バレエの発表会2013/04/21

今日は、娘の習い事のバレエの発表会。
会場は例年と違って、江戸川総合文化センター。
毎年、だいたいこの時期に開いているもの。
バレエ中のまる
うちの娘、保育園のころからずっと習ってきました。
以前は「おゆうぎ」みたいな感じでしたが、ちょっとはサマになってきたかな。
バレエ中のまる2
よその子をそのまま出すのもなんだと思って、顔をブラシツールで潰したんだが、リングの「呪いのビデオ」みたいで怖いと言われてしまいちょっと反省。もう少していねいに直さないと。
バレエ中のまる4
まあ、雰囲気を見てもらえれば。
バレエ発表会後
岡山の母親の実家からばあばとひいばあばも見に来てくれました。
わざわざありがたいことです。

立憲フォーラムが発足2013/04/25

近藤代表と水岡副代表
4月25日、衆議員第2議員会館多目的会議室で「立憲フォーラム」の設立総会が開かれた。 安倍内閣が改憲の発議要件を緩和するために「憲法第96条改正」を主張し参議院選挙争点としようとしていることを立憲主義の危機ととらえた衆参12人の超党派の国会議員が呼びかけたもの。僕も事務局として協力している。

■立憲フォーラム呼びかけ人
・阿部知子・江崎孝・大河原雅子・近藤昭一・篠原孝・武内則男
・辻元清美・那谷屋正義・松野信夫・水岡俊一・吉川元・吉田忠智

設立総会には、賛同する国会議員や、憲法・平和問題に取り組む市民団体、労働組合などから約200人以上が参加。国会議員本人の出席は20名、会員は民主党、社民党、みどりの風、無所属など35名(当日)で発足することとなった。
最初に近藤昭一衆議院議員(民主党)が、立憲フォーラムの設立に至った経過について「総選挙の結果、憲法『改正』に積極的な議員が多くなったと言われ、安倍首相も96条改憲に言及している。これは立憲主義に反する動きであり、これに危惧を抱く議員によって立ち上げられた」と説明した。
設立趣意書や規約、役員体制を確認し、幹事長に就任した辻元清美衆議院議員が、今後の活動方針を提起。勉強会の開催や討論・視察、政策提言、有識者や言論への働きかけを行なっていく、と説明し了承された。
役員体制は、代表に近藤昭一議員、副代表に阿部知子議員、水岡俊一議員、吉田忠智議員、幹事長に辻元清美議員、事務局長に江崎孝議員、事務局次長に那谷屋正義議員などとなった。 

■立憲フォーラム役員体制→

​総会終了後、引き続き記念講演を行なわれた。藤井裕久元財務大臣(民主党顧問)は「安倍首相は偏狭なナショナリズムに陥っている。憲法には長い歴史があり、いまの日本の平和と環境は後世に残すべき財産だ。今の異常な状況下で憲法を変えるべきではない」と語った。同じく講演に立った武村正義元官房長官(元さきがけ代表)も、「96条を変えようとする動きはうさん臭いものを感じる。改憲の発議要件は一般の法律よりも厳しくすべきものだ」と語った。
最後に近藤昭一代表が「今の憲法がなぜ出来たのかを改めて考える必要がある。憲法は国を縛るものであるという立憲主義を守っていくことは、世界の平和に貢献することに繋がる」と、フォーラム結成の意義を訴えた。

立憲フォーラムは、平和フォーラムの議員懇を基板として結成準備が進められ、旧総評系の労組の支援を受ける議員が目立つが、必ずしも護憲派結集というわけではない。憲法を変えないにせよ、変えるにせよ、立憲主義の原則は踏まえなくてはならない、というのが共有点だ。藤井さんも、オレは改憲派だが、と前置きされ、安倍さんがやろうとしているような変え方ではダメだと批判されていた。
変えたいならちゃんと両院の3分の2以上、国民の半分以上が、そうだなーという案を作る努力をするべきだよね。なかなか変えられないから、変えるハードルを下げちゃおうなんてやり方はダメですよ、ということ。

立憲フォーラム設立総会

ゴールデンウェークの家族旅行で被災地へ2013/04/29

ゴールデンウェークの前半、義妹一家と宮城の被災地に行った。
僕は仕事絡みで何度も行っているが、他は全員はじめて。
新幹線で仙台に行き、レンタカーを借りて石巻へ。
NPOのボランティアさんに案内をお願いした。
門脇小学校前
まず、全壊した門脇小学校跡へ行く。
僕は同じ場所に2012年5月に来ているが、ほとんど変わっていない印象。
門脇小学校
隣接する西光寺の墓地も手つかず。
門脇小学校跡
校舎の中も当時のままだ。
門脇小学校校舎跡
校内にいた児童の大半は裏の日和山に避難して無事だったが、周辺から門脇小学校に避難してきた住民から多くの犠牲者が出た。
続いて、「石巻まちなか復興マルシェ」へ。被災したお店が集まって営業を続けている。
復興マルシェ
腹が減ったので、1人円盤餃子セットを食う。
内海橋を渡って、中州にある石ノ森萬画館へ。石巻は石ノ森章太郎の「第二の故郷」なのだそうです。
石ノ森漫画館前
石ノ森萬画館を見てると結構時間がかかって、日も陰って来たので、宿泊予定の女川へ向かう。女川の宿はエルファロ。
エルファロ
女川で被災した旅館4社が集まった「女川町宿泊村協同組合」が運営している。
トレーラーハウスが並んでいるのは、瓦礫で埋め尽くされた町で、建築制限もかかる中でのアイデアだ。建築物ではないし基礎を打つ必要も無いので様々な場所で営業ができる。
エルファロ
トレーラー・ハウスといっても、バス・トイレも室内にあって、ぜんぜん問題ない.ロフトがあるので子供も大喜び。これが第1期分48室(ロフト付は12室)並んでいる。
エルファロ
中央に広いデッキがあってその周りに配置されているトレーラーはレストランになっている。食事もちゃんとしたものが出る。
エルファロ
レストランの入口に見慣れた木彫りのクマが。
聞いてみたら、このデッキは清水国明さんの一味がやってきてサクッと作ってくれたものだそうで、木彫りはその時のおまけ。清水さん、いろいろやってんな。
なかなか女川に行く機会はないかもしれないが、結構おすすめです。
宿泊料も安く、5~6000円程度。もともと旅館の人たちがやっているので、サービスもちゃんとしてる。
朝食後、付近を散策した後、チェックアウトして女川港へ。
女川港はだいぶ片付いていたが、被災した建物がいくつか残されていた。
女川港
こんな建物が倒れたらどうにもならない。部屋の中に車が入ったまま。
女川港
これ4階建てのビルです。
ここから松島に向かい、昼飯を食ってから、せっかくだから松島湾を遊覧船でクルーズ。
宮島
これが「日本三景」というものか~という感じ。
松島港
港では娘がかんしゃく。甥っ子になぐさめられている。
なだめすかしながら、瑞巌寺を観光。伊達政宗の菩提寺とのこと。
瑞巌寺
瑞巌寺自身より、参道の洞窟群が興味深かった。なんだろう。
瑞巌寺は普通の寺って感じ。伊達政宗ってあまり知らなかったが、結構面白そう。
かんしゃく
娘のかんしゃくは断続的に続く。
この日の宿は塩竃。宿は普通のビジネスホテル。部屋は超狭い。トレーラーハウスの方がよほど広い。
僕は、せっかく宮城に来たから、宮城の社民党のK島君を呼び出して飲みに行く。家族は別に寿司を食いに行った模様。
翌日は塩竃神社→塩竃水産物仲卸市場→マリンゲート塩釜。
塩釜市営汽船に乗って、浦戸諸島の野々島に行く。
野々島
野々島を歩くと、至る所に洞窟がある。
地元では「ボラ」と呼ばれているそうだが、誰がいつ頃作ったのか謎らしい。
今は住民の物置場に使われているところもが多い。
かんしゃく
山道を進むと墓地があって、夜泣き地蔵がある。子供の夜泣がなおると言い伝えられているとのこと。うちの娘は、ここでもかんしゃく。
キリシタン仏
熊野神社の御神像の奥に納まる厨子入り仏像は、キリシタン仏といってキリシタン研究の貴重なものらしい。帰りの船の時間の関係で、見に行っている時間が無かったが、参道の仏像も十字架をもっている。
キリシタンとというと長崎の印象が強いけど、宮城にも慶長遣欧使節団以来のキリシタンの伝統があるのだな。
ということで、帰りの船の時間になりそそくさと帰りました。
その後は、仙台に行って車を返して、新幹線で帰京。
東京に帰るとすでに夕方。
塚田農場
錦糸町の塚田農場で食事をしてから、帰宅。