まだらめ先生、申し訳ありません2010/03/25

まだらめ先生
 3月25日の常幹で国会同意人事案の取扱いが決着した。今日の衆本会議で採決予定の同意人事への扱いがなかなか決まらずにいたもの。
 正直いって、同意人事の対応が大きな話題になることあまりない。おおよその枠組みがあって順送りの人事が慣例化しているので、野党でもたいていは賛成する。そもそも専門的な知識が必要な分野の委員を政治家や政党が評価すること自体が難しいのだ。
 反対するのは露骨な天下りだとか、委員会の機能自体に批判があるといった形式的な判断がほとんど。まれに問題になるのは、事後的に経歴詐称が明らかになったような瑕疵が明確な場合や、政局的なターゲットになった場合などくらい。
 今回は、原子力安全委員委員予定の班目(まだらめ)春樹氏と 日銀政策委員会審議委員予定の森本宜久氏が対象。班目氏は東大大学院工学系研究科原子力専攻教授で原子力関係の有力な研究者、森本氏は電気事業連合会副会長・東電取締役で原子力産業の人。 
 別にお2人の人物をどうかと言っているわけではないので、こうして大きなニュースになってしまったのはむしろ申し訳ない気もする。森本氏は直近まで「温暖化対策に原子力」との論陣をはられていた記憶が鮮明で、班目氏は珍しい名前で「まだらめはでたらめ」といって原子力批判派から批判されていた経緯が思い起こされちゃったわけです。
 銀行券を発行し通貨・金融の調節を行なうことが目的の日銀政策委員会審議委員に、巨大独占企業であり公益事業の電力業界が委員を出すことは必ずしも適切とは思わないけど、日銀が原子力に直接関係することはないので、関係ないといば関係ないし、まあ決定的に反対することではないかもしれない。ということで斑目さんが焦点に。
 報道では、原発推進だから反対という書き方のものもあったが、そんなことはない。そんなこといったら、もう一人の代谷先生にも反対しなくちゃならないし、もっと大勢反対しなくちゃならなくなる。班目氏は中越沖地震で柏崎原発が破損した後に、原子力安全・保安院が設けた「中越沖地震における原子力施設に関する調査・対策委員会」委員長になり、早々と安全宣言をしたうえ1~2年で運転再開ができるとの見通しを繰り返しコメントするなど、安全性軽視の姿勢を厳しく批判された。浜岡の裁判では中電側の証人として証言して、中電の広報宣伝マンのようだと批判された。ちなみに浜岡訴訟の原告側代理人が海渡弁護士。
 原子力安全委員会は、「原子力の安全確保を図るため」に「安全規制の基本的政策審議や安全審査指針・基準の策定」し、「行政庁による規制の状況を調査し、監視・監督」することが目的であるから、原子力の安全を軽視しているとされ、推進側にお墨付きを与えているのではないのかと疑われている人物を、据えることは確かに好ましくない。しかも、委員長就任が予定されているとのことだし。
 3月12日に人事案が提示されてから、福島党首も結構頑張ったのだが、最終的に23日の閣議では了承。これを受けて、25日の常幹でも賛成やむなしを決めた。班目さんの人事には賛成できないが、かといって連立を壊してまで反対する事案とまではいえない。官房長官から、班目氏に対して安全に十分配慮するよう注意してもらうこと、政府が今後の同意人事について与党内の合意がとれるよう配慮することを条件に、同意することにしたのである。
 僕自身はまだらめ先生とは面識もないし恨みもない。発言を見ると、おもしろいオッサンだなとも思うけど、律儀に安全配慮を徹底してくれると思えないのも事実だな。いずれにしてもまだらめ先生個人をターゲットにしたような感じになったのは申し訳ないです。本当は、いきなり事前に何の相談もなく提案されてきたことが問題で、連立政権内の意思形成や、同意人事の審査の空洞化した実態をどうするのか、というのが本質的な問題かと思います。
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■『六ヶ所村ラプソディ』 斑目春樹教授発言
技術の方はですね、とにかく分かんないけれどもやってみようが、どうしてもあります。で、だめ、危ない、となったら、ちょっとでもその兆候があったら、そこで手を打とうと。おそるおそるですよ。
原子力もそうなんですね。
原子力もそういうところ絶対あります。
だって、例えばですね、原子力発電所を設計した時には、応力腐食割れ、SCCなんてのは知らなかったんです。
だけど、あの、まだいろんなそういうわかんないことがあるから、あの、えーと、安全率っていうかですね、余裕をたーくさんもって、でその余裕に収まるだろうなーと思って始めてるわけですよ。
そしたら、SCCが出てきちゃった。
で、チェックしてみたら、まあこれはこのへんなんか収まって良かった、良かった。
今まで、良かった良かったで、きてます。
ただし、良かったじゃないシナリオもあるでしょうねって言われると思うんですよ。
その時は、原子力発電所止まっちゃいますね。
原子力発電に対して、安心する日なんかきませんよ。
せめて信頼して欲しいと思いますけど。
安心なんかできるわけないじゃないですか、あんな不気味なの。
廃棄物の最終処分をすることに技術的な問題はなくても、そこを受け入れる場所が、なければ、今、困っちゃいますもん。
ないですよね、探せても、イギリスまで、
うん、ないですよ。
それは、大きな問題じゃないですか
え、いや、だから、あのー、えーと、基本的に、その何ていうのかな、今の路線で、今の路線がほんとに正しいかどうかは別として、今の路線かなんかで、替えがあるだろうと思ってるわけですよ。
というのは、最後の処分地の話は、最後は結局お金でしょ。
あの、どうしても、その、えーと、みんなが受け入れてくれないっていうんだったら、じゃ、おたくには、今までこれこれっていってたけど2倍払いましょ。それでも手を挙げないんだったら、5倍払いましょ。10倍払いましょ。どっかで国民が納得することがでてきますよ。
それは、経済的インセンティブと、そのー、あの、処理費なんてたかが知れているから、えー、たぶん、その、齟齬は来さないですね。
今、たしか、最終処分地を受け入れてくれるボーリング調査させてくれるだけで、すごいお金流してますね。
20億円ですよ。
あれがたかが知れてるらしいですよ、あの世界は。
そうなんですか。
原子力発電所って、ものすごい儲かっているんでしょうね、きっとね。
そりゃそうですよ、原子力発電所1日止めると、1億どころじゃないわけですよね。
だから、そういう意味からいくと、今動いている原子力発電所をつぶす気なんてアメリカ毛頭ないし、日本も電力会社、あるものはあるもの、できる限り使いたいというのがこれが本当、本音ですよ。

■浜岡原発での証言
(事故・トラブルについて、制御棒落下事故が明らかになる前に)「これは, かなりの知見が蓄積されています。したがって, これから先, 新しい知見が出てくることはないとは, やっぱり思いません。これから先も, 新しい知見は出てくると思います。だけれども, 大きな知見については, もう, 大体出たんではないかなというのが, 実は,私の, これは個人的な考えです。」(第13回主尋問)
制御棒の2本以上の同時の落下について、「起きるとは, ちょっと私には思えません。どういうふうなことを考えるんですか。それに似たような事象があったら, 教えてください。」(反対尋問)
「非常用ディーゼルが2台動かなくても, 通常運転中だったら何も起きません。ですから非常用ディーゼルが2台同時に壊れて, いろいろな問題が起こるためには, そのほかにもあれも起こる, これも起こる,あれも起こる, これも起こると, 仮定の上に何個も重ねて, 初めて大事故に至るわけです。だからそういうときに, 非常用ディーゼル2個の破断も考えましょう, こう考えましょうと言っていると, 設計ができなくなっちゃうんですよ。つまり何でもかんでも, これも可能性ちょっとある, これはちょっと可能性がある, そういうものを全部組み合わせていったら, ものなんて絶対造れません。だからどっかでは割り切るんです。」
「どっかで割り切るということは, ものを造るために, この程度を考慮すれば造ってもいいだろうという感じですね。」
「そのとおりです。」
「非常用ディーゼル発電機2台が同時に動かないということは, それ自体は,地震が発生したときに, 非常用ディーゼル発電機に寄り掛かっている, 動かさなくちゃいけないものが止まってしまうということがあり得るわけですから, 非常用発電機2台が同時に動かないという事態自体は, 大きな問題ではないですか。」
「非常用ディーゼル発電機2台が動かないという事例が発見された場合には, 多分, 保安院にも特別委員会ができて, この問題について真剣に考え出します。事例があったら教えてください。ですからそれが重要な事態だということは認めます。」
「重要な事態であれば, 非常用発電機2台が同時に止まったときに, ほかに何か, 別の重要な事態が加わって, それで事故が発生するというのは, 幾つか想定しなくてはいけないことではないんですか。先ほどから証人は, それに加えるのは小さなこと小さなことを加えなきやいけないから大変だと言って, ここは割り切るとおっしゃっていますけれども, 足す別の重大な事象ということが, 大きいことがあり得るんだということは, お認めにはならない。」
「我々, ある意味では非常に謙虚です。こういう事態とこういう事態とこういう事態の重ね合わせくらいは考えたほうがいいかなということについては, 聞く耳を持っております。是非こういうことについては考えてほしい, それはなるほど問題視したほうがいいということだったらば, 当然, 国の方でもそういうことについて審議を始めます。聞く耳を持たないという態度ではないんです。ただ今みたいに抽象的に,あれも起こって, これも起こって, これも起こって, だから地震だったら大変なことになるんだからという, 抽象的なことを言われた場合には, お答えのしようがありません。」(第17回 反対尋問)

社民党と自衛隊 違憲か否か2010/03/12

村山総理
 3月12日の参議院予算委員会での福島党首の答弁が話題になっているらしい。現に「福島党首、自衛隊合憲認める」とか、「自衛隊は合憲 参院予算委で質問に“そうです”」などと報道されていて、問い合わせもある。
 実際には佐藤議員の質問には事実誤認が多いし、党首の答弁にも誤解を招きやすい不正確な部分がある。実際は自衛隊と憲法の問題ついて社民党としての認識はすでに固まっているのだが、今回に限らず党首の発言が党の公式見解を外れている場合が多い。党として自衛隊の存在は合憲としてきたし、そもそも与党として閣僚を出している以上、政府の組織を違憲だなどと言えるわけがないのである。当日、直前にもその旨は申し上げたのだが、たぶんその辺は腑に落ちていないのであろう。事務局の力不足にも責任があるかもしれない。

 ちなみに、社民党としての「自衛隊と憲法」の問題に関する認識は、村山政権時代に政策転換した内容が現在まで維持されている。

 具体的には、以下のようなものである。
●94年7月20日の衆院本会議の羽田孜議員の代表質問への村山総理答弁
 「私としては、専守防衛に徹し、自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊は、憲法の認めるものであると認識するものであります。(拍手、発言する者あり)後が大事ですから、どうぞお聞きください。
 同時に、日本国憲法の精神と理念の実現できる世界を目指し、国際情勢の変化を踏まえながら、国際協調体制の確立と軍縮の推進を図りつつ、国際社会において名誉ある地位を占めることができるように全力を傾けてまいる所存であります。(拍手)」

●94年9月3日の社会党第61回臨時全国大会決定
①「非武装」は党是を超える人類の理想。「中立・非同盟」は東西対立が消滅し歴史的役割を終えた
②自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊を認める。現在の自衛隊は憲法の枠内にある。日米安保条約は堅持する
③PKOには憲法の枠内で積極的に参加する。PKF凍結解除を含めた国際平和協力法の見直しはPKO協力の実績を踏まえて検討する

 61大会の議案の該当部分に対しては党の政策と内閣の政策を分け、党の政策は「自衛隊を違憲」としたまま維持すべきとする修正案が提案されたが、当時の久保書記長が「首相と党委員長で政策の使い分けはできない。自衛隊違憲を主張するだけでは政党の使命は果たせない」として否定し、修正案は賛成152反対222で否決、原案が採択されている。

 自社さ政権の崩壊後、村山政権時代の自衛隊容認を見直すべきとの声が上がり、98年1月の第4回党大会は以下のような決定を行ない、94年の政策転換を自己批判した。

●98年1月24日、社会民主党第4回定期全国大会決定
・1994年6月、社会党と新党さきがけの政策合意を自民党が承認することによって発足した村山政権は、自民党一党支配時代ではできなかった懸案(略)などに取り組み、リーダーシップを発揮しました。(略)
 就任直後の村山首相は、政権の首班として、また自衛隊の最高指揮官として、従来からの政府の憲法解釈を外交の継続性を尊重しました。村山首相は所信表明演説で「冷戦の終結によって、日本においてもイデオロギー対立の時代から現実に即した政策論争を行う時代へと大きく変わろうとしている」という認識を示し、「安保堅持・自衛隊合憲」というこれまでの社会党の基本政策とは異なる演説を行いました。しかし党員や支持者からは、この演説が突然のことであり、党内の手続を経ていなかったことに、不満が広がっていきました。
・社会党は1994年9月、第61回臨時大会を開催して安保・自衛隊などの基本政策の転換を行いました。その趣旨は、「自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊を認め、現在の自衛隊は憲法の枠内にある」との新しい認識に立って「軍縮とシビリアン・コントロールを基本に、自衛隊の任務を厳しく限定し『目に見える専守防衛』に徹するための、防衛力の再編・整備と縮小に努める」とし、さらに「日米安保条約は、冷戦終結後の日米の役割増大や日本とアジアの関係を視野に入れて、引き続き堅持します」というものでした。
 少数党から送り出した首相を支え政権を安定させる責任がわが党にあったため、首相発言を契機に事後承認のかたちで転換が行われました。しかしこの転換は、党内論議の時間的余裕もなく、党大会での機関決定は行われましたが、党内外からさまざまな意見が寄せられました。また、市民・有権者の中には「基本政策を転換したことについてのきちんとした議論や説明がない」といった率直な疑問も存在しています。
 今後、これらの声に謙虚に耳を傾け、日米安保条約や自衛隊等の位置づけについては「2010年への政策ビジョン」の論議とあわせ、改めて国民的な議論を起こします。その際、私たちがめざすのは、単純に昔に戻ることではなく、21世紀の世界をリードできる平和・安保・外交政策をうちたてることです。

 この決定を受ける形で、99年になって当時の土井たか子党首を委員長に基本政策委員会を設置し、基本政策の再検討を行なうこととなった。事務局長を当時の田英夫外交防衛部会長が努めたこともあって、政審に着任したばかりの私が事務局を担当した。94年以前に戻すことも含めて、あらゆるパターンを検討したのだが、結局94年の政策転換を維持し、新たな基本政策を策定して上書きすることとしたのである。
 このような役割を果たすために作られたのが、2001年5月に公表された「二十一世紀の平和構想――核も不信もないアジアを」、通称「土井ドクトリン」と呼ばれている文章だ。土井ドクトリンでは、「憲法の理念」を強調し非軍事の世界を目指しながら、自衛隊自体は容認している。

●2001年5月「21世紀の平和構想」(土井ドクトリン)
 憲法第9条に基づいて「平和基本法」を制定し、肥大化した自衛隊の規模や装備を必要最小限の水準まで縮小するためのプログラムを策定します。当面、自衛隊に関しては、軍事力肥大を生む軍産複合体の増殖をおさえ、国会による文民統制のシステムを強化し、情報の公開を徹底させ、基本的人権に抵触する有事立法や秘密保護法をやめさせ、また隊内いじめ事件で発覚した自衛官の基本的人権侵害を防ぐ制度を創設します。(略)
 将来的には、いずれ自衛隊は国境警備、国土防衛、災害救助、国際協力などの任務別に分割し、縮小、改編することをめざします。

 土井ドクトリンの記述を見れば明らかなように、土井党首の基本的な立場は「ソモソモ論として違憲とは言わないが、周辺事態法以降の活動範囲をどんどん広げている自衛隊の実態は憲法の理念に反するのではないか」、「自衛隊の実態は憲法上問題がある」というものであった。
 2003年に党首となった福島党首は、こうした経緯や党の安全保障政策には直接関わった経緯がなかったこともあって、これまでの経緯とあまり関係なく、「法律論としては違憲」というトーンを打ち出すことも多かった。
 福島党首の下で、社民党の基本的な立場を再確認するために新たな「宣言」を策定することとなり、当時の保坂展人企画委員長の下で起草された。政審は直接担当せず企画委員会が事務局を担当したが、ここでは自衛隊は「現状、明らかに違憲状態」とされている。様々な議論の中で最終版で「現状」と「状態」を挿入する修正を加えたものであり、「ソモソモ論として違憲」ではないという判断が勝ったことを示している。

●06年2月「社会民主党宣言」社民党第10回全国大会決定
 現状、明らかに違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、国境警備・災害救助・国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指します。また日米安全保障条約は、最終的に平和友好条約へと転換させ、在日米軍基地の整理・縮小・撤去を進めます。

 これが最新の党の公式見解である。その後の政策集等もこの立場で書いている。


 1、自衛隊の存在自体は憲法の枠内にあると考える。
 2、日本の平和や安全に関わりのないインド洋やアフガニスタンなどにまで活動範囲を拡大した自民党政権下の自衛隊の実態は違憲状態と言わざるをえない。
 3、鳩山内閣の下では、憲法の理念に基づいて自衛隊は運用されるはずであり、されていると考えている。


 存在自体は村山政権自体に合憲として現在まで変わらない。活動の実態と憲法の乖離はケースバイケースで判断していく。イラクやインド洋まで自衛隊を派遣していた自公政権下の活動の実態には違憲の疑いがあるが、鳩山政権下では憲法の理念に沿った運用がされるように努力するということだ。

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3月12日/参院予算委員会
(※当初、発言主旨を掲載したがご批判をいただいたので、事後に議事録に差替えた。)
佐藤正久君【以下敬称略】: 自民党の佐藤正久です。防衛政策について質問させていただきます。福島大臣、3月1日の予算委員会におきまして、自衛隊が合憲か違憲か、これについて社民党の見解を述べられております。覚えておられますか。
国務大臣(福島みずほ君)【以下敬称略】: 3月1日に述べたとおりです。
佐藤: 自衛隊は合憲か違憲か、まだ社民党は結論を出していないと言われました。思い出されましたか。
福島: そのとおりです。
佐藤: 自衛隊が合憲かどうか、政党としての基本的な考え方を持たなくて、本当に政党政治ができるんですか。今この瞬間も、自衛隊員は陸に海に空に、国内に国外に、防衛大臣の命令の下、体を張って国を守っているんですよ。与党の社民党が自衛隊が合憲、言わなくてどうするんですか。大問題だと私は思いますよ。平成18年の社民党大会におきまして、自衛隊は違憲状態と言われました。それから4年たって、今、社民党はもう与党です。与党の社民党が合憲と言わなくてどうするんですか。自衛隊は合憲ですよね、違いますか。
福島: 社民党宣言を私たちはつくりました。その社民党宣言をみんなで議論してつくったその結論をその後も変えておりません。当時、イラクに自衛隊が派遣をされている、そのような状況は問題であるというふうに考え、その状態は問題であるという議論を大いにいたしました。ですから、社民党としては、その社民党の宣言以上でも以下でもありません。それは社民党の見解です。
佐藤: やっぱり鳩山丸は泥船だというふうに多くの国民が思いますよ。与党の一員であってもそういうことを今でも言われている。国民は不安になりますよ。ほかの国から見ても異常です。国を守れずしてどうして命を守れるんですかと、そういう議論になりますよ。福島大臣、社民党はまだ決めていないと言われました。でも、福島大臣は閣僚です。一閣僚として、国務大臣として、自衛隊は合憲か違憲か、どちらですか。
福島: 社民党の見解は申し上げました。閣僚としての意見は控えさせていただきます。私は社民党党首ですから。
佐藤: 閣僚の意見を言わなくてどうして予算がこれは組めるんですか。もう一度お願いします。
福島: 社民党の見解は、以上、言ったとおりです。(発言する者あり)
 社民党の見解は申し上げたとおりです。閣僚としての発言は控えさせていただきます。
委員長(簗瀬進君)【以下敬称略】: 速記を止めてください。〔速記中止〕
簗瀬: 速記を起こしてください。暫時休憩します。
※午後2時12分~18分 休憩
簗瀬: ただいまから予算委員会を再開いたします。休憩前に引き続き、平成22年度総予算3案を一括して議題とし、質疑を行います。
福島: 内閣の一員としては、内閣の方針に従います。
佐藤: ということは、自衛隊を合憲と認めるということでいいですね。明確に御答弁をお願いします。
福島: 社民党の方針は変わりません。そして、内閣の一員として、内閣の方針に従います。したがって、自衛隊は違憲ではないということです。
佐藤: 福島大臣は自衛隊を合憲として認めたということでいいですね。お願いします。
福島: 内閣の一員として、内閣の方針に従います。
佐藤: はっきり答えてくださいよ。違憲じゃない、違憲じゃない、だけど、合憲と言っていないじゃないですか。明確にお願いしますよ。
福島: はっきり言っているじゃないですか。内閣の一員として内閣の方針に従います。
佐藤: 自衛隊は合憲ですか。福島大臣、もう一度お願いします。
福島: 内閣の一員として内閣の方針に従います。繰り返し申し上げているとおりです。
佐藤: 副総理、自衛隊は合憲ですか。
国務大臣(菅直人君)【以下敬称略】: 言うまでもありませんが、この予算には自衛隊の予算も入って、全員が閣議でサインをしておりますし、内閣としては自衛隊は合憲というふうにもちろん考えているというよりも、そういう形ですべてのことを進めております。
佐藤: 福島大臣、内閣の方針は自衛隊は合憲だということで、福島大臣も合憲と認めるということでいいですね。イエスかノーかでお願いします。
福島: そうです。
佐藤: 初めからそう言えばいいんですよ。この防衛予算というのは内閣全体で決めた意思でしょう。自分もサインしたんでしょう。それで、今この瞬間もハイチの方にも海外で隊員は行っているんですよ。何でここまで時間掛かるんですか。おかしいと思いますよ。防衛大臣、今のやり取りを聞いて、国の守り、あるいは隊員あるいは家族のことを考えたら、怒りとか憤りがわいてきませんか、防衛大臣。
国務大臣(北澤俊美君)【以下敬称略】: 国政の中核に位置する問題で、大臣を拝命しながら、感情的に怒りを爆発させるとか、そんなことは思いません。
佐藤: よく分からなかったんですけれども、防衛大臣、防衛大臣は指揮官なんですよ。このあいまいなままで防衛予算を作ったと。信じられませんよ。今この瞬間も隊員は動いているんですよ。その与党が合憲かどうか閣僚がなかなか言えない。大問題だと思いますよ。私も、ゴラン高原、イラクに隊員とともに赴きました。政権与党を信じていましたよ。その政権の与党の閣僚が合憲か違憲かなかなか言わない、これは前代未聞だと思いますよ。まさに、これは政権運営の中枢の人だと思いますよ。防衛大臣、なぜ今までこの件について福島大臣と話し合わなかったんですか。
北澤: 内閣の構成は、これが単独である場合と連立がありますが、連立の政権を組むときには、それに参画する各党の党首が寄って政権合意を作り上げるわけでありますから、その後に私は鳩山総理から任命を受けたわけであります。
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自衛隊は合憲 参院予算委で質問に「そうです」
3月12日/毎日新聞
 社民党党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相は12日の参院予算委員会で、自衛隊を合憲と認める考えを示した。自民党の佐藤正久氏が「合憲と認めるか」とただしたのに対して、「そうです」と認めた。
 社民党は94年、村山富市首相(当時)が自衛隊を合憲と認めたが、自衛隊のイラク派遣を受け、06年の「社会民主党宣言」では「現状、明らかに違憲状態にある」としている。

福島党首、自衛隊合憲認める
3月12日/産経新聞
 社民党党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相は12日の参院予算委員会で、自衛隊の憲法上の位置づけについて合憲と認めた。自民党の佐藤正久氏が「内閣の方針は合憲だ。合憲でよいか」とただしたのに対し、「そうです」と答えた。福島氏は1日の衆院予算委で「党として合憲か違憲か結論を出していない」と述べていた。

沖縄基地問題検討委員会への提案2010/03/08

提出後記者会見
 3月8日夕の沖縄基地問題検討委員会に阿部知子議員及び服部良一議員からの提案を提出した。
 提出したのは
○阿部・服部議員連名の「沖縄基地問題検討委員会への提案」
○阿部・服部議員連名の「普天間飛行場のグアム及び北マリアナ諸島への移設についての考え方」、同名のプレゼン資料、添付資料
○阿部議員の「私案」
○服部議員の「私案」
 2つの「私案」は平野官房長官に手渡し、内容については公表しないこととした。具体的な地名を含む「私案」はその内容が表に出ると、具体的な検討作業が困難となるためである。
 阿部「私案」は、国外への移設を実現するまでの間、普天間飛行場の機能を沖縄県外の地域の既存施設で分担して引き受けることとして、負担をなるだけ多くの地域で分かち合う内容。ヘリ基地機能のみを移転するのではなく、キャンプシュワブの地上舞台もセットで移転するという案だ。
 服部提案は、国外移設を前提に、沖縄に比較的近い無人島への移設を経過措置として提案する内容だ。
 全体は膨大な分量になるので、とりあえず最も基本となる「沖縄基地問題検討委員会への提案」(阿部議員・服部議員連名)を紹介したい。
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2010年3月8日 

沖縄基地問題検討委員会への提案

衆議院議員 阿部 知子 
衆議院議員 服部 良一 

 基本政策閣僚委員会の下に設置された「沖縄基地問題検討委員会」は、12月28日以降、積極的な議論を重ねてきた。社民党としても党内にプロジェクトチームを設け、本委員会の議論に並行して活発に検討作業をすすめてきたところである。これらの議論を踏まえ、本委員会委員阿部知子及び服部良一から、以下のように提案する。

○基本的考え方
 そもそも本委員会が設置された目的からしても、もっとも重要なことは沖縄県民の負担軽減である。沖縄の負担軽減を第一に考える以上、いかなる場合にも沖縄県内に新たな施設を提供すべきでないし県内施設の機能強化も認めるべきではない。辺野古への「代替施設」建設が選択肢とならないことは当然である。
 第二に、いわゆる「抑止力」の維持についても配慮をする。社民党としては、冷戦時代以来の我が国の安全保障政策の枠組みを根本から見直し、北東アジアに多国間の集団安全保障システムを構築しつつ、日米安保条約を経済や文化面での協力を中心にした平和友好条約に転換していくことを主張しているが、5月末までという限られた期間にこの議論を行ない結論を得ることは事実上困難と考えられる。国民的議論をすすめながら一定の方向性を出したうえ、米国の理解を求めていく必要があり、在日米軍の全体のあり方については中長期的な課題として取り組んでいく必要がある。
 第三には、米軍基地の恒久化につなげてはならないということである。戦後65年を経てなお日本には85の米軍基地が存在しているが、このような不正常な状態を固定化させるべきではない。地域の安全保障環境の改善をはかりつつ、在日米軍基地の整理縮小をすすめるべきであり、基地の拡大や恒久化につながるものとはすべきでない。
 なお、返還される施設・区域については日本政府が環境調査・浄化を行ない、跡地利用等についても責任を持って支援することは当然である。

1、A案: 在沖縄海兵隊の国外全面移転
 社民党は、日米関係を日本にとっての重要な二国間関係と認識しており、日米安保条約を直ちに変更する必要があるとは考えていないし、在日米軍の存在についても当分の間必要であると理解している。しかし、沖縄における米海兵隊の存在は、海兵隊という軍隊のそもそもの性格、在沖縄海兵隊部隊の現実の体制や機能から考えて、日本にとって必要不可欠な「抑止力」とはいえないと考える。検討委員会での議論でも納得のいく説明は得られなかった。
 仮に、在沖海兵隊の全部が撤退した場合にも沖縄県には、8000人以上の陸海空軍が存在し、極東最大の空軍基地である嘉手納飛行場や、原子力潜水艦が寄港するホワイトビーチ地区等も残る。海兵隊の撤退で地域の安全に大きな問題が生じるとは考えられない。  日本国外に撤退する場合の海兵隊部隊の移転先は米国政府が決めることだが、例えばグアム島やテニアン島などが候補地となりうるだろう。「沖縄からグアム及び北マリアナ・テニアンへの海兵隊移転の環境影響評価/海外環境影響評価書ドラフト」(米海軍・米グアム統合計画事務所/09年11月)では、グアムに在沖海兵隊全部と同規模の部隊を受け入れることが検討されている。グアムのカマチョ知事は「現行計画を超える兵力の移転は受け入れがたい」と述べたが、これはインフラ整備が追いつかないことが主な理由であり、道路や電気など社会資本整備で協力することが出来れば十分に交渉の余地があると考えられる。テニアン島は現行計画(グアム統合軍事開発計画/2006年7月)では訓練地として使用する予定とされているが、テニアン市のデラクルス市長は部隊自身の受け入れも可能としている。北マリアナのフィティアル知事も歓迎を表明しており、テニアンをはじめとした北マリアナ諸島への移転も現実的な選択肢である。
 すでに日米両政府間の「再編実施のための日米のロードマップ」(2006年5月)と「在沖縄海兵隊のグアム移転に係る協定」(2009年5月)に基づき、海兵隊の相当部分の移転の準備がすすんでいるが、この規模を拡大し実質的に全部が日本国外に移転することをまず第一に提案したい。この一部をテニアンなどの北マリアナ諸島に移転することも考えられる。この際、グアムへの移転を支援する現行の日米政府による枠組みを活用し、追加的な支援策を検討する必要がある。

①在沖縄海兵隊の全部が国外に撤退する。
②日本政府がグアムの受け入れ体制の整備を促進するために行なっている支援策について追加的な措置を実施する。
③テニアン等の訓練場整備費用、施設整備費用についても同様の支援策を実施する。
④受け入れ地のインフラ整備や地域振興等の民生面での協力を行なう。
⑤高速輸送船の提供と運用など、日本側が海兵隊訓練移転のためのインフラを提供する。
⑥返還された施設・区域の一部は日本政府の責任で使用もしくは管理し、必要に応じて米軍の訓練・補給のための共同利用、緊急時の一時利用を可能とする。
⑦「抑止力」の観点から返還される施設・区域(キャンプ・シュワーブを想定)の一部に日本の島嶼防衛部隊(陸自西部方面普通科連隊等)の移駐を検討する。

2、B案: グアムなどをキーステーションとしてローテーション部隊を日本本土で受け入れ
 沖縄駐留の海兵隊は、家族連れで2~3年の長期滞在するPCS(Permanent Change of Station)と、原則単身で赴任する6ヵ月ローテーションのUDP(Unit Deployment Program)の2タイプがある。PCSの兵員の多くは2006年の合意に基づいてグアムへ移転することが決まっており、現行案のまま実施した場合でも在沖縄海兵隊の多くはUDPとなると想定される。
 UDPの隊員は6ヵ月ごとのローテーションで運用され、沖縄に着任した海兵隊も沖縄を始点にオーストラリア、フィリピン、タイ、韓国などの訓練場や世界中の任務地へ派遣されており、必ずしも沖縄に常駐しているわけでもない。
 このローテーションの起点(キーステーション)をグアムなど日本国外に移したうえ、定期的な巡回パターンから沖縄を外し訓練等は日本本土で受け入れることを提案したい。普天間飛行場は閉鎖され、沖縄の海兵隊施設は全面返還となるが、代わりに日本立ち寄り時の訓練や補給の拠点となる施設・区域を日本本土に提供し、必要に応じて演習場等の一時利用も可能とする。

①第3海兵機動展開部隊(ⅢMEF)のUDPの起点を国外(グアム)に移転する。
②ⅢMEFのUDPの日本における展開地点を沖縄から日本本土に変更する。
③UDPの展開時に利用する滞在施設等を日本本土で提供し、必要に応じて演習場の一時利用を可能とする。
④普天間飛行場の第36海兵航空群は国外に移転することとするが、その一部及び支援部隊が常駐する施設を日本本土に提供することを検討する。
⑤日本政府がグアムの受け入れ体制の整備を促進するために行なっている支援策について調整を行なう。
⑥テニアン等の訓練場整備費用、施設整備費用についても支援策を検討する。
⑦受け入れ地のインフラ整備や地域振興等の民生面での協力について検討する。
⑧高速輸送船の提供と運用など、日本側が海兵隊訓練移転のためのインフラを提供する。
⑨返還された施設・区域の一部は日本政府の責任で使用もしくは管理し、必要に応じて米軍の訓練・補給のための共同利用、緊急時の一時利用を可能とする。
⑩「抑止力」の観点から返還される施設・区域(キャンプ・シュワーブを想定)の一部に日本の島嶼防衛部隊(陸自西部方面普通科連隊等)の移駐を検討する。
⑪受け入れ地のインフラ整備について日本政府が責任を持ち、新たな地域振興策を策定したうえ、住民の理解を得る努力を行なう。

3、C案: 在沖縄海兵隊基地機能の日本本土への移転
 最終的には普天間飛行場の国外移転を求めていくことは当然だが、それが実現するまでの間の普天間飛行場の危険を除去するために、辺野古の「代替施設」に移転する予定の普天間飛行場の機能を、そのまま沖縄県外に移設することも検討する。この場合、在沖海兵隊の他の要素との連携の必要に配慮する必要がある。
 一般的に、ヘリコプター部隊が単独で任務に着くことはなく、ヘリコプターが乗せる兵員、任務地まで移動するための揚陸艦や輸送艦、訓練設備や演習場、補給機能などの連携が重要であると考えられる。こうした要素間の距離が大きく運用上のデメリットが大きい場合、米国の理解を得ることが困難と考えられるので、あわせて移転先を用意するなどの相応の配慮を行なうこととする。

①沖縄を除く日本国内に普天間飛行場の第36海兵航空群を移転する。
②地理的条件によっては地上部隊等を同時に移転することも検討する。
③訓練移転のための費用の負担について調整(増額)する。
④返還された施設・区域の一部は日本政府の責任で使用もしくは管理し、必要に応じて米軍の訓練・補給のための共同利用、緊急時の一時利用を可能とする。
⑤「抑止力」の観点から返還される施設・区域(キャンプ・シュワーブを想定)の一部に日本の島嶼防衛部隊(陸自西部方面普通科連隊等)の移駐を検討する。
⑥受け入れ地のインフラ整備について日本政府が責任を持ち、新たな地域振興策を策定したうえ、住民の理解を得る努力を行なう。

○移設先候補地について
 移設先候補地の具体的な絞り込みに当たっては、①これまで非公式に検討された経緯のあった、あるいはあったと報じられた場所、②既存の自衛隊基地・米軍基地、③不採算で撤退が検討されるなど受け入れ可能性があると思われる地方空港、を中心に検討した。沖縄基地問題検討委員会の議論のなかで、これまで政府が沖縄県外への移転を真剣に検討したことがないことが分かっているが、沖縄の負担軽減をいうのであれば、沖縄県外への移設についても十分に検討すべきだと考える。限られた時間の中ではあるが、拙速に陥ることなく慎重な検証作業を行なうよう求めたい。
 今回、新たに提供される施設・区域については使用の期限を設け、定期的に延長の必要性について検証することに同意を求めることとしたい。またいずれの場合にも地域住民にていねいに説明し同意を得る誠実な努力が求められる。「望まれないところには配備しない」という米軍の立場を尊重するためにも、地域の同意と理解を得ること原則としたい。
 なお、具体的な移転先名の提案については、別途行なうこととする。
以上

沖縄県議会が普天間移設で意見書2010/02/24

沖縄県議会
 沖縄県議会米軍基地関係特別委員会(渡嘉敷喜代子委員長)は2月23日、「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外への移設を求める意見書案」を翌24日の本会議に提案することを全会一致で決めた。直前まで退場の意向を表明していた共産党も結局賛成に回り、本会議でも全議員の賛成によって可決された。
 これまで辺野古移設を容認してきた自民、公明県民会議も、国外を主張してきた共産党も含めた超党派の意見書となった。普天間代替施設の県内建設を盛り込んだ96年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告以来、初めて県内移設反対が県議会の総意として示されたことになる。1月の名護市長選に続く県内の政治環境の変化であり、「現行案」の実現はいっそう困難になったといえるだろう。
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米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める意見書

 米軍普天間飛行場は、沖縄本島中部の市街地に位置し、その周辺には住宅や学校等が密集しており、万一事故等が発生した場合は、その被害は多くの周辺住民や各種施設に及ぶことが想定され、極めて危険性が高い場所となっている。
 特に、平成16年8月13日に発生した沖縄国際大学構内への米軍海兵隊所属CH53D大型輸送機ヘリコプターの墜落事故は、一歩間違えば大惨事を引き起こしかねないもので、「世界一危険な飛行場」の存在を改めて内外に証明した。
 このため、県民は同飛行場の返還を強く要求し、これを受け日米両政府は、平成8年の日米特別行動委員会(SACO)合意及び平成18年の在日米軍再編協議で同飛行場の全面返還を合意したところであるが、13年経過した今なお実現を見ることはなく、その危険性は放置されたままである。
 ところで、県民は、去る大戦の悲惨な教訓から基地のない平和で安全な沖縄を希求しており、SACO合意の「普天間飛行場移設条件つき返還」は新たな基地の県内移設にほかならない。県民の意思はこれまで行われた住民投票や県民大会、各種世論調査などで明確に示されており、移設先とされた名護市辺野古沿岸域は国の天然記念物で、国際保護獣のジュゴンをはじめとする希少生物をはぐくむ貴重な海域であり、また新たなサンゴ群落が見つかるなど世界にも類を見ない美しい海域であることが確認されている。
 また、宜野湾市民や県民は、最も危険な普天間飛行場を早期に全面返還し、政府の責任において跡地利用等課題解決を求めている。
 さらに、地元名護市長は、辺野古の海上及び陸上への基地建設に反対している。  よって、本県議会は、県民の生命・財産・生活環境を守る立場から、日米両政府が普天間飛行場を早期に閉鎖・返還するとともに、県内移設を断念され、国外・県外に移設されるよう強く要請する。
 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

2010年2月24日
沖縄県議会

社民党第12回党大会役員体制決まる2010/01/28

 ようやく役員体制がきまった。23日、24日の党大会で決めきれず、空席となっていた国対委員長と政審会長が27日夕の両院議員総会で決まり、28日朝の常任幹事会で任務分担を確認したもの。
 マスコミにいろいろ書かれたが、確かに国対委員長と政審会長が空席というのは異常な事態。とにもかくにも上司が不在という緊急事態が解消されてよかったよかった。どうなっているのかとよく聞かれるんだけど、こういうところで内部事情を暴露するのは適当ではないので、とりあえず1月28日毎日新聞朝刊あたりを読んでもらうと、だいたいそんな感じ。27日の朝日新聞夕刊に2つの「条件」というのが書かれているけど、照屋議員と阿部議員の出した「条件」の1つが保坂前議員の擁立という一見関係のない内容だったということがカギではないかな。大会時にはなかった特命常任幹事っていうのがいきなり出てきたのもあるかな。

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2010年1月28日
第1回常任幹事会

常任幹事会の構成について


党首: 福島みずほ
副党首: 渕上貞雄
副党首: 又市征治
幹事長: 重野安正
副幹事長: 中島隆利
国会対策委員長: 照屋寛徳
政策審議会長: 阿部知子
選挙対策委員長: 渕上貞雄(兼)
特命常任幹事: 辻元清美

国民運動局長: 山内徳信
常任幹事(平和市民担当): 服部良一
常任幹事(女性青年担当): 辻元清美(兼)
常任幹事(生活福祉担当): 近藤正道

組織局長: 又市征治(兼)
常任幹事(組織担当):  市川博美
常任幹事(労働担当):  吉泉秀男
常任幹事(自治体担当):  服部良一(兼)

機関紙宣伝局長: 市川博美(兼)

財政局長: 今井健夫

総務・企画局長: 河井卓弥
常任幹事(総務担当):  河井卓弥(兼)
常任幹事(企画担当) : 河井卓弥(兼)
常任幹事(国際担当) : 山内徳信(兼)

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社民党:ドタバタ 国対委員長・政審会長、3日空席の後に就任 党首の調整不足批判

 社民党は27日夜、両院議員総会を国会内で開き、空席だった国対委員長に照屋寛徳、政審会長に阿部知子の両衆院議員を充てる人事を決めた。両ポストは23、24両日の党大会で決める予定だったが、福島瑞穂党首の調整不足に怒った照屋、阿部両氏が大会当日に就任を拒否。「衆参合わせて議員が12人しかおらず、他に適任者がいない」(党幹部)として、役員2人が空席の異常事態が続いていた。両氏は、最後は党首の陳謝などを条件に就任を承諾したが、お粗末な「お家騒動」に、与党の資質を問う声が出そうだ。

 福島氏は昨年12月の党首選で無投票4選を果たした直後、重野安正幹事長を続投させる意向を固めた。国対委員長は辻元清美副国土交通相が兼務していたため、当選1回の中島隆利衆院議員の国対委員長起用を内定し、連立を組む民主党に非公式に伝えたところ「経験不足」を理由に難色を示された。

 福島氏はやむなく、23日の党大会初日にベテランの照屋氏に就任を通告し、阿部氏には政審会長への留任を告げた。ところが両氏は「打診もない」と拒否し、照屋氏は大会を中座して地元の沖縄へ帰ってしまった。福島氏は大会中も調整のため携帯電話を手に壇上を歩き回っていたにもかかわらず、終了後の記者会見では「民主主義の政党のため、いろいろな意見が出て人事が決まらなかった」と述べ、失笑を買った。

 混乱の底流には、福島氏が参院選で党内に要望が強い選挙区からの出馬を避け、比例代表での立候補に固執していることや、今夏参院選への準備の遅れなどに対する党内の不満があり、福島氏の党運営に批判的な照屋、阿部両氏が日ごろの不満を爆発させた格好だ。

 2ポストが空席の3日間、重野氏が国対委員長、阿部氏が政審会長を暫定的に務めた。阿部氏は25日の基本政策閣僚委員会に「党首補佐役」として出席したが、翌朝には財務省が社民党側に「阿部氏は今後、どのような資格と肩書で税調に出席するのか」と問い合わせるなど、政府側も対応に苦慮した。社民党幹部は「混乱ぶりは、与党として恥ずかしい。参院選に影響が出るかもしれない」と自嘲(じちょう)気味に話した。
(毎日新聞2010年1月28日朝刊)


社民人事 国対委員長に照屋氏、阿部氏は政審会長留任へ
2010年1月27日16時36分  路線対立をめぐる混乱で先送りされていた社民党の役員人事で、国会対策委員長に照屋寛徳衆院議員を起用し、政策審議会長に阿部知子衆院議員を留任させることが27日、内定した。同党は同日中にも両院議員総会(衆参12人)を開いて正式に承認する。
 同党の役員人事は24日の党大会終了までに決めるはずだった。だが、党の独自性を発揮できていないことや、参院選に向けた取り組みが遅れているといった批判があり、福島瑞穂党首(消費者・少子化担当相)や重野安正幹事長の党運営に異論が噴出。就任が取りざたされた照屋氏や阿部氏が固辞する事態となった。
 ただ、内向きな混乱には党内から批判の声が絶えなかった。そこで、最終的には(1)福島氏が党の主張を明確にして参院選に向けた態勢整備を進める(2)阿部氏らが求めていた保坂展人前衆院議員の参院選比例区への擁立を検討する、といった条件で互いが折り合った。
(朝日新聞2010年1月27日夕刊)

「児童ポルノ禁止法」改正問題の論点メモ2009/12/10

うちの子です。児童ポルノかな?
 12月9日、法務担当の近藤議員と児童ポルノ問題にこだわって取り組んで来た保坂前議員が、民主党の小宮山議員、枝野議員とあい、今後の方向性等について協議した。
 選挙前に自公の旧与党が提出した児童ポルノ禁止法の改正案と民主党の改正案の修正協議が、政権交代を間に挟んで、概ね合意に至りつつある。こうした、状況を受けて、社民党としても態度を決めなくてはならない。
 児童ポルノの取り締まり強化自体には誰も異論がないが、場合によっては表現の自由への規制となるなるおそれもあり、このバランスが難しいところだ。
 具体的な対応については別途にまとめる予定だが、現段階での社民党としての基本的な考え方をとりあえず下記のようにまとめた(12月10日の常任幹事会で報告)ので、ご参考まで。
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2009年12月9日/社民党政審事務局

「児童ポルノ禁止法」改正問題の論点メモ

1、慎重審議の必要性
 児童ポルノの撲滅が国際的な重要課題となるなかで、日本においても児童ポルノ禁止法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律)を改正して、児童への性的虐待を防止することが強く求められている。しかし、児童ポルノの取り締まり強化が、運用次第で表現の自由を侵害するおそれも指摘されていることから、法律の改正にあたっては慎重な対応が求められる。旧与党案(自公案)をベースとした児童ポルノ禁止法改正案(修正案)には、いまだ疑問点が残り、社民党としてはこれを委員会審査を省略して拙速に成立させることには同意できない。改正論議の開始当初とは政治状況も大きく変わっており、当初の民主党案をベースに内閣提出法案とすることを検討すべきである。

2、定義の明確化・用語の改正等
 いわゆる「3号ポルノ」の定義を明確化(改正案第2条3関係)することは評価できるが、「性的な部位」としてあらたに「臀部」や「胸部」を加えるなど規制対象の範囲を広げていることには疑問がある。「性欲」というごく主観的な内容に関するものであるから可能な限り限定的に規定するべきではないか。例えば学術的・芸術的・文化的な価値のあるものを除外することを明記するなど、実態に即してより明確な規定とするべきである。

3、所持の禁止規程等の新設
 児童ポルノ等を所持・保管した者に対する罰則(1年以下の懲役又は100万円以下の罰金)が新設(改正案第7条関係)されているが、捜査当局による恣意的な運用によって表現の自由が侵されるおそれがいぜん否定できない。修正によって「自己の意思に基づいて保管するに至った者」、「当該者であることが明らかに認められる者」に限定するなど、実質的に「取得罪」とほぼ同様の立証が課されることとなったことは評価できるが、民主党案が当初規定(民主党案第7条)していた「有償」や「反復」といった要件を加えることがより望ましいのではないか。

4、被害児童の保護に関する制度の充実・強化
 被害児童の保護のための措置を講ずる主体や責任の所在を明確化し、被害児童の保護に関する施策や、フォローアップ体制を強化(改正案第3章関係)することは評価できる。改正案は関係行政機関の規定について社会保障審議会、犯罪被害者等施策推進会議が連携して検証・評価を行なうこととしているが、具体的な連携のあり方等について所管庁間の対応について確認し、具体的な認識を共有しておく必要がある。

5、インターネットの利用に関わる事業者の努力規定
 インターネット事業者の捜査機関への協力や、管理権限に基づく情報送信防止措置等を講ずることが、努力規定として定められている(改正案第16条3関係)が、通信の秘密を侵し表現の自由を侵害するおそれはないか。児童ポルノ掲示のために使用されているサーバーの管理者等はともかく、アクセスプロバイダまで対象とすることは、インターネット関係事業のすべてに負担を課すこととなり、対象が広範すぎる。

6、施行期日等の規定
 施行期日に関して、法律施行前に取得した児童ポルノの所持・保管については対象とすべきではなく、廃棄・削除義務を課すことで十分である。改正案では「当分の間」は適用しない(附則第1条関係)ことととしているが、立法者の意図をより明確にするためには「当分の間」との文言を削除すべきである。

7、「児童ポルノに類する漫画等」に関する調査研究
 旧与党案では、検討条項として「漫画、アニメーション、コンピュータを利用して作成された映像、外見上児童の姿態であると認められる児童以外の者の姿態を描写した写真等であって児童ポルノに類するもの」について調査研究を推進することが規定(附則第2条)されていが、これは「児童の権利を擁護する」(現行法第1条)という法の本来の目的を超えてるものであり、この法律の枠組みとは別のものと考えるべきだ。こうした認識を確認し、本改正案が表現の自由の規制に至るのではないかとの懸念を払拭する必要がある。保護法益を混同するべきではなく、附則や附帯決議にこれらを盛り込むことも避けるべきだ。

8、保護の対象とする年齢
 「児童」という特質を前提とする法であることを踏まえれば、民法上の成人年齢や結婚可能年齢、児童ポルノ禁止条約(児童の売買、児童買春及び児童ポルノに関する児童の権利に関する条約)や児童ポルノ禁止法が規定する「児童」の年齢等の差について整理していく必要があるのではないか。

以上

福島党首が無投票4選2009/12/06

福島瑞穂党首
 12月4日。福島党首が党首に4選した。党首選挙に絡んでいろな報道があったが、ほとんどが普天間移設問題への態度をめぐる対立とされているようだ。確かにそういう面はあったが、実際には様々な要素があって、根は深い。一時は福島党首が立候補断念に追い込まれる可能性すらあった。党首選挙への出馬の条件は規則で「所属都道府県連合の推薦と200名以上の党員の推薦」または「所属都道府県連合の推薦と国会議員の3分の1以上の推薦」が資格とされているためだ。200人以上の党員の推薦というのは実務的に短期間で手続をするのが難しいため、現実的には国会議員の3分の1以上の推薦が必要なのだ。
 事務局の立場で言えることはあまりないのだけど、一般論としていうと論点は、①選挙総括と参院選挙への対応、②党のガバナンスへの問題意識、③感情的な問題、④沖縄問題への対応、⑤その他、という感じだと思う。
 今回の選挙は議席数こそ維持したというものの比例区の得票を数で約2割、率で5・35→4・27に1%以上大きく減らした。この責任の多くが党首にあるのではないかという思いが党内に根強いのだ。個人的にはこの責任を党首一人に負わせるのはやや酷かとも思うが、多くの前職議員が討ち死にする一方でその責任を負うべき党首が入閣したことへの批判はとくに国会議員の中で強いように思う。これは、このままで参議院選挙が戦えるのか、という不安とセットだ。まして閣僚であり、かつ自分自身が候補者であれば、党の顔として任務に堪えうるのかという不安は払拭されていない。
 第二に、この間の与党を体験する中で、党のガバナンスに対する危機意識は中央組織の関係者の多くに広がっていた。まずは単純に大臣の日程が役所にとられて党務に時間が割けない。党の会議にはほとんど出席できず、常任幹事会すら途中で退席することが多い。重大な場面で連絡すらつかない、ということもあった。党首は当初から側近議員を作らず、一匹狼的に振る舞ってきたため、誰かに任せるということにもならない。そもそも党側の状況を把握されているのだろうか、党として重大な判断が出来るか、という疑問である。必ずしも本人の責任ではないかも知れないが、来れも故なしとは言えない。
 感情的な問題についての論評はパス。ただ、今ぐらいの人数というのは、実は意外とまとまりづらい難しい規模なのだ。とくにキャラが立っている国会議員の間の人間関係はなかなか難しい。
 こうした背景の上に、訪沖問題や普天間をめぐる対応への不満が火を噴いたというのが実態ではないか。民主党の中でも閣内に入った議員と、党に残っている議員との間には微妙な問題があると言われているし、閣内・閣外の立ち位置の違いにはなかなか難しい問題があるようだ。
 個人的には結局は福島党首が4選されるにしても堂々と党首選をやって、様々な問題を党員や有権者の前で議論した方が良かったのではないかと思っていたので、なんとなく未消化な感じが残っている。まあ、いずれにしてもわれわれが選んだ党首なのだから、福島党首を支え、参議院選での前進を目指して頑張りたい。
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社民・福島党首が無投票4選へ 普天間強硬で党内対立回避
12月3日/産経ニュース
 社民党党首選挙(4日告示)は3日、福島瑞穂党首(消費者・少子化担当相)の無投票4選が固まった。福島氏が、現行計画通りに米軍普天間飛行場の沖縄県名護市への移設が決まれば連立を離脱する可能性をほのめかし、現行計画に反対する党内の強硬派による対立候補擁立の動きが止まったためだ。ただ、これによって社民党は「県外・国外移設」という従来の看板を下ろせなくなった。譲歩すれば党分裂の危機に陥る可能性がある。
「福島さんは大丈夫だろう。展望が見えてきた」
 防衛省首脳は11月半ば、現行計画通りに決着する見通しを示していた。
 実際、福島氏は今月2日まで、記者会見などで「短期で結論を出すのは拙速だ」と述べてはいたが、年内決着を模索する政府にそれ以上の強い態度を示してはいなかった。
 それが一転して、3日の党常任役員会で「社民党の根幹にかかわる」と連立離脱を辞さないことを公言したのは、社民党内の不満を抑えきれなくなったためだ。
 党首選では、「福島氏は生ぬるい」とする議員らが、普天間飛行場を抱える沖縄2区選出の照屋寛徳衆院議員(当選3回)を福島氏の対抗馬として擁立する動きに出ていた。
 執行部に代表代行を新設し、福島氏から実権を奪う案も取りざたされた。これらを封じるため、福島氏は普天間問題で強硬姿勢を示す必要があった。
 照屋氏は3日夕に記者会見し不出馬を表明したが、「政権にそれなりのインパクトを与えた。皆さんが想像し得る範囲をはるかに超えて私たちは官邸や民主党幹部に働きかけた」と胸を張った。さらに「福島氏と会談し、普天間問題に取り組む決意と覚悟を共有できた」と述べ、党首4選にあたっての福島氏の発言が極めて重いことを指摘した。
 来年1月24日には名護市長選がある。社民党が推す県外移設論の候補が優勢とみられており、党内では「市長選まで決着を持ち越せば、こっちのものだ」との声が上がっている。

福島党首4選に壁、「出しゃばりすぎ」の声も
12月1日/読売新聞
 社民党は、党首選の告示を4日に控え、党内の駆け引きが激しさを増している。
 2003年12月から3期6年、党首の福島消費者相は4選出馬の意向だが、党内には「福島氏は何事にも出しゃばりすぎだ」といった不満も一部議員にあり、対抗馬擁立を模索する動きも出ている。
 福島氏と一線を画す又市征治副党首は、11月27日の両院議員懇談会で党首代行の設置を求めた。党内の福島氏の影響力をそぐ狙いがあると見られている。また、福島氏と距離を置く阿部知子政審会長、照屋寛徳衆院議員ら4人が11月30日、国会内に集まるなど「反福島」の動きが活発化している。
 こうした動きを、福島氏に近い議員は「与党入りして党首に注目が集まるようになったから福島氏をやっかんでいるだけだ」と批判。
 福島氏を支える重野幹事長が1日、又市氏ら複数の議員と会い「福島体制」継続への理解を求めるなど党内融和を図ろうとしているが、福島氏自身は党内情勢を見極めるため出馬表明を見送っている状況だ。

福島党首、不安な4期目=「普天間」なお火種
12月6日/時事通信
 社民党の福島瑞穂党首(消費者・少子化担当相)が、4期目の党運営を事実上スタートさせた。来夏の参院選で議席を増やし、退潮傾向に歯止めをかけるのが最大の課題だ。ただ、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題の展開次第では、党分裂に発展する可能性も消えておらず、福島氏にとっては神経をすり減らす日々が続きそうだ。
 「一番大事なのは参院選だ。連立政権の中で具体的な成果を出し、躍進したい」。福島氏は4日、無投票4選を決めた後の記者会見で、参院選では改選3議席の倍増を目指す考えを強調した。
 だが、普天間問題というハードルがなお立ちはだかる。党首選では、党内から「福島氏の姿勢は生ぬるい」との不満が噴出。福島氏は政府が県内移設を決めた場合は連立離脱も辞さない姿勢を示すことで、ようやく対抗馬擁立の動きを沈静化させた。
 福島氏が口にした「重大な決意」は、政府内で強まっていた年内決着への流れを押し戻し、越年の見通しとなったものの、普天間問題は依然として重くのしかかる。同党にとって、県外・国外移設は「至上命令」で、実現できなければ連立離脱の決断を迫られる。ただ、党内には「党が生き残るには政権にしがみつくしかない」との意見も根強く、実際に離脱に踏み切れば党が割れる可能性も否定できない。
 福島氏には、求心力のなさも不安材料だ。福島氏は「一人で出しゃばりすぎだ」(幹部)との批判を考慮し、今後は可能な限り幹事長に党務を委ねることを決めたが、党内では不満がくすぶっている。
 党首選で福島氏の推薦人となった議員は当初、衆参それぞれ3人ずつの6人だけだった。福島氏への「批判勢力」が顕在化するのを恐れた重野安正幹事長が一部の議員には声を掛けなかったためだ。
 「みんなの力を合わせて、きっちり成果を出していこう」。福島氏は4日の両院議員総会で、こう呼び掛けた。しかし、党内は一枚岩とは言い難く、福島氏の前途は険しそうだ。

田英夫さん逝去2009/11/17

07年7月田さんと
 田先生が亡くなった。11月13日朝に亡くなり、故人の遺志で17日に親族のみで告別式を済ませたとのこと。訃報が流れたのはその後だ。1923年生まれ、享年86歳。
 本人の経歴やら業績なんかは、あちこちで振りかえるだろうから、あえて言う必要はないかもしれないけど記録的に簡単に。共同通信記者として東京裁判の取材に当たり、第一次南極観測隊員として報道を担当し、TBSに移って「ニュースキャスター」の草分けとして活躍。西側テレビとして初めてベトナム戦争下の北ベトナムを取材、反米的として政府・自民党の圧力で降版させられた反骨の有名ジャーナリスト。71年参議院全国区で192万票の大量得票でトップ当選し、社会党に所属して活躍。75年には楢崎弥之助氏らと「新しい流れの会」を結成するなどして党内官僚派グループとたたかい、77年選挙で2度目のトップ当選を果たした直後に離党。78年に社会民主連合を結成し代表となる。この辺の事情は相当複雑になるので党外の人にはほとんど理解不能かもしれません。83年に参院比例区で3選。89年には東京選挙区でトップ当選。95年は新党「平和・市民」から東京選挙区で当選。97年には社民党に入党した。01選挙ではいったん引退を決めるが、乞われて比例区で出馬し惜敗。03年に上位当選の田嶋陽子氏の辞職に伴って繰り上げ当選している。東京帝大入学直後に学徒出陣で徴兵され特攻隊に配属されたが、出撃命令を受ける直前に終戦を迎え、命拾いをした逸話もある。
 地盤も看板もカバンも受け継いでいないので世襲議員とはいわれないのだけど、祖父が貴族院議員や台湾総督を務めた田健治郎男爵。僕が直接知っている政治家の中で、唯一名望家政治家の雰囲気を感じさせてくれる人だった。
 僕は最晩年の田さんに大変お世話になった。99年に原水禁の役員を辞めて社民党に戻って、さーどうすっかなと思ってたところを、外交・防衛部会長だった田さんに呼ばれて政策審議会に来た。人事のことなのでどろどろした面はあるんだけど、いろいろある中で、田さんに引かれなければたぶん政審に移れたか分からない。その後、01年に落選するまで外交、平和、憲法問題などを事務局として担当させていただいた。
 直接に親しくしてもらうまでは、平和志向のリベラルな有名人かな、くらいに思っていたんだけど、実物は想像よりずっとすごい人だったよ。どこに出しても、誰にあわせても安心。いろんな人の思いを受け止めて、政治に昇華しちゃう。金大中やキュー・サムファンと仲良しかと思えば、「社会党の天下になったら野球、野球っていっておられるかどうか、わかりませんからね」と言って物議を醸したかの長嶋茂雄氏ともジャーナリスト時代からの仲良し。長嶋さんは選挙の応援にも来てくれてた。(※ちなみに社会党は野球を禁止しないことをコメント。後にキューバを訪問した長嶋さんは社会主義国で野球が盛んなことを見て、帰国後カストロやゲバラを絶賛していたらしい)
 戦中派として、ジャーナリストとして、政治家として、平和主義者として、左翼として、ヤンゴトナキ生まれの人としても、非常に幅の広い人脈をもっていた。対応は極めてリベラルに、信念はあくまで固く、政治家の中の政治家だったと思う。僕が知己を得たのは最晩年の一時期に過ぎないので、若くて元気のあった時代にはさぞかし力があっただろうなぁ、と思うな。
 01年にいったん落選して、03年に繰り上げで国会に戻ってこられたときには、党の外交・防衛部会長は今川正美議員が受け継いでいたし、参院の外防委員会も大田昌秀議員が担当されていたため、得意な分野を担当できず歯がゆかったかも知れない。僕も事務局的な関わりはごく薄くなって、時折、世間話をする程度となってしまった。逆に、このために党や国会の任務から解放されて、「特攻の語り部」として遺言を残せたという面はあるかも知れません。まだまだ話を聞きたいという要望は多かったので、もっともっとお元気で伝えて欲しかったという気持ちはありますが。まあ1人の人間の人生としてはかなり充実した一生だったのではないでしょうか。
 いずれにしても、田先生、本当にお世話になりました。心からご冥福をお祈りします。

必殺仕分け作業はじまる2009/11/11

事業仕分け
 11月11日、行政刷新会議の下で予算の無駄を洗い出す「事業仕分け」が始まった。国立印刷局市ヶ谷センター体育館で、そんなものが市ヶ谷にあったんだねー。
 27日まで計9日間にわたり、447事業の必要性について判断するとのこと。「仕分け人」の国会議員や民間有識者らが3班に分かれ、国や独法の事業について担当省庁から説明を受け、1項目あたり1時間程度をかけて各事業を、①廃止②地方自治体に移管③10年度予算での計上見送り④予算の縮減などに仕分ける。一般の人も先着順で傍聴ができ、インターネットでも生中継される。
 9日には、事業仕分けにあたる民間有識者56人も決定している。知ってる顔ぶれも何人かいますね。へぇ~、て感じ。「構想日本」の加藤秀樹代表が刷新会議の事務局長に就任したことで、かねて「構想日本」が提唱していた「事業仕分け」みたいなかとをやることは分かっていたわけだけど、想像していたより大きな規模で全面公開でやるということなので、成り行きが注目されるところ。
 ひとたび制度化されるとなかなか変わらなかった行政の予算のシステムに風穴があく可能性もあるかも知れないけど、ポピュリズムで人民裁判的にパンパン決めていくことで、地味で多くの人に容易に理解してもらうことは出来ないけど本当は必要な内容が見捨てられていくおそれも否定できない
 ところで、こんなの行政評価局(旧総務庁行政監察局)がしっかりやってればよかっただけのような気もするけど、やっぱり霞が関の仲間内では出来なかったのかなぁ。
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行政刷新会議ワーキンググループ評価者
(国会議員)
【全WG】
枝野幸男・衆議院議員

【第1WG】
津川祥吾・衆議院議員、寺田学・衆議院議員
【第2WG】
菊田真紀子・衆議院議員、尾立源幸・参議院議員
【第3WG】
田嶋要・衆議院議員、蓮舫・参議院議員

【全WG】
泉健太・内閣府大臣政務官、大串博志・財務大臣政務官
※事業仕分けの対象事業ごとに、担当府省の副大臣又は政務官の一人を指名
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(民間有識者)
【第1WG】
青木宗明・神奈川大学経営学部教授、安念潤司・中央大学法科大学院教授、井澤幸雄・小田原市職員、石渡秀朗・三浦市職員、石渡進介・弁護士、内田勝也・情報セキュリティ大学院大学教授/横浜市CIO補佐監、翁百合・(株)日本総合研究所理事、奥真美・首都大学東京都市教養学部都市政策コース教授、川本裕子・早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、田近栄治・一橋大学大学院経済学研究科教授/理事/副学長、辻琢也・一橋大学大学院法学研究科教授、富田俊基・中央大学法学部教授、新倉聡・横須賀市職員、ロバート・アラン・フェルドマン・モルガン・スタンレー証券(株)経済調査部長、福嶋浩彦・中央学院大学教授/前我孫子市長、政野淳子・環境行政改革フォーラム幹事

【第2WG】
飯田哲也・NPO法人環境エネルギー政策研究所所長、石弘光・放送大学学長、市川眞一・クレディ・スイス証券(株)チーフ・マーケット・ストラテジスト、長隆・東日本税理士法人代表社員、海東英和・前高島市長、梶川融・太陽ASG有限責任監査法人総括代表社員、木下敏之・前佐賀市長/木下敏之行政経営研究所代表、熊谷哲・京都府議会議員、河野龍太郎・BNPパリバ証券チーフエコノミスト、小瀬村寿美子・厚木市職員、露木幹也・小田原市職員、土居丈朗・慶應義塾大学経済学部教授、中里実・東京大学大学院法学政治学研究科教授、福井秀夫・政策研究大学院大学教授、船曳鴻紅・(株)東京デザインセンター代表取締役社長、松本悟・一橋大学大学院社会学研究科教員、丸山康幸・フェニックス・シーガイア・リゾート取締役会長、村藤功・九州大学ビジネススクール専攻長、森田朗・東京大学公共政策大学院教授、吉田あつし・筑波大学大学院システム情報工学研究科教授、和田浩子・Office WaDa代表

【第3WG】
赤井伸郎・大阪大学大学院国際公共政策研究科准教授、荒井英明・厚木市職員、小幡純子・上智大学法科大学院長、金田康正・東京大学大学院教授、伊永隆史・首都大学東京教授、高田創・みずほ証券金融市場調査部長チーフストラテジスト、高橋進・(株)日本総合研究所副理事長、中村桂子・JT生命誌研究館館長、永久寿夫・PHP総合研究所常務取締役、西寺雅也・山梨学院大学法学部政治行政学科教授、原田泰・(株)大和総研 常務理事チーフエコノミスト、速水亨・速水林業代表、藤原和博・東京学芸大学客員教授/大阪府知事特別顧問、星野朝子・日産自動車(株) 執行役員市場情報室長、松井孝典・東京大学名誉教授、南学・横浜市立大学エクステンションセンター長、山内敬・前高島市副市長/高島一徹堂顧問、吉田誠・三菱商事(株)生活産業グループ次世代事業開発ユニット/農業・地域対応チームシニアアドバイザー、渡辺和幸・経営コンサルタント/(株)水族館文庫代表取締役

NONUKES FESTA 2009~放射能を出さないエネルギーへ2009/10/03

パレード先頭
 明治公園で「10・3 NONUKES FESTA 2009~放射能を出さないエネルギーへ」が開かれた。原水禁や全国の市民団体で構成する、同集会全国実行委員会(代表:小木曽美和子、鎌田慧、福山真劫)が主催。主催者発表で約7000人が参加した、脱原発運動としては久々の大集会だ。「原発の新増設を中止し持続可能な社会を目指す方向にエネルギー政策を転換する」ことを求めた集会アピールを採択し、代々木公園までパレードを行なった。
 政党からは社民党の福島みずほ党首と近藤正道参議、民主党の相原久美子参議があいさつに立った。集会に先だって原水禁などは原子力政策の転換を求める署名約58万人分と、山口県上関町の原発建設計画中止を求める署名61万人分を政府に提出した。
 政権交代直後の漠然とした期待感もあって、最近元気がなかった脱原発もやや盛り上がりつつあるかな。僕は別用で人に会っていて、終って駆けつけたころは、パレードが出発したところ。7000人くらいいるとパレードが出発するのも結構大変だ。家で子どもが待っているので、途中で抜けようと思っていたんだけど、結局、解散地点の原宿代々木公園まで歩いてしまいました。

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                   集会アピール

 地球温暖化を防止するため、世界に通用する持続可能な未来の社会モデルを提示することが求められています。大量の資金、人材、技術基盤を必要とする原子力などの高度先端技術で、途上国と一緒に問題解決することはできません。日本のような工業先進国が、自然共生的な社会モデルを目指すことが必要です。ところが、これまでのエネルギー政策は、予算の大半を原子力に投入し、自然エネルギーの開発利用を遅らせてきました。
 また、2005年に策定された原子力政策大綱では核燃料サイクル路線が再確認されましたが、根幹である六ヶ所再処理工場では技術的欠陥が露呈し、余剰プルトニウム問題が深刻になるなど、原子力政策は矛盾だらけです。中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発や東海地震の震源域に立地する浜岡原発などに安全のお墨付きを与えつづける安全規制体制は、国家的耐震偽装ともいえ、国民の信頼を失っています。
 「原子力村」による利権構造は、現実を踏まえた国民的議論を拒んできました。原子力委員会は、これまで5年ごとに行ってきた長期政策の見直しすら先送りするとしています。
 わたしたちは、非自民の新政権が発足した今こそ、原発の新増設を中止し持続可能な社会を目指す方向にエネルギー政策を転換するべきと考え、本日、明治公園に集まりました。
 危険なプルトニウム利用として計画されている六ヶ所再処理工場の試験運転、各地の原発でのプルサーマル、もんじゅの運転再開を中止させましょう。
 破綻している原子力政策大綱の見直しを政府に要求して行きましょう。
 また、原子力安全規制体制の抜本的見直しを要求して行きましょう。 わたしたちと子どもたちの未来のために!

2009年10月3日

「NO NUKES FESTA2009 放射能を出さないエネルギーへ」 参加者一同