広島と長崎に行ってきました ― 2010/08/09

今年も原水禁大会に行ってきた。87年から原水禁運動に関わって、88年の被爆43周年大会以来ほぼ毎年行っている。最初の数年間は原水禁国民会議事務局のバイトとして下働き、その後の数年は社会党出版部の取材として、96年から98年までの3年間は原水禁国民会議と大会実行委員会の事務局次長として、99年以降は社民党政審から政策面での連携をはかるためとして参加している。
まあ、長年の経緯もあるからしょうがないかって雰囲気で行かせてもらっている感じだが、実際に全国の平和運動や反原発運動の活動家と情報交換したり、分科会の講師として呼ばれている先生方と意見交換するまたとない機会なんだよね。
今年は、臨時国会の日程と一部ダブり、議員会館の事務室の引越の準備とも重なったので、同僚のみなさんにだいぶ惑をかけてしまった。帰京の翌日(8月10日)の朝から引越だというので、僕の場合は出発前に自分の分の荷造りを終えておかないといけないということで、8月3日の深夜まで段ボールに資料をぶち込むという作業をして、強行日程で参加することになった。
まあ、長年の経緯もあるからしょうがないかって雰囲気で行かせてもらっている感じだが、実際に全国の平和運動や反原発運動の活動家と情報交換したり、分科会の講師として呼ばれている先生方と意見交換するまたとない機会なんだよね。
今年は、臨時国会の日程と一部ダブり、議員会館の事務室の引越の準備とも重なったので、同僚のみなさんにだいぶ惑をかけてしまった。帰京の翌日(8月10日)の朝から引越だというので、僕の場合は出発前に自分の分の荷造りを終えておかないといけないということで、8月3日の深夜まで段ボールに資料をぶち込むという作業をして、強行日程で参加することになった。
コメント
_ 加藤みさと(旧姓森瀧) ― 2012/03/17 18:37
_ 野崎哲 ― 2012/05/21 01:55
加藤様。コメントありがとうございます。
私が27歳の時に森瀧先生が亡くなられたので、たぶん原水禁の関係者で森瀧先生を直接知っている最後の世代です。それがちょっと自慢だったりします。
私が27歳の時に森瀧先生が亡くなられたので、たぶん原水禁の関係者で森瀧先生を直接知っている最後の世代です。それがちょっと自慢だったりします。
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いろいろ調べてたら、たまたま、ここに行き着きました。
なんだか嬉しかったです。
ありがとうございました。