コンピュータ監視法が成立 ― 2011/06/17
過去3回廃案になった共謀罪法案の一部を切り出し、ウイルスの作成や保管自身を処罰対象にする。通称「コンピュータ監視法案」だ。サイバー犯罪条約に関する国内法と位置づけられる。
定義の曖昧なままコンピュータ・ウイルスの「作成・保管」を処罰対象に加えることで、市民のPCを監視する広範な網が張られることになりかねない問題法案で、市民や関係者から厳しい批判の声が出されていた。
共謀罪法案は、犯罪に着手する前の「共謀」自体を犯罪とすることが最大の問題だが、その意味ではコンピュータ監視法案も同じ。日本の法律は犯した犯罪を処罰するのが原則だが、この原則が忽せになる。人を殺せば殺人罪。殺そうとして失敗したり途中であきらめれば殺人未遂罪。殺そうとして凶器を用意すれば殺人予備罪になる。しかし殺したいと思ったり、「殺してやろうぜ」と話し合っただけでは犯罪ではない。この「殺してやろうぜ」と話し合うことを、犯罪にしてしまうのが共謀罪。国会審議では「目配せ」や「まばたき」、「うなずき」も暗黙の「共謀」にあたるとされ、厳しい批判にさらされた。
「コンピュータ監視法案」も、コンピュータ・ウイルスの作成や保管自身を犯罪化する。日々、ウイルスにさらされているだけの一市民としては、ウイルスを作ることを罰して何が問題なのかと普通に思ってしまう。が、これが危うい。法でウイルスは「不正な指令を与える電磁的気録」 と表現されるが、何が不正なのかの定義はあいまいだ。例えば自分で書いたプログラムのできが悪くて予定通り動かず間違った指令を与えるものができたらどうなるのか。犯罪とこじつけられる可能性がありうるのである。不正な指令を出すコンピュータプログラムが、悪意のあるウイルスなのか、失敗作や不良品なのかの線引きは難しい。プログラマーが萎縮し自由な開発ができなくなる恐れも指摘されている。
さらに問題なのは、作成段階で処罰しようとすれば、市民のコンピュータ情報を幅広く監視する必要が生じることだ。法案の原案は、捜査のためにプロバイダー(通信事業者等)に対して通信履歴を90日間保存することを要請できるとしていた。捜査当局から「要請」されれば事実上断ることは困難で、半強制的に通信履歴を保存させられることとなるだろう。この際、裁判所の令状も対象者への通知も必要が無く、捜査当局の裁量でネットを流通する情報が何でもかんでも収集されていくことにもなりかねないのである。
また現行法上、差し押さえされるものは実体のあるもの(PCやCD-ROMなど)に限られるが、コンピュータ監視法案では、データを差し押さえるという概念が導入される。通常差押許可状には、場所と物を特定し明示することが求められるが、電気回線で接続された罰のコンピュータに保存されたデータを複写して差し押さえることは、令状主義を潜脱するものだ。
なお、日弁連等から懸念が表明されたことを受け、若干の修正が行なわれた。修正の内容は、①対象となるウイルスを「作成、提供、供用、保管する行為」を「正当な理由がない」場合と明記したこと、②差し押さえ対象を「当該電子計算機において作成若しくは変更をし、又は変更若しくは消去をすることができることされている」電磁的記録に限定したこと、③通信履歴の保存を要請できる期間を90日→60日に短縮し、この要請を書面で行なうことを明記したことなどである。
これでは本質的な危険はかわらない。当初、早期の成立は困難とみられていたが、今国会冒頭で法務省提出予定法案のなかでの優先順位が上がり、とんとん拍子で成立に至った。
現行法上でもウイルスを使用し被害が生じれば器物損壊で罰せられるのであり、この改正を急ぐ必要はなかったのである。社民党はこの改正に反対してきたが、衆参ともに法務委員がいないこともあって、有効な手立てを打つことが出来なかった。残念です。
今後、正当な理由なくウイルスを作成したり、ばらまいた場合は3年以下の懲役または50万円以下の罰金。取得・保管の場合も2年以下の懲役または30万円以下の罰金となる。
福島第一原発事故概況 ― 2011/03/16
ついには当初、定期点検で停止中だった4号炉まで、火をふいてしまう始末。 あっちもこっちもトラブルで、すでに何が何だかわからなくなっているのが正直なところ。服部良一事務所森原秘書が、現状を便利な一覧表にまとめてくれたので参考まで掲載した。(3月16日朝現在)
こういうのがあったら便利だと思っていたのだが、刻一刻と状況が変わるのでなかなか作れずにいたもの。(クリックで拡大します)
適宜更新される予定なので最新版は下記から見て下さい。↓
福島第一原子力発電所等の事故概況(服部良一事務所)
東北関東大震災を受けた国会対応について ― 2011/03/14
2011年度予算関連法案のうち、3月末で効力が切れる税の減免措置等を延長する「つなぎ法案」や、統一地方選の日程変更のための法案が審議される見通し。13日午後に民主党の安住淳国対委員長と会談した自民党の逢沢一郎国対委員長は国会審議への協力に応諾し、予算関連の地方交付税法改正案にも賛成する考えを表明した。税減免のつなぎ法案と地方交付税法改正案の年度内成立は確実となった。
社民党も原則合意。統一選の日程については一律ではなく地域の事情に応じた対応とすること、予算関連法案については審議日程については協力するが賛否については従来方針通り個々の内容に応じて判断することを確認した。
――――――――――――――――――――――――――――――
東北関東大震災を受けた国会対応について、政府与党として次のとおり要請する。
1、被災地住民の生活の復旧を優先するため、臨機応変、迅速かっ柔軟な国会対応を行うこと。阪神淡路大震災時の対応にならい、確定申告、旅券、免許更新の延期など生活支援に関わる法律改正が必要となる場合は早急に対応する。
2、平成23年度予算案を速やかに成立させていただきたい。審議日程など具体的な方策については、各党間で協議したい。
3、統一地方選の日程を延期するための特例法案を検討しており、週内の成立をめざしたい。
4、予算関連法案のうち、以下に掲げるものについて、年度内成立を期すため、審議日程の短縮などあらゆる面で各党の協力を要請したい。
①国税つなぎ法案、関税定率法、 IMF加盟法、金融円滑化法
②地方税つなぎ法案、地方交付税法、公害財特法、 NHK予算
③子ども手当つなぎ法案
④内閣府設置法
⑤ HNS協定、在外公館法
⑥教職員定数法
⑦家畜伝染病予防法
⑧踏切道法、港湾法
5、政府に対する各議員からの個別の問い合わせは、当面できるだけお控えいただきたい。
6、政府に対する質問主意書の提出は、当面できるだけお控えいただきたい。また、すでに提出されている質問主意書に対する答弁が遅延することについてもご了承願いたい。
7、3月中に提出予定の閣法については、提出時期を 4月以降に延期するのでご了承願いたい。
防衛省の「政治的中立」について ― 2010/11/24
北沢俊美防衛相は、記者会見で「自衛隊法に基づいて対応しているだけで政治的な意図は全くない」、「シビリアンコントロールの機能を心がけている立場からすれば当然のことだ」と述べ撤回する考えがないとした。仙谷由人官房長官は参議院予算委員会で、「暴力装置でもある自衛隊はある種の軍事組織だから、特段の政治的な中立性が確保されなければならない」と答弁した後、暴力措置との表現を「不適当だった」として謝罪したが、通達については「自衛隊の政治的中立を疑わせる発言は慎んでほしいとの要請で、検閲にはならない」と述べ、問題としない考えを示した。
強大な力を持つ自衛隊組織が政治的中立性を確保し、シビリアンコントロール(文民統制)を徹底する必要があることは当然。しかし、今回問題にしているのは民間人の行為であり、いかに自衛隊施設内とはいえ、これを検閲しようとすることは表現の自由を損なうものと言わざるを得ない。自衛隊法が定める政治的行為の制限は自衛官の行為に対する制限であり、「誤解を招く」として外部の民間人にまで適用範囲を広げようとすることは筋違いだろう。
2010年2月に陸上自衛隊の一等陸佐が鳩山前首相を揶揄する訓示を行なったことが報道され事実上更迭されるという件があったが、この場合は対象は自衛隊幹部だった。
今回の通達は、11月3日に航空自衛隊入間基地で開催された航空祭で自衛隊協力団体の代表者が「一刻も早く菅政権をぶっつぶして、昔の自民党政権に戻しましょう。民主党政権では国が持たない」などと発言したのを受けたものとされている。事務次官通達に伴って発出された事務連絡は、発言録を作成し大臣官房文書課に提出するよう求めており、一連の規制は政権批判に対する言論統制、「検閲」の誹りを逃れない。シビリアンコントロールの徹底や自衛隊の政治的中立性の確保の観点からも、そもそもこのような表面的な表現規制に意味があるのかは疑問だ。自民党政権時代にすら行なわなかったこのような表現規制は行なうべきではない。
例えばドイツでは、軍が一般社会と隔絶し暴走することがないように、兵士を「制服を着た市民」として一般市民と同様の権利・義務を有すべきものと位置づけ、軍隊内においても兵士が自由な人格として責任感ある市民であり続けることを求めている。もちろん軍事組織として限界や制限はあるが、原則として兵士に一般市民と同様の表現の自由を認めることとしている。「内面指導」によって遵法精神を高め、違法な命令に従わない義務を課し、同時に外部の目で軍を監視し兵士の人権や権利を守るための「軍事オンブズマン」の制度を設けている。兵士は政党に所属することもできるし、労働組合も組織されている。
シビリアンコントロールを徹底するためには表面的なコトバ狩りを部外者にまで拡大し組織を閉ざすのではなく、自衛隊の組織を開き、自衛隊員に市民としての権利を最大限保障し、同時に外部の目で組織を監視する体制の整備こそが求められるのではないだろうか。
わが国の「シビリアンコントロール(文民統制)」は、事実上防衛省内局の文官(背広組)が自衛隊の実働部隊(制服組)を統制する「文官統制」とも表されることがある。収賄事件で実刑が確定した守屋武昌受刑者(元防衛省事務次官)ら文官が、偏向した思想を公表して更迭された田母神俊雄元航空幕僚長下の部隊等を統制していたのが実態であり、とうてい信頼の出来る体制とは言い難いものだ。
むしろ2009年には防衛参事官制度が廃止されるなど「文官統制」すら空洞化しているのが現状だ。「シビリアンコントロール」の体制を整備し強化すること自体が極めて重要であることは当然。しかし、それは政治的な発言を表面的に除去することで実現できるとは思えない。
尖閣諸島問題についてメモ(9月24日) ― 2010/09/24
尖閣諸島をめぐる問題について(メモ)
1、9月7日、尖閣諸島・久場島の北西約15㎞の日本領海内で、中国人船長と中国人船員14人が乗り組んだ中国漁船(166トン)と追跡中の海上保安庁巡視船「みずき」(180トン)が衝突した。海上保安庁は8日未明、同漁船船長を公務執行妨害罪で逮捕した。海上保安庁巡視船が、同諸島周辺の領海内で違法操業中を行なっていた中国漁船に対し、停船を命じつつ追跡を行なった際に、同漁船を巡視船に衝突させ海上保安官の職務の執行を妨害した容疑である。
2、海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突の詳細についてはわかっていない。日本政府は、中国漁船が巡視船に衝突してきたとして、日本の法令に基づいて厳正に対処していくとしてきた。一方、中国側では巡視船が中国漁船に衝突したとして中国漁船を被害者とする報道が行なわれている。この海域の領有権を主張する中国にとっては、ここで日本の国内法を執行すること自体が受け入れられないものと考えられる。なお、衝突時のビデオは公開されていない。
3、尖閣諸島周辺の海域は中国や台湾の漁船などの操業が相次いでいた。海上保安庁によると、多い日では約270隻を確認。1日に70隻程度が領海内に侵入していた日もあるという。事件が起きた7日も周辺で約160隻の中国船による操業を確認、うち約30隻は領海侵犯していたとのこと。
4、同漁船船長の拘留に対して中国側は強く反発し、閣僚級交流の停止などを打ち出した。日本青年上海万博訪問団の受け入れ延期、中国の健康食品販売企業宝健の1万人訪日旅行のキャンセルなど民間交流にも大きな影響が生じている。ハイテク製品の製造に必要なレアアースの輸出制限などによって、日本の製造業に影響を及ぶおそれも懸念された。河北省石家荘市では違法に軍事施設を撮影したとして日本人4人が拘束される事件も起きた。
5、日本政府は「(尖閣諸島は)歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成している」としており領土問題ではないとしている。中国側は「14世紀に最も早くこの島々を発見し、最も早く命名したことで、いち早くその主権を得て実効支配しており、国際法上、争う余地のない主権を有している」としている。1978年に日中平和友好条約が締結された際は「棚上げ」とされた。
6、9月24日、那覇地検は同船長を処分保留で釈放すると発表した。鈴木亨次席検事は記者会見で「我が国国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上身柄の拘束を継続して捜査を続けることは相当ではないと判断した」と述べた。仙谷由人官房長官は「捜査上の判断」として「政治的な配慮」を否定し、柳田稔法相は「指揮権を行使した事実はない」としている。
7、社民党は尖閣諸島の領有問題について日本政府の立場を支持しているが、同時に今回の事件に対しては柔軟な対応を求めてきた。このまま船長を起訴していれば、日中間の緊張は制御不能なレベルにまで高まっていた可能性があり、今回の釈放はやむを得ないものだったと考えている。しかし、本来、事態をこのように拡大し長期化させるべきではなく、逮捕したこと判断自体の是非も含め菅政権の責任は大きいのではないか。また検察に国益や外交に関わる問題を判断させるべきではなく、政府と外交当局が責任を持って判断をすべきであった。
8、領有権について争えば、双方とも引くに引けない状況となり、偏狭なナショナリズムを高めることにも繋がりやすい。互いに妥協できない困難な課題を前面に争うことは両国にとって何の利益にもならない。双方が冷静に実務的に処理をするよう心がけるべきである。日本にとって中国は好むと好まざるとに関わらず付き合っていかなくてはならない巨大な隣国である。日中の協力はアジアと世界に平和と安定、発展と利益をもたらす最も重要な二国間関係の一つ。今回の事件に目を奪われ、長年にわたって育んできた成果を失ってはならないと考える。
9、9月15日、ロシアとノルウェーは、旧ソ連時代から40年間にわたって領有権を争ってきたバレンツ海・北極海について、ほぼ2分する形で国境線を画定する合意文書に調印した。両国の経済水域がまたがる同海域には、石油と天然ガスが豊富に埋蔵されていると推定されており、1970年から国境線をめぐる対立が続いていた。今回の合意により、両国が資源開発に乗り出すことが可能となる。日中間の長年の懸案であった東シナ海のガス田の開発についても7月末に日中の交渉がはじまったばかりだ(今回の事件で中断)。領有をめぐって対立したまま一方的に資源開発を進めることは難しい。相互に妥協しながら漁業資源を分け合い、埋蔵資源の開発をすすめる枠組みを目指すことは、双方の利益に叶う。偏狭なナショナリズムを排しながら、冷静な話し合いをすすめるべきである。
――――――――――――――――――――――――――――
参考■日本政府の立場
尖閣諸島の領有権についての基本見解
尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。
同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。
従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。
なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。
また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません。
―――――――――――――――――――――――――――――
参考■中国側の立場
評論・日本政府による釣魚島灯台「接収管理」
中国が釣魚島(本文中、釣魚島とその周辺の島々を「釣魚島」と略称する)に国際法上、争う余地のない主権を有していることは、国内外の大量の史料が実証している。中国は14世紀に最も早くこの島々を発見し、最も早く命名したことで、いち早くその主権を得て実効支配した。明代の1562年に作られた「籌海図編」の沿岸防衛範囲の中に「釣魚嶼」「黄尾山」「赤嶼」が入っている。1863年の「皇清中外一統輿図」は「釣魚嶼諸島」を大清国の領土であると示し、台湾に付属する島として管轄していた。日本は1895年1月、甲午戦争(日清戦争)に乗じた閣議決定によって釣魚島を占領した。同年4月の馬関条約(下関条約)によって釣魚島は「台湾と付属の島々」の一部として日本に割譲させられた。第二次世界大戦後、日本はポツダム宣言によって、占領していた釣魚島を中国へ返還しなければならなくなった。しかし、米国は琉球諸島を信託統治する際、釣魚島を密かに同諸島の一部としてしまった。1971年に沖縄が日本へ「返還」され、釣魚島は今なお日本の統治下に置かれている。
日本は1970年代以降、釣魚島の主権を主張するための法的根拠を求め始めた。日本の外務省は1971年3月に「尖閣諸島の領有権についての基本見解」を発表した。同見解は(1)日本が1895年に釣魚島を占領した時「主のいない土地」だった(2)釣魚島は歴史上、日本の南西諸島に属しており、馬関条約(下関条約)で割譲された範囲に含まれていない(3)日本が戦後放棄するべき領土に属していない――などと主張している。だが、これらの主張は根拠があいまいだ。なぜなら1895年に釣魚島は中国の実効支配化にあり、島が「無人島」であることが必ずしも「主のいない土地」とは限らない。そのため日本の「主のいない土地は先に支配した者のもの」という論法は成り立たない。
日本はここ数年来「実効支配」によって主権を得ようと企図している。一つは、釣魚島は「私有地」であると主張し、右翼団体が島に上陸して建てた灯台を容認するなど主権行為を示している。二つ目に、海上防衛を強化し、中国漁船や釣魚島に接近しようとする「保釣」(釣魚島防衛)団体の船を追い払っている。三つ目に、日本政府は2002年4月に釣魚島を民間から「借り上げ」て、先日また灯台の「接収管理」を宣言した。その目的は言うまでもなく「実効支配」を強化して「時効取得」を達成しようとするものだ。
近代的な国際法において、征服によって強制的に領土を占領することは不法なものであり、「実効支配」がどれほど続こうとも初めから無効だ。「時効取得」は必ず平和で争うことがなく、長期的に持続した「実効支配」が前提でなければならない。中国政府は釣魚島に対する主権的立場を一貫して堅持し、日本に何度も外交ルートを通じた抗議を行い、釣魚島の主権を争う姿勢を一貫して表明してきた。このため、日本政府が灯台を「接収管理」する行為は徒労に終わるだろう。
1982年の国連海洋法条約の規定で、島(岩礁を除く)は大陸棚と200カイリの排他的経済水域を持つようになった。そこで日本は島の領有権を争うことによって海洋領土を広げる国家戦略を確立した。中国と釣魚島の領有権を争うことから始まり、韓国とは独島(日本名・竹島)を争い、ロシアとは北方四島(ロシア名・南クリル諸島)をめぐって綱引きしている。日本の海洋産業研究会の調査レポートによると、これら領有権を争っている島々は日本に200万平方キロメートルの排他的経済水域をもたらすという。
今回、日本政府が灯台をいわゆる「接収管理」した行動は、中国の東中国海における海底油田開発への報復姿勢を暗にほのめかしている。これは両国関係の悪化をいとわず、釣魚島を基点として東中国海の大陸棚と排他的経済水域を奪い取ろうとするものだ。日本の学者によると、釣魚島は日本に20万平方キロメートル以上の海域をもたらすとともに、東中国海大陸棚の石油・天然ガス資源の半分を獲得できるという。ここ数年来、日本はコストをいとわず海底地質探査を行い、2009年の国連大陸棚委員会に大陸棚の調査データを提出する考えだ。
このほか、日本はさらに「釣魚島をめぐる中日武力衝突論」をでっち上げ、「南西諸島有事対応方針」を打ち出し、釣魚島の軍事戦略上の地位を強化した。日本が今回灯台をいわゆる「接収管理」して緊迫した情勢を造り上げた意図は、「中国脅威論」を再び蒸し返し、その軍備拡張のため南西海域の防衛強化にもっともらしい理由を提供したのだ。同時に日本は釣魚島を利用して軍事基地を築こうと考えている。中国を押さえ込み、台湾海峡情勢に介入する伏線を埋めるためである。
これまで述べたように、日本政府による釣魚島灯台のいわゆる「接収管理」は国際法に矛盾する。釣魚島の主権は国際法によって判定されるべきである。領有権を争っている領土に一方的に主権を行使しても法的効果は生まない。釣魚島の主権帰属およびこれと密接にかかわる東中国海大陸棚と排他的経済水域の境界線確定問題について、中日両国は国際法に基づいて交渉で平和的に解決するか、あるいは国際司法裁判所か国際仲裁機関に訴えて解決すべきである。
※人民日報はが掲載した中国社会科学院日本研究所の孫伶伶博士の論文「人民網日本語版」2005年2月23日から
――――――――――――――――――――――――――――
参議院選の結果を考える(1) ― 2010/08/25
当たり前だけど、選挙はトップで受かってもビリで受かっても当選は当選。次点で負けても落選は落選。1位当選と2位当選は同じだけど、最下位当選と次点落選では天国と地獄ほどの差がある。当落の境目というのが大きな意味を持っている。
今回の参議院の場合はこのラインは当選者1人当り約112万票だった。次点は109万だからその差は約3万しかない。330万票と230万票は100万票違っても結果は2人当選で同じ。230万票と220満票は10万満票の差だけど当選者の数が半分になってしまう。
なにしろ最下位当選者が社民党の吉田さんだから、社民党は崖っぷちなのである。今回2議席に達したのはただの幸運。投票率がもう少し低かったら、あるいは新党ブームで票が分散することがなかったら、当選者1ということは十分にあり得たはずだ。ちなみに前回07年の1人当選ラインは110・9万票(次点は110・7万票)、前々回04年は107・8万票(次点は105・7万票)、01年は102・3万票(次点は100・5万票)であり、少しずつ上がっている。こうしたことを深刻に考えなくてはならないと思う。
これが衆議院の比例の場合は11のブロックに分れるのでこの傾向がより顕著となる。ものすごく大ざっぱに言うと各ブロックの当選ラインは概ね30万~35万票、全国で約350万票程度。理論上、社民党の得票が各ブロック29万9999~34万9999票の349万89票あっても当選がゼロとなる可能性がある。
ちなみに下記は、この間の衆議院総選挙における各ブロックの最低得票の当選者の得票すなわち当選ラインである。ダントツの得票を得た候補者がいるのか、当落選付近に団子になって分布しているのか、候補者を出す政党の数や定数の規模、選挙区の事情等によっても変わって来るが、概ね30万~35万票が当選ラインだ。
■衆議院比例ブロック別最低得票当選者の得票
つまり一定のラインを切ると死票がすごく増えてしまう。政党の配置やブロックの規模等によってかなり事情が違うが、ざっと全国700万票を越せると比較的安定して議席が獲得できるし、350万を切るといきなり困難な情勢に陥ってしまう。
例えば00年の総選挙では比例区の社民党の得票が合計560万票で比例区から15人(選挙区4人)が当選できたが、03年は302万票で5人(同1人)、05年は371万票で6人(同1人)しか当選できなかった。ちなみに09年が306万票で4人(同3人)だ。00年は、37万票で1人を当選させることができたが、03年は60万票で1人、同じく05年は62万票で1人、09年は75万票で1人である。
つまり、得票が減っているところに効率が悪くなるというダブルパンチを食らうのである。得票の減少に比例してじりじりと議席が減少するわけではなく、一定の水準を切るときに議席獲得の効率自身が下がるという「質」の変化が生まれてガクッと減っていく。
社民党にとって次期総選挙がそういう選挙になる可能性が高い。今回の参院選の得票を、つかって次回の衆議院選挙の行方を予想してみたい。
参議院選の結果を考える(2) ― 2010/08/25
この場合は、当選ラインが一気に上がることになる。
下の表は、衆議院のブロック比例について、民主党マニフェストの通りに80減った場合と、何らかの妥協で削減幅が半分の40にとどまった場合の当選ラインを予測したものである。削減後の定数は現在の定数に機械的に180分の100をかけて四捨五入をして調整したもので、具体的な情報をもとにしたものではない。まあこんな感じかな、というくらいのもの。40減の想定も同じ。
当該選挙の結果に関する党派別議席配分表で、最低得票の当選者の得票数を当選ラインとした。定数が削減された場合の予想定数順位の候補者の得票数である。実際には有力候補が競り合うような構造や、特定候補が圧倒的な得票してしまったような場合は、あまり変わらないように見えるとか、得票の配置次第でだいぶ変わってしまうのだけど、だいたいの傾向くらいはわかる。定数40削減の場合でだいたい5~10万くらい投票ラインは上がり、35万~45万くらいになる、定数80減だと10~20万程度あがって45~60万票程度になりそうだ。
■定数80減の場合、40減の場合の想定当選ライン
参議院選の結果を考える(3) ― 2010/08/25
下の表はこの間の、参議院比例区の得票と、衆議院ブロック比例の得票の推移である。社民党は、2000年総選挙で土井たか子党首・渕上貞雄幹事長体制で、560万票・15人当選(比例、小選挙区当選4名を加え全体で計19名当選)を獲得し、分裂後の最大得票を得た。その後、渕上幹事長が福島瑞穂幹事長に交代し、土井党首・福島幹事長下で取り組んだ参院選挙は振るわず363万票・3人当選に留まった。
さらに02年9月の小泉訪朝後の拉致問題に関する反社民党キャンペーンや辻元さんの事件も影響して約03年の選挙では17%減の約303万票に後退。これは01年の総選挙比で約46%減、獲得議席は3分の1となる大惨敗でる。この責任をとって、土井党首が辞任し、実務責任者であった福島幹事長が党首に昇進し現在に至っている。その後の選挙結果は一進一退ながらじりじり後退し、今回ついに224万票・得票率3・84%にまで落ち込んでしまった。
各ブロックのグラフの赤い棒はこの間の社民党の得票数の推移。青い棒は09年総選挙時の当選ラインと、定数が80削減された場合の当選ラインの予想だ。なお、グラフの上でクリックすると拡大する。
■北海道ブロック
北海道ブロックは00年の総選挙で比例区から1人(山内惠子議員)を当選させたが、その後の選挙はじりじりと後退し、今回はついに10万台を切ってしまった。もともと北海道は旧社会党の勢力が強固だった地域で、これが現在の北海道民主党に引き継がれている。北海道民主党自身が旧社会党的志向性を色濃く残しているため、現在の社民党が独自性を表わしずらい状況がある。現行の当選ラインに達するためには得票の5倍増が必要であり、定数が削減された場合は得票を7倍増させなくては当選ラインに達しないが、こうした条件はまったく存在せず、ブロック比例で議席を得ることは事実上困難と考えざるを得ない。
■東北ブロック
東北ブロックは旧社会党時代からの勢力の多くがいまだ社民党に残っており、九州ブロックと並んで社民党にとっての金城湯池とも言うべきブロックである。00年選挙では52万票近く得票しており、もう少しで2議席目を狙える位置にいたが、その後は低迷して今回は20万票を切ってしまった。比較的厚い基盤を持つはずの東北ブロックでこの成績はショックだ。このままでは次期衆議院選挙では議席を失う可能性が高い。
■南関東ブロック
00年選挙では67万票を獲得し2議席を得たが、その後は後退を続けてきた。阿部知子議員は00年に当選してから、首の皮一枚の状態で議席を守ってきたが、今回の29万票弱という得票では議席を失う可能性もある。阿部議員の個人票も一定程度は期待できるだろうが、党の票が今回のように激減してしまえば議席を維持することは難しい。
■東京ブロック
東京ブロックの得票は、北関東と同じように当落線近くをさまよっている。典型的な都市型選挙が中心なので、票の出方の予測も難しい。現状では当選ラインを下回っており、このままでは議席獲得は難しい。
■北信越ブロック
北信越ブロックは社会党勢力が伝統的に力を持っていた地域が多いが、00年に山口わか子議員を当選させてからは、当選ラインに達していない。今一歩という状況が続いていたが、今回は16万票強と当選ラインの半分ほどまで落ち込んだ。参議院新潟選挙区で近藤正道議員が議席を失うなど、あまり好材料は見あたらず、議席回復は困難な情勢である。
■東海ブロック
東海ブロックは自治体議員の数も少なく、党組織の力量などから考えると、相対的にはよく得票してきたともいえるが、00年以来議席が獲得できておらずじり貧傾向が強まっている。今回の20万強という数字では議席獲得は難しそうだ。
■近畿ブロック
近畿ブロックは00年には84万票を獲得し、比例で3議席を獲得。小選挙区で土井党首と辻元清美さんが当選し、計5議席を得た。その後は比例1議席となったが、2議席を窺う1議席だった。05年には土井さんが比例単独候補として得票を35万票から62万票に倍増させるなど伸びシロのある選挙区でもあった。今回は初めて30万票を下回り当選ラインを下回った。近畿社民党の顔であった土井さんが引退し、辻元さんが離党するなど、好材料は見あたらず、このままだと次回の総選挙ではついに議席を失うという可能性が高まっている。
■中国ブロック
中国ブロックは00年に金子哲夫議員が議席を獲得して以来、20万票以下に落ち込み低迷している。今回ついに10万票を切り、議席獲得は困難な情勢だ。地方議員が減り、党勢も縮小を続けるなかで、得票を3倍増させることが出来るとは考えられない。定数削減があれば6倍増させなければならず、いよいよ絶望的だ。
■四国ブロック
四国ブロックは定数が6という規模の小さな選挙区で、現行制度下で社民党議席を得たことがない。香川のように全国的にも力量のある県もあるが、四国全体でブロック比例の議席を得る見通しがなかなか立たないのが実情である。今回の参院選の得票は6・1万票であり、現行定数のままでも議席を獲得するためには得票を5倍に増やすことが必要。定数が削減されれば8倍増が必要となる。残念ながら四国でブロック比例の議席を得ることは絶望的だ。
■九州ブロック
九州ブロックでは00年には93万票を獲得し比例で3議席を獲得している。この時は小選挙区でも大分から横光克彦議員(後に民主党に移籍)、沖縄から東門美津子議員が当選し5議席を得た。03年にも比例で2議席を得たが、05年以降は1議席となっている。とはいえ1議席の当選ラインまではだいぶ余裕があり、場合によっては2議席目を窺いうる全国的に最も力量があるブロックである。沖縄県での得票もある程度期待でき、次期選挙でも1議席の獲得は有力である。ただし、定数削減が行なわれた場合は九州ブロックも安泰とは言えない。
■小選挙区
辻元議員の離党で社民党の小選挙区選出の議員は沖縄の照屋寛徳議員と、大分の重野安正議員の2人のみとなった。小選挙区の場合は多くの場合に民主党との選挙協力(棲み分け含む)を前提に、議席を狙うことになり、比例区での得票を得るための選挙とは求められる内容もだいぶ異なってくる。比較的小さな選挙区で1つの議席を争う小選挙区の選挙では、社民党の固有の主張を繰り返すだけでは苦しい。より広範な勢力を形成し選挙区の多数派を得るための戦略は、党を前面に出して戦う比例の選挙とは別に戦略を立てる必要がある。民主党と与野党に分れて戦う場合、自民党や公明党と組むことは難しいし、多くの選挙区で独自候補を出す共産党と組むことも難しい。民主党との選挙協力なしで単独で当選を狙えるのは現状では照屋寛徳議員くらいではないか。
■まとめ
参議院選挙後も辻元議員の離党をはじめ悪材料が増えているなかで、現在の後退トレンドを転換することは容易ではない。常識的に予測すると頑張って頑張って現状維持程度ではないだろうか。その場合は、九州ブロックの1+小選挙区で照屋議員が当選できるかということになる。得票が現状維持でも定数が削減された場合は比例ブロックの当選はゼロとなる。定数が現状維持となり、今回の漸減傾向(マイナス25%程度、九州の場合でマイナス16%程度))が続いた場合にも九州が1議席を維持できるかは微妙となる。つまり次期衆議院選挙の当選者は小選挙区で照屋さんが小選挙区で議席を維持できるかどうか、九州が1議席を確保出来るかどうかということになる。
現行定数の場合は、九州ブロックで1議席+小選挙区
定数削減の場合は、ブロック比例はゼロ+小選挙区
衆議院が議席ゼロとなる可能性は決して低くないのである。それほどの切迫した状況であり正念場だということを肝に銘じなくてはならないだろう。
法務省政府三役が人権侵害救済法案を受け入れ ― 2010/06/22
これは自公政権時代の旧人権擁護法案への私たちの批判に対してほぼ応えるものであり歓迎したい。2002年の第154国会に閣法として提出され、2003年10月の衆議院解散により廃案となった人権擁護法案は左右からの批判に挟まれて身動きがとれなくなっていた。右からの批判は、朝鮮籍の人や部落解放同盟の人が人権委員になるのはケシカランとか、定義があいまいで逆差別が行なわれるんだという差別意識丸出しのものだったが、左からも法務省の外局では実効性がないとか、報道の萎縮をもたらす可能性があるではないかといった批判が出ていた。
社民党は当時の民主党、自由党と三党で実務者の会合を重ねて、対案作りに取り組み「人権侵害による被害の救済及び予防等に関する法律案」としてまとめた。その後、民主党が提案している人権侵害救済法もほぼこの内容を踏襲している。煮え切らなかった法務省政府三役も、ようやくこの方向で腹をくくったというだろう。この見解を前提に、後退することなく前向きな検討がすすめられることを期待したい。
なお、人権擁護法案への対案について三党で以下の6点について合意していた。
①新たに設置する人権委員会は、「パリ原則」に沿った独立性を備えたものとするため、内閣府の外局とすること。
②人権救済の実効性を確保するため、都道府県ごとに「地方人権委員会」を設置すること。
③人権委員会の構成は、国・地方とも、ジェンダーバランスに配慮し、NGO関係者、人権問題・差別問題に精通した人材を充てること。
④救済手続は、任意性を基本とした「一般救済」の他、制裁を伴う調査、調停、仲裁、勧告、公表、訴訟援助、差止請求など、強制性を備えた「特別救済」とすること。
⑤「特別救済」は、報道の自由その他の憲法上の要請と抵触しないものとすること。
⑥人権擁護委員制度については、抜本的な制度改革を行い、国や都道府県に設置される人権委員会と十分連携をとりながら、地域での効果的な活動ができるようにすること。
(2003年7月10日了承)
③④⑤⑥などは積み残されているが、最大の懸案だった①が了とされたことは非常に大きい。なお「パリ原則」とは「国内機構の地位に関する原則」(国連人権委員会決議92年3月3日/国連総会決議93年12月20日)のことで、国内人権擁護機構の権限や責務等の原則について定めたもの。
森原秀樹が出馬の会見:参議院選挙東京選挙区 ― 2010/04/15
会見には、渕上貞夫社民党全国連合選対委員長、服部良一衆議院議員、保坂展人前衆議院議員(参院比例区予定候補)、北川雄重東京都連合代表、中川直人都連合幹事長らが参加。やや緊張気味ながら、森原さんが出馬の決意に至る心情を語り、熱気ある会見となった。
現在、服部良一議員の政策秘書を務めている森原さんとは、この間、沖縄問題にいっしょに取り組んで来た仲間。1月のワシントンD.C.への訪米調査団の事務局や、先日の北マリアナ諸島(サイパン・テニアン)視察団の事務局を担った。森原さんが保坂議員の秘書になった昨年春から1年あまりの短い付き合いだが、彼の能力やガッツは十分に分かっているつもりだ。参院東京選挙区は社民党の基礎票だけではなかなか厳しい選挙だが、候補者個人の魅力を全面に押し出してなんとしてでも当選を果たして欲しいと思っている。
保坂さんは、森原さんを「ミスター・国際人権」と紹介したが、ぬ、ぬ。イマイチだな。なにかいいキャッチはないものか。
―――――――――――――――――――――――――――――
私と日本、そして世界
ごく一般的なサラリーマン家庭に育った私ですが、父の出身地が広島県で、また、その町の沖合に旧日本軍が毒ガス兵器を秘密製造していた島(大久野島)があり、幼少の頃から戦争・平和といったテーマに関心を持ってきました。そして、学生時代に参加した学生NPOの活動を通じて、世界数10カ国を訪れる機会を得て、世界的な貧富の格差や不平等を目の当たりにし、「世界のなかの日本」という視点とともに「何かが変わらなければいけない」という強い思いを抱くようになりました。学生NPOのリーダーを務めるなかで、「学生・若者の社会的役割」についても真剣に考えた日々でした。
私と政治・社民党学生生活を終えてからの10数年間、国際的な人権NGOの専従スタッフを務めました。人間の命や自由を大切にし、いかなる立場の人をも排除しない社会づくりを、国境を越えた連携を通じて実現しようと懸命に活動した10数年でした。日本に住む日本人で、男性で、高等教育も受けているという意味で、ある意味「勝ち組」に属し多数派=マジョリティである自分が、自分の責任として少数派=マイノリティの人びととどのように向き合いともに活動していけるのか、自問自答を繰り返した日々でもありました。
その間、問題ある法制度を改廃したり、新たに必要とされる法制度を実現したりするために、国の行政や各政党、あるいは国連などにさまざまな働きかけを試みました。話を聞いてくれて共に動いてくれる政党・議員なら党派は問わず接触しました。そうした中、人権や平和を政策にかかげ、一番親身になって相談に乗ってくれて、NGO・市民運動とともに動いてくれたのが社民党でした。
同時に、そうした活動に携わっていた年月は、新自由主義的政策と二大政党制が強力に推し進められた10数年でした。「強者の論理」「数の論理」ばかりがまかり通るようになり、「弱い者」や「排除された者」、「踏まれた側」の視点がないがしろにされ、少数者の意見が「多数決民主主義」という政治システムの中で無視されていくのをこれ以上見過ごすわけにはいかないと、強く思うようになりました。
同時に、NGO・市民活動に携わる中で、力不足も大いに実感しました。今、NPOの時代と言われていますが、真に独立し、多くの人々に支持を広げ、政策形成にも影響力を持つNGO・市民運動は、まだ十分には育っていないように思います。いま、新しい世代がもっと力をつけて、いろいろな立場や能力を持った人びとがつながったうえで、少数派や少数者、社会的に弱い立場に追いやられている人たちの現場の声をしっかりとうけとめて、「NGO・市民運動と政治プロセスが新しい形で有効につながること」が必要だと考えるようになりました。
しかし、少数派や少数者、社会的に弱い立場に追いやられている人たち、そしてNGO・市民運動の「現場の声」を反映させるような政治が必要なのにもかかわらず、社民党の議席数が減っていくのを目の当たりにして、危機感を募らせてきました。なんとしても、マイノリティ=少数派の人びとの立場に立てる政党=社民党が必要だし、少数者の声や存在を意識的・無意識的に無視してしまう危険性のある二大政党制のなかで、しっかりと役割を果たすべきだと強く思うようになりました。
そのために力を尽くすことが、私が「政治の世界」に身を転じようと決心した理由です。
「政治の世界」への転身そうした思いを抱き、昨年、縁あって国会議員秘書に転身し、衆議院総選挙で、それまで私が最も応援していた保坂のぶと前衆議院議員の秘書として選挙事務所(東京8区)で活動する機会を得ました。選挙結果は残念でしたが、保坂のぶと選挙では、旧来から社民党を支持してくださる労働運動・市民運動に加えて多くの市民ボランティアが結集し、とても大きな力を発揮するのを目の当たりにしました。私はそこから、市民運動と政治の新たな関係づくりのヒントを得たように思っています。NGO・市民運動が力をつけ、それが政治(政党)を後押しし、そして力をつけた政党が市民運動をバックアップし…という、いわゆるウィンウィン(win-win)の関係をつくっていかなくては、政治にも市民運動にも未来がないように思います。社民党は、その役割を担えるはずで、そのためには、社民党は変わらなければならないとも思っています。
立候補を決意―連立政権を建て直すために総選挙後、やはり社民党の服部良一衆議院議員(比例近畿ブロック)の政策担当秘書として、待ち望んできた「政権交代」という政治の歴史的転換現場の末端に身を置くこととなりました。そして、服部良一議員がそのライフワークとしてきた沖縄の基地問題(普天間問題)への取り組みを中心に、この7カ月間、連立政権の現場を中枢に近いところで見ることになりました。普天間問題やアフガニスタン支援、いわゆる「密約」問題、高校無償化、労働者派遣法改正、中小零細企業支援、原発政策、男女共同参画、子育て支援……この間自分が関わった課題を振り返ると、ひとつはっきりしていることがあります。それは、連立政権の一角を担う社民党がもっと力をつけて、今までの政治にはなかなか届かなかった声―少数派や少数者、社会的に弱い立場に追いやられている人たちや市民運動・労働運動の現場の声―を、政権中枢に届けて具体的な変化をもたらす使命を負っているということです。
そうした立場から、連立政権を建て直したい、その役に立ちたいと強く思うようになり、今回、立候補を決意しました。
まだ政治経験が浅い私ですが、東京で育ち生活する者の一人として、さまざまな立場の人びとと一緒に、広がりがあって楽しい選挙活動を展開し、全力で議席獲得を目指します。
最近のコメント