沖縄へ家族旅行2011/08/23

 8月18日から23日まで、沖縄に家族旅行に行ってきた。
 ここ数年、恒例となりつつあって、去年は久米島、一昨年は本島・恩納。今年は当初、ばーちゃんやひーばーちゃんを連れて行こうという話があったので、メジャーな名護ということにした。結局、行かなかったのだけど、場所はそのまま喜瀬ビーチパレス5連泊。
ホテル前
 空港近くでパックのレンタカーを借りて昼飯を食ってホテルの到着したのは2時過ぎ。初日は、おとなしくホテル前のビーチで過ごす。宿泊ホテル前。沖縄はさすがに関東より低めで、0.09μSv。東京の半分~3分の1くらい。とりあえず東京の線量も問題ない水準だけど、やはり低い方が安心感がある。
 19日はまず、ネットで評判の良かった東村のウッパマビーチ。
 午後からは今帰仁の古宇利島の時計ビーチ。ここは地味な地元のビーチという感じの静かなところ。古宇利島は、小さな島だけど、橋で本当と繋がってから観光地化して栄えている模様。神話の島だそうで、恋する古宇利島とかでおしゃれなカフェとかが出来ている。
 20日はシュノーケリングとダイビング体験。恩納村の青の洞窟。午前中にシュノーケリングして、一休みしてダイビング体験というプランだ。
いざ青の洞窟へ
 シュノーケリングにつきあわされる犬↓
犬も青の洞窟
 港に戻って1時間ほど休憩後、体験ダイビング。昨年もはての浜でやったけど、背が立つくらいの深さのところだった。今回は結構深いところまで行った。青の洞窟は確かにきれいなんだけど観光スポットとなっているので人が多いのがなー。ってか自分たちもそう思われてんだけど。
青の洞窟でダイビング
 ショップの人が写真を撮って、あとで送ってくれる。なかなかサービスいいです。午後は名護の沖縄そば屋大家に寄ってから、定番の美ら海水族館へ。
 21日は大宜味村の平南川の沢登りです。他の1家族と一緒にガイドさんについて上流へ。目的地はター滝という滝で、一部は泳ぎながら川をのぼる。
ター滝
 ここでもガイドさんが撮った写真を、終了後にその場でCD-ROMにコピーしてくれる。昼頃に終わったので、真栄田岬でシュノーケリング。青の洞窟の陸上側なんだな。ここからもダイビング出来るようになっている。
パラセーリング
 22日はまた恩納に行って、今度はパラセーリング。パラシュートみたいのをモーターボートで引っ張ってもらうやつ。かなり高く上がって、気分爽快。
 午後は名護のネオパークオキナワへ。戦前、沖縄で走っていた沖縄軽便鉄道が再現されて走っている。沖縄には鉄道がないけど、戦前はあったのが沖縄戦で破壊されて再建されなかっただけなんだな。全体は沖縄の動植物を飼育している公園で、あまり脈略がないんだけど、軽便鉄道の関係の展示もある。
 娘が、巨大なカタツムリを見つけて喜ぶ↓。
巨大マイマイ
 23日は、名護市民ビーチにちょっと寄って那覇に。帰る。
 今回は海の底から空の上まで制覇した感じの5泊6日でした。

ツリーハウス手すり2011/08/14

南手すり
 8月13~14日、久しぶりに単身で河口湖に行った。最近はツリーハウスに行くというと、娘が付いてくるときが多いので、単身で行くのは久しぶりだ。子どもが喜んで付いてくるうちがハナかもしれないが、実際にはヤツが来ると作業的なことをする時間がほとんどとれなくなってしまう。
 ということもあって、ちょうど娘が夏休みで母親の実家に帰っているし、他のツリーハウスのみんなも来るというので、久びさに単身で向かった。出がけにヒロさんから河口湖はすごい雨だと聞いたので、ホームセンターで買い物をしたりして、遅めに出発。首都高が渋滞していたこともあって、到着は8時頃。すでに雨も上がり、宴たけなわだったのでまずは加わる。ヒロさん、ハギさん、野口さんファミリー、ららさんの一族など。実は河口湖での宴会は久しぶり。
 夜はツリーハウス下のハンモックで寝たが、深夜になって酔いが醒めたら、寒ーくなってきたので、小屋の中で寝袋に入る。
 翌日は、ハギさんもヒロさんも野口さんも八ヶ岳に行ってしまったので、一人黙々と作業。今回の目的は南側の手すりを作り直して、手すり用に置いてあった小屋入り口の木材を整理することと、小屋の中にいろいろ物が置いてあって使い勝手が悪いので、物置を増設して整理すること。
 手すりをつくろうと思ったら、材木が湿ってるので、日光で乾燥させる。同時にデッキ下にまとめて材木を置いてあった場所に物置を置こうと思って、材木をどける。長年積んだまま放置していた材木が湿気て汚ーくなってるので、展開して乾燥させる。
 ナカジマ君がその辺から拾った木の枝で作ってくれたもとの手すりもなかなか味があって良かったが、いよいよ木が腐ってきてぐらぐらだし、すでに切断・塗装済みの1×4材がじゃまだったということもあって、一気に南辺の手すりをつくる。2~3時間で作る予定が、途中で材が足りなくなって買いに行ったりしてたこともあって、夕方までかかってしまった。
 結局、西側だけは次回送りにして片付ける。物置はどうしようか悩んだが、結局、とりあえず作っておいとくことにした。まだ水平も出してないし、中は空っぽだ。
 お盆休み渋滞は覚悟していたが、小仏まで断続渋滞。10時過ぎに出て1時半着は参った。

被爆66周年原水禁世界大会はじまる2011/07/31

 7月31日、被爆66周年原水爆禁止世界大会がはじまった。今年の大会は、福島大会からスタート。3月の福島第一原発事故を受けて、福島大会を開くことが決まった。
 例年、原水禁大会は8月4日~6日が広島大会、7日~9日が長崎大会というスケジュールが恒例。広島大会前に国際会議を東京・京都や広島などで開いたことや、長崎大会の後に沖縄大会を開いたことはあったが、東北地方で原水禁大会を開くのはもちろんはじめて。今年は、長崎大会後に11日に沖縄大会もある長丁場だ。
 もともと福島第一原発事故への対応でてんてこ舞いのところ、急遽決まった初めての大会受け入れ、さらにこの日は震災の影響で遅れた福島市議会議員選挙の投開票日。大丈夫かいな、と実は思っていたんだわ。全国からの参加者にはフィールドワークなどの企画もあったが、僕はとりあえず日帰りで様子を見に行ってきた。
 13時から、福島駅からも近い「街なか広場」で、「放射能のない福島を返せ!原発のない福島を求める県民集会」。福島県平和フォーラムが主催したもので、前段集会的な位置づけだ。雨が降ったり止んだりのあいにくの天気の中、会場一杯の1700人が集まった。
県民集会
 お約束の、福島県平和フォーラムの竹中柳一代表の主催者あいさつ、原水禁国民会議の川野浩一議長の連帯あいさつに次いで、各地からの現状報告。計画的避難地域に指定された飯舘村の青年、警戒区域になった浪江町から南相馬市に避難している教員、郡山市の母親から報告。今後の運動提起を原利正・県平和フォーラム事務局長が行なった。
 いやいや、盛況なのはいいが、入りきらない人が会場からあふれている。ステージの音も後ろの方だと今ひとつ聞き取れないし。ちょっと、会場が狭かったんではないべか。全国から社民党の仲間や原水禁の仲間が集まっているので、うろうろしながら世間話をして歩く。
 集会アピールの確認後、繁華街を一周するデモ行進。集会には、韓国、台湾、タイ、インドなど、アジア各国からも活動者が参加していたとのこと。
平和行進
 本大会は15時から、駅前の辰巳屋ホテル・ホール。黙祷の後、川野浩一原水禁議長、竹中柳一・県平和フォーラム代表のあいさつに次いで、藤本泰成原水禁事務局長からの大会基調提起。双葉地区原発反対同盟の石丸小四郎さんの現地報告に次いで、作家の鎌田慧さんの講演「福島第一原発事故のもたらしたもの~3・11以降の世界」。
 鎌田さん、木訥となかなかいい話。広島に原爆が落とされても日本はすぐに戦争を止められず、長崎にも原爆が落とされてしまった。われわれも福島原発の事故を見ても、原発を止められていない。また事故が起きてからでは遅い」と、『さようなら原発1000万人アクション』の署名や9・19集会への参加を訴えた。関係ないけど、田さんの『日本の原発地帯』を、20年以上前に読みました。名著です。僕の原発理解の基本になっています。
鎌田慧
 鎌田さんの話の後、3人から連帯メッセージ。
 長崎で被爆した奥村英二さん(長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会事務局長)、1954年にビキニ環礁でヒバクした大石又七さん(元第五福竜丸乗組員)、チェルノブイリ原発事故の被災者支援をするアントン・ブドビチェンコさん(NGOラジニシ・チェルノブイリの子どもたち)らが発言。時間が短かったのが残念でしたが、、みなよい発言でした。
会場風景
 参加者850人。会場は超満員で、最前列の前にまで座り込む。資料も足りない。
 震災に加え、市議会議員選挙の投票日ということもあって、公的な場所が借りられず、大きい会場が確保出来なかったのこと。こうギュウギュウでは困るけど、まあスカスカよりはいいかな。
 広島大会まで数日あるので、いったん帰る人がほとんどのようだけど、流れていく人にとっては12日間の長い長い原水禁大会。ぜひ成功させたい。 

ナターシャ・グジーさんと弓道場2011/07/18

 7月18日にツリーハウス村のヤスエさんが「楽園」の近くに作った弓道場のオープニングとのことだったので、様子を見に河口湖に行ってきた。娘と、娘の友達が付いてきた。夜は行くだけでサッサと寝て、午前中に多少は作業をして、弓道場でバーベキューに参加して、帰る予定で。
 17日の夕方に着くと、ちょうど7時からナターシャ・グジーさんのミニコンサートをするということだったので、参加させてもらうことに。「森と湖の楽園」では東日本大震災で被災した福島の子どもたちを受け入れていて、みんなでキャンプ生活をしているのだけど、この「キャンプ・キッズ」たちを元気づけるために企画されたものだ。
 ナターシャ・グジーさんはウクライナ生まれの歌手、パンドゥーラ奏者。チェルノブイリ原発から3・5キロのプリピャチ市に住み、6歳の時にチェルノブイリ原発事故で被ばく。避難生活で各地を転々として、キエフ市に移住した経験を持つ。2000年から日本で本格的な音楽活動を開始し、チェルノブイリ事故の実情と被災地の子どもたちの救済を訴えてきた。
ナターシャ・グジーさん
 1時間ほどのコンサートだったが、60本以上も弦があるバンドゥーラが紡ぎ出す独特の音色と、ナターシャさんの透明な歌声、チェルノブイリ事故後の生々しい体験に聞き入る。うちのガキどもには猫に小判、豚に真珠で、暑いとか、のど渇いたとか、遊びに行こうとかうるさいので4曲目位で放逐してしまったが。
 その後は、温泉に行き、ファミレスで食事をして、就寝したら11時近く。ツリーハウスの中で寝袋で寝た子どもたちは、2時頃に起き出してキャーキャー騒ぎ出す。ハンモックで寝るとか言って寝床をチェンジ。僕がうつらうつらしている間もずっと起きていたようで、4時頃から腹減ったとか、起きて遊ぼうとか、騒ぎ出す。ついには隣のツリーハウスの人から、少し静かにしてくれと怒られて大恐縮。4時とか5時からぎゃぎゃー騒ぐんじゃねよ。<BR>
ハンモックから
 結局、子どもたちはそのまま起きてしまったので、僕はしばらくハンモックでのんびり。河口湖は昼は都内と変わらない暑さだけど、朝方は結構冷え込む。
ブランコにのる
 朝食はレトルトのカレーとご飯で済ませる。加熱するだけで料理とはいえないが、薪を拾い集めて火を起こすところから始めるので、実は結構時間がかかるんだわ。結局、遊び相手で作業など何も出来ないうちに午前中終了。
弓道場から
 ヤスエさんの弓道場は「楽園」のすぐそばだが、道がないので車で5~6分ぐるりと回り込まないと行けない。本当のなにもない山林に、木を切って平地を作って、弓道場一式が整備されている。すげーよ。ヤスエさんは温厚で物静かな紳士然とした人なんだけど、いつの間にかこんな力業で弓道場を作っちゃうなんてすごい。ツリーハウスも、いつまでたっても完成に至らない僕らのとこと違って、てきぱき立派なヤツを作られたのだが、とにかくすごいよ。
弓道場
 ということで、バーベキューをごちそうになる。
 弓も少しやらせてもらったけど、なかなか奥が深い感じ。年をとっても出来そうなスポーツだし、精神修養にもなりそうだ。
 ヒロさんやハギさんたちも開墾の作業後に合流する予定だったが、結局、来れないようなので3時過ぎで引き上げた。連休最終日の大渋滞も予定されたので、サッサと帰った次第。

ロマンさんが逝く2011/06/29

真ん中が深沢さん
 ロマンさんこと、深沢宣夫さんが亡くなった。自ら「男のロマン」と名乗るかっこいいオジさん。
 富士山麓の山荘にツリーハウスを建て、夏はサーファー、冬はスノーボーダー。四輪バギーを乗り回し、チェーンソーカービング。そしてなによりパラグライダーで空を飛ぶことが好きな人だった。
 最初は、ツリーハウス仲間のヒロさんが知り合って、河口湖のツリーハウス村に連れてきてくれた。
 「深沢山荘」にも泊めてもらったことがあるが、手作りでドンドン拡張しいていった秘密基地のような山荘は、まさに男のロマンをくすぐる場所だった。いつもパラグライダー仲間が集まってわいわい楽しい山荘だった。
 そのロマンさんが亡くなったという連絡をもらったのは6月29日の夕方。ウソだろー、そんなわけないだろーと思っていたらニュースが流れてきた。マジかよ-。
 つい1月前には、塩山の開墾地に来てくれて、チェーンソーカービングを披露してくれた。新しくジャングル開墾に来てくれた、板垣君にチェーンソーを教えて、新弟子だ新弟子だって喜んでいたのに…。 こんど、パラで飛ばしてくれと約束したのに…
 フカザワじゃねーぞ、フカサワだー。って、酔っ払って盛り上がってた姿が、ついこの間のことじゃない。
 あまりにも突然で、ウソみたいだけど、深沢さんらしいと言えば深沢さんらしいのかも。空を飛んで逝ったのも…。
 僕も、深沢さんくらいの年になったら、深沢さんのように生きていたい。男のロマンさんこと深沢宣夫さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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パラグライダー墜落、男性死亡 静岡・富士宮市

29日午前11時25分ごろ、静岡県富士宮市猪之頭のスカイ朝霧で、山梨県富士河口湖町富士ケ嶺、無職、深沢宣夫さん(66)のパラグライダーが墜落、深沢さんは胸を強く打って搬送先の病院で死亡した。静岡県警富士宮署で事故原因を調べている。
 調べでは、深沢さんが着陸しようとした際、立木に引っかかり、約5メートル下の地面に転落したとみられる。深沢さんは午前10時半ごろからパラグライダーをしていたという。
6月29日(水)17時5分配信

コンピュータ監視法が成立2011/06/17

 「ウイルス作成罪」の創設を柱とする刑法改正「情報処理の高度化等に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」が6月17日午前、参院本会議で与党などの賛成多数で可決、成立した。
 過去3回廃案になった共謀罪法案の一部を切り出し、ウイルスの作成や保管自身を処罰対象にする。通称「コンピュータ監視法案」だ。サイバー犯罪条約に関する国内法と位置づけられる。
 定義の曖昧なままコンピュータ・ウイルスの「作成・保管」を処罰対象に加えることで、市民のPCを監視する広範な網が張られることになりかねない問題法案で、市民や関係者から厳しい批判の声が出されていた。
 共謀罪法案は、犯罪に着手する前の「共謀」自体を犯罪とすることが最大の問題だが、その意味ではコンピュータ監視法案も同じ。日本の法律は犯した犯罪を処罰するのが原則だが、この原則が忽せになる。人を殺せば殺人罪。殺そうとして失敗したり途中であきらめれば殺人未遂罪。殺そうとして凶器を用意すれば殺人予備罪になる。しかし殺したいと思ったり、「殺してやろうぜ」と話し合っただけでは犯罪ではない。この「殺してやろうぜ」と話し合うことを、犯罪にしてしまうのが共謀罪。国会審議では「目配せ」や「まばたき」、「うなずき」も暗黙の「共謀」にあたるとされ、厳しい批判にさらされた。
 「コンピュータ監視法案」も、コンピュータ・ウイルスの作成や保管自身を犯罪化する。日々、ウイルスにさらされているだけの一市民としては、ウイルスを作ることを罰して何が問題なのかと普通に思ってしまう。が、これが危うい。法でウイルスは「不正な指令を与える電磁的気録」 と表現されるが、何が不正なのかの定義はあいまいだ。例えば自分で書いたプログラムのできが悪くて予定通り動かず間違った指令を与えるものができたらどうなるのか。犯罪とこじつけられる可能性がありうるのである。不正な指令を出すコンピュータプログラムが、悪意のあるウイルスなのか、失敗作や不良品なのかの線引きは難しい。プログラマーが萎縮し自由な開発ができなくなる恐れも指摘されている。
 さらに問題なのは、作成段階で処罰しようとすれば、市民のコンピュータ情報を幅広く監視する必要が生じることだ。法案の原案は、捜査のためにプロバイダー(通信事業者等)に対して通信履歴を90日間保存することを要請できるとしていた。捜査当局から「要請」されれば事実上断ることは困難で、半強制的に通信履歴を保存させられることとなるだろう。この際、裁判所の令状も対象者への通知も必要が無く、捜査当局の裁量でネットを流通する情報が何でもかんでも収集されていくことにもなりかねないのである。
 また現行法上、差し押さえされるものは実体のあるもの(PCやCD-ROMなど)に限られるが、コンピュータ監視法案では、データを差し押さえるという概念が導入される。通常差押許可状には、場所と物を特定し明示することが求められるが、電気回線で接続された罰のコンピュータに保存されたデータを複写して差し押さえることは、令状主義を潜脱するものだ。
 なお、日弁連等から懸念が表明されたことを受け、若干の修正が行なわれた。修正の内容は、①対象となるウイルスを「作成、提供、供用、保管する行為」を「正当な理由がない」場合と明記したこと、②差し押さえ対象を「当該電子計算機において作成若しくは変更をし、又は変更若しくは消去をすることができることされている」電磁的記録に限定したこと、③通信履歴の保存を要請できる期間を90日→60日に短縮し、この要請を書面で行なうことを明記したことなどである。
 これでは本質的な危険はかわらない。当初、早期の成立は困難とみられていたが、今国会冒頭で法務省提出予定法案のなかでの優先順位が上がり、とんとん拍子で成立に至った。
 現行法上でもウイルスを使用し被害が生じれば器物損壊で罰せられるのであり、この改正を急ぐ必要はなかったのである。社民党はこの改正に反対してきたが、衆参ともに法務委員がいないこともあって、有効な手立てを打つことが出来なかった。残念です。
 今後、正当な理由なくウイルスを作成したり、ばらまいた場合は3年以下の懲役または50万円以下の罰金。取得・保管の場合も2年以下の懲役または30万円以下の罰金となる。

ディズニーランドは混んでいた2011/06/06

イッツ・ア・スモール・ワールド前
 6月8日が娘の誕生日。誕生日にディズニーランドに行きたいと言っていたので6月6日に行ってきた。運動会の振替休日で学校は休み。
 震災やら液状化やら節電やらということもあって、しばらく前に行った人からガラガラだったと聞いたので、これはチャンスと思ったのだが、ぜんぜんウソ。超混んでいて、いきなりチケット売り場で3~40分も並ばされて、ようやく入園したら10時半過ぎ。何だよー、話が違うじゃん。実際エレクトリックパレードが、別の企画に変わっていたぐらいでほとんど以前と変わらない感じ。エリア限定の「いまだけおトクなパスポート」6200円→4900円の期間だったこと災いしたかも。
 定石どおりに、子供と母親をカリブの海賊に行かせて、ビックサンダーマウンテンのファーストパスをとったが、指定時間は1時25分~。次のファーストパスをとれる12時35分にはスペースマウンテンも、スプラッシュマウンテンも、プーさんも全部全部終わっていて、結局、この日はファーストパスは1回しか使えなかった。
 しょうがないから、ウエスタンリバー鉄道に乗って、ジャングルクルーズに乗って、ビックサンダーマウンテンでファストパスを使ってから、トムソーヤ島に渡って時間をつぶす。
 救われたのは、スプラッシュマウンテンにシングルライドというのが出来ていて、奇数の組の空いた1席にバラバラで乗るのでよければ、ファーストパス扱いにしてくれるというもの。「シングルライドで」、って言うだけでファーストパスの列に入れてくれるので便利です。それでもなおかつほとんどの人が行列に並んでいるのは、ディズニーランドの客が単にアトラクションに乗るために来てるんじゃないってことかなー。確かにデートに来たら、待ち時間が少ないからバラバラでアトラクションに乗ってこようね、バイバイってことにはならないもんね。
 今回はじめて「スルーフットスーのダイヤモンドホースシュー」なるディナーショーに行った。1万3000円強もかかったが、まあまあ。TDL、結構来てるが、まだまだ行ったことのないところがあるな-。

ジャングル開墾、植樹祭2011/05/22

 5月21日・22日、塩山のジャングル開墾地で、いよいよ植樹祭。
 開墾といっても、実際はヒロさんたち地元組におまかせ状態で、僕らは時々様子を見に行って少々手伝ったくらいなので「開墾しました!」というのも気が引けるのだけど、まあ勘弁していただいて。
 この日は、千葉から参加の学生さんを拾って、4人で向かう。案の定、八王子の先は相模湖あたりまで断続的に渋滞していたが、我慢強く進む。後で分かったが野口さんの車は1時間程前に小仏トンネル付近にたどり着いていたようだが、耐えきれずに一般道に下りたために結局は僕らより到着が1時間弱程度後になった。僕もいつも悩むんだけど、よほどひどい渋滞じゃなければたいていは我慢してそのまま行った方が早いというのが、最近の結論。まあ、運みたなところがあるが。
野草カレー
 到着は13時頃。一応、11時集合で、昼飯を作り始める日程だったので、ちょうど食事ができあがった頃でした。全ての準備を先着組にさせてしまったようで、ちょっと申し訳ない感じだが、ありがたくいただく。野草カレー、なかなかうまい。
全景
 前回来たのは1月末で、草をようやく刈り倒したところだったが、この間、重機を入れて根の塊を掘り返して、ある程度耕して、かなり畑らしくなっている。
チェーンソーカービング
 朝霧高原から深沢さんも来てくれて、チェーンソーカービング教室。弟子入りした初参加の学生・板垣君に熱血指導中。
穴を掘ります
 うちの娘も穴を掘ります。とりあえず、持参したデコポンを植えるための穴。でも、これは一瞬の姿、すぐに飽きてしまったので。
箱乗りで移動
 3時くらいで引き上げて二手に分かれ、僕らは大菩薩の湯(温泉)へ。夕食は、いつものように古民家で。 
古民家の縁側
 最近、縁側ってあまりないな。子供の頃はよく寝転んでボーッとしていたものだけど。上条の古民家は、養蚕農家だった住宅を、なつかしい佇まいを残しながら改築したもの。高台にあるので縁側からの景色がいい。
古民家から
 いつものように夕食懇親会。とれたての野菜をいたいて、たらふく食う。子供が多いので賑やかだ。大人は深夜まで飲み会。
古民家夕食懇親
 NPOが運営していて宿泊代2000円、貸布団1000円とごくリーズナブルだが、うちの娘はさらに貸布団代を節約するため寝袋で寝ると宣言。布団の手配は大人分だけ。ところが暴れ回ったあげく、いきなりダウンして寝てしまったので布団をとられてしまった。
開墾
 翌朝はコメリに立ち寄って追加で植える苗木を買って現地へ。この日だけ参加の人も何人かいるが、ハギさんたちは1日目で帰ったので同じくらいかな。
開墾です
 めいめい木を植えるための穴を掘るります。
植樹用に穴掘り
 石がたくさん埋まっているので、少し大きめに穴を掘って埋め戻す感じ。
植樹用穴掘り
 石を掘り出す作業は意外と楽しいらしくて、子どもたちは結構熱中している。こっちをもっと掘れとか、そっちの端にスコップ入れてぐらぐらさせろとか、うるさいけど。
石がたくさん出てくる
 でかい石を掘り出すとご機嫌。このクラスの石がゴロゴロ埋まってる。耕作放棄地だから、大昔は田んぼだったはずなんだけど、なんでこんなに石が埋まってるのかは不明。
植樹です
 うちは東京から持ってったデコポンに加えて、イチジク、ピーマン、トマト、バジル、コーンを植えた。ピザにするつもりとのこと。
木で遊ぶ
 ということで、植樹は終了。
 昼飯のバーベキューをはじめたが、ポツリポツリと雨が降り出したので、撤収。古民家で昼食をとることに。自転車君がなかなかこないと思ったらパンクしてたらしい。
 夕方まで、ああだこうだだべっていて、再び温泉に立ち寄って帰途。渋滞は相変わらずだが、10時くらいには帰り着いたので、まあまあマシな方でしょう。

森と湖の楽園で「生きるチカラ」2011/05/05

 GWの行楽で5月4日~5日に河口湖「森と湖の楽園」のツリーハウス村に行った。
 毎年、GWは連合メーデー、全労協メーデー、憲法記念日の行動、等々があって実は必ずしも休みにならない日が多い。今年は、震災対応とかで休日に予算委員会をやったり、国会自体が動いていることもあって、それ以外の休日も交代で勤務となってしまった。で、結局は今年も近場で済ませることに。
特大ブランコは大人気
 うちと中島君一家、赤ちゃん連れの義妹夫婦と、僕の友人夫婦2組、妹一家であわせて18人の参加(妹一家と友人夫婦1組は日帰り)となった。他のツリーハウスの住民も大勢来ているし、ガンコ山の野口さん一家なども遊びに来られている。
清水国明オンステージ
 加えて、今年は「森と湖の楽園」で被災地の子どもたちを受け入れていることもあって、かなり賑やか。子どもたちを元気づけようということで5月3日~5日は、東日本大震災復興支援チャリティイベント「生きるチカラ」ボランティアフェスティバルを開催中。
 清水さん自身の歌や、ウクライナの歌手ナターシャ・グジ―さんのコンサートが好評だ。チェルノブイリ原発の3.5キロ地点で暮らしていたナターシャさんは、事故の後、3日で帰れるといわれて家を出され今も故郷に帰ることが出来ない。子どもたちが次々と病気になり、結婚して生んだ子どもには障害があって…、いう体験をしてきた。チェルノブイリの体験を伝えるために歌い続けているとのこと。初めて実物のナターシャさんを見た。
バーベキュー
 夜はワンパターンだけど、バーベキューと焼ソバ。近隣のツリーハウス住民と合同でやろうかという話もあったが、人数が多すぎるのでそれぞれ食ってから懇親することに。僕らは施設の和室で宿泊。旅館と変わらないので、寒さや虫が苦手な女性陣や子どもも平気。ちなみに人数オーバーのため僕だけ自分のツリーハウスに泊まる。
ハンモック
 今回、初めて張ったハンモックが子どもたちには大人気。もともと安物のハンモックもどきが取り付けてあったのだが、そちらは場所も悪かったしあまり人気が出なかった。
大人気の大ブランコ
 もともと大人気の大ブランコ。高さ6メートルのところから降ろしているので、振り幅が大きい。これをやったら普通の公園のブランコなんか乗れない…、と言う人が多い。
タイヤ付きロープ
 木から古タイヤをぶら下げてるだけだが、こちらもなかなか根強い人気。高低差のあるところについているので一人で遊べるのがぐー。ブランコだと、押して押してとえんえんといわれ続けることになるので。
火を囲む
 赤ちゃんのアウトドア体験、大丈夫かと思ったが結構平気。うちの娘もそういえばゼロ歳児からテント生活させていたわ。
コカリナも5周年
 コカリナのお店も5周年。いつもおいしいコーヒーをありがとうございます。
 帰りはGW中で渋滞も予想されたので、温泉に寄って食事をしてから帰る。9時頃出たが、小仏~相模湖~談合坂は大渋滞で、帰り着いたのは12時少し前でした。

ツリーハウスに手すり追加2011/04/30

 今年になってツリーハウスに行っていなかったのと、GWにみんなで行くことにしたこともあって、4月30日に「楽園」に行ってきた。GWに行ってみたら、地震で潰れていたなんていうのも困るし。子どもと母親はGW前半は岡山の実家に帰っているので、動きやすかったので。
 「楽園」では東日本大震災で被災した子どもを受け入れているのでまあまあ賑やかだが、ツリーハウスの仲間は5月3日~5日のイベントにあわせて来ることにしているので、誰も来ていないようだった。
 淡々と片付けをして、少し時間もあったので手すりを追加することにした。小屋の前に手すり用に切った材が置きっぱなしになっていて使わないとなかなか片づかないうえに、階段前の手すりがないのは前からの懸案でGWに子どもが来る前につけておいた方がいいかと思ったので。
階段前の手すり
 ほとんどの材は切って塗装もしてあったので、すぐ出来るだろうと思ったのだけどいろいろ問題が。まずインパクトドライバーが使えない。しばらく使ってなかったのでバッテリーが劣化していて20本も打たないうちに交換しなくちゃならない。充電に30分かけて、すぐ交換しなくちゃならないんじゃぜんぜん進まない。えーい、と思って買いに行く。
インパクトドライバー
 近くのくろがねやに行ったらなぜか営業していないので、Jマートへ。都合よく7980円のセットが売っていたので、ついでに若干のツーバイとあわせて買ってくる。バッテリーが同じ型なので前のヤツと共用で使えてラッキー。ちなみに、後で分かったが、くろがねやは別の場所でリニューアルして営業していた。
手すり
 なんだかんだで3~4時間かかって、階段前・小屋前面と側面の手すりをつける。一部、塗装されてなかったりして見た目は悪いが一応、子どもの体重くらいは受け止められそうだ。
手すり
 北側は途中までだけど、まあ大丈夫かな。少なくともなにもないよりマシ。あたりはすっかり暗くなってしまった。
小屋の前
 小屋前の材は3分の1ほど片づいた。まだ南側の一番長い手すりがあるので、まだ残っているが、少しだけすっきりした。
 国道139沿いの温泉・泉水によって、ラーメンを食って帰る。渋滞はぼちぼちあったが、まあまあスムーズに帰れた。