上関原発予定地・岩国米軍住宅予定地視察(祝島)2010/09/27

  9月27日~28日、「『上関原発建設予定地』並びに『岩国米軍基地建設予定地』社民党国会調査団」。岩国基地・愛宕山視察を終え、祝島に渡るために室津港に移動。降ったり止んだりの雨模様の中、チャーター船を待っていると10人程の人たちがぞろぞろとやって来た。
室津港
 汽船会社の社長さんで上関町議の右田さん以下、地元推進派の皆さん。服装等から判断すると主に建設業の方々のようだ。どこで聞きつけたのか、「祝島に行かれると聞いたが、地元は推進派が多い。反対派の声だけでなく推進派の意見も聞いて欲しい」とのことであった。議論をしたそうでもあったが、予定外の出来事で時間もあまりなかったので、「それはそうですね」とあいさつ程度で切り上げて船に乗る。
船上
 今回は地元で上関原発問題に取り組んできた長島の自然を守る会の高島美登里さんが随行してくれた。雨の船上でのレクチャーとてもよくわかりました。カッパを着ているものの、みんな雨でびしょ濡れ。
田ノ浦
 中国電力が埋め立てを行なおうとしている田ノ浦。阻止行動をたたかっているシーカヤック隊のみなさんと、雨の中でエールを交換。いまこの瞬間にも中電があらわれるかもしれない最前線。本当にご苦労様です。
祝島公民館
 祝島。港に着くと大勢の島民のみなさんが出迎えてくれた。祝島では原発計画に反対して毎週島内でデモ行進を行なっている。この日は本当は1072回目のデモが行なわれる予定で視察団も参加する予定であったが、雨のため中止。祝島公民館での意見交換の会を開いた。雨でびしょ濡れになりながらも、島の人たちの熱気を受けて、福島党首、重野幹事長とも気合いが入る。
島民の会事務所
 上関原発を建てさせない島民の会事務所で、多少リラックスして意見交換。早朝からの移動で疲れていたはずだが、党首、幹事長も最後まで付き合う。小さな島で飲み屋も夜間営業している商店もないので、事務方男子は宿のおばさんい無理を言って焼酎を出してもらって、さらに深夜まで。
祝島港
 翌朝、出発しようとすると、たくさんのみなさんが港に見送りに集まってくれた。この島は社民党の支持率が日本で一番高い地域じゃないかと、福島党首もさらに気合いが入る。カメラマンの後ろにもずらりと人がいます。
田ノ浦シーカヤック
 祝島を後にして、再び田ノ浦現地に寄る。雨もあがって、大勢のシーカヤック隊が出ている。田ノ浦の海を守り抜こう、と再びエールを交換。うーん。シーカヤック乗ってみたいぞ。
 室津港で高島さんと別れて新岩国に移動。さらに新幹線で広島に。この視察で、最も不愉快な場面、中国電力本社に行って申し入れ。
中国電力
 祝島や田ノ浦でたたかうシーカヤックの人々の声を、中国電力にぶつける。福島党首、金子中国ブロック議長らが厳しく追及。もちろん、「じゃあ止めます」という回答はえられなかったが、強硬手段への一定の抑止にはなったのではないか。
 下は、中電申し入れの際に渡した文書。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
                                          2010年9月28日 
中国電力株式会社
 取締役社長 山下隆 様
                                         社会民主党党首 
                                           福島 みずほ  
             上関原発建設計画の凍結を求める申し入れ 

 中国電力が山口県上関町に計画している上関原発の建設予定地である田ノ浦付近では、海面の埋め立てに反対する漁業者やシーカヤック愛好者等との間で緊迫した状態が続いています。
 埋め立て予定地は瀬戸内海国立公園に指定され、貴重かつ希少な生物が多く生息する「生き物の宝庫」とも評される海域であり、埋め立てによってかけがえのない生態系を失うことは国民的な損失といわざるを得ません。
 また、海を隔てわずか4㎞の対岸にある祝島の漁業者は周辺海域を主な漁場としており、埋め立てが行なわれれば漁業に大きな打撃をこうむり、生計の維持が難しくなると考えられています。
 中国電力はこの建設計画を危惧する人びとと十分に話し合おうとはせず、工事に抗議する祝島島民やシーカヤック愛好者等に対して「海面埋め立て工事の妨害の禁止」を求める仮処分申請(2009年10月)や、損害賠償を求める訴訟(09年12月)等を一方的に起こし対立を深めています。「地元の理解を得る努力をする」(山下社長)といいながら、自らの生活環境や自然環境を守るためのやむにやまれぬ抗議行動を犯罪のように扱う姿勢は矛盾しているといわざるを得ません。
 柏崎刈羽原発事故で浮上した耐震性に関する疑念や、志賀原発での臨界事故、島根原発における膨大な点検漏れなどから、原発に対する安全や信頼は大きく揺らいでいます。電力需要が逼迫しているわけでもなく、いま上関原発の建設を急ぐ必要はないと考えます。
 以上をふまえて社民党として、以下の点について申し入れるものです。
                          記
1 祝島島民およびシーカヤック愛好者の「海面埋め立て工事の妨害の禁止」の仮処分申請や損害賠償請求等を取り下げること。
2 原子力発電所の建設計画を凍結し、祝島島民ら地域住民や自然保護団体等と十分に話し合うこと。
                                                以上 

上関原発予定地・岩国米軍住宅予定地視察(岩国)2010/09/27

  9月27日~28日、「『上関原発建設予定地』並びに『岩国米軍基地建設予定地』社民党国会調査団」の一員として、山口県と広島県に行ってきた。福島党首、重野幹事長以下、金子哲夫中国ブロック議長、山本宏山口県連合幹事長、山下隆夫山口県連副代表、原田正山口県連常任幹事、松江和男山口県連常任幹事、服部良一議員秘書の市来さんと福田さん、照屋寛徳秘書の塚田さん、本部国民運動の増田さん、という豪華メンバー。何しろ多忙な党首と幹事長が揃って視察に行くというのは滅多にないことだ。
 東京組は朝7時10分の新幹線に乗らなければならなかったのだが、豪雨。総武線が遅れて、東京駅では5分で乗り換えないといけないハメに。東京駅の果ての総武・横須賀線ホームから死ぬ気で走って、ギリギリセーフ。激走のため息が上がってしまって、しょっぱなからヘロヘロだ。広島でこだまに乗り換え、11時29分新岩国駅着で合流。ミニバン2台に分乗して、まずは愛宕山へ。無所属の岩国市議・田村順玄さんや愛宕山を守る会世話人代表の岡村寛さんの案内で愛宕山の開発事業地を視察した。
愛宕山
 愛宕山地域開発事業は米軍岩国基地の滑走路沖合移設事業と連動して97年に始まったニュータウン事業だ。岩国市中心部近くの愛宕山を削って岩国基地沖の埋め立て用土砂として利用し、掘削後の台地に約5600人が住む住宅地を整備する計画だった。基地の埋め立ては出来たが、跡地の開発はうまくいかず2007年に中止。山口県は国に買取を打診したのをうけ、米軍住宅の候補地とされた。
愛宕山
 さる9月3日に、榛葉賀津也防衛副大臣が二井関成山口県知事、福田良彦岩国市長と会談し、愛宕山地域開発事業跡地に米軍住宅を建設する計画を正式に伝え、市民の不安が高まっている。愛宕山は岩国市街に近い一等地で、住宅も多いため、付近の住民には反対が根強いのである。
愛宕山住民と意見交換
 福祉施設やスポーツ施設等が建設される予定の東側エリアを愛宕神社近くの空き地から視察。視察後、弁当をかっこんでから隣接住宅団地の集会所で近隣住民らと意見交換した。なにげに井原前市長が参加されていたのにビックリ。
岩国市街、岩国基地
 途中、高台から岩国基地を見るが、雨の中なのでもやってあまりよく見えない。黒いパラボラアンテナが付いているのが米軍人居住の住宅とのこと。沖縄のなんかと比べても多い印象。車で岩国飛行場の埋め立て場所付近まで行ってから岩国市役所に立ち寄って、トイレ休憩。
岩国市役所前
 すると、福田現市長があらわれる。予定になかいことだったので、具体的な話はせず、あいさつ程度の立ち話で立ち去る。
 岩国基地自体はこれまでのも何度か視察に来たことがあるし、基地内にも入って埋め立て現場に立ったこともあるのだけど、愛宕山に来たのは今回が初めて。いやいや本当に山一つつぶしちゃったんだな。愛宕山は市街地にも近く、市民の中の存在感も大きい。このあたり、少し認識が弱かったと反省。
 祝島に向かうため岩国市を後に、上関の室津港に向かう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
                                                                        2010/09/27
                         岩国飛行場問題について(メモ)
1、経緯
  ・1993年3月 岩国基地沖合移設工事への土砂提供と宅地造成を目指す愛宕山地域開発事業基本構想策定
  ・1997年6月 沖合移設工事起工式(12月に愛宕山事業起工式)
  ・2005年10月 在日米軍再編「中間報告」に空母艦載機の岩国移転が盛られる
  ・2006年3月 米空母艦載機の移駐案受け入れの賛否を問う住民投票で反対が多数(賛成5,369 vs 反対43,433、反対87%)占める
  ・2006年4月 8市町村合併で誕生した新岩国市長選挙で井原勝介旧市長が当選
  ・2006年5月 2+2共同発表「再編実施のための日米のロードマップ」
  ・2006年10月 岩国市議選。移転容認・反対両派きっ抗。後容認派が3分の2に
  ・2007年6月 井原市長・西村副知事、愛宕山事業中止、跡地転用で合意
  ・2007年12月 新庁舎建設補助金をめぐる市議会との対立で井原市長が辞職
  ・2008年2 月 出直し市長選で福田良彦前衆院議員が井原前市長を破り初当選
  ・2009年1月 県都市計画審議会が愛宕山事業中止に伴う都市計画変更案を可決
2、米軍再編と米空母艦載機の移駐
     05年10月の米軍再編中間報告と昨年5月の最終合意では、厚木基地から空母艦載機59機を、また普天間飛行場からKC130空中給油機12機を、岩国飛行場に14年までに移転することが明記された。岩国基地所属の米軍機は現在の57機から120機に膨らむ。06年3月、当時の井原(旧)岩国市長は移転の賛否を問う住民投票を実施し、反対票が87・4%を占めた。合併後初の4月の市長選では移転計画撤回を訴えて当選し、国に計画撤回を求めた。国はこれを受け新庁舎建設への補助金を打ち切った。補助金は、沖縄の基地縮小に絡む96年の日米特別行動委員会(SACO)合意で、前市長が普天間の空中給油機を受け入れた事実上の見返りで、市は建設費の6割にあたる49億円を補助金でまかなうことを想定していた。補助金をめぐる市議会との対立し井原市長は辞職、出直し市長選では容認派の福田良彦氏が当選した。
3、愛宕山米軍施設建設計画案
   愛宕山地域開発事業は米軍岩国基地の滑走路沖合移設事業と連動して97年に始まったニュータウン事業。岩国市中心部近くの愛宕山を削って基地沖の埋め立て用土砂として利用。掘削後の台地に約5600人が住む住宅地を整備する計画だったが、2007年に中止された。山口県は国に買取を打診したが、防衛施設庁(当時)は「米軍住宅の候補地の一つ」と回答していた。
   9月3日、榛葉賀津也防衛副大臣は二井関成山口県知事、福田良彦岩国市長と会談し、愛宕山地域開発事業跡地に米軍住宅を建設する計画を正式に伝えた。跡地西側に低層の270戸(全体の4分の1)の米軍住宅を建設し、東側エリアには野球場やソフトボール場等のスポーツ施設を建設し開門時は市民も原則出入り自由とするなどとしている。岩国市長と山口県知事は「地元への配慮」を評価し前向きな態度を示しているが、米軍区域の拡大に他ならず住民の中には反対論も強い。