社民党全国専従者交流会 in OKINAWA2009/11/29

辺野古です
 11月28日から30日まで、沖縄で党の全国専従者交流会。僕は93年入局だが、記憶にある限り、こういう企画は初めてだと思う。正規の書記局だけじゃなく、パート・アルバイトも含めた中央・地方のスタッフをみんな連れて行くという太っ腹な企画だ。もちろん党には金がないので、長年にわたって専従者が積み立ててきた共済会の余裕資金を使うとのこと。
 同日程で香川で「全国青年議員・青年党合宿交流会」というイベントが重なったため、若いスタッフのなかには参加できなくなってしまった人もいて、気の毒だった。なんとか調整できなかったのかよ?という気はするが、そういうところが社民党らしいところだ。
 まあ、そうはいっても、党を支える専従者がこうやって交流することはよいことだよ。実際、同じ党を支える専従スタッフといっても、担当分野や地域が違えばほとんど会うこともないわけで、こういう機会でもないとなかなか接点がない。名前と顔が一致しない人、初めて見るような人も結構大勢いて、小さくなったとはいえまだまだいろんな人が支えているんだなあ、ということを実感した。
 実は、僕は、義妹の結婚式があって初日は遅れて合流。みんなは幹事長の話を聞いたり、沖縄戦の話を聞いたりと、座学をしていたところをすっ飛ばして、懇親会からの参加。いやー申し訳ない。2次会、3次会と遅くまで懇親を重ねる。これじゃ、ただ飲みに来ただけだな。
 2日目は二日酔いをこらえながら、辺野古、嘉手納基地、普天間基地を視察し、首里城を見学。夜は国際通りでまたまた懇親。

NONUKES FESTA 2009~放射能を出さないエネルギーへ2009/10/03

パレード先頭
 明治公園で「10・3 NONUKES FESTA 2009~放射能を出さないエネルギーへ」が開かれた。原水禁や全国の市民団体で構成する、同集会全国実行委員会(代表:小木曽美和子、鎌田慧、福山真劫)が主催。主催者発表で約7000人が参加した、脱原発運動としては久々の大集会だ。「原発の新増設を中止し持続可能な社会を目指す方向にエネルギー政策を転換する」ことを求めた集会アピールを採択し、代々木公園までパレードを行なった。
 政党からは社民党の福島みずほ党首と近藤正道参議、民主党の相原久美子参議があいさつに立った。集会に先だって原水禁などは原子力政策の転換を求める署名約58万人分と、山口県上関町の原発建設計画中止を求める署名61万人分を政府に提出した。
 政権交代直後の漠然とした期待感もあって、最近元気がなかった脱原発もやや盛り上がりつつあるかな。僕は別用で人に会っていて、終って駆けつけたころは、パレードが出発したところ。7000人くらいいるとパレードが出発するのも結構大変だ。家で子どもが待っているので、途中で抜けようと思っていたんだけど、結局、解散地点の原宿代々木公園まで歩いてしまいました。

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                   集会アピール

 地球温暖化を防止するため、世界に通用する持続可能な未来の社会モデルを提示することが求められています。大量の資金、人材、技術基盤を必要とする原子力などの高度先端技術で、途上国と一緒に問題解決することはできません。日本のような工業先進国が、自然共生的な社会モデルを目指すことが必要です。ところが、これまでのエネルギー政策は、予算の大半を原子力に投入し、自然エネルギーの開発利用を遅らせてきました。
 また、2005年に策定された原子力政策大綱では核燃料サイクル路線が再確認されましたが、根幹である六ヶ所再処理工場では技術的欠陥が露呈し、余剰プルトニウム問題が深刻になるなど、原子力政策は矛盾だらけです。中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発や東海地震の震源域に立地する浜岡原発などに安全のお墨付きを与えつづける安全規制体制は、国家的耐震偽装ともいえ、国民の信頼を失っています。
 「原子力村」による利権構造は、現実を踏まえた国民的議論を拒んできました。原子力委員会は、これまで5年ごとに行ってきた長期政策の見直しすら先送りするとしています。
 わたしたちは、非自民の新政権が発足した今こそ、原発の新増設を中止し持続可能な社会を目指す方向にエネルギー政策を転換するべきと考え、本日、明治公園に集まりました。
 危険なプルトニウム利用として計画されている六ヶ所再処理工場の試験運転、各地の原発でのプルサーマル、もんじゅの運転再開を中止させましょう。
 破綻している原子力政策大綱の見直しを政府に要求して行きましょう。
 また、原子力安全規制体制の抜本的見直しを要求して行きましょう。 わたしたちと子どもたちの未来のために!

2009年10月3日

「NO NUKES FESTA2009 放射能を出さないエネルギーへ」 参加者一同

安保理で「核なき世界」決議2009/09/25

鳩山総理
 9月24日、国連安全保障理事会は核軍縮・不拡散をテーマにした初の首脳級会合を開催し、米国が提出した「核兵器のない世界」に向けた取り組みについての決議案を全会一致で採択した。安保理として初めての決議だ。
 今回初めて安保理議長を務めたオバマ米大統領は「歴史的な決議だ」と意義を強調した。5常任理事国からはオバマ氏のほかロシアのメドベージェフ大統領、中国の胡錦濤国家主席、ブラウン英首相、フランスのサルコジ大統領の各首脳がそろい、鳩山首相を含む10非常任理事国の首脳らも出席した。
 鳩山首相は「世界の指導者にぜひ広島、長崎を訪れて核兵器の悲惨さを心に刻んでいただければと思う」と呼びかけた。被爆国の責任として「日本は核兵器開発の潜在能力があるにもかかわらず、核軍拡の連鎖を断ち切る道を選んだ」と強調、北朝鮮の核問題に直面しながらも核軍拡競争には加わらない立場を鮮明にし、非核三原則の堅持を表明した。鳩山首相は英語で演説したが、国連の演説は通常は母国語で行なうので、日本語で演説すべきではなかったかという批判もあるが。内容は具体性があるとはいえないかもしれないけど、まあ良かったのでは。
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核不拡散・核軍縮に関する国連安保理首脳会合の決議(要旨)
(前文)
 安全保障理事会は、核不拡散条約(NPT)の目標に沿って、核兵器のない世界に向けた条件を構築することを決議する。
 すべての加盟国に軍縮に関する義務の履行や大量破壊兵器の拡散防止を求めた、92年1月31日の国連安保理首脳会議での声明を再確認する。
 大量破壊兵器の拡散や運搬は国際的な平和や安全保障を脅かすことを再確認する。
 NPTは核不拡散体制の礎で、核軍縮の追求や核の平和利用に不可欠な基礎だと強調する。
 核兵器国による核軍縮の努力を歓迎する。
 米ロの第1次戦略兵器削減条約(START1)後継に向けた交渉決定を歓迎する。
 非核兵器地帯条約の締結に向けた取り組みを支持する。
 09年の1874決議(対北朝鮮制裁決議)や08年の決議1803(対イラン追加制裁決議)を再確認する。
 核テロの脅威に深刻な懸念を表明し、テロリストを利する核物質・技術支援を防ぐ効果的な措置をすべての国が取る必要性を認識する。
 来年の核安全保障サミットの開催を支持する。

(本文)
 核不拡散の義務を順守しない状況は安保理で問われることとなり、国際的な平和や安全保障への脅威となるか見極めることを強調する。
 NPT締約国に、NPTに基づき義務を全うすることを求め、NPT非加盟国には、非核兵器国としてNPTに加盟するよう求める。
 来年のNPT再検討会議がNPTを強化するものとなり、核不拡散・核の平和利用・核軍縮というNPTの3つの柱に現実的かつ達成可能な目標を設定できるよう、NPT加盟国に協力を求める。
 すべての国に対し、核爆発実験をせず、包括的核実験禁止条約(CTBT)に署名、批准するよう求める。
兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)の早期交渉入りを求める。
 核燃料サイクルへの多国間の取り組みに関する国際原子力機関(IAEA)の作業を奨励する。
 IAEA追加議定書への署名や批准、履行をすべての国に求める。
 NPTを脱退した国は、脱退以前のNPT違反について責任を負うことを確認する。

韓国のロケットと北朝鮮のミサイル2009/08/29

羅老号
 8月25日、韓国政府は同国南西端の全羅南道・高興の羅老宇宙センターから衛生ロケット「羅老(なろ)号」を打上げた。衛生の軌道投入に失敗、世界で10ヵ国目の「自前ロケットで人工衛星を打上げた国」への仲間入りは出来なかった。
 羅老号は2段式で、重さ約100キロの試験科学技術衛星を搭載。1段目のブースターの切り離しには成功したが、目標軌道に乗せることには失敗した模様。ロシアとの共同開発。  航空宇宙研究院は今回の打ち上げに続き、来年5月に2度目の羅老号テスト発射を行なう予定という。ちなみに自前で衛生を打ち上げた9ヵ国は、ソ連、米、仏、日本、中国、英、インド、イスラエル、イラン。(欧州宇宙機関、北朝鮮を除く)
 6月29日、米空軍はICBM(大陸間弾道ミサイル)「ミニットマン3」の発射実験を実施した。カリフォルニア州のバンデンバーグ空軍基地の地下サイロから8700キロを飛行して太平洋上のマーシャル諸島クエゼリン環礁近くの目標に着弾した。弾頭は搭載していなかったという。

 この件についての報道や政府、各党の態度は極めて静かだ。若干の報道はあったが、それ以外はほとんど無反応と言ってもよい状況だ。確かに、アメリカのミニットマンは1970年に開発・配備されたもので特に目新しいものではないが、核廃絶の決意を示したオバマ政権にとって射程1万キロともされるMIRV(多弾頭)弾道ミサイルの実験をこの時期にすることが適切か、極めて疑問だ。韓国の羅老号は、4月5日に北朝鮮が発射した「テポドン2(北朝鮮は「銀河(ウンハ)2号」)と変わらない。
 羅老号は特に問題とされず、テポドンは国際社会こぞって安保理決議だなんだと大騒ぎした揚げ句、制裁(結局「議長声明」となった)だ、船舶検査だということになった。北朝鮮から見たらこの差は納得いかないのは当然ではないか。現に北朝鮮外務省は羅老号打ち上げについて「今後、南朝鮮(韓国)の衛星打ち上げに対する6ヵ国協議参加国の反応と態度を見れば、平等の原則が存在するのか、もしくは崩れたのかが再度明白になるだろう」(北朝鮮外務省スポークスマ、8/10)というコメントを発表し牽制していた。まあ当然だよね。少なくとも平等ではないね。

 ※06年7月のテポドン2発射を受け決議1695を採択。06年10月の核実験に関連し決議第1718号を採択。

 まあ、北朝鮮は核実験をした後の安保理決議に対してあえて挑戦しているわけだから、条件は多少違うけど、彼らの立場からすれば不平等だと考えるのは理解は出来る。韓国のはロケットでOK、北朝鮮はミサイルだから袋だたきで制裁、アメリカなんかICBMそのものを撃っても誰も問題にしないわけだから。
 核の問題にしても、そもそも米ロ英仏中は核保有が許され他の国の核保有を禁止するというNPTの不平等性が根本にあるし、NPTに加盟しないイスラエルやインド、パキスタンの核が事実上放免されていることが公平でないことは間違いない。なぜ北朝鮮の核だけ大騒ぎしてヤレ決議だ、ヤレ制裁だとやられるのか。と思うでしょう。そりゃ。

 確かに北朝鮮はケシカラン国だ。北朝鮮の核実験なんか絶対許せないし、なんとしてでも止めなきゃならない。でも核兵器の攻撃力という面でいえば既存の核兵器国や印・パ・イスラエルは比較できないレベルだし、核拡散という観点でも北の独裁体制よりパキスタンの無秩序の方がよほど差し迫った危機だ。
 ここはやはり公平に国際的規制を強化して、その規制力を強めていくという正攻法しかないと思う。つまり、NPT未加入国には断固として加入を求める。アメリカはNPT未加入のままインドと原子力協定を結びウランを提供するべきではない。NPT未加入のイスラエルにバンバン軍事援助をするなんて論外。パキスタンがNPTに入らない限り一切の援助を凍結するべきだし、カーン博士の「核の闇市場」問題を国際社会の責任で徹底解明すべきだ。NPT再検討会議の議論を実質化しNPT体制を強化する。そしてなにより核兵器国はNPT6条の核軍縮義務を誠実に履行しなくては。
 弾道ミサイルの拡散防止のためには、とりあえずミサイル関連技術輸出規制(MTCR)、弾道ミサイル拡散防止のための行動規範(ICOC)など既存のミサイル拡散防止体制の強化をはかり、ミサイル不拡散体制の条約化の議論を開始すべきだ。弾道ミサイルの新たな開発は原則禁止し、技術的に区別が難しい人工衛生打ち上げロケットの開発にあたっては「実行可能な最大限度まで情報を提供」(宇宙条約11条)することを条件に国際的監視の下で行なうこととすればいい。ジュネーブ軍縮会議(CD)や、生物兵器禁止条約(BWC)、化学兵器禁止条約(CWC)の機能と権限の強化などなすべきことはいくらでもある。
 これまで、こうした国際的な規制の強化に反対してきたのは専ら米国だ。自らの行動が規制されることを嫌って、国際的な軍備管理体制の強化に多くの場合否定的な態度をとってきた。オバマ政権下でこうした姿勢が変化していくのを期待したい。
 結局、お互い様、みんなでやめていこうよ、というやり方しかないのだ。イスラエルはいいけどイランはダメ、韓国はいいけど北朝鮮はダメ、自分はいいけど他の国はダメ、というのじゃなくて。みんなで核兵器を無くしていきましょうよ。みんなで弾道ミサイルとかは持たないようにしていきましょうよ。と。
 誤解の無いように繰り返すけど、北朝鮮への制裁に反対しているのではない。パキスタンやインドへの制裁を早々に解除して、むしろ援助しちゃうなんて論外でしょう。イスラエルの核をどうしてほっておくのか。ということをいってるわけです。

新潟で第21回国連軍縮会議2009/08/26

朱鷺メッセ
 国連軍縮部と国連アジア太平洋平和軍縮センターの主催、新潟県・市、外務省の協力による「第21回国連軍縮会議」が26~28日、新潟市の朱鷺メッセではじまった。21ヵ国・オブザーバー2ヵ国から政府高官や研究者ら約90人が参加し、「新潟から世界へ:核兵器のない世界に向けた新しい決意と行動」をテーマに議論した。核兵器のない世界の実現に向けた具体的な行動、朝鮮半島の非核化、2010年NPT運用検討会議の展望、軍縮・不拡散分野における市民社会やマスメディアの役割といった様々な観点から議論される。
 出席はハナロア・ホッペ・国連軍縮部長兼上級代表次席、須田明夫・軍縮代表部大使、中根猛・ウィーン代表部大使をはじめ、スーザン・バーク・米大統領特別代表(核不拡散担当)や、「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」共同議長の川口順子・元外務大臣とギャレス・エバンス・元豪州外務大臣、カナット・サウダバエフ・カザフスタン国務長官など。
 スーザン・バーク米大統領特別代表は講演で、核兵器廃絶は「米国単独では無理だが、主導することはできる」、「米国は核兵器を削減し軍事的な役割を低下させる。他の核保有国にも同様の行動を求める」、「米ロで交渉中のSTART1の後継条約に法的拘束力のある検証機能を取り入れる」などと延べ、実効性のある条約を目指し核廃絶へ向けたリーダーシップを取ると発言した。
 川口順子元外相は「米ロが核兵器削減交渉に入るなど、最近の核軍縮への流れは数年前と対照的。核保有国の積極的な情報開示や国際的な枠組み設立などで、核兵器のない世界を目指すべきだ」と述べた。
 ハナロア・ホッペ国連軍縮部長は「核兵器のない世界をつくるためには核保有国、非保有国それぞれに努力が必要。生産的な議論がなされることを願っている」とあいさつ。  新潟市の篠田昭市長は「新潟市は原爆の投下予定地の一つだった。この市での開催が大きな足がかりとなれば」と述べた。
 基調講演としてカザフスタンのカナト・サウダバエフ国務長官が「核保有国こそ核兵器を削減し、核放棄の模範にならなければならない」と訴えた。

 国連軍縮会議は89年の第1回京都会議以降、毎年日本で開催され、今回で21回目。京都市で6回、広島市で3回、札幌市で3回、長崎市、2回、仙台市、秋田市、金沢市、大阪市、横浜市及びさいたま市で各1回開催されている。

これまでの開催状況

開催地 期間 参加
1 京都(第1回) 1989.4.19-22 31カ国 90名
2 仙台 1990.4.16-19 21カ国 42名
3 京都(第2回) 1991.5.27-30
37カ国 98名
4 広島(第1回) 1992.6.15-18 20カ国 61名
5 京都(第3回) 1993.4.13-16 37カ国 90名
6 広島(第2回) 1994.5.24-27 19カ国 62名
7 長崎(第1回) 1995.6.12-16 36カ国 91名
8 広島(第3回) 1996.7.17-20 22カ国 62名
9 札幌(第1回) 1997.7.22-15 28カ国 73名
10 長崎(第2回) 1998.11.24-27 23カ国 100名
11 京都(第4回) 1999.7.27-30 24カ国 60名
12 秋田 2000.8.22-25 22カ国 64名
13 金沢 2001.8.28-31 16カ国 65名
14 京都(第5回) 2002.8.7-9 13カ国 37名
15 大阪 2003.8.19-22 18カ国 55名
16 札幌(第2回) 2004.7.26-29 20カ国 70名
17 京都(第6回) 2005.8.17-19 20カ国 50名
18 横浜 2006.8.21-23 14カ国 48名
19 札幌(第3回) 2007.8.27-29 18カ国 68名
20 さいたま
2008.8.27-29
16カ国 87名

勘弁してよ~ 田母神さん2009/08/26

 田母神俊雄・元航空幕僚長は8月25日、衆院宮崎1区の無所属前職の応援演説で、広島原爆の日の6日に開催された市の平和記念式典の列席者について「被爆者も2世もいない。左翼ばかりだ」などと発言したという。
 田母神氏は演説で6日に広島市で講演したことを紹介。さらに平和記念式典について「慰霊祭は左翼運動。あそこに広島市民も県民もほとんどいない。原爆の被爆者も2世もいない。並んでいるのは全国から集まった左翼。一部政治勢力が日本弱体化を図っている」などと述べたと報道されている。

 勘弁してよ~。田母神さん。
 田母神さんは高校の先輩だというのもあって、僕はそんなに悪く思っていないのですよ。もちろん世代が違うので直接面識は無いんだけど、気のいいおっチャンで、ややオッチョコチョイながら、真面目で面倒見もよいといわれている。たぶん高校の同窓生の中で自衛隊で一番偉くなった人だし。
 アパホテルの懸賞論文なんかに応募するところがそもそも軽率だし、出来レースで受賞して喜ぶあたりも可愛らしい。論文の内容とか、彼の思想や立場はもちろん、大反対なんだけど、あのくらいの右翼ぶりは保守の政治家にはゴロゴロいる。まあ、ケシカランとは思うけど、政界なんてケシカラン奴ばかりなわけだから目くじら立ててもいられないし。
 しかし、平和記念式典の話は、どう考えてもあまりにも無茶苦茶な誤り。そんなアホな話はないでしょう。むしろあれが全部左翼だったら、非常にうれしいけどね。たぶん自分では見てもいないのだろうけど、こういう明々白々なウソを言っちゃうのは自分を貶めちゃいますよ。先輩!
 ちなみに、09年3月末現在の被爆者で広島市内に在住しているのは7万3666人、その他広島県内に3万3116人だ。これは被爆者健康手帳の数だから、厚労省が「被爆者」と認めた被爆者の数で、これだけでざっと10万人以上になる。実際には手帳を持たない被爆者も大勢いるし、2世3世をいれればさらにずっと多くなる。もちろん式典に全員が来るわけはないけど、被爆者・遺族のための2000席が埋まらないわけはない。式典の参加者全体は約5万人だから、もちろん被爆者以外も大勢いるし、その中には左翼的な人もいるかもしれないけど、広島市民も県民も被爆者も2世もほとんどいなくて全部左翼なんて、荒唐無稽もいいとこだ。
 しかもその根拠は「広島の友人がみんなそういっている」からだ、っていうんだからあきれる。別に市の式典を批判してもいいし、広島の平和運動を批判してもいい。平和運動のなかではどちらかと言えば左派勢力が主導権を持っているのも事実でしょう。それを批判したって別にかまわない。でも、批判は事実に基づいてやっていただきたい。根拠薄弱意味不明のことを言って被爆者を冒涜するのは許せない。
 まあ、左翼から批判され、右翼から持ち上げられ、トチ狂ってるのかもしれないが、「軍人」ならもう少しリアリストじゃないとね。「北朝鮮に住んでいるのは普通の人間じゃない。住んでいるのは全員反日のテロリストだ。アメリカの友人がそういっていたから確かだ」っていうのと同じレベルだべ。批判は批判で結構なので、事実に基づいてもう少しまともなことを言ってください。田母神先輩! 安積高校の後輩が泣いてます。

千鳥ヶ淵に行ってきました2009/08/15

千鳥ヶ淵六角堂前
 8月15日、千鳥ケ淵に行った。
 千鳥ヶ淵というのは千鳥ケ淵戦没者墓苑のこと。靖国神社の南側、皇居の西側の千鳥ヶ淵公園に隣接している。第二次世界大戦の際に海外で亡くなった身元不明の軍人・一般人の遺骨を安置するために1959年に作られた、国(環境省)が維持管理する「無名戦没者の墓」だ。特定の宗教性を帯びず、仏教・神道・キリスト教等の各種団体が行事を行なっている。拝殿にあたるのは六角堂という納骨堂。古代豪族の棺を模した陶棺が置かれ、地下に、主な戦域別に6部屋の地下室が設けられ、鋳鉄製の壺に遺骨が安置されている。35万2297柱(07年5月)の遺骨が安置されている。  社民党は、毎年8月15日に平和フォーラムが主催(以前は社民党も共催)する追悼集会に参加している。ほぼ毎年、党首が出席している。僕もよほどのことがない限り参加している。黙祷して、何人かの「誓いの言葉」の後、献花をするだけの簡単な式なんだけど、うだるような暑さと蝉の声が否応なく「あの夏」を思わせる。不戦の思いをあらたにするなくてはならない場だ。

 靖国神社にはA級戦犯が祭られていてケシカランとかよく言われるわけだけど、僕はそういうこと以前に靖国より千鳥ヶ淵の方がずっと8・15の慰霊の場としてふさわしいと思っている。

 第一に、戦没者にも様々な信仰があるということだ。あの時代には確かに「靖国で会おう」と言って散った命は少なくないだろうが、そうではない者も多かった。おれは自分の寺に帰るとか、クリスチャンなら神の御許にかえるわけでしょう。
 靖国神社はとにかく全部靖国で祀るんだと勝手に決めつけてやっているわけだけど、なんでそんな判断に従わんといかんの。厚生省から戦死者の名簿をもらってきてそれを霊璽簿なる書類に勝手に書き写して祀っとくと、そのうち御神体に魂が移るというんだけど、無茶苦茶怪しい世界だ。イヤだという人の名前を勝手に書いて勝手に祀るつーのはどーシテも理解できないね。
 第二に、歴史や伝統が浅い。薩長土肥の都合で 1869年(明治2年)に東京招魂社として創建され、1879年(明治12年)に靖国神社と改称された靖国神社は、普通の神社とはまったく異なるものだ。薩長土肥の新政府が自分たちの為政に都合がよいようにつくったもので、きわめて政治的な意図の下で形式的に建てられた。神社なんか、家の近所のちっちゃな神社でも創建数百年というそれなりの古い歴史や言い伝えがあるものなんだけど、靖国神社にはそういう古い土着してきた経緯が全くないのである。儀式とかも、なんか勝手に決めてなんとなく重々しそうにかっこつけているだけにしか見えない。厚労省から名簿もらってきて書き写すと、霊になりました、ってどうすりゃそんなふうに思えるんだ?
 第三に、慰霊をする雰囲気が全然ないよ。僕は千鳥ヶ淵に行った後、時間があれば靖国神社にも行っている。今年も昭和館に寄ってから行ったんだけど、騒然としてるのね。靖国通りには街頭右翼の黒い街宣車が大音量でがなっている。周辺のあちこちで右翼的主張の若者がビラ配ったりしながら排外的な主張をがなっている。境内でも軍服着た右翼の人たちがガンつけて歩いている。

 その点、千鳥ヶ淵は無宗教で、どんな人でもわだかまりなく祈ることができる。いろんな宗教団体も参拝に来る。静かだし、聞こえるのはセミの声ばかり。おかげで軍服の人も時折現われるけど深々と敬礼して帰って行く。そしてなにより千鳥ヶ淵には遺骨があるのである。身元のわからなかった35万余中の遺骨が納められている。六角堂と、収まりきらなかった遺骨を収容するためにすぐ裏側に収容施設が増設された納骨堂。ここにある骨の力というのはすごいと思うよ。どんな形式張った儀式よりずっと力がある。
 国家神道信者は靖国に行けばいい、ミーハーな見物者もどうぞ靖国で饅頭でも買ってやってください。あの戦争で亡くした人を偲ぼうとする方は、それぞれゆかりの地でもかまわないし、自分のお寺でも、近所の教会でも結構です。それぞれの方法で故人を偲び、不戦の誓いを新たにすればよいのです。特に思い当たる場所が無い方は、もっとも広範な国民がこだわりなく慰霊ができる場所、もっとも多くの遺骨が眠る場所、として千鳥ケ淵戦没者墓苑はいかがでしょうか。と思うのですが。

60年たっても放射線2009/08/07

内部被ばくの写真
 長崎原爆の日を前にして、興味深い写真が報道された。長崎原爆で死亡した被爆者の体内に取り込まれた放射能が、被爆から60年以上たった今も放射線を放出している様子を撮影したというのである。撮影したのは長崎大の七条和子助教らの研究グループ。
 爆心地から0・5~1キロの距離で被爆、急性症状で1945年末までに亡くなった20~70代の被爆者7人の解剖標本を研究していたという。
 アルファ線が、被爆者の肺や腎臓、骨などの細胞核付近から放出され、黒い線を描いている様子の撮影され、アルファ線の跡の長さなどから、長崎原爆に使われたプルトニウムによるものとほぼ確認された。
 小さなニュースだけど、こりゃすごいことだよ。長年、軽視され続けてきた内部被ばくの事実が、ずばり撮影されているわけだから。やはり体の中に放射能を取り込んでしまうということは大変なことだ。低線量被ばくの危険がこれまで言われていたよりずっと大きいのではないかということも議論されるようになってきたし、内部被ばくの証拠もこれだけはっきりと撮影されたわけだから、被ばくの影響についてもう一度、根本的な再検討を行なうべきではないか。DS86 (被曝線量評価)だDS02 だ原因確率だと言ってる場合じゃないって。
 細胞の中に取り込んで60年後にこんだけハッキリアルファー線が写っちゃうんだから、内部被ばくの影響は相当大きいのはまちがいないよ。残留放射線や放射性降下物、内部被ばくの影響についてきちんと再評価して、原爆症の認定基準についても根本的に見直す必要があるだろう。
 へんな政治的配慮で緩めるんじゃなくて、きちんと被ばくの影響を再評価した方がいい。もちろん高齢な被爆者には時間がないので、救済は救済で即刻行うべきなのは当然ですよ。

米ロ首脳が核削減等で合意2009/07/07

 7月6日、就任後初めてロシアを訪れたオバマ米大統領は、クレムリン宮殿でメドベージェフ大統領と会談した。今年12月に失効する第1次戦略兵器削減条約(START1)に代わる条約締結に向け、両国が保有する戦略核の弾頭数を現状の2500前後から、1500~1675に、弾道ミサイルや爆撃機など運搬手段についての上限を500~1100へと削減する共同文書に署名した。12月までの最終合意を目指し、実務者レベルで条約の細部を詰める。
 両首脳の顔合わせは、新条約の年内締結で原則合意した4月のロンドン会談以来で2回目だ。同時にオバマ政権が優先課題に掲げるアフガニスタン戦争で、米国にアフガンへの軍事物資輸送について年間4500回の領空飛行を米国に認めるなどの合意文書にも署名した。

 米国と旧ソ連は91年、戦略核の上限をそれぞれ6000、ミサイルや戦略爆撃機など運搬手段の上限を1600とする第1次戦略兵器削減条約(START1)に調印、01年に達成している。02年には米国とロシアが戦略核の上限を1700~-2200まで削減する戦略攻撃兵器削減条約(モスクワ条約/SORT)に調印した。
 1993年に調印されたSTART2は、2003年までに両国の核弾頭数を3,000~3,500発以下に削減することや、大陸間弾道ミサイルのMIRV(多弾頭独立目標再突入ミサイル)化の禁止などを定めていた。批准が難航し期限を2007年に延長したが、結局、発効に至らなかった。START2を最終的に死に至らしめたのはブッシュ政権によるABM条約(弾道ミサイル迎撃ミサイル条約)の破棄である。
 1999年から核弾頭数を2000~2500発に削減するSTART3交渉も始まったが、START2の批准作業が進まなかったこともあり、交渉は進展せず、十分な検証体制を伴わないゆるい条約SORTに置き換えられてしまった。SALT(戦略兵器制限交渉)やSTARTが厳格な検証方法等についての規定を含んでいたのに比べてSORTはこうした合意を含まない非常にラフな条約である。核弾頭数は一応、削減されるものの、運搬手段の制限もなく、削減した核弾頭を保管することも可能であるなど実効性に欠けるなど問題が多い。
 なお、これまで1万発をベースとしていた核兵器削減交渉が1000発代を睨みはじめたSTART3交渉に当たって、NGOなどは他の核兵器国(NPTによる核兵器国:仏、英、中)を含めた交渉とすべきと主張したが、かなわなかった。

マクナマラが死んだ2009/07/07

マクナマラとケネディ
 ロバート・マクナマラが死んだ。
 ケネディ、ジョンソン両大統領の下で国防長官を務め、ベトナム戦争を主導したロバート・マクナマラ元米国防長官が、7月6日、ワシントンの自宅で亡くなった。93歳。
 ハーバード大で経営学を教えた後、自動車メーカー・フォードに入り社長を務めた。第2次世界大戦では兵站を担い東京大空襲の作戦にもかかわった。フォード社の社長を務めていた1961年、ケネディ大統領に請われて国防長官に就任。68年まで務めた。マクナマラ長官の下で米国は愚かなベトナム戦争にのめり込み、当初数百人だったベトナム駐留米兵の数は64年には1万7000人、68年には53万5000にも増加した。62年に旧ソ連のミサイル基地建設に関し米ソが対立したキューバ危機に対応し、統計など経営手法を用いて軍の予算改革などに取り組んだ。
 95年に出版した回顧録『ベトナムの悲劇と教訓』では、「ベトナム戦争における決定に参加した米国の幹部たちは…間違った。非常に恐ろしい過ちを犯した」と書いた。国防長官を辞任後、81年まで世界銀行総裁を務めた。

 僕にとって、マクナマラと言えば、アメリカの核ドクトリンの基礎を築いた人間、相互確証破壊(MAD)の狂気の均衡を制度化した人間という印象が強い。1960年代という米ソ核軍拡競争が最も激しかった時代に国防長官として核戦略と、核戦力について重要な決定を行なったのである。

柔軟反応戦略…拡大抑止ドクトリンの確立
 まず、マクナマラは大量報復戦略のように、通常戦争が直ちに核戦争に移行する戦略は危険と考え、ソ連の通常戦力攻撃にNATOはなるべく通常戦力で対応すべきとした。西欧はコスト面からマクナマラ提案に反対し、アメリカの核の傘に依存する大量報復戦略型の抑止に固執したため、米欧間での激しい議論を起こした。結果的に67年に「柔軟反応戦略」がNATOの公式戦略として採用される。柔軟反応戦略はソ連が西欧に通常戦力で攻撃してきた時は、NATO側は可能なかぎり通常戦力で抵抗し、それでもソ連側を食い止められないと判断された時は、西欧の戦術核兵器の使用に踏み切り、最終的には米本土から戦略核を発射するというもの。「通常戦力による抵抗→戦術核の使用→戦略核の使用」というエスカレーションの対応を平時からソ連に伝えることによって、ソ連の侵略を抑止するわけだ。
 西欧諸国の生存とアメリカ対ソ核使用威嚇とをリンクさせるカップリングによる抑止戦略をフランス以外の西欧諸国は受け入れた。ドゴールのフランスはNATO軍事機構から脱退し、独自の核開発の道を選んだ。西欧をソ連から守るためのアメリカの戦略である柔軟反応戦略は「拡大抑止」と呼ばれ、日本など西側同盟国を守る「核の傘」として体系化され現在に至っている。

戦略抑止と相互確証破壊(MAD)の制度化
 米ソ二国間の核抑止である「戦略抑止」についてもマクナマラの下で大枠が形成された。マクナマラは、まずソ連の核攻撃からアメリカが被る損害を最小限に抑える方法を模索した。いわゆる「損害限定」政策である。損害限定のために最初に考えられた方法は、有事の際にソ連の核戦力をアメリカの核攻撃で無力化する「カウンターフォース」戦略であった。カウンターフォース戦略は、先制核攻撃能力を追求することと同じで、核軍拡競争をエスカレーションさせ、国防予算の膨張圧力を高めるとして、トーンダウンした。次に検討されたのは「民間防衛計画」である。マクナマラは、核戦争に備えた各種の防衛策や避難訓練等を考えたが、アメリカ市民はプライバシー等の面から抵抗感が強く、実際には難しかった。
 1960年代の米軍は、ソ連のミサイルを迎撃する弾道弾迎撃ミサイル(ABM)の開発を進めていたが、マクナマラはこれにより米ソ間の軍拡競争がさらに激化することを懸念して消極的であったといわれている。
 結局、マクナマラは核攻撃に対する防御の可能性をすてて米ソが相互に核攻撃に対して脆弱な状態を保つことを前提にして、核攻撃を受けるリスクを避けるために相互に核戦争回避を追求させるという、核抑止体制を理論化した。これが「確証破壊」戦略である。
 マクナマラの定義した確証破壊は、ソ連から核攻撃を受けた後に生き残ったアメリカの核戦力でソ連の人口の4分の1~3分の1、産業の3分の2を確実に破壊する能力を持つことを示せば、米ソ間の核戦争は起らない、というものである。核攻撃を受けた後でも相手に耐え難い報復を加える戦力、「生き残り能力のある第2撃力」がアメリカの核戦力規模と構成を決める理念とされ、1960年代後半にICBM、SLBM、戦略爆撃機の3種類の運搬手段と核を保持する戦略が定まったのである。
 72年に米ソが調印したSALT1によって、米ソの核戦力が均衡する水準で凍結され、同時に調印されたABM条約によって互いの防御の可能性を捨て去った。米ソが互いに確証破壊能力を持つ「相互確証破壊」(MAD)の核抑止体制が制度的に固められた。こうした互いの命に刃を突き付け合う、膠着した均衡状態の制度化の枠組みを作ったのがマクナマラだったのである。

 ニクソン政権下での「エスカレーションコントロール」(シュレンジャー・ドクトリン)も、カーター政権下での、「相殺戦略」も、マクナマラの確証破壊戦略の枠内のものである。レーガン政権は「戦略防衛構想」(SDI)によってMAD型の抑止戦略からの転換をはかったが、研究計画の段階に止まった。冷戦終結後のパパ・ブッシュ政権は冷戦終結というドラスティックな環境変化を受けた目前の課題への対応に追われ、クリント政権によって核戦略の見直しに着手された。これ以降は、まさに現代的課題。ブッシュ政権の「核先制攻撃戦略」、オバマ政権の「核不拡散」への傾斜と究極的核廃絶宣言へとつながっている。

 結局、マクナマラの核ドクトリンが40年にわたって世界を支配してきたとも言えるわけです。どんな問題にも答えを見つける傲慢な「人間計算機」、ベトナム戦争の「戦争犯罪人」、すぐに泣く「泣き虫男」…。複雑怪奇な人間だったようだ。もちろん僕は会ったこともないのだけど、一度話を聞いてみたかったな。
 合掌。