普天間基地はいらない 1・30全国集会2010/01/30

日比谷野音
 日比谷野音で平和フォーラムを中心とする実行委員会が開いた「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」に参加してきた。
 1万人集会と称しただけあって、平和フォーラムとしても久々に気合いの入った動員が実現した。野音があふれかえっていたから、実際にも相当の数が集まっていただろう。
 若い頃は集会に行ってなんぼ、って感じだったわけだけど、まあいまはそういう感覚はあまり無くなっているわけなんだけど、それでも、大勢集まって気勢をあげている現場に来ると元気が出るし気合いが入るよね。こういう場に来ると、古い仲間・友人と会えるというのもあるし。
 後ろに自由な時間があれば、懐かしい人を見つけて飲みに行きたいんだけど、今日はサッサと帰って子どもの面倒を見ないといけなかったので残念。昨日、飲みに行って予定時間を大幅に超えて帰宅してしまったので、2日連続というわけにはいかないんだよね。しょぼしょぼ。

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「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」への呼びかけ

 皆さん、私たちはフォーラム平和・人権・環境(平和フォーラム)です。
 私たちは皆さんに、「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」への参加を呼びかけます。

 1996年12月、日米両国政府は「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)の最終報告で、普天間基地の返還と、それに伴う代替基地を建設することで合意しました。
 代替基地の建設先とされた名護市・辺野古では、さまざまな反対運動が行われました。特に2004年に防衛庁が環境影響評価(アセスメント)のための調査に着工しようとしてからは、陸上での座り込みや海上での阻止闘争など、体を張った闘いが繰り広げられました。
 こうした沖縄の闘いに連帯して、全国各地でも様々な運動がおこりました。東京では、「辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会」(現・辺野古への基地建設を許さない実行委員会)の仲間たちが、防衛庁に対して粘り強い抗議行動を続けました。私たち平和フォーラムも、2004年8月に起きた普天間基地ヘリコプターの沖縄国際大学への墜落事件を契機に、数度にわたる全国集会や、国会議員に対して新基地建設反対を求める要請行動を行ってきました。
 また沖縄現地では、2004年と2005年の5月に2度にわたる普天間基地包囲行動が行われ、2009年11月には21,000人が参加しての基地撤去を求める県民大会が開かれました。

  「普天間基地を閉鎖する、新基地建設を許さない」――沖縄県民の声、現地での反対運動、全国での反対運動は、ついに日本政府を動かしました。2009年12月15日、鳩山内閣は、普天間基地の移設先を見直すことを表明したのです。
 もちろん、鳩山内閣の決定は私たちの意向と完全に合致したものではありません。見直される移設先の候補地には、依然として辺野古も含まれています。辺野古での新基地建設を前提とした予算も計上され、アセスメントの手続きも継続されることになりました。
 鳩山内閣の移設先の見直し表明に対して、米国政府からは恫喝のような圧力がかかっています。またマスコミ各社は日米同盟堅持のためには辺野古新基地建設推進の報道を繰り返し、外務省・防衛省の官僚による巻き返しも図られています。
 私たちは、私たちの力で実現した移設先の見直しを鳩山内閣に実行させるとともに、普天間基地の閉鎖と新基地建設の阻止を実現しなければなりません。そのためには、米国政府の圧力に負けない、またマスコミ各社のキャンペーンに負けない市民の声と、その声を作りだすための大衆的な行動が必要です。

 そうした大衆的な行動の第一歩として、2010年1月30日午後2時から、東京の日比谷公園・野外音楽堂で、「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」を開催します。
 沖縄と全国、国会議員と自治体議員、労働組合と市民、沖縄に思いを寄せる仲間が集まって、私たちの声と思いを全国に明らかにしましょう。私たちの声と思いで、日米両国政府を動かしましょう。多くの仲間の皆さんがこの集会参加してくれることを期待して、私たちからの呼びかけとします。

普天間基地はいらない 1・30全国集会にて2010/01/30

1・30集会デモの先頭
 大きな集会に参加したときは、僕はだいたいデモ出発地点に先回りして、デモが出て行くのを眺めている。雑多な市民の隊列とか、政党の隊列はたいていデモの先頭になるので、普通に真っ先に出てしまうと、参加者の全体像がつかめなくなっちゃうんだよね。
 旧総評・社会党系の運動は複雑で非常に分かりづらいんだけど、デモの隊列を一通り見ると結構いろいろ分かるのです。同じ組合の動員でもタテで来てるのかヨコで来てるのか、別の枠組みで来てるのか、会場の旗を見ただけでは分からない。産別(タテ)としては平和運動にまったく関心を失ってしまったと思われる組合が地域共闘(ヨコ)の枠組みで参加してたり、タテの動員で来てるのかと思った単組がなぜか政党の隊列にいたりとか、割と興味深いのです。
 最後まで見届けられるといいんだけど、、今回のように非常に規模が大きい場合は隊列が長くて出るのにすごく時間がかかって、先頭に戻れなくなってしまう。と、いうことで、概ね様子が分かったくらいで、早足で追いかけていったわけです。

 人を見つけては雑談しながら、先頭方向に戻っていったら、重野幹事長が一般参加者のようにふつーに歩いてるんだわ。そんで、幹事長に言ってデモ隊の最先頭に移ってもらった。せっかくいるんなら、先頭の横断幕を持ってもらった方が画になるでしょう。
 ところが、シュプレヒコールが始まったら「アメリカは沖縄から出て行け~」とか「日米安保フンサーイ」とかなってるんだなー。こりゃ重野さんだけ言わんわけにはいかんなー。と思ったらぞろぞろ報道がやってきて、重野さんのシュプレヒコールをうつしてるんだわ。うーん。これをおもしろおかしく使われたらやだなー。
 もちろん社民党は直ちにすべての米軍に沖縄から出て行けと言っているわけではないし、日米安保を粉砕するという政策でもありません。幹事長もそんなことは百も承知でしょうが、まあああいう場所にいてしまえばしょうがないよなー。そこまで考えませんでした。すいません。って感じす。