あなたが超A級戦犯ではないのか?2006/07/20

 今日の報道によると、1988年4月頃に昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感を示していたそうな。当時の宮内庁長官・富田朝彦氏(故人)の手帳に残されていたことが分かったんだって。富田氏は74年に宮内庁次長に就任し88年に長官を退任するまでの昭和天皇との会話などを日記や手帳に残していたとのこと。昭和天皇は78年のA級戦犯合祀以降靖国神社を参拝しなかったが、その理由がこれで明確になった。
 確かに、天皇に否定されたら合祀されているA級戦犯の遺族や靖国神社は困るだろうし、天皇・A級戦犯・靖国神社を一体に崇めていたような連中は混乱するだろうし、それはそれで愉快な面はあるけど、あまり喜んでもいられないのじゃないか。当然、最近、強まっている分祀論が背景にあるわけだし、仮にA級戦犯分祀が実現でもしたら靖国神社それで良しということになってしまう。古賀さんや山拓さんや中曽根さんの分祀論は、A級戦犯がいるといろいろ批判されちゃうし正当化しづらい、分祀して正々堂々天皇にもお参りしてもらうって話だから。
 A級戦犯の扱いに関わりなく、侵略戦争遂行の重大な責任を負い、戦争自体を肯定するイデオロギーを持つ靖国神社には問題がある。また18万余の宗教法人の一つに過ぎない靖国神社を天皇、首相、閣僚等が参拝し、援助・助長・促進することは憲法第20条が定める政教分離原則からいっても許されないことなんだから。いくなら戦争犠牲者を追悼しているすべての宗教団体に行け!って感じ。
 だいたい昭和天皇自身が超A級戦犯なんであって、A級戦犯の合祀に不快感を感じる前に、自らの戦争責任を深く感じろって思うんですが。

●富田メモ靖国部分の全文
 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ(原文ママ)

※「松岡」はA級戦犯として合祀されている日独伊三国同盟を締結した松岡洋右元外相(東京裁判の公判中死亡)、「白取」は白鳥敏夫元駐伊大使(同裁判で終身禁固刑・収監中に死亡)、「筑波」は66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら合祀しなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(故人)と考えられる。「松平」は終戦直後の最後の宮内相、松平慶民氏(故人)。「松平の子」は慶民氏の長男で78年10月にA級戦犯を合祀した当時の靖国神社宮司、松平永芳氏(故人)らしい。
※昭和天皇は45~75年に8回靖国神社を参拝した。

コメント

_ りょん ― 2006/07/20 22:20

まったくもって、その通りです。
ただ、たとえ彼がどんなに責任をとりたくても、彼を崇める人があまりにも多く、出来なかったのだろうという気もする。
国の象徴とされる以前から、恐らくシンボルである事以上を許されなかった彼にとって、参拝しないことが最小限の抵抗だったのかもと。

_ PINKO ― 2006/07/21 02:31

コメントありがとうございます。
僕はヒロヒト氏個人はひょっとしたらいい人だったかもしれないと思っています。戦争に入るプロセスも含め彼の主観として最善を尽くしたという見方もあるかもしれない。でもそういうことを言えば、A級戦犯の中にも人格的に優れた人もいるかもしれずそれぞれにやむを得ない状況もあったのではないでしょうか。やはりヒロヒト氏は自分の責任について無自覚であり、天皇制・家の安寧を大前提とした発想で生きたのだと思います。

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