ゴールデンウェークの家族旅行で被災地へ2013/04/29

ゴールデンウェークの前半、義妹一家と宮城の被災地に行った。
僕は仕事絡みで何度も行っているが、他は全員はじめて。
新幹線で仙台に行き、レンタカーを借りて石巻へ。
NPOのボランティアさんに案内をお願いした。
門脇小学校前
まず、全壊した門脇小学校跡へ行く。
僕は同じ場所に2012年5月に来ているが、ほとんど変わっていない印象。
門脇小学校
隣接する西光寺の墓地も手つかず。
門脇小学校跡
校舎の中も当時のままだ。
門脇小学校校舎跡
校内にいた児童の大半は裏の日和山に避難して無事だったが、周辺から門脇小学校に避難してきた住民から多くの犠牲者が出た。
続いて、「石巻まちなか復興マルシェ」へ。被災したお店が集まって営業を続けている。
復興マルシェ
腹が減ったので、1人円盤餃子セットを食う。
内海橋を渡って、中州にある石ノ森萬画館へ。石巻は石ノ森章太郎の「第二の故郷」なのだそうです。
石ノ森漫画館前
石ノ森萬画館を見てると結構時間がかかって、日も陰って来たので、宿泊予定の女川へ向かう。女川の宿はエルファロ。
エルファロ
女川で被災した旅館4社が集まった「女川町宿泊村協同組合」が運営している。
トレーラーハウスが並んでいるのは、瓦礫で埋め尽くされた町で、建築制限もかかる中でのアイデアだ。建築物ではないし基礎を打つ必要も無いので様々な場所で営業ができる。
エルファロ
トレーラー・ハウスといっても、バス・トイレも室内にあって、ぜんぜん問題ない.ロフトがあるので子供も大喜び。これが第1期分48室(ロフト付は12室)並んでいる。
エルファロ
中央に広いデッキがあってその周りに配置されているトレーラーはレストランになっている。食事もちゃんとしたものが出る。
エルファロ
レストランの入口に見慣れた木彫りのクマが。
聞いてみたら、このデッキは清水国明さんの一味がやってきてサクッと作ってくれたものだそうで、木彫りはその時のおまけ。清水さん、いろいろやってんな。
なかなか女川に行く機会はないかもしれないが、結構おすすめです。
宿泊料も安く、5~6000円程度。もともと旅館の人たちがやっているので、サービスもちゃんとしてる。
朝食後、付近を散策した後、チェックアウトして女川港へ。
女川港はだいぶ片付いていたが、被災した建物がいくつか残されていた。
女川港
こんな建物が倒れたらどうにもならない。部屋の中に車が入ったまま。
女川港
これ4階建てのビルです。
ここから松島に向かい、昼飯を食ってから、せっかくだから松島湾を遊覧船でクルーズ。
宮島
これが「日本三景」というものか~という感じ。
松島港
港では娘がかんしゃく。甥っ子になぐさめられている。
なだめすかしながら、瑞巌寺を観光。伊達政宗の菩提寺とのこと。
瑞巌寺
瑞巌寺自身より、参道の洞窟群が興味深かった。なんだろう。
瑞巌寺は普通の寺って感じ。伊達政宗ってあまり知らなかったが、結構面白そう。
かんしゃく
娘のかんしゃくは断続的に続く。
この日の宿は塩竃。宿は普通のビジネスホテル。部屋は超狭い。トレーラーハウスの方がよほど広い。
僕は、せっかく宮城に来たから、宮城の社民党のK島君を呼び出して飲みに行く。家族は別に寿司を食いに行った模様。
翌日は塩竃神社→塩竃水産物仲卸市場→マリンゲート塩釜。
塩釜市営汽船に乗って、浦戸諸島の野々島に行く。
野々島
野々島を歩くと、至る所に洞窟がある。
地元では「ボラ」と呼ばれているそうだが、誰がいつ頃作ったのか謎らしい。
今は住民の物置場に使われているところもが多い。
かんしゃく
山道を進むと墓地があって、夜泣き地蔵がある。子供の夜泣がなおると言い伝えられているとのこと。うちの娘は、ここでもかんしゃく。
キリシタン仏
熊野神社の御神像の奥に納まる厨子入り仏像は、キリシタン仏といってキリシタン研究の貴重なものらしい。帰りの船の時間の関係で、見に行っている時間が無かったが、参道の仏像も十字架をもっている。
キリシタンとというと長崎の印象が強いけど、宮城にも慶長遣欧使節団以来のキリシタンの伝統があるのだな。
ということで、帰りの船の時間になりそそくさと帰りました。
その後は、仙台に行って車を返して、新幹線で帰京。
東京に帰るとすでに夕方。
塚田農場
錦糸町の塚田農場で食事をしてから、帰宅。

バレエの発表会2013/04/21

今日は、娘の習い事のバレエの発表会。
会場は例年と違って、江戸川総合文化センター。
毎年、だいたいこの時期に開いているもの。
バレエ中のまる
うちの娘、保育園のころからずっと習ってきました。
以前は「おゆうぎ」みたいな感じでしたが、ちょっとはサマになってきたかな。
バレエ中のまる2
よその子をそのまま出すのもなんだと思って、顔をブラシツールで潰したんだが、リングの「呪いのビデオ」みたいで怖いと言われてしまいちょっと反省。もう少していねいに直さないと。
バレエ中のまる4
まあ、雰囲気を見てもらえれば。
バレエ発表会後
岡山の母親の実家からばあばとひいばあばも見に来てくれました。
わざわざありがたいことです。

マンションのボーリング大会2013/03/23

3月23日、居住しているマンションの親睦組織が主催するボーリング大会に娘と参加。
母親は体調不良でドタキャン。
ボーイングピン
会場は、近くのラウンドワン。
子供用にガーターが出ないようになっているレーンもあるのだが、娘は普通にやると言って大人と同じレーンで参加。
ガーター連発
当然、ガーター連発なのだ。
僕は久しぶりのボーリングで100点そこそこな感じ。
懇親会
終了後は、マンションに戻って、パーティールームで表彰式and懇親会。
マンションの懇親会は、そのまま部屋に戻ってバタンキューができるのでついつい飲み過ぎてしまうキライがあり。

もっこくの木を河口湖に2013/03/13

2月27日の「お別れの会」で、三宅坂の社会文化会館は完全閉館。解体作業に入る。
「お別れの会」の時、玄関前の警備の任務についていて気付いたのだけど、正面玄関向かって右の植込みに結党50年記念の植樹があった。今井総務局長に聞いたら、会館の解体と一緒に廃棄とのこと。
社文前植込み
うーん。
しょうがないけど、全林野労組様からいただいた記念の「もっこく」だよー。
「庭木の王」といわれる樹らしい。もったいないし、記念の植樹を廃棄するのもしのびないので、総務局長に断っていただくことにする。
3月3日の社文玄関
とりあえず、3月3日の日曜夕方にとりに行く自宅近くのホームセンターでスコップを買い、社文へ。三宅坂ではなにやらクレーンの積み下ろしをしていて246側は警備員が立っていて、追い返される。まあ、日曜の夕方にスコップ持って、解体待ちの廃ビルに乗り付けるなんて超怪しいわけだけど、事情を説明してなんとか入れてもらう。
もう、作業小屋が出来て、玄関も封鎖されている。
モッコクの木
もっこくの木はまだあった。
着いたのが4時半位で、だんだん暗くなる中を一人で穴掘るのは淋しい。
社文前掘り出した穴
回りから掘っていくと思ったより簡単に木が抜ける。
だいたい、植込みが小さくて、すぐにコンクリートらしき底にあたる。幅も狭いので、ぜんぜん根が張れていなみたい。植えてから20年近く経つ割にあまり育ってなかったのは、日当たりも悪いし場所も悪かったんだな。たぶん。
フリードのモッコク
車(フリード)の後部座席に軽く乗るかと思ったけど、実際に乗せたら結構でかい。助手席から3列目まで全部倒してなんとか押し込んだ感じ。
掘り出す作業より、車に押し込む方がすっと大変だった。一人だったから泣きそう。
河口湖のもっこく
さて、どうしようか。自宅マンションの共有部にこっそり植えちゃおうかとも思ったが、まあそういうわけにもいかないので、とりあえず河口湖のツリーハウスの近くに植えちゃおう。
1週間、車の中に積みっぱなしにして、3月10日に河口湖に。脱原発の行動なんかもいろいろある日だったが、この日に行かないとしばらく行けないので木が死んじゃいそう。まあ、木の命の方が大事だな。「命を大切にする政治」だし。
当家ツリーハウス
ということで、ツリーハウス前にいっこくの木植えました。
日当たりわりーし根付くか分からないけど、とりあえず、ということで。
もっといい場所があれば移してもいいし、当面、これで命をつないでもらえればいいかなと。
修理した階段
これだけで帰るのもなんなので、デッキから下りる階段の一番下の段が壊れていたのを直した。いい加減にやったので、隙間が空いているが、まあ実用上は問題ない程度。
落ちていたブランコを修理
さらに、片方のロープが切れて落ちていたブランコも応急修理。ぽつぽつ雨が降ってきて、全部取っ替えている余裕がなかったので、継ぎ足して結んだだけ。
ツリーハウス村前
ということで、まだうっすらと雪の残るツリーハウス村を後にする。
夕方、マンションの管理組合関係の会合があるので、温泉に寄ってささっと帰る。

八丈島でキョンに会う2012/08/25

ここ数年、8月末頃に沖縄に家族旅行に行っていたのだが、今年はちょっと日程がタイトだったこともあって、八丈島に行くことになった。
8月22日~25日まで。沖縄まで行っちゃうとなんだかんだ行き帰りで1日分くらいの移動時間がかかっちゃうから、3泊4日だとちと辛い。八丈島は羽田から1時間かからないし、小さな島なので空港に着いた後の移動も早い。朝7時台の便で羽田を出ると、9時前に八丈島空港に着いて10時くらいには稼働できちゃう。
今回、八丈島にしたもう一つの理由はダイビングのライセンスを取ること。連れ合いと娘は、すでに東京で取っていて、僕だけライセンスがないのは何かと不便なので取っとけという感じで。八丈島はダイビングのスポットでスクールがたくさんあるし、移動時間も短いのでスクールの日程が効率的に入れられるのだ。
ネットで調べて何件か電話して結局お世話になったのは、八丈島ダイビング スズミ さん。
日程が合って、感じが良くて、自前の船を持っていて、最安ではなかったけどそこそこリーズナブルだったので。結果的に正解でしたよ。弁当もおいしかったし。
PADIのオープンウォーターという一般的なライセンスをとるには、座学と限定水域ダイブと海洋実習4ダイブが最低必要で最低3日かかる。2日間は昼間は分かれて僕だけスクールに。最後の実習は普通のダイビングと同じなので、そこだけ家族と一緒に潜らせてもらった。
この辺、ぜんぜん余裕がなくて写真もぜんぜん撮ってません。
落第しちゃうと日程的にアウトなので、必死すよ、必死。
ライセンス取得
運良くか悪くか、同じ日程の生徒は僕1人で、1対1の個人授業になった。ちょっと淋しいが、先生を独占できるのは安心感がある。スズミのインストラクターのニシジ先生は、非常にさわやかで親切な海を愛するイケメン青年なのだ。オタク風小デブ中年のワタクシと雰囲気もまったく違う。どーしてこんなに違うかなぁ。
まあ、ニシジ先生の親身の指導でどうにか予定通りにライセンスを取得できた。
ライセンス
↑これは、後で郵便で送られてきたもの。

減圧症になる可能性があるので、ダイビングした日は飛行機に乗っちゃいけないことになっていて、最終日は陸上のみ。
八丈富士登山中
とりあえず、八丈富士に登山。
ひょっこりひょうたん島のモデルとも言われる、ひょうたん型をした八丈島。北西側の西山は別名「八丈富士」とも呼ばれている円錐状の複式休火山だ。標高854メートルほどだが、伊豆七島中で最も高い山とのこと。
八丈富士山頂近く
7合目まで車での上れるのでタクシーで登山口まで行く。ここから高低差300メートルの階段約1280段を約1時間かけて登る。火口は直径400メートルほどで、小一時間もあれば回れそうだけど、キリがかかっていて景色もぜんぜん見えないし、風も強いので20分ほどの頂上付近まで行って引き返す。
八丈富士下山後
登山口のあたりまで戻ると雲はあるけど、いい天気できれいな海が見える。
七合目あたりを周回している鉢巻き道路を歩いて、「ふれあい牧場」へ向かう。
八丈富士ふれあい牧場
一応最近のおきまり、放射線測定。都内よりすっと低いです。
牛にちょっかいを出して、ソフトクリームを食った子どもは大喜び。
八丈富士ふれあい牧場展望台
歩くのは少し辛い距離なのでタクシーを呼んで空港へ。
八丈島は飲食店やお店が散在していて、何となく行けばいいような盛り場がなくて、目的を決めて向かわないうろうろしてしまう。最終日だけはレンタカーを借りたかったのだが、予約してなかったので借りられなかったのだ。
八丈植物公園
空港で食事をしてから八丈植物公園へ歩く。
なぜか「きょん」は植物公園にいるらしい。熱くて死にそうになりながら到着。
八丈島のキョン
最近流行の「光るキノコ」やら熱帯植物やら見て、うろうろしてようやく「きょん」に会うことが出来た。
僕らの世代は「ガキデカ」を見て育っているので、八丈島と言えばまずは「八丈島のきょん!」なのだ。まあようは小さめの鹿だな。犬ぐらいの大きさでかわいいが、わざわざ見に来るほどでもない感じだ。
これで空港帰って3泊4日の八丈島旅行終わり。無事に飛行機で帰りましたとさ。

河口湖でマハラジャ・パーティー2012/04/29

ゴールデンウィーク、4月28日~29日まで河口湖の「楽園」に行く。
本当は後半で行こうかと思っていたのだが、ヒロさんの友人のマハラジャさんを囲んでパーティーにしようというお誘いがあったので、冒頭に。そのため、これまでほぼ毎年行っていた連合メーデーはサボり。だいたいメーデーをエイプリルにやるのが悪いのだ。
家族で行く予定だったが中国から帰ったばかりでシンドイという母親を残して娘と2人。友人の長谷川君一家と一緒に行く。子どもがまったく一人より、複数いた方が大人としては楽です。
マハラジャパーティー
ツリーハウス村に集まるのは実は年末以来。ハギさん、ヒロさん、中島君なんかと会うのも久しぶり。マハラジャさんのインド料理というから、言葉が通じなかったらどうしようとも思ったが、ニックネームで普通に日本人でした。見た目はまさに「マハラジャさん」な感じですが。
マハラジャさんの七面鳥丸焼き
マハラジャさん自慢のカレーで始まり、夜まで断続的に宴会状態続く。
七面鳥の丸焼きを食べすすむと、中から丸ごとニンジン・タマネギなどが出てきて子どもが驚く。「七面鳥が野菜の種を食べて腹の中で育つのだ。七面鳥の中で育った野菜は栄養満点なのだ」と軽くだます.。娘は、お父さんはウソばかり教えるからと半信半疑のようだが、本当のことはあとで教えるからね。
ハンモックで寝る
長谷川君家族は「楽園」の和室泊にしたが、うちと中島君はツリーハウス泊。娘はどうしても屋外のハンモックで寝たいというので寝袋に入れて寝かせる。付き添いで隣で寝たが、さすがにまだ夜は寒い。深夜に中島君が風邪引くから中で寝たらと声をかけてくれた際に、撤退。結局、ツリーハウスの中で寝る。
無人島へ
翌日は、「楽園」の新メニュー「清水国明の無人島in河口湖」に行く。河口湖に浮かぶ無人島にボートで渡ってバーベキューするという企画だ。事実上スタートしたばかりなので一度は体験。テントで一泊してサバイバル体験をするコースもあるが、今回は日帰りです。
無人島から富士山
材料や船代等も全部セットで大人3300円。富士山が真っ正面に見えていいロケーションです。河口湖は富士山近いけど、視界が開けたところはなかなかないので、結構、ここいいですよ。
無人島でまる
娘は大喜びだったが、クツのまま水に入ってびちゃびちゃにしちゃうし、僕は携帯をなくしちゃうし大変。
ハンモックでタイフーン
ツリーハウス村に戻ってからはずっとハンモック遊び。ハンモックに入ってぐるんぐるん揺さぶるだけだけど、子どもたちに大人気で、キャンプに来ていたよその子まで混じって大騒ぎ。別にいいんだけど、揺らす方はずっとやらされて大変なんだわ。帰るころはハンモックはぼろぼろになってしまった。あーあ。
修復されたブランコ
結局、ほとんど作業はしなかったのだが、ロープが切れて落ちていたブランコだけは修復。まあいい加減な作りなので揺れが曲がると木に激突する可能性があるが、自己責任なのだ。
夕方までいて帰る。ほうとうを食って、温泉に寄ってから。ゴールデンウィーク中だったので渋滞はどうかと思ったが、時間をずらしたこともあって、結局、ほとんど引っかからずに帰れた。新東名が開通したおかげという説もあるが。いつもこうだといいんだけど。

中国へ植樹の旅2012/04/24

日中友好21の会の第12次植樹訪中団に家族で参加した。
日中友好21の会は民間の日中友好運動団体だが、元社会党副書記長の曽我祐次さんが会長を務め、社民党・旧社会党関係者とくに品川総支部の仲間が中心で運営している団体だ。12年前から毎年春に(昨年は震災のため秋に延期)中国を訪問して植樹を行なっており、「曽我団」とも称される恒例行事となっている。まあ、一度は行ってみるかと前から思っていたものだ。
第1回から10回までは陝西省咸陽市で行なったが、2011年からは河南省衛輝市に場所を変えて継続している。今回は2回目の衛輝市で植樹の後、後半は雲南省の観光。4月19日から24日まで、国会開会中に平日4日間も休むのは気が引けないでもないが、まあいいや。ちなみに自費参加だから、3人分60万円強です。とほほ。
4月19日は移動日。羽田→上海→鄭州→新郷。
4月20日は朝から植樹。衛輝市の唐荘鎮西山というところ。
河南省衛輝市植樹現場
植樹現場。結構手が入っていて、植えるばかりになっている。しかも実はすでに地元の農民の方々が穴を掘って、苗木を準備してくれている。あとは土をかぶせるばかりという至れり尽くせりなのだ。
土をかける
それでも高齢者が多いのでへろへろになっている人もいる。子どもはすぐに飽きてしまって、あたりを走り回るだけ。結局、農民の方に手伝っていただいた部分が非常に多く、マンパワーとしてはわざわざ日本から行ったほどの意味はないなぁ。日中友好という理念を大切にしましょうということだな。
38名の訪中団
御年86歳の曽我団長以下、最年少が10歳のうちの娘、全部で38人の訪中団。迷子にならなうよう、このどぎつい緑のジャンパー着用が義務づけられ、うちの家族にはかなり不評だ。
この後、衛輝市の唐荘鎮西山コミュニティ小学校を訪問し交流。文房具やサッカーボールなどを寄贈する。立って話しているおじいさんが曽我さん。
唐荘鎮西山コミュニティ小学校
その後、衛輝市内で市長の歓迎宴。鄭州に戻ってから、空港近くの凱芙建国ホテルで河南省の外事弁公室副主任の宴。中国の政治家の一つのパターンだが、どちらとも「カンペー、カンペー」ってご機嫌でどんどん飲む。酒に強くないと中国の政治家は務まらんなと思ったが、実際は下戸の人もおり、物静かな人も、謹厳実直なタイプもいるそうで、まあそりゃそうですな。河南の郭副主任には「北国の春」をアカペラで披露していただきました。なかなか上手。
21日は移動日。鄭州→昆明→麗江。
回るテーブル
麗江で夕食。子どもは回るテーブルが好き。まあ、僕も好きです。回るの。その後、古城の中のホテルまで、ガイドさんに古城内を引き回される。
僕は9年前にも麗江・古城に来たことがあるのだが、だいぶ観光地化が進んだ印象。派手な音楽を鳴らしているバーがならび、ケンタッキーとかハーゲンダッツとか外資系の店舗が多くなったような気がする(←厳密に数えたわけではない)。世界遺産になって、豊になった中国人のあこがれの観光地になっているとのこと。
麗江古城で
ナシ族が他の少数民族の影響を受けながら作り上げた麗江・古城。趣のある景観を再び見るのを楽しみにしていたのだが、テーマパーク化が進んだ感じで少しさびしい。ホテルに着いたのは11時過ぎでみなへろへろ。
20元の織物を買う
翌朝は玉龍雪山へ。娘は古城の路上で売りつけられた20元の織物を羽織ってご機嫌です。玉龍雪山は結構寒いのでちょうどよかった。
以前は直接車で麓に乗り付けて、スキー用のリフトのようなもので山頂近くまで行ったと記憶しているが、世界遺産になって観光客が増えたとかで施設もかなり整備され、輸送力が増強されている。だいぶ手前で「エコバス」に乗り換えて麓に行って、8人乗りのゴンドラで上って、そこから電動カートに乗る。いちいち行列でなかなかすすまんのです。
玉龍雪山でヤク牛
9年前に来たときとは様変わりで驚く。建物の表示によると、2008年頃にリニューアルしたみたい。ヤク牛がうろうろしているのはかわらない。
玉龍雪山
後ろが玉龍雪山。ナシ族の信仰の対象でもある。標高は5596メートルでシャングリラより低いものの急峻な地形のため人類未踏の処女峰だとのこと。ロープウェーや電動カートで上れるのは4500メートまで。さすがに結構寒いです。9年前に来たのは8月で、同じところまで来たのだが、霧がかかっていて玉龍雪山の山頂は見えなかった。今回はハッキリ見えたので運がいいらしい。
玉龍雪山から下りて白沙へ。有名な壁画を見た後、街を散策。街中の食堂で昼食をとる。
白沙
昼食後は美術品を売っている店によってから東河古鎮へ。距離的にはすぐそばのようで、バスで10分程で到着。古城ほどではないけ白沙も東河古鎮も、かなり観光地化しているなぁ。東河古鎮では高倉健の「単騎、千里を走る」のロケが行なわれたそうで、日本人の観光客が増えているんだそうです。
東河古鎮
ガイドさんが「ちゃまこーど、ちゃまこーど」って言ってたがなんだろうと思っていたら、このあたりは「茶馬古道」といって雲南とチベットを結ぶ交易路だったそうな。唐の時代から雲南の茶と、チベットの馬の貿易があって、茶馬古道は「もうひとつのシルクロード」とも言われるらしい。雲南からラサまで2000キロ程の道程だったとのこと。子どもは馬車に乗って大喜びだったが、僕はデジカメを落として壊してしまいガックり。ここからは予備の別カメラ。
翡翠の土産物屋に連れて行かれた後、再び古城に。ナシ族のガイドのお姉さん、すぐに土産物店に連れて行こうとするんだわ。
麗江で夕食のあと、麗江駅に。麗江から昆明までは夜行列車で1泊。10時少し前に麗江駅を出て朝7時頃昆明駅に到着。子連れだからとVIPルームを割り当ててもらったが、それでも狭い狭い。まあ、子どもは大喜びだし、星を見ながら眠る夜行列車の旅も良い経験となった。昆明から30時間以上かけて北京に行くような列車も普通にあるようで、寝台列車はめずらしくないとのこと。
昆明駅
↑昆明駅で大量の荷物を運ぶポーターさんに見とれる。
4月23日。昆明駅近くのホテルで朝食後、西山竜門に。清代に神のお告げを聞いた僧が70年以上かけて作りあげたとかで、道教信仰の中心だと。「竜門」は「登竜門」の語源だそうで、触ると出世するらしい。一応ぐりぐり触っておいた。長い石段を登っていくと、昆明湖を一望する絶景スポットとなる。
目的地の近くまで行って、エコバスに乗り換えて、さらに電動カートに乗り換えてすすむというのは、中国の観光地の最近のパターンになっているような感じだ。歩いて上る信者らしき集団とすれ違う。
西山竜門
この後、バスに乗り石林へ。昆明市街から100キロほど東にある名勝地で、海の底だったところが2億7000年かけて隆起した石灰岩のカルスト台地だ。長年の風化で石の林のようにも見え、2007年には世界遺産に認定されている。
石林
とにかく、ものすごい人。昆明からバスで1時間以上かかり、さらに電動カートを乗り継いで来るのだが、中心部はどこから来たのか通勤ラッシュの駅のホームのような混雑だ。
石林ではしゃぐ
まあ、石の林のような石林の景色は興味深いもので、一度は見ておいて損はない。こういう機会でもないとなかなかここまで来ないような気もするし。
石林の景色
と、いうことで石林一通り見てから、昆明に帰って最後の晩餐。翌24日は、上海経由で帰国だ。
そもそも5泊6日で、河南省から雲南、麗江というのはかなり苦しい日程だ。移動の時間が長く、1泊は寝台列車泊というハードな旅を、高齢者中心のこの訪中団でよくやったなというのが正直なところ。受け入れてくれた中連部(中国共産党中央対外連絡部)には相当なご苦労をおかけしたかなーと思います。ありがとうございました。
僕は9年前に北京、上海と雲南・麗江に来たことがあるのだが、その時と比べてだいぶ変わったように感じた。全体に人が多くなって、どこに行っても混雑がひどい。人口が急に増えたわけではないので、やはり経済成長によって観光に行く人が増えてきたというのは本当だなー、人間の移動が活発化しているのだなーということを実感した。
高度経済成長期の農協旅行のような(←勝手なイメージですが)団体旅行でぞろぞろ歩くのは、団体行動が苦手なつれあいと子どもにぶーぶー言われたけど、僕的にはお任せで気楽な面もあってたまにはアリかな、って感じでした。

変わり者の娘22012/04/01

変わり者の娘の続き。
いつの間にか、小さなパンフレットまで作っていた。
おもろいから黙って載せちゃう。
とくに作れといったわけでもないし、なにも指導してないんだけど。
1ページ
1ページ
2ページ
2ページ
3ページ:5千円って僕が間違って旧子ども手当の額を教えたのでそのまま間違っている
3ページ
4ページ:これ創作
4ページ
5ページ:これも
5ページ
6ページ
6ページ
7ページ
7ページ
8ページ
8ページ
えらい!
皆さん会員になってやってください。

変わり者の娘2012/03/28

 区から子ども手当が児童手当に変わるという書類が来ていたので、子どもに通告したのだ。「子ども手当がなくなった。代わりに児童手当というものが復活する。子ども手当は子どもに支給されていたので、おまえの口座に貯めていたが、児童手当は親がもらうものだからもらっても生活費として使うのだ。もらえる金額も少なくなるし、お母さんがいっぱい稼ぐとそもそももらえないかも知れないのだ。唯一の定期収入がなくなって気の毒だが、政府が決めたことなので仕方がないのだ」、と。
 「政府はどうしてそんなことを決めたのか?」と聞くので、ていねいに説明してやった。
 しばらくほおっとくと、なんかガタガタやっているのでのぞいていると、ポスターつくってる。
ポスター作成中
みんなで抗議しよう! 
子ども手当を返せ! 
野田総理大臣は何をやっているのだ。
どじょうせい治にぜったい反対 
児童手当じゃ
ダメなんだ
私たちに進学させろ!
金がないからとあきらめてい
いのか
 
だって。
野田総理大臣に抗議する会に入りませんか?だと。
署名用紙もつく
って、学校で署名を集めるとのこと。
別に何も指導してないんだけど、こいつ変わりもんだなぁ。
ポスター

極寒のツリーハウス忘年会2011/12/31

 年も押し詰まった12月30日、ツリーハウス村の有志で忘年会を行なった。年賀状も出してないし、掃除もしていないし、もろもろやり残したこともあったけど、忘年会は重要なのでとにかく駆け付けた。年末だし首都高もすいているかと思ったら案外普通に混んでいるし、途中で自転車君を拾ったりしたこともあって、結局到着は8時近く。
ヒロさんハウス前
 すでにハギさんヒロさんは凍えていた。野口さんは体調不良でたどり着けなかった模様。ツリーハウス仲間の忘年会はなんとなく恒例化していて、ここ数年同じようなことをやっている。極寒の河口湖の屋外で忘年会をするなんてほとんど自殺行為なんだけど、焚き火と鍋物とお酒で何とか生き抜くサバイバル感ある忘年会。
 今年は自然暮らし派にとってはとくに深刻な3・11福島原発事故があったこともあって、話題が尽きず、解散したのはたぶん3時半くらい。
カウントダウンパーティ
 翌日は、大晦日。目が覚めたら、昼近く。ヒロさんもハギさんもすでに帰ったあと。片付けもせず申し訳ない。自転車君は夕方までに帰らないといけないとのことなので、河口湖駅まで送る。僕は妻子は実家に帰省中でとくに用もなかったので、自分のツリーハウスの片付けをする。31日~1日まで施設全体でカウントダウンのイベントだというので、時々様子を見ながらという感じ。
自分のツリーハウス下
 
 
 長年、物置のとなりに放置してあった廃材やゴミをこの際、一気に整理する。燃やせるものは燃やして、燃やせないものは捨てた。南側がだいぶスッキリした。
ツリーハウスの玄関
 ハウスの玄関前にコーナンで買ってきた既製品の小さな物置を組み立てて設置。置いてあった材木を中に入れただけなので、見かけだけなんだけど一応、整理できた。軒の下にイスぐらいは置けそう。
年越しソバ
 
 そんなやこんなをしていたら、夕方になってしまったので、売店で蕎麦を買って食う。これが年越蕎麦。残ってカウントダウンしようかとも思ったけど、年賀状も作らないといけないし紅白も見なくてはならないので帰ることに。道路どうかなーと心配だったが、渋滞もぜんぜんなくて、すーすーと帰れました。