめし焼け土に
  今は白い花咲く
  ああ許すまじ原爆を
  三度許すまじ原爆をわれらの街に

2、ふるさとの海荒れて
  黒き雨喜びの日はなく
  今は舟に人もなし
  ああ許すまじ原爆を
  三度許すまじ原爆をわれらの海に

3、ふるさとの空重く
  黒き雲今日も大地おおい
  今は空に陽もささず
  ああ許すまじ原爆を
  三度許すまじ原爆をわれらの空に

4、はらからのたえまなき
  労働にきずきあぐ富と幸
  今はすべてついえさらん
  ああ許すまじ原爆を
  三度許すまじ原爆をわれらの上に

(作詞:浅田石二/作曲:木下航二/編曲:安達元彦)

千鳥ケ淵戦没者墓苑に眠る35万人2006/09/07

今日は党の「千鳥ケ淵戦没者墓苑・平和祈念施設」提言委員会。Y新聞のW主筆にお越しいただいて、氏の「靖国問題解決私案」をご説明いただき、意見交換を行なった。
 Y氏案は千鳥ケ淵戦没者墓苑を拡張・整備して公的性格を与えようというものだ。隣接する公務員三番町宿舎(財務省)、宮内庁長官公邸・侍従長公邸(内閣府)、農水省分庁舎、農水省三番町共用会議所、公務員九段住宅(財務省)、農水省三番町住宅等の国有地を活用し、場合によっては国家公務員共済組合九段坂病院やインド大使館等の敷地を買収する可能性や、近くのイタリヤ文化会館の真っ赤な壁を塗り替えてもらえないかといった物理的な面から、制度的な面までを含む、極めて総合的で具体的なアイデアであった。憲法問題等、多くの課題に関して立場が異なるが、戦争に対する姿勢、戦争責任問題に対する考え方については共有できることも多かった。
 千鳥ケ淵戦没者墓苑には現に引き取り手のない戦死者35万人分の遺骨が保管されている無名戦士の墓だ。靖国神社にあるのは主に厚生省からもらったただの名簿(霊璽簿)である。どちらが、慰霊に適しているかは明らかではないだろうか。

「戦争の親玉」2006/09/14

「戦争の親玉(Masters Of War)」は1963年のボブ・ディランの『Freewheelin' Bob Dylan』に収録。高石友也の訳詞が下。文化的バックボーンへの理解なしに、くだけた江戸っ子調の訳によってディランの誤像を広めたとの批判もあるようだけど、まあ日本ではこっちの方がなじみがあるかな。「風に吹かれて(Blowin' In The Wind)」とかの方がメロディーが馴染みやすいし有名だけど、「戦争の親玉」の露骨さは今の情勢にはあう気もするな。

僕は岡林信康で聞きました。岡林の『私を断罪せよ』ってアルバムに入っていて、これはTUTAYAとかにも並んでるし、アマゾンとかでも新品が買える。


「戦争の親玉」

爆弾を作る お前さんたち
壁のかげにかくれても
机の下にかくれても
あんたの顔はまる見えだ

おいらの世界を おもちゃのように
ひねくりまわし ただこわすだけ
いつかかくれてたまが飛んでくりゃ
雲をかすみに逃げるだけ

若者たちに引き金ひかせて
死人の数を数えてる
屋敷にかくれて 若者の血は
ただ大地に赤くしみこむ

名もつけられずに死んでいく子供
かたわのままで生まれる子供
そんな恐怖をまきちらす
おまえにゃ血なぞ流れちゃいない

あんたはおいらにきっと言うだろう
世間知らずと まだ若すぎると
でも一つだけ言えることは
人を殺すことはゆるせない

おれたちゃしっかり見とどけよう
おすら寒い夕暮れに
あんたが墓場に入る時を
おれたちゃしっかり見とどけよう

(ボブ・ディラン/訳詞:高石友也)

シビリアンコントロール2006/09/17

報道によると、防衛庁が米情報機関との連携を強化するため、ワシントンに日本大使館から独立した情報専門の連絡事務所を新設する方針を固めたそうだ。軍事情報の専門家同士による緊密なパイプをつくり、日米間の情報共有による同盟強化を狙うとのこと。年明けからの本格化が目標とのこと。相手先はDIA(国防総省国防情報局)、NAS(国家安全保障局)、NGA(国家地空間情報局)などらしい。

うーん。どうしてこういうことを平気で出来るんだろうかね。日米同盟化かなんか知らんけど、軍人どうして勝手に連携して兄弟杯を固めようって、そういうことが許されるのかね。どう見ても、シビリアン・コントロール原則を外れるでしょう。この間、政府間に先立って軍人間で話をしている形跡がどんどん強くなっている。自衛隊のニーズを政府が知る前に米政府が知っている。本来、自衛隊→防衛庁→内閣→国会ってやるべきことが、実質的に自衛隊→米軍→米政府→政府って決まっている。もちろん現場同士の話もあるでしょう。だから大使館にも出向しているわけだし、日常的に交流してるじゃない。でもベースは通常の外交関係の枠内でやれよって。政府は本当にそれでいいのか。各省庁がワシントンに連絡事務所を置いて、それぞれ米省庁と連携してやればいいのか。