ワシントンDCに行った ― 2010/01/16

出張でアメリカ・ワシントンDCに行ってきた。
仕事で海外旅行できるなんていいな、とか言われたけど、とんでもないよ! 1月7日に行けということになって、11日発。かなり無茶苦茶だ。直前のため格安チケットもとれず、約30万もするエコノミーの席で汲々と12時間。とてつもない重ーたい荷物をえっちらおっちら抱えて、着いた頃はもうへろへろ。
1日遅れでやってきた議員2人を、連れ回して普天間移設問題に関するロビーイングと情報収集をしてきたわけ。こんな準備不足で、ほとんどムリだべーって感じだったけど、他のスタッフのガンバリでなんとかカッコがつきました。持つべきものは有能な仲間だね。
1週間も行っていれば1日くらいは観光しても許されるかという気もしたんだけど、ほとんどそんな間もなく…。
あーくたびれた。
仕事で海外旅行できるなんていいな、とか言われたけど、とんでもないよ! 1月7日に行けということになって、11日発。かなり無茶苦茶だ。直前のため格安チケットもとれず、約30万もするエコノミーの席で汲々と12時間。とてつもない重ーたい荷物をえっちらおっちら抱えて、着いた頃はもうへろへろ。
1日遅れでやってきた議員2人を、連れ回して普天間移設問題に関するロビーイングと情報収集をしてきたわけ。こんな準備不足で、ほとんどムリだべーって感じだったけど、他のスタッフのガンバリでなんとかカッコがつきました。持つべきものは有能な仲間だね。
1週間も行っていれば1日くらいは観光しても許されるかという気もしたんだけど、ほとんどそんな間もなく…。
あーくたびれた。
社民党第12回党大会役員体制決まる ― 2010/01/28

ようやく役員体制がきまった。23日、24日の党大会で決めきれず、空席となっていた国対委員長と政審会長が27日夕の両院議員総会で決まり、28日朝の常任幹事会で任務分担を確認したもの。
マスコミにいろいろ書かれたが、確かに国対委員長と政審会長が空席というのは異常な事態。とにもかくにも上司が不在という緊急事態が解消されてよかったよかった。どうなっているのかとよく聞かれるんだけど、こういうところで内部事情を暴露するのは適当ではないので、とりあえず1月28日毎日新聞朝刊あたりを読んでもらうと、だいたいそんな感じ。27日の朝日新聞夕刊に2つの「条件」というのが書かれているけど、照屋議員と阿部議員の出した「条件」の1つが保坂前議員の擁立という一見関係のない内容だったということがカギではないかな。大会時にはなかった特命常任幹事っていうのがいきなり出てきたのもあるかな。
――――――――――――――――――――――――――――――
2010年1月28日
第1回常任幹事会
常任幹事会の構成について
党首: 福島みずほ
副党首: 渕上貞雄
副党首: 又市征治
幹事長: 重野安正
副幹事長: 中島隆利
国会対策委員長: 照屋寛徳
政策審議会長: 阿部知子
選挙対策委員長: 渕上貞雄(兼)
特命常任幹事: 辻元清美
国民運動局長: 山内徳信
常任幹事(平和市民担当): 服部良一
常任幹事(女性青年担当): 辻元清美(兼)
常任幹事(生活福祉担当): 近藤正道
組織局長: 又市征治(兼)
常任幹事(組織担当): 市川博美
常任幹事(労働担当): 吉泉秀男
常任幹事(自治体担当): 服部良一(兼)
機関紙宣伝局長: 市川博美(兼)
財政局長: 今井健夫
総務・企画局長: 河井卓弥
常任幹事(総務担当): 河井卓弥(兼)
常任幹事(企画担当) : 河井卓弥(兼)
常任幹事(国際担当) : 山内徳信(兼)
――――――――――――――――――――――――――
社民党:ドタバタ 国対委員長・政審会長、3日空席の後に就任 党首の調整不足批判
社民党は27日夜、両院議員総会を国会内で開き、空席だった国対委員長に照屋寛徳、政審会長に阿部知子の両衆院議員を充てる人事を決めた。両ポストは23、24両日の党大会で決める予定だったが、福島瑞穂党首の調整不足に怒った照屋、阿部両氏が大会当日に就任を拒否。「衆参合わせて議員が12人しかおらず、他に適任者がいない」(党幹部)として、役員2人が空席の異常事態が続いていた。両氏は、最後は党首の陳謝などを条件に就任を承諾したが、お粗末な「お家騒動」に、与党の資質を問う声が出そうだ。
福島氏は昨年12月の党首選で無投票4選を果たした直後、重野安正幹事長を続投させる意向を固めた。国対委員長は辻元清美副国土交通相が兼務していたため、当選1回の中島隆利衆院議員の国対委員長起用を内定し、連立を組む民主党に非公式に伝えたところ「経験不足」を理由に難色を示された。
福島氏はやむなく、23日の党大会初日にベテランの照屋氏に就任を通告し、阿部氏には政審会長への留任を告げた。ところが両氏は「打診もない」と拒否し、照屋氏は大会を中座して地元の沖縄へ帰ってしまった。福島氏は大会中も調整のため携帯電話を手に壇上を歩き回っていたにもかかわらず、終了後の記者会見では「民主主義の政党のため、いろいろな意見が出て人事が決まらなかった」と述べ、失笑を買った。
混乱の底流には、福島氏が参院選で党内に要望が強い選挙区からの出馬を避け、比例代表での立候補に固執していることや、今夏参院選への準備の遅れなどに対する党内の不満があり、福島氏の党運営に批判的な照屋、阿部両氏が日ごろの不満を爆発させた格好だ。
2ポストが空席の3日間、重野氏が国対委員長、阿部氏が政審会長を暫定的に務めた。阿部氏は25日の基本政策閣僚委員会に「党首補佐役」として出席したが、翌朝には財務省が社民党側に「阿部氏は今後、どのような資格と肩書で税調に出席するのか」と問い合わせるなど、政府側も対応に苦慮した。社民党幹部は「混乱ぶりは、与党として恥ずかしい。参院選に影響が出るかもしれない」と自嘲(じちょう)気味に話した。
(毎日新聞2010年1月28日朝刊)
社民人事 国対委員長に照屋氏、阿部氏は政審会長留任へ
2010年1月27日16時36分 路線対立をめぐる混乱で先送りされていた社民党の役員人事で、国会対策委員長に照屋寛徳衆院議員を起用し、政策審議会長に阿部知子衆院議員を留任させることが27日、内定した。同党は同日中にも両院議員総会(衆参12人)を開いて正式に承認する。
同党の役員人事は24日の党大会終了までに決めるはずだった。だが、党の独自性を発揮できていないことや、参院選に向けた取り組みが遅れているといった批判があり、福島瑞穂党首(消費者・少子化担当相)や重野安正幹事長の党運営に異論が噴出。就任が取りざたされた照屋氏や阿部氏が固辞する事態となった。
ただ、内向きな混乱には党内から批判の声が絶えなかった。そこで、最終的には(1)福島氏が党の主張を明確にして参院選に向けた態勢整備を進める(2)阿部氏らが求めていた保坂展人前衆院議員の参院選比例区への擁立を検討する、といった条件で互いが折り合った。
(朝日新聞2010年1月27日夕刊)
マスコミにいろいろ書かれたが、確かに国対委員長と政審会長が空席というのは異常な事態。とにもかくにも上司が不在という緊急事態が解消されてよかったよかった。どうなっているのかとよく聞かれるんだけど、こういうところで内部事情を暴露するのは適当ではないので、とりあえず1月28日毎日新聞朝刊あたりを読んでもらうと、だいたいそんな感じ。27日の朝日新聞夕刊に2つの「条件」というのが書かれているけど、照屋議員と阿部議員の出した「条件」の1つが保坂前議員の擁立という一見関係のない内容だったということがカギではないかな。大会時にはなかった特命常任幹事っていうのがいきなり出てきたのもあるかな。
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2010年1月28日
第1回常任幹事会
常任幹事会の構成について
党首: 福島みずほ
副党首: 渕上貞雄
副党首: 又市征治
幹事長: 重野安正
副幹事長: 中島隆利
国会対策委員長: 照屋寛徳
政策審議会長: 阿部知子
選挙対策委員長: 渕上貞雄(兼)
特命常任幹事: 辻元清美
国民運動局長: 山内徳信
常任幹事(平和市民担当): 服部良一
常任幹事(女性青年担当): 辻元清美(兼)
常任幹事(生活福祉担当): 近藤正道
組織局長: 又市征治(兼)
常任幹事(組織担当): 市川博美
常任幹事(労働担当): 吉泉秀男
常任幹事(自治体担当): 服部良一(兼)
機関紙宣伝局長: 市川博美(兼)
財政局長: 今井健夫
総務・企画局長: 河井卓弥
常任幹事(総務担当): 河井卓弥(兼)
常任幹事(企画担当) : 河井卓弥(兼)
常任幹事(国際担当) : 山内徳信(兼)
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社民党:ドタバタ 国対委員長・政審会長、3日空席の後に就任 党首の調整不足批判
社民党は27日夜、両院議員総会を国会内で開き、空席だった国対委員長に照屋寛徳、政審会長に阿部知子の両衆院議員を充てる人事を決めた。両ポストは23、24両日の党大会で決める予定だったが、福島瑞穂党首の調整不足に怒った照屋、阿部両氏が大会当日に就任を拒否。「衆参合わせて議員が12人しかおらず、他に適任者がいない」(党幹部)として、役員2人が空席の異常事態が続いていた。両氏は、最後は党首の陳謝などを条件に就任を承諾したが、お粗末な「お家騒動」に、与党の資質を問う声が出そうだ。
福島氏は昨年12月の党首選で無投票4選を果たした直後、重野安正幹事長を続投させる意向を固めた。国対委員長は辻元清美副国土交通相が兼務していたため、当選1回の中島隆利衆院議員の国対委員長起用を内定し、連立を組む民主党に非公式に伝えたところ「経験不足」を理由に難色を示された。
福島氏はやむなく、23日の党大会初日にベテランの照屋氏に就任を通告し、阿部氏には政審会長への留任を告げた。ところが両氏は「打診もない」と拒否し、照屋氏は大会を中座して地元の沖縄へ帰ってしまった。福島氏は大会中も調整のため携帯電話を手に壇上を歩き回っていたにもかかわらず、終了後の記者会見では「民主主義の政党のため、いろいろな意見が出て人事が決まらなかった」と述べ、失笑を買った。
混乱の底流には、福島氏が参院選で党内に要望が強い選挙区からの出馬を避け、比例代表での立候補に固執していることや、今夏参院選への準備の遅れなどに対する党内の不満があり、福島氏の党運営に批判的な照屋、阿部両氏が日ごろの不満を爆発させた格好だ。
2ポストが空席の3日間、重野氏が国対委員長、阿部氏が政審会長を暫定的に務めた。阿部氏は25日の基本政策閣僚委員会に「党首補佐役」として出席したが、翌朝には財務省が社民党側に「阿部氏は今後、どのような資格と肩書で税調に出席するのか」と問い合わせるなど、政府側も対応に苦慮した。社民党幹部は「混乱ぶりは、与党として恥ずかしい。参院選に影響が出るかもしれない」と自嘲(じちょう)気味に話した。
(毎日新聞2010年1月28日朝刊)
社民人事 国対委員長に照屋氏、阿部氏は政審会長留任へ
2010年1月27日16時36分 路線対立をめぐる混乱で先送りされていた社民党の役員人事で、国会対策委員長に照屋寛徳衆院議員を起用し、政策審議会長に阿部知子衆院議員を留任させることが27日、内定した。同党は同日中にも両院議員総会(衆参12人)を開いて正式に承認する。
同党の役員人事は24日の党大会終了までに決めるはずだった。だが、党の独自性を発揮できていないことや、参院選に向けた取り組みが遅れているといった批判があり、福島瑞穂党首(消費者・少子化担当相)や重野安正幹事長の党運営に異論が噴出。就任が取りざたされた照屋氏や阿部氏が固辞する事態となった。
ただ、内向きな混乱には党内から批判の声が絶えなかった。そこで、最終的には(1)福島氏が党の主張を明確にして参院選に向けた態勢整備を進める(2)阿部氏らが求めていた保坂展人前衆院議員の参院選比例区への擁立を検討する、といった条件で互いが折り合った。
(朝日新聞2010年1月27日夕刊)
かめたか音楽会 ― 2010/01/29

訪米計画やら何やらがあって、実質的に正月以来不休で働いてきた。ということで、断固として代休をとりますといくことで29日は休むことにした。
まあ、疲弊してたのは事実で、メバチコ(ものもらい)にもなってたし。で、午前中は爆睡。午後からは、ちょうど子どもの学校の学校公開で、体育館改装記念の音楽集会をやっていたので見に行った。練習もしてたようだし、見に来てとも言われていたので。
子ども達の歌だから出来は知れているわけだけど、結構いいね。子どもの元気な歌っていうのも。
まあ、疲弊してたのは事実で、メバチコ(ものもらい)にもなってたし。で、午前中は爆睡。午後からは、ちょうど子どもの学校の学校公開で、体育館改装記念の音楽集会をやっていたので見に行った。練習もしてたようだし、見に来てとも言われていたので。
子ども達の歌だから出来は知れているわけだけど、結構いいね。子どもの元気な歌っていうのも。
普天間基地はいらない 1・30全国集会 ― 2010/01/30

日比谷野音で平和フォーラムを中心とする実行委員会が開いた「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」に参加してきた。
1万人集会と称しただけあって、平和フォーラムとしても久々に気合いの入った動員が実現した。野音があふれかえっていたから、実際にも相当の数が集まっていただろう。
若い頃は集会に行ってなんぼ、って感じだったわけだけど、まあいまはそういう感覚はあまり無くなっているわけなんだけど、それでも、大勢集まって気勢をあげている現場に来ると元気が出るし気合いが入るよね。こういう場に来ると、古い仲間・友人と会えるというのもあるし。
後ろに自由な時間があれば、懐かしい人を見つけて飲みに行きたいんだけど、今日はサッサと帰って子どもの面倒を見ないといけなかったので残念。昨日、飲みに行って予定時間を大幅に超えて帰宅してしまったので、2日連続というわけにはいかないんだよね。しょぼしょぼ。
-----------------------------------------------------------――――――
「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」への呼びかけ
皆さん、私たちはフォーラム平和・人権・環境(平和フォーラム)です。
私たちは皆さんに、「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」への参加を呼びかけます。
1996年12月、日米両国政府は「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)の最終報告で、普天間基地の返還と、それに伴う代替基地を建設することで合意しました。
代替基地の建設先とされた名護市・辺野古では、さまざまな反対運動が行われました。特に2004年に防衛庁が環境影響評価(アセスメント)のための調査に着工しようとしてからは、陸上での座り込みや海上での阻止闘争など、体を張った闘いが繰り広げられました。
こうした沖縄の闘いに連帯して、全国各地でも様々な運動がおこりました。東京では、「辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会」(現・辺野古への基地建設を許さない実行委員会)の仲間たちが、防衛庁に対して粘り強い抗議行動を続けました。私たち平和フォーラムも、2004年8月に起きた普天間基地ヘリコプターの沖縄国際大学への墜落事件を契機に、数度にわたる全国集会や、国会議員に対して新基地建設反対を求める要請行動を行ってきました。
また沖縄現地では、2004年と2005年の5月に2度にわたる普天間基地包囲行動が行われ、2009年11月には21,000人が参加しての基地撤去を求める県民大会が開かれました。
「普天間基地を閉鎖する、新基地建設を許さない」――沖縄県民の声、現地での反対運動、全国での反対運動は、ついに日本政府を動かしました。2009年12月15日、鳩山内閣は、普天間基地の移設先を見直すことを表明したのです。
もちろん、鳩山内閣の決定は私たちの意向と完全に合致したものではありません。見直される移設先の候補地には、依然として辺野古も含まれています。辺野古での新基地建設を前提とした予算も計上され、アセスメントの手続きも継続されることになりました。
鳩山内閣の移設先の見直し表明に対して、米国政府からは恫喝のような圧力がかかっています。またマスコミ各社は日米同盟堅持のためには辺野古新基地建設推進の報道を繰り返し、外務省・防衛省の官僚による巻き返しも図られています。
私たちは、私たちの力で実現した移設先の見直しを鳩山内閣に実行させるとともに、普天間基地の閉鎖と新基地建設の阻止を実現しなければなりません。そのためには、米国政府の圧力に負けない、またマスコミ各社のキャンペーンに負けない市民の声と、その声を作りだすための大衆的な行動が必要です。
そうした大衆的な行動の第一歩として、2010年1月30日午後2時から、東京の日比谷公園・野外音楽堂で、「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」を開催します。
沖縄と全国、国会議員と自治体議員、労働組合と市民、沖縄に思いを寄せる仲間が集まって、私たちの声と思いを全国に明らかにしましょう。私たちの声と思いで、日米両国政府を動かしましょう。多くの仲間の皆さんがこの集会参加してくれることを期待して、私たちからの呼びかけとします。
1万人集会と称しただけあって、平和フォーラムとしても久々に気合いの入った動員が実現した。野音があふれかえっていたから、実際にも相当の数が集まっていただろう。
若い頃は集会に行ってなんぼ、って感じだったわけだけど、まあいまはそういう感覚はあまり無くなっているわけなんだけど、それでも、大勢集まって気勢をあげている現場に来ると元気が出るし気合いが入るよね。こういう場に来ると、古い仲間・友人と会えるというのもあるし。
後ろに自由な時間があれば、懐かしい人を見つけて飲みに行きたいんだけど、今日はサッサと帰って子どもの面倒を見ないといけなかったので残念。昨日、飲みに行って予定時間を大幅に超えて帰宅してしまったので、2日連続というわけにはいかないんだよね。しょぼしょぼ。
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「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」への呼びかけ
皆さん、私たちはフォーラム平和・人権・環境(平和フォーラム)です。
私たちは皆さんに、「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」への参加を呼びかけます。
1996年12月、日米両国政府は「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)の最終報告で、普天間基地の返還と、それに伴う代替基地を建設することで合意しました。
代替基地の建設先とされた名護市・辺野古では、さまざまな反対運動が行われました。特に2004年に防衛庁が環境影響評価(アセスメント)のための調査に着工しようとしてからは、陸上での座り込みや海上での阻止闘争など、体を張った闘いが繰り広げられました。
こうした沖縄の闘いに連帯して、全国各地でも様々な運動がおこりました。東京では、「辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会」(現・辺野古への基地建設を許さない実行委員会)の仲間たちが、防衛庁に対して粘り強い抗議行動を続けました。私たち平和フォーラムも、2004年8月に起きた普天間基地ヘリコプターの沖縄国際大学への墜落事件を契機に、数度にわたる全国集会や、国会議員に対して新基地建設反対を求める要請行動を行ってきました。
また沖縄現地では、2004年と2005年の5月に2度にわたる普天間基地包囲行動が行われ、2009年11月には21,000人が参加しての基地撤去を求める県民大会が開かれました。
「普天間基地を閉鎖する、新基地建設を許さない」――沖縄県民の声、現地での反対運動、全国での反対運動は、ついに日本政府を動かしました。2009年12月15日、鳩山内閣は、普天間基地の移設先を見直すことを表明したのです。
もちろん、鳩山内閣の決定は私たちの意向と完全に合致したものではありません。見直される移設先の候補地には、依然として辺野古も含まれています。辺野古での新基地建設を前提とした予算も計上され、アセスメントの手続きも継続されることになりました。
鳩山内閣の移設先の見直し表明に対して、米国政府からは恫喝のような圧力がかかっています。またマスコミ各社は日米同盟堅持のためには辺野古新基地建設推進の報道を繰り返し、外務省・防衛省の官僚による巻き返しも図られています。
私たちは、私たちの力で実現した移設先の見直しを鳩山内閣に実行させるとともに、普天間基地の閉鎖と新基地建設の阻止を実現しなければなりません。そのためには、米国政府の圧力に負けない、またマスコミ各社のキャンペーンに負けない市民の声と、その声を作りだすための大衆的な行動が必要です。
そうした大衆的な行動の第一歩として、2010年1月30日午後2時から、東京の日比谷公園・野外音楽堂で、「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」を開催します。
沖縄と全国、国会議員と自治体議員、労働組合と市民、沖縄に思いを寄せる仲間が集まって、私たちの声と思いを全国に明らかにしましょう。私たちの声と思いで、日米両国政府を動かしましょう。多くの仲間の皆さんがこの集会参加してくれることを期待して、私たちからの呼びかけとします。
普天間基地はいらない 1・30全国集会にて ― 2010/01/30

大きな集会に参加したときは、僕はだいたいデモ出発地点に先回りして、デモが出て行くのを眺めている。雑多な市民の隊列とか、政党の隊列はたいていデモの先頭になるので、普通に真っ先に出てしまうと、参加者の全体像がつかめなくなっちゃうんだよね。
旧総評・社会党系の運動は複雑で非常に分かりづらいんだけど、デモの隊列を一通り見ると結構いろいろ分かるのです。同じ組合の動員でもタテで来てるのかヨコで来てるのか、別の枠組みで来てるのか、会場の旗を見ただけでは分からない。産別(タテ)としては平和運動にまったく関心を失ってしまったと思われる組合が地域共闘(ヨコ)の枠組みで参加してたり、タテの動員で来てるのかと思った単組がなぜか政党の隊列にいたりとか、割と興味深いのです。
最後まで見届けられるといいんだけど、、今回のように非常に規模が大きい場合は隊列が長くて出るのにすごく時間がかかって、先頭に戻れなくなってしまう。と、いうことで、概ね様子が分かったくらいで、早足で追いかけていったわけです。
人を見つけては雑談しながら、先頭方向に戻っていったら、重野幹事長が一般参加者のようにふつーに歩いてるんだわ。そんで、幹事長に言ってデモ隊の最先頭に移ってもらった。せっかくいるんなら、先頭の横断幕を持ってもらった方が画になるでしょう。
ところが、シュプレヒコールが始まったら「アメリカは沖縄から出て行け~」とか「日米安保フンサーイ」とかなってるんだなー。こりゃ重野さんだけ言わんわけにはいかんなー。と思ったらぞろぞろ報道がやってきて、重野さんのシュプレヒコールをうつしてるんだわ。うーん。これをおもしろおかしく使われたらやだなー。
もちろん社民党は直ちにすべての米軍に沖縄から出て行けと言っているわけではないし、日米安保を粉砕するという政策でもありません。幹事長もそんなことは百も承知でしょうが、まあああいう場所にいてしまえばしょうがないよなー。そこまで考えませんでした。すいません。って感じす。
旧総評・社会党系の運動は複雑で非常に分かりづらいんだけど、デモの隊列を一通り見ると結構いろいろ分かるのです。同じ組合の動員でもタテで来てるのかヨコで来てるのか、別の枠組みで来てるのか、会場の旗を見ただけでは分からない。産別(タテ)としては平和運動にまったく関心を失ってしまったと思われる組合が地域共闘(ヨコ)の枠組みで参加してたり、タテの動員で来てるのかと思った単組がなぜか政党の隊列にいたりとか、割と興味深いのです。
最後まで見届けられるといいんだけど、、今回のように非常に規模が大きい場合は隊列が長くて出るのにすごく時間がかかって、先頭に戻れなくなってしまう。と、いうことで、概ね様子が分かったくらいで、早足で追いかけていったわけです。
人を見つけては雑談しながら、先頭方向に戻っていったら、重野幹事長が一般参加者のようにふつーに歩いてるんだわ。そんで、幹事長に言ってデモ隊の最先頭に移ってもらった。せっかくいるんなら、先頭の横断幕を持ってもらった方が画になるでしょう。
ところが、シュプレヒコールが始まったら「アメリカは沖縄から出て行け~」とか「日米安保フンサーイ」とかなってるんだなー。こりゃ重野さんだけ言わんわけにはいかんなー。と思ったらぞろぞろ報道がやってきて、重野さんのシュプレヒコールをうつしてるんだわ。うーん。これをおもしろおかしく使われたらやだなー。
もちろん社民党は直ちにすべての米軍に沖縄から出て行けと言っているわけではないし、日米安保を粉砕するという政策でもありません。幹事長もそんなことは百も承知でしょうが、まあああいう場所にいてしまえばしょうがないよなー。そこまで考えませんでした。すいません。って感じす。
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