3年B組 金八先生・ファイナル見た2011/03/27

教員 野崎学
 3年B組金八先生を見てたら親父のことを思い出した。96年の8月に亡くなって、すでに15年になるが、福島で中学校の数学の教師をしていた。
 生徒が補導されたといっては警察に行き、生徒の家でトラブルがあったと聞けば夜でも休みでも出かけていく。普段も朝早く出て、夜に家にいてもいつもガリ版切ってプリント作ってる。休みの日も部活だ、行事だと忙しいばかりに見えた。子供心に、大人になっても学校の先生にはなるまいと思っていた。なにしろ大変そうだったから。
 親父は、内心は僕を教師にしたかったようで、何度かさりげなく言われたけど、そのときはまったく魅力を感じなかった。職業活動家になりかけで、大言壮語したい年頃だったんだよね。
 結局、50代中頃に心筋梗塞を起こして、だましだまし定年まで勤め上げて、ほどなく死んだ。僕が喪主をやったのだけど、現役ではなかったので、親戚と教員仲間でせいぜい100人弱くらいと見込んで葬儀の手配をした。
 それがどこで聞きつけたのか、葬儀場にたくさん教え子が集まってくれたんだよね。二百人以上も想定外の教え子さんたちがきたので葬儀場は大混乱になった。なんだよ、お父ーちゃん、俺の知らないところでずいぶん生徒に慕われてたんじゃん。って驚いた。
 その後も自宅に線香をあげに来てくれる教え子さんたちと話していると、結構、金八先生してたみたいなんだな。そういう教え子さん、たいていはかつての「不良」生徒で、「先生がいなければいまの自分はなかった」って言って帰って行く。
 それでようやく、あー、お父ちゃんはそういう仕事をしてたんだ-、ってわかってきたんだよね。先生って大変な仕事だけど、一人一人の生徒と向き合って、それぞれの人生に決定的な役割を果たせるすごい仕事なんだなあと。僕は、教育基本法を守れとか、民主教育を守れとか大きなことを言っているけど、ただ一人の子どもを救うこともできていない。教師ってすごい仕事だなー、僕も教職をもっと本気で考えればよかったなー、と思った。金八先生を見てたら、そんな気持ちを思い出した。

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