「ハート・ロッカー」を見てきた ― 2010/03/30
イラク・バグダッドに駐留する米軍の爆弾処理班の活動を追ったドキュメンタリー風の映画、イラク戦争に爆弾処理のエキスパートとして従軍している兵士のドラマだ。作業中に爆発が起こり仲間が次々死んでいくなか、緊迫感、高揚感、虚無感といった兵士たちの心の動きを描き出している。型破りで無謀な行動をとる二等軍曹が主人公なんだけど、彼は死の恐怖に怯えながら、結局、死のスリルに取り憑かれて戦場に戻っていくんだな。「戦争は麻薬」だよ。
ハート・ロッカーのハートってHeartのことかと思ったら、hurtでした。イラク駐留兵士の間では、爆弾の炸裂のことを"the hurt locker"というのだと。ひどい目にあう場所や、ひどい経験をするという意味のスラングが元らしい。「行きたくない場所・棺おけ」を意味する兵隊用語だと。
声たかだかな反戦映画というわけではないけど、今時のアメリカの厭戦気分なのかもしれない。ところで、キャスリン・ビグロー監督って、「アバター」のジェームズ・キャメロン監督の元妻なんだそうです。キャメロン監督は5回も結婚していて3回目めがビグロー監督だと。元夫婦でアカデミー賞を競うっていうのもすごいなあ。
もみじ回廊に行ってきました ― 2009/11/15
母親は労弁の大会とかで鹿児島にいって不在なので、どうしても子どもを連れて行かないとならない。「もみじなんかわざわざ見に行きたくない。キレイだけど見てもつまらない」とごねる子どもを「ツリーハウスで遊んだ後でちょっと寄ろうね」と誤魔化して連れて行った。娘の友人もどうしても一緒に行くというので子ども2人連れで。
子ども1人だとずーと相手をしないと行けないけど、友だちを連れて行くと2人で遊んでいてくれる間は、解放されるのでまだマシ。ヒロさんのドームハウスの内装がなかなかいい感じに出来ていてい、自分のところも内装をした方がいいのかな~とちょっと悩む。しばらく中断していたオガワさんのところも、ここ最近急ピッチで作業が進み、屋根がつき壁が立っていた。
帰り際、もう暗くなっていたので、「もみじ回廊」に。ここはライトアップされているので、夜でもキレイなんだよね。子どもが堪えられないので、さーっと散策してから、近くの温泉によって帰る。10時過ぎても小仏は10キロ以上の渋滞。何とかして欲しいぜ。
関係ないんだけど、2~3年前に流行った竹内まりやの「人生の扉」って楽曲があるんだけど、これを聞いて、確かに「満開の桜や色づく山の紅葉をこの先いったい何度見ることになるんだろう」な~と思って、忙しい忙しいといってるだけじゃなくて、ちゃんと毎年毎年花見やもみじ狩をしようじゃないか、と思ったわけなのです。
<人生の扉>
作詞:竹内まりや 作曲:竹内まりや
春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 越えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ
I say fun to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
Bue feel it's nice to be 50
満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ
I say it's fine to be 60
You say it's alright to be 70
And they say still good to be 80
But I'll maybe live over 90
君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ
(以下略)
棚から本マグロかよ… ― 2009/11/02
本人曰く、「思いがけずうれしいことの表現に『棚からぼたもち』と申しますが、今の私の気持ちは、ぼたもちどころではございません。『棚から本マグロ』。これくらいの驚きでございます。 ふつう、何かをいただけそうな場合には、たちどころに受け取るのは少々はしたないので、まあ2度くらいは辞退して、それでもとおっしゃるならちょうだいするのが、日本人の奥ゆかしいマナーなのでございましょうが、このたびのような褒章となりますと、到底『ふつう』ではないことですので、辞退なんかしたら2度とこんな機会はないかもと思いまして、即座に『いただきます!』と、お返事してしまいました」だと。
なんだよ~。中卒で仕事をもらえない女の子や、ガキのくせにと頬を打たれた少年たちを「ファイト」って小さく励ましながら闘ってきたんじゃなかったのか? 肩に国を乗せて足どりが遅くなっても背広の下にはロックンロールを隠していたんじゃなかったのか? 怒りもて石を握った指先は陛下から勲章を頂いて喜びに震え、怒りもて罪を穿った唇は「いただきます!」ですか? 社会の片隅で人知れず悔し涙を流している人々にエールを送ってきたんだとばかり思っていたよ。遅くてたどり着けなかったのかもしれないけど、学生運動の片隅にいたんだから。
僕は、学生の頃、「ローリング」や「世情」や「誰のせいでもない雨が」を歌いながらオルグをしてきたんですよ。かつて中島みゆきファンの熊沢誠先生が、バブル期の労働者を「美貌の都」で振り向いてみたら「泣き笑顔」だった人々に例えたのをきいて、その「泣き笑顔」を笑顔にしようと思って、活動してきたんですよ。うーむ。「棚から本マグロ」で「いただきます」かよ…。まさに、「夢のなれの果てが転」ぶのを見た感じだ。
65年にビートルズがMBE勲章を受章したときは、他の連中は戦争で人を殺したことで栄誉を受けているが、僕らは音楽で世界中の人を楽しませて勲章をもらう、とか皮肉の一つも言った。しかもジョン・レノンは、しばらくしてからアメリカの戦争支援を理由に勲章を突っ返したはずだ。まあ、結局もらうにしても、多少の逡巡くらいはしてほしかった。棚から本マグロでいただきます、じゃあなぁ~。本当にガッカリだ、「はしたない」よ。
張富士夫(トヨタ自動車会長)や森山真弓(元官房長官)が授賞しても良かったね、くらいにしか思わないけど。神野直彦までもらってるんだもんなぁ。そんなにうれしいものなのかねぇ。まったく理解できない。
ヨイトマケの唄 ― 2009/08/30
僕の父はリベラルな人だったが、田舎の人間関係の中で「嫁」としての重圧を受けていただろう母にとって、「嫁」の先輩である叔母さんは頼りになる存在だったと思う。とくに父が亡くなってからは、たぶん親戚の中で孤立感を抱いていただろう母をいろいろ気遣ってもらったようだ。その母も亡くなって12年、叔父さんや叔母さんにはすっかり不義理をしていたなかの訃報だ。
僕は伯母さんの生涯について論評するほどのことを知らないしその資格もないけれど、伯母さんのことを考えるとつい連想してしまうのが、「ヨイトマケの唄」。勝手なイメージに過ぎないんだけど。僕の従兄弟にあたる伯母さんの息子は重度の障害をもって生まれ、この従兄弟を介護し守るための伯父さん伯母さんの苦労は大変なものだったと思う。障害者の権利を高々と訴えることなど思いもつかない、頼るべき福祉も限りなく貧弱な田舎のムラ社会で、障害を持つ子どもを働きながら育てあげる大変さは僕の想像を超えている。伯父さんと、従兄弟のあまりの憔悴ぶりが痛ましい。
美輪明宏さんが自ら作詞・作曲して1966年にヒットしたのが「ヨイトマケの唄」。今では米良美一や桑田佳祐、槇原敬之のカバーの方が有名かも知れないが、美輪さんの友人の亡き母を回顧する実話に基づくものだという。「ヨイトマケ」は、建設機械が普及していない頃、地固めをするために重量のある槌を滑車を使って上げ下げするときのかけ声「ヨイっと巻け」を語源とするらしい。発表後間もなくして歌詞の中に「土方」、「ヨイトマケ」よいった差別語が含まれているとして放送禁止歌に指定されていたらしい。こんないい歌を、くだらないコトバ狩りで。
<ヨイトマケの唄>
父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに エンヤコラ
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
工事現場の昼休み たばこふかして目を閉じりゃ
聞こえてくるよ あの唄が
働く土方の あの唄が
貧しい土方の あの唄が
子供の頃に小学校で ヨイトマケの子供
きたない子供と いじめぬかれて はやされて
くやし涙に暮れながら 泣いて帰った道すがら
母ちゃんの働くとこを見た
母ちゃんの働くとこを見た
(略)
父ちゃんのためなら エンヤコラ
子どものためなら エンヤコラ
(作詞・作曲:丸山明宏)
忌野清志郎さんが死んじまった ― 2009/05/02
ガンで闘病中だったことは知っていたけれど、58歳とはあまりにも早すぎる。再発がわかり秋のライブをキャンセルしたので心配はしていたけど、病状悪化の報道もなかったので、そのうちまた復活すんだろうくらいに思っていた。
06年7月にのどにがんが見つかった際も、がんを「新しいブルース」と表現し、「新しいブルースを楽しむような気持ちで治療に専念」すると前向きに病気と闘って、再発が分かったときも「このくらいのことは覚悟してたんで、ぜんぜんヘコんでないから。ブルースはまだまだ続いているというわけだ。すぐに帰ってくるから応援してくれ!」と書いた。しぶとく闘病するんじゃなかったのかよ。残念だよ。
最初に清志郎さんの曲に触れたのは、88年の『カバーズ』発禁騒動のときだった。反原発運動の中で「カバーズ」のコピーテープが出回ったのを聴いたのが最初。その後、タイマーズのヘルメットスタイルが、当時の僕の学生運動気分の琴線に触れてしばらくはよく聴いていた。でも、結局、当時は清志郎さんの歌は皮肉っぽく不真面目に聞こえて、もっとずっとストレートに感じられた浜田省吾の方に流れちゃったんだよね。
それが40を超して、なんか清志郎が分かるような気分になってきた頃には、もうがん闘病中。結局、ライブにも行ったこともないんだよね。間に合わなかったね。淋しいね。
<サマータイム・ブルース>
暑い夏がそこまで来てる
みんなが海へくり出していく
人気のない所で泳いだら
原子力発電所が建っていた
さっぱりわかんねえ、何のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース
熱い炎が先っちょまで出てる
東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねえ、誰のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース
寒い冬がそこまで来てる
あんたもこのごろ抜け毛が多い (悪かったな、何だよ)
それでもテレビは言っている
「日本の原発は安全です」
さっぱりわかんねえ、根拠がねえ
これが最後のサマータイム・ブルース
(以下略)
広島の川 ― 2008/09/14
永六輔・矢崎泰久・中山千夏3氏によるトークと中山千夏・佐藤允彦(ピアニスト)のライブショー。 1月に亡くなった広島出身のデザイナー山下勇三氏をめぐる話題と、33年ぶりに再リリースされた『広島の川』等のライブだ。
会場が中国新聞ホールという古いところで、音響や空調はイマイチだったんだけど、結構おもしろかったよ。永さん達はCDの宣伝ということもあるんだろうけど、ノーギャラで駆けつけてくれたとのこと。
中山千夏には、元「革新自由連合(革自連)」のタレント議員(参議院議員)、市民運動好きの芸能人というステロタイプなイメージを持ってたけど、結構いい感じでちょっとファンになったよ。永六輔が売ってたこともあって、CDも買ってしまった。
『広島の川』って歌もはじめて聴いたんだけど、結構よくって、最近はついつい口ずさんでいます。ぜひ買いましょう!
〈広島の川〉
広島の街ゃあね 川だらけじゃけんねェ
ちょっと歩いたら 川があるんじゃァ
一番目の川は太田川 太い川じゃけん
庚午橋ゃァ長いんじゃァ
二番目の川は天満川 古い川じゃけん
溺(おぼ)れた子も多いんじゃァ
三番目の川は本川じゃァ ふたまたじゃけん
相生橋ゃァ思案橋
四番目の川は元安川 ピカドン川じゃけん
盆にゃ涙川
五番目の川は京橋川 長い川じゃけん
橋の数ァ十一本
六番目の川は猿猴川 けつべたァ抜かれるけん
子どもは泳がんのじゃァ
朝の満ち潮にゃねェ 昼の引き潮にゃねェ
ピカドンの恨みが 流れとるんじゃ
http://www.disc-classica.jp/hiroshima_no_kawa/hiroshima_no_kawa.html
「戦争の親玉」 ― 2006/09/14
「戦争の親玉(Masters Of War)」は1963年のボブ・ディランの『Freewheelin' Bob Dylan』に収録。高石友也の訳詞が下。文化的バックボーンへの理解なしに、くだけた江戸っ子調の訳によってディランの誤像を広めたとの批判もあるようだけど、まあ日本ではこっちの方がなじみがあるかな。「風に吹かれて(Blowin' In The Wind)」とかの方がメロディーが馴染みやすいし有名だけど、「戦争の親玉」の露骨さは今の情勢にはあう気もするな。
僕は岡林信康で聞きました。岡林の『私を断罪せよ』ってアルバムに入っていて、これはTUTAYAとかにも並んでるし、アマゾンとかでも新品が買える。
「戦争の親玉」
爆弾を作る お前さんたち
壁のかげにかくれても
机の下にかくれても
あんたの顔はまる見えだ
おいらの世界を おもちゃのように
ひねくりまわし ただこわすだけ
いつかかくれてたまが飛んでくりゃ
雲をかすみに逃げるだけ
若者たちに引き金ひかせて
死人の数を数えてる
屋敷にかくれて 若者の血は
ただ大地に赤くしみこむ
名もつけられずに死んでいく子供
かたわのままで生まれる子供
そんな恐怖をまきちらす
おまえにゃ血なぞ流れちゃいない
あんたはおいらにきっと言うだろう
世間知らずと まだ若すぎると
でも一つだけ言えることは
人を殺すことはゆるせない
おれたちゃしっかり見とどけよう
おすら寒い夕暮れに
あんたが墓場に入る時を
おれたちゃしっかり見とどけよう
(ボブ・ディラン/訳詞:高石友也)
「原爆許すまじ」 ― 2006/09/07
大衆運動の中や周辺で「思い」を伝えるために、様々な表現方法が使われます。なかでも「歌」は簡単に多くの人が参加できる最もポピュラーな手段です。ここでは機会を見て、ごく個人的趣味で、好きな歌、大切な歌を紹介していきたいと思います。
最初に「原爆許すまじ」。
「原爆許すまじ」はたぶん日本で最も有名な、反核兵器の歌です。いまでも、広島や長崎で開かれる平和集会では必ずといっていいほど歌われます。今年の広島と長崎の原水禁大会(連合平和集会)でも歌われました。
この歌が発表されたのは1954年6月です。1953年に第1回「うたごえ祭典」が開催され、翌54年には総評の協力も得てうたごえ運動が全国的に広まりつつあるなかで、歌われるようになりました。54年3月に第五福竜丸が被ばくするなど、国民に死の灰の恐怖が広がり、広島と長崎の悲惨な被爆の実態が知られるようになる中で、この歌が多くの人の心に響いたのです。とくにこの年の11月の第2回うたごえ祭典で歌われたことを契機に、全国に普及していきました。
僕も何度も何度も歌ってきたすごく大切な歌なのですが、正直をいうとあまり好きではありません。たぶんメロディーが暗くて、陰鬱な気持ちになるからでしょう。もちろん原爆体験は、どこからどうみても悲惨なものであり、明るい歌になどなりようはないのですが…。
原爆を許すまじ
1、ふるさとの街やかれ
身よりの骨うめし焼け土に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆をわれらの街に
2、ふるさとの海荒れて
黒き雨喜びの日はなく
今は舟に人もなし
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆をわれらの海に
3、ふるさとの空重く
黒き雲今日も大地おおい
今は空に陽もささず
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆をわれらの空に
4、はらからのたえまなき
労働にきずきあぐ富と幸
今はすべてついえさらん
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆をわれらの上に
(作詞:浅田石二/作曲:木下航二/編曲:安達元彦)
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