携帯を増設 SH0072010/09/03

SH007
 携帯電話、東芝のbiblioの調子が悪いので、端末の増設をした。アンデルセン公園で紛失後に発見されてから顕著になったように思うんだけど、キーの反応が悪いんだよね。反応がすごく悪くて、何回も押さないとダメなので、とくにメールを打つときには猛烈にイライラする。
 2月に紛失して保険で調達したばかりだったけど、ようやく半年経ったので。使用期間が短い時の、機種変更ってかなり高いから。この際、キャリアを変えるかとかいろいろ考えて、調査活動をしていたところ、「機種変更」じゃなくて端末の「増設」ってことが出来ることを知った。
 前の機種の使用を止めないで、新しい端末を空で買って、SIMカードを差替える。前のにさすと前のも使えて、使い分けが出来るようになるんだわ。増設の端末代金は機種変更の場合とたいてい同じだけど、事務手数料はいらない、前の携帯も無駄にしないで済むし。まあ、実際は年中SIMカードを差替えて使い分けすることにはならないともうけど、あえて機種変更にして事務手数料を払って、前の端末を使えなくする意味ってまったくない。店頭ではそんなこと教えてくれないんだよね。
 そんで増設したのはシャープのSH007。通販で買って、SIMカードを差し替えたら普通に使えた。biblioに戻すとこちらも使える。もちろん同時には使えないけど、べんりじゃん。SH007は、太陽光で充電が出来るのがウリ。充電は直射日光下でないと出来ないし、実用的な効率ではないけど、いざというときには使えるかも、という感じかな。biblioより軽いのとFieldLocatorといので、現在地の高度や方角、位置等が測定できたりするのは結構気に入ってます。

消費税反対と左翼2010/09/10

 消費税の議論になると思い出すのは、15年ほど前にデンマークのアンデルセン福祉大臣(当時)の取材をしたときのことだ。当時、『月刊社会党』の編集者だった私は、たまたま来日したアンデルセン大臣の日程を確保したからインタビュー記事をつくれと半坂編集長(当時)に言われて、五島議員との対談をセットした。
 もともとぺーぺーの自分が現職の外国閣僚と直接話すつもりはなかったんだけど、たまたま時間が空いて話す機会ができた。社交辞令の後で、いきなり聞かれたのは、「社会党はなぜ消費税に反対するのか?」と。
 私はしどろもどろで、「導入の経緯が」とか「逆進性が」とか答えたわけだけど、説得力のある説明は出来なかった。もう、うろ覚えだけど概ね次のようなことを言われたのです。
 「世界中どこに行っても税金を減らせというのは右、増やせというのは左。左翼ならちゃんと税金を取って、きちんと還元することを目指すのが当然だ。」
 「どこからどう税金をとるかは国による政策も問われるが、自由な社会や自由な貿易を守ることを前提にすれば、所得への累進課税や法人課税の強化には限度がある。」
 「軍事費や無駄な経費を減らすのは当然だがこれも限界がある。最終的に国民に十分は福祉や教育を行き渡らせるには消費課税がどうしても必要になる。逆進性などの問題は緩和する様々な対策が行なわれている。」
 「多くの国で様々な経験が蓄積されており、福祉国家のためには消費税は避けて通れないことは十分理解されているはずだ。現に左翼が強い国ほど消費税率は高い傾向がある。」
 「日本の消費税の導入の経緯は問題があったのかも知れないが、社会党はすでに政権を担うことになったのだから過去のことばかり言っていられない。左翼なら正面から増税を語るべきで、社会党は政権党(当時)として、増税をして同時にその成果を国民が理解できるように還元しなくてはならない。」
 当時の私としてはこれにぜんぜん反論ができなかったんだなぁ。村山政権初期のことなんだけど、この頃はまだ89年の土井ブーム・反消費税で「山が動いた」記憶が新しかったし、村山さんが総理になったんだから消費税率アップは認められないよね、って雰囲気だった。まぁ、私も普通に反対な感じでいたのだけど、これに社会民主主義の本家からダメだし食らったわけです。
 それで、いろいろ勉強したり考えたりして、私は消費税増税論者になったのです。もちろん単に今のまま増税するのではなく、いろいろな条件がありますが。いまの消費税の仕組みには問題が多いし、法人税や高額所得者への減税の穴埋めに消費税収をつかうような現状は問題。所得の再分配機能を弱める形での消費税率アップは認められない。でも、所得や資産や相続にちゃんと課税したうえで、消費税がきちんと福祉や教育の向上に使われるのであれば、増税してもいいんじゃないか。
 現状の消費税は批判してもいいけど、むしろ大胆な消費課税も含めて国民生活向上に繋がるような税制を積極的に提案していくべきではないかという感じでいるわけです。
 いまだに党内は消費税反対の主張が多勢だし、「左翼」的勢力全体を見ても反対論が根強い状況を考えれば、消費税も含めて増税ちゃんとしましょうというコンセンサスを作るのはなかなか容難しいでしょうが。
 ちなみに私、税制は担当じゃないので、これは単なる個人的な意見にすぎません。いまや目にすることは難しいでしょうから、そのときにまとめた記事を参考までに掲載します。お二方の対談を元にまとめたものです。
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(月刊社会党95年1月号)

「北欧福祉社会と税制――デンマーク元社会大臣との対話」

                          B・R・アンデルセン・五島正規

社民党がつくった福祉社会
五島正規 今日はデンマークのアンデルセンさんを迎えて、福祉を中心に、政治的な面も含めておうかがいしたいと思います。
 いまの北欧では社会民主党と保守党の間で福祉の問題に関する大きな対立はないと聞いています。こうした状態に至るまでには福祉をめぐっての対立もあったのでしょうか。
ベント・ロル・アンデルセン 北欧だけでなくほかの国から見てもそうですが、こういう福祉社会は社会民主党がつくった、というふうに考えられています。
 党の政策綱領などを見ると、それぞれの政策に違いはあります。しかし、重要な福祉関係の法律は過半数を大きく超える賛成で成立しており、実際にはそれほどの差はないわけです。政策の違いは立場をはっきりさせるために言っているという面があって、実質的にはニュアンス程度の微妙な違いだけです。
 例えば福祉予算を削らなくてはならない場合、提案する額は保守系のほうが多く、社民系のほうが少ない。高齢者福祉のある部分を民営化しようという議論は保守党のほうに強くて、社会的・公的なものでよいという意見は社民党に強い。そういう違いはありますが、サービスが必要という点は同じです。
 福祉国家をやめようと主張している政党はどこもありません。もう少し自由な分野を大きくしようというのが保守系で、それではだめだというのが社民党の主張です。これは議論のための議論とも言えます。保守系が節約を言う理由も、福祉国家を維持するために放漫ではいけないというものです。
 われわれの福祉政策は社会主義のイデオロギーでつくられているわけではありません。どちらかというと社会的な連帯が福祉国家の理念であって、すべてを社会化していくという社会主義のイデオロギーではないのです。
五島 日本でも高齢化社会を迎えるなかで、福祉の水準を上げていかなければいけないという点ではコンセンサスがあります。
 ただ北欧型の福祉については、日本では二つの意見が出されています。一つは、北欧型福祉モデルにはカネがかかり、それを支える経済の活力が失われてしまうのではないかという意見。もう一つは、これからの福祉では「選択」が重要なウェートを持つので、より選択肢の広いシステムを考えるためには、北欧型のモデルよりも民間に依存する仕組みにしたほうがよいのではないかという意見です。その点についてどのようにお考えでしょうか。
アンデルセン 北欧型の福祉社会だと経済の活力が失われるという議論が正しいなら、公的セクターの多い国はみな経済が低迷していなければなりません。逆に公的セクターが小さい国はみなよいのか。財政は黒字なのか、貿易収支はどうか、失業率や一人あたりGNPはどのくらいなのか。OECDのデータを調べればすぐわかりますが、実際に相関性はありません。一般的に公的セクターが大きいヨーロッパが、より公的セクターが小さいアメリカや日本よりも経済的に悪いという実態はありません。
 日本の経済状態はよくても、アメリカはずっと悪かった。同じように公的セクターが小さい国でも、経済のいい国と悪い国があるわけです。ヨーロッパではデンマークは経済的に一番強い国です。デンマーク、スウェーデン、オランダ、フランスなど公的セクターの強い国は、スウェーデンを除いてみんな経済は順調です。先進国で経済状況がいい国は、概して公的セクターが大きい国と言えるのではないでしょうか。
 もう一つ重要なことは、女性がどれくらい就労しているかということです。これとパブリック・セクターの大きさは相関性があります。女性が就労すればGNPもふくらむし生産にもかかわります。同時に税金も払うことになりますから、公的セクターを大きくすることもできるわけです。
 二番目の、選択性の問題ですが、一般的な商品ならいろいろな店があれば質や価格で自分で選べるということはたしかに言えます。しかし、これは公的セクターでもできないことではありません。例えば公的義務教育でも学校の選択ができます。地域だけでなく、運営のやり方で選択することもできます。また保育園や病院も選択できます。公的セクターだからできないとは一概に言えません。それが公的セクター同士の競争にもつながっていくわけです。

大家族主義のメンタリティー
五島
 よくわかりました。  日本の場合、高齢化がきわめて遅れてしかも急激に起こってきたということが特徴です。そのためとくにお年寄りのメンタリティーの面でいろいろな問題が起こっています。北欧で高齢者が別世帯という社会習慣はいつごろからあったのですか。日本では大家族主義が長く続いて、そのなかでつくられたメンタリティーがいまだに強く残っています。そのへんの違いはどうでしょうか。
アンデルセン アジアでは一般的に大家族制の歴史が長いですが、北欧は親子が別居するのが伝統です。アジアの大家族制の理由を説明をするのが難しいように、デンマークでなぜ別居するのかを説明するのも難しい。かつて多くの国に大家族が中心の時期があったし、いまでもあるわけですが、大家族の社会の特徴は農業が中心的な産業であるということです。生産の場が農村地域から都市に移ってきて、経済の中心が二次、三次産業に移っていくときに、子どもが外に出ていきます。デンマークでは一九世紀の終わりにそれが起こり、そのころから別居が当たり前になってきました。
 日本ではまだ大家族主義の伝統があると言われていますが、どれだけこれが続けられるのか、私にはわかりません。
五島 日本も農村人口が人口の五〇%あったのは五〇年も前のことで、最近では第三次産業の人口のほうが圧倒的に多いという状態にまできています。それに加えて一極集中的な都市化が非常に進んでいて、現実には親子同居世帯は少ない。にもかかわらず、メンタリティーとしては家族主義が強く残っていて、親のほうにも子どものほうにも一緒に暮らさないことが不幸であるかのような感情が残っている。このへんが単に習慣の問題なのか、別の問題があるのか、非常に難しい問題だと思います。
 こういう国民的なメンタリティーが、福祉をパブリック・セクターで処理することに対する反対意見の一つに使われることが往々にしてあるわけです。
アンデルセン まったく同感です。南ヨーロッパにもそういうところがまだ残っています。大家族主義はうまく機能しているうちはよいのですが、うまくいかなくなったときには監獄のようになってしまいます。そのときは何かをしないと、家族機能そのものが維持できなくなります。
五島 いまの日本はまさにそういう状態にあります。しかも保守党の有力な政治家のなかには、「親孝行」といったものを軸に高齢化社会に対応する、それを軸にして税制や相続問題を考えようという人がいます。そういう政治的な力がまだ存在していることは非常に不幸です。
アンデルセン こうした議論はイデオロギーのレベルの話が多いようです。しかし、本当に変えるエネルギーになるのは人々のインタレスト、利害がポイントです。いまのところ男性の意見が力をもっていて、その限りでその価値観が表に出ています。しかし、それが通ると、高齢者自身や女性たちが苦労することになるわけです。高齢者自身や実際に介護にかかわる人が力をもたないと、制度は変わりません。とくに女性のインタレストがどれだけ表に出るかが非常に重要です。
五島 日本の場合は高齢者自身がそれを求めている面があります。
 もう一つ。経済的な問題ですが、日本では所得のフローの部分はそれなりに公平化してきていますが、資産に関しては非常に大きな格差が存在しています。世代間で見ると六五歳以上の方と、三〇歳代、四〇歳代の人の資産格差が大きい。高齢者の持っている資産をどう社会化して、福祉国家をつくるのかが大きな課題になります。デンマークでもそういう悩みはあったのでしょうか。
アンデルセン 高齢者によっていろいろ考え方は違うでしょう。例えば家を持っていても、息子が面倒を見てくれれば資産として全部渡す人もいます。家族間で給付と負担の分配をすると考える人もいます。しかし、そのコストを実際に払うのはたいていお嫁さんになるわけですが、おそらくその影響力は小さいでしょう。あるいはそれほど面倒をみない。共働きだったりすると、日中は独居で寝たきりになっている。資産を同じように持っていても、その老人にとっては公的セクターのほうがいいわけです。
 高齢者自身の状況や興味でどちらかがうまく機能すれば、本人にとってはいいのですが、なにも対策をとらないで最後のケースのようになると悲惨です。子どもは共働きで日中独居、寝たきりになると最後は入院してなかなか家にも戻れない。なにも手を出さなければそういう人がどんどん増えてきます。
 ですから、高齢者自身が本当に昔の家族的な制度を求めているのか、どういう状況を想定しているかによっても違うでしょう。改革があるときには価値観のぶつかりあいが当然あるわけで、力のあるほうに傾いていくわけです。

安すぎる固定資産税
五島
 お年寄りの資産の社会化に関してはどうですか。
アンデルセン 私は八九年から毎年、日本に来ているのですが、日本の固定資産税は安すぎる。どうしてもっと高くしないのか、経済学者として理解できません。
 借金をしてでも買った方がいいという事態が起こると、それがバブルだったわけですが、それがある日崩れれば、貸した銀行はパニックになるはずです。大蔵省があまり表に出ないようにしているのでしょう。早い時期から適正な固定資産税がかかっていれば、こういうことは起こらなかったのです。
 いますぐやったらマーケットが崩れてしまいますから、問題の解決にはなりません。資産価値が下がれば、高齢者の相対的な力も下がってしまいます。
五島 デンマークでは地方自治体の税収は所得税と固定資産税が中心と聞きましたが、その比率はどのぐらいですか。
アンデルセン それは市町村で決められます。社民党系の自治体は固定資産税が比較的高く、自由党系(昔の農民党系)のところは低い。だいたい歳入の一〇分の一ぐらいが固定資産税です。コペンハーゲンの西にあるアルバースルンという都市は社民党ですけれども、もっと高い固定資産税を決めています。
 地方交付税はだいたい一〇%ぐらいですから、いまは九割が自主財源です。かつては地方交付税が大きかったのを、だんだん自前の分を増やしてきたわけです。
五島 法人の課税はどうなっていますか。
アンデルセン 法人税は利益の三四%です。
五島 法人に対しても固定資産税があるのですか。
アンデルセン たいした額ではありません。
五島 個人も固定資産税は市ですか。
アンデルセン 固定資産税は市と県にいき、国にはいきません。基本的には市町村レベルにいく分が一番多いのです。
五島 個人の住宅の固定資産税は高いのですか。
アンデルセン 固定資産税は土地の評価額と建物の評価額で合計します。建物よりも土地のほうにかかるけれども、その土地代が安いのです。
五島 法人の固定資産税率も個人の固定資産税率も一緒ですか。
アンデルセン 法人の場合には、土地と建物のいわゆる固定資産税が市で、利益の三四%が国です。税率は個人の場合も法人の場合も同じです。商業価格の一%以下です。
五島 日本の場合、標準課税価格はマーケット価格ではありません。
アンデルセン 毎年評価を変えるのですが、下がった場合にはなかなかそれと一緒に下がらず、時間差が出てきます。

見えにくい消費税
五島
 デンマークは消費税が二五%ぐらいで、かなり高い。間接税に対する国民の意見はどうですか。
 もう一つ、福祉とか医療、教育といったパブリック・セクターから提供されるものは非課税なのですか。
アンデルセン デンマークでは消費税に関してより、所得税に関する議論の方がはるかに多いのです。所得税は可視性があるが、消費税は見えにくい。経済論で言うと、消費税が上がるとその分だけ為替レートが下がる。例えば日本の消費税を二五%にすると円の交換価値が下がります。為替が下がると、その分だけ国内産のほうが安くなる。海外から来たものが高くなりますから。ドイツでつくっている車と日本でつくっている車と、もし同じコストがかかったとすると、これに二五%の消費税をかけると、日本で売る車がドイツの車よりも高くなるはずが、実際にはなりません。国際的に動いているものは不可視的です。デンマークの消費者は、どれだけ消費税が入っているかを考えないで物を買っている。直接税の場合には背番号制もありますし、これだけ所得があって、これだけの税というのがはっきり見えます。ですから消費税に関する不満は出てきません。
 二つ目の問題ですが、公的セクターには消費税はかかりませんが、民間と公的セクターが競争している分野には消費税がかかります。例えば学校における掃除です。学校そのものは市の持ち物ですから、市が公務員として掃除婦を雇ってもいいし、掃除会社からサービスを買ってもいい。安いほうがいい。民間企業と行政サービスとの対等・平等な競争ですから、自分で公務員として雇ってやる場合にも消費税をつけなければいけません。
五島 その場合、利用者に消費税が課税されないのはわかりますが、各段階では付加価値税がかかっているはずです。インボイスなどによるゼロ%課税を言っておられるのか、あるいは非課税ということなのでしょうか。
アンデルセン ものを売ればその額に対して消費税を払う。しかし、その材料はほかの会社から買ったわけで消費税が含まていますから、税務局は買った額の二五%を返す。実際には付加価値したものの二五%だけを払うわけです。 五島 私の聞きたいのは、パブリック・セクターに対する課税の仕組みです。例えば病院でベッドを買うと、そのベッドに対して消費税を払うのですか。それともパブリック・セクターの病院ならベッドの分の消費税を払わなくていいのですか。
アンデルセン 付加価値にはつけませんが、買ったものに対してはかかります。ベットを売る会社が消費税を国に払い、それを加えて売りますから、それを買い手はそのまま払います。管理上の簡易さのために、公的なところに売るときと民間に売ったときの区別をしないで済むように、一たん全部払うのです。
五島 プライベートな病院で治療を受けると、その消費税は患者さんに転嫁されるのですね。
アンデルセン そうです。物を買ったら必ず払うわけですから。
五島 そうするとプライベート・ホスピタルを利用するよりは、パブリック・ホスピタルを利用したほうが患者さんにとっては有利ですよね。パブリック・セクターで提供されるサービスが、民間と競合しているのはあまりないんですか。
アンデルセン 公共の病院でもシーツの洗濯や、薬局などは民間を使うこともできます。薬局を行政でつくってもいい。マーメイドという大きな民間病院が今年つぶれてしまいましたが、ハムレットという心臓手術をやる病院などが残っています。
 民間病院でもいろいろなものを買って、サービスをつけて治療をするわけですが、消費税は全体の価格に対して払い、買ったものに含まれていた分は返してもらう。公立の病院の場合には、薬なりベッドなり同じものを買ったとしても、それに対しての消費税を払う。なにも売らないから、収入はない。二五%全額払わなければならない。民間は経費になる。サービスを提供したプラス・アルファのところだけの二五%になるのです。
五島 パブリックセクターの部分が大きいということで、税制などにも配慮されていることはよくわかりました。日本の場合、プライベート・セクターとパブリック・セクターが混在していますので、大変参考になりました。
アンデルセン 公的セクターか民間かというときに、公的セクターがいつもいいのだ、あるいは民間のほうがいいのだという議論はなるべく避けたほうがいい。民間のほうがいい領域もたくさんあるし、民間では全然対応できない分野もある。高齢者福祉はそういう分野で、民間で対応することは不可能です。医療の大きな部分もそうです。OECDの資料を見ても、民間でやっているアメリカの医療は非常に高くて、デンマークのほうがむしろ安いのです。

消費税と老人福祉の財源
五島
 日本では、パブリックに介護保険をつくるかどうかの議論が始まっています。一方で民間の介護保険も発足している。介護の問題についてもパブリックの部分とプライベートの部分が混合した場合、非常に複雑な問題を生み出してくるのではないかと心配しています。
アンデルセン 介護保険みたいなものをつくると、すべて問題が起こるごとに保険でつくらなければならなくなります。どうしても保険制度でやるなら、いま存在している医療保険のなかに組み込んで介護をふくらませる方がいいと思います。それならパーセントを変えるだけでいい。
 そうでなければ、消費税の一部を市町村に配ってやった方がいい。保険制度をつくってしまうと、それを維持すること自体が目的になってしまう。
五島 老人保険については拠出制度もあるわけですから、老人保険のなかに含めることが一番現実的だと思います。
伊東敬文 地方自治体に消費税を渡して老人福祉に使ってもらえば、例えば〇・五%で一兆円です。人口六五歳以上一人当たり一〇万円ぐらい配れます。
五島 バブルで税収が一番伸びているときに、消費税が導入されたので、国民に強いアレルギーがあるのです。
伊東 今度税率を上げるなら、市町村にいく〇・五%なら〇・五%が見える形でやる。老人福祉計画もつくったのだから、それを実現する自主財源とする。厚生省ではなく、むしろ自治省との連携で起債も含めてやれば、〇・五%でもかなりの額になります。いま厚生省が要求しているのは三〇〇〇億円ですから、使いきれませんよ。
五島 〇・五%で一兆二〇〇〇億ほどですから。たしかに税が国民に見えるということが大事ですね。老人保険に消費税の〇・五%を注ぎ込むという方法もありますね。ただ「消費税反対!」と言ってきた経過があるので…。
伊東 だから堂々と言えばよいのです。消費税が一番いい。
五島 消費税が産業政策などに使われるのではないかという不安があるのです。
伊東 ある程度のリターンがあれば上げられますよ。一度はそれをやっておかないと、減税で全部を使ってしまったらアウトですよ。
五島 いろいろ参考になるお話をうかがいました。どうもありがとうございました。
(※コペンハーゲン大学社会医学研究所の伊東敬文先生に通訳をお願いし、議論にもご参加いただきました。1994年10月27日)

尖閣諸島問題についてメモ(9月24日)2010/09/24

                                2010年9月24日/政審事務局

             尖閣諸島をめぐる問題について(メモ)

1、9月7日、尖閣諸島・久場島の北西約15㎞の日本領海内で、中国人船長と中国人船員14人が乗り組んだ中国漁船(166トン)と追跡中の海上保安庁巡視船「みずき」(180トン)が衝突した。海上保安庁は8日未明、同漁船船長を公務執行妨害罪で逮捕した。海上保安庁巡視船が、同諸島周辺の領海内で違法操業中を行なっていた中国漁船に対し、停船を命じつつ追跡を行なった際に、同漁船を巡視船に衝突させ海上保安官の職務の執行を妨害した容疑である。

2、海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突の詳細についてはわかっていない。日本政府は、中国漁船が巡視船に衝突してきたとして、日本の法令に基づいて厳正に対処していくとしてきた。一方、中国側では巡視船が中国漁船に衝突したとして中国漁船を被害者とする報道が行なわれている。この海域の領有権を主張する中国にとっては、ここで日本の国内法を執行すること自体が受け入れられないものと考えられる。なお、衝突時のビデオは公開されていない。

3、尖閣諸島周辺の海域は中国や台湾の漁船などの操業が相次いでいた。海上保安庁によると、多い日では約270隻を確認。1日に70隻程度が領海内に侵入していた日もあるという。事件が起きた7日も周辺で約160隻の中国船による操業を確認、うち約30隻は領海侵犯していたとのこと。

4、同漁船船長の拘留に対して中国側は強く反発し、閣僚級交流の停止などを打ち出した。日本青年上海万博訪問団の受け入れ延期、中国の健康食品販売企業宝健の1万人訪日旅行のキャンセルなど民間交流にも大きな影響が生じている。ハイテク製品の製造に必要なレアアースの輸出制限などによって、日本の製造業に影響を及ぶおそれも懸念された。河北省石家荘市では違法に軍事施設を撮影したとして日本人4人が拘束される事件も起きた。

5、日本政府は「(尖閣諸島は)歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成している」としており領土問題ではないとしている。中国側は「14世紀に最も早くこの島々を発見し、最も早く命名したことで、いち早くその主権を得て実効支配しており、国際法上、争う余地のない主権を有している」としている。1978年に日中平和友好条約が締結された際は「棚上げ」とされた。

6、9月24日、那覇地検は同船長を処分保留で釈放すると発表した。鈴木亨次席検事は記者会見で「我が国国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上身柄の拘束を継続して捜査を続けることは相当ではないと判断した」と述べた。仙谷由人官房長官は「捜査上の判断」として「政治的な配慮」を否定し、柳田稔法相は「指揮権を行使した事実はない」としている。

7、社民党は尖閣諸島の領有問題について日本政府の立場を支持しているが、同時に今回の事件に対しては柔軟な対応を求めてきた。このまま船長を起訴していれば、日中間の緊張は制御不能なレベルにまで高まっていた可能性があり、今回の釈放はやむを得ないものだったと考えている。しかし、本来、事態をこのように拡大し長期化させるべきではなく、逮捕したこと判断自体の是非も含め菅政権の責任は大きいのではないか。また検察に国益や外交に関わる問題を判断させるべきではなく、政府と外交当局が責任を持って判断をすべきであった。

8、領有権について争えば、双方とも引くに引けない状況となり、偏狭なナショナリズムを高めることにも繋がりやすい。互いに妥協できない困難な課題を前面に争うことは両国にとって何の利益にもならない。双方が冷静に実務的に処理をするよう心がけるべきである。日本にとって中国は好むと好まざるとに関わらず付き合っていかなくてはならない巨大な隣国である。日中の協力はアジアと世界に平和と安定、発展と利益をもたらす最も重要な二国間関係の一つ。今回の事件に目を奪われ、長年にわたって育んできた成果を失ってはならないと考える。

9、9月15日、ロシアとノルウェーは、旧ソ連時代から40年間にわたって領有権を争ってきたバレンツ海・北極海について、ほぼ2分する形で国境線を画定する合意文書に調印した。両国の経済水域がまたがる同海域には、石油と天然ガスが豊富に埋蔵されていると推定されており、1970年から国境線をめぐる対立が続いていた。今回の合意により、両国が資源開発に乗り出すことが可能となる。日中間の長年の懸案であった東シナ海のガス田の開発についても7月末に日中の交渉がはじまったばかりだ(今回の事件で中断)。領有をめぐって対立したまま一方的に資源開発を進めることは難しい。相互に妥協しながら漁業資源を分け合い、埋蔵資源の開発をすすめる枠組みを目指すことは、双方の利益に叶う。偏狭なナショナリズムを排しながら、冷静な話し合いをすすめるべきである。

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参考■日本政府の立場
尖閣諸島の領有権についての基本見解

 尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。
 同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。
 従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。
 なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。
 また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません。
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参考■中国側の立場
評論・日本政府による釣魚島灯台「接収管理」

中国が釣魚島(本文中、釣魚島とその周辺の島々を「釣魚島」と略称する)に国際法上、争う余地のない主権を有していることは、国内外の大量の史料が実証している。中国は14世紀に最も早くこの島々を発見し、最も早く命名したことで、いち早くその主権を得て実効支配した。明代の1562年に作られた「籌海図編」の沿岸防衛範囲の中に「釣魚嶼」「黄尾山」「赤嶼」が入っている。1863年の「皇清中外一統輿図」は「釣魚嶼諸島」を大清国の領土であると示し、台湾に付属する島として管轄していた。日本は1895年1月、甲午戦争(日清戦争)に乗じた閣議決定によって釣魚島を占領した。同年4月の馬関条約(下関条約)によって釣魚島は「台湾と付属の島々」の一部として日本に割譲させられた。第二次世界大戦後、日本はポツダム宣言によって、占領していた釣魚島を中国へ返還しなければならなくなった。しかし、米国は琉球諸島を信託統治する際、釣魚島を密かに同諸島の一部としてしまった。1971年に沖縄が日本へ「返還」され、釣魚島は今なお日本の統治下に置かれている。
日本は1970年代以降、釣魚島の主権を主張するための法的根拠を求め始めた。日本の外務省は1971年3月に「尖閣諸島の領有権についての基本見解」を発表した。同見解は(1)日本が1895年に釣魚島を占領した時「主のいない土地」だった(2)釣魚島は歴史上、日本の南西諸島に属しており、馬関条約(下関条約)で割譲された範囲に含まれていない(3)日本が戦後放棄するべき領土に属していない――などと主張している。だが、これらの主張は根拠があいまいだ。なぜなら1895年に釣魚島は中国の実効支配化にあり、島が「無人島」であることが必ずしも「主のいない土地」とは限らない。そのため日本の「主のいない土地は先に支配した者のもの」という論法は成り立たない。
日本はここ数年来「実効支配」によって主権を得ようと企図している。一つは、釣魚島は「私有地」であると主張し、右翼団体が島に上陸して建てた灯台を容認するなど主権行為を示している。二つ目に、海上防衛を強化し、中国漁船や釣魚島に接近しようとする「保釣」(釣魚島防衛)団体の船を追い払っている。三つ目に、日本政府は2002年4月に釣魚島を民間から「借り上げ」て、先日また灯台の「接収管理」を宣言した。その目的は言うまでもなく「実効支配」を強化して「時効取得」を達成しようとするものだ。
近代的な国際法において、征服によって強制的に領土を占領することは不法なものであり、「実効支配」がどれほど続こうとも初めから無効だ。「時効取得」は必ず平和で争うことがなく、長期的に持続した「実効支配」が前提でなければならない。中国政府は釣魚島に対する主権的立場を一貫して堅持し、日本に何度も外交ルートを通じた抗議を行い、釣魚島の主権を争う姿勢を一貫して表明してきた。このため、日本政府が灯台を「接収管理」する行為は徒労に終わるだろう。
1982年の国連海洋法条約の規定で、島(岩礁を除く)は大陸棚と200カイリの排他的経済水域を持つようになった。そこで日本は島の領有権を争うことによって海洋領土を広げる国家戦略を確立した。中国と釣魚島の領有権を争うことから始まり、韓国とは独島(日本名・竹島)を争い、ロシアとは北方四島(ロシア名・南クリル諸島)をめぐって綱引きしている。日本の海洋産業研究会の調査レポートによると、これら領有権を争っている島々は日本に200万平方キロメートルの排他的経済水域をもたらすという。
今回、日本政府が灯台をいわゆる「接収管理」した行動は、中国の東中国海における海底油田開発への報復姿勢を暗にほのめかしている。これは両国関係の悪化をいとわず、釣魚島を基点として東中国海の大陸棚と排他的経済水域を奪い取ろうとするものだ。日本の学者によると、釣魚島は日本に20万平方キロメートル以上の海域をもたらすとともに、東中国海大陸棚の石油・天然ガス資源の半分を獲得できるという。ここ数年来、日本はコストをいとわず海底地質探査を行い、2009年の国連大陸棚委員会に大陸棚の調査データを提出する考えだ。
このほか、日本はさらに「釣魚島をめぐる中日武力衝突論」をでっち上げ、「南西諸島有事対応方針」を打ち出し、釣魚島の軍事戦略上の地位を強化した。日本が今回灯台をいわゆる「接収管理」して緊迫した情勢を造り上げた意図は、「中国脅威論」を再び蒸し返し、その軍備拡張のため南西海域の防衛強化にもっともらしい理由を提供したのだ。同時に日本は釣魚島を利用して軍事基地を築こうと考えている。中国を押さえ込み、台湾海峡情勢に介入する伏線を埋めるためである。
これまで述べたように、日本政府による釣魚島灯台のいわゆる「接収管理」は国際法に矛盾する。釣魚島の主権は国際法によって判定されるべきである。領有権を争っている領土に一方的に主権を行使しても法的効果は生まない。釣魚島の主権帰属およびこれと密接にかかわる東中国海大陸棚と排他的経済水域の境界線確定問題について、中日両国は国際法に基づいて交渉で平和的に解決するか、あるいは国際司法裁判所か国際仲裁機関に訴えて解決すべきである。

※人民日報はが掲載した中国社会科学院日本研究所の孫伶伶博士の論文「人民網日本語版」2005年2月23日から
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森のくらしの郷のツリーハウス2010/09/25

 9月25日、「森と湖の楽園」ツリーハウス村のヒロさん、ハギさんと、「ガンコ山」ツリーハウスオーナーの風遊さんファミリーと一緒に、長野県の八ヶ岳「森のくらしの郷」を見学に行った。ヒロさんが「森のくらしの郷」のツリーハウスオーナーと知り合ったので、ぜひ見に行こうと言っていたのが実現したもの。
 早朝に家を出たときは土砂降りの雨で、こりゃぁ無理かなあとも思ったが、豊科インターに到着する頃にはすっかり雨も上がった。「森のくらしの郷」は北アルプスの大自然の中に300ヘクタール(東京ドーム60個分)という広大な敷地を持つ自然・林業体験施設で、ここに30棟ほどのツリーハウスが建っている。
「郷」のツリーハウス
 「森とくらしの郷」は「楽園」と比べてとにかく広い。オーナーが在室しているツリーハウスは1キロほど登ったところ、って感じで、山全体に散らばっている。数百坪ほどの場所に集まっている「楽園」とは雰囲気がだいぶ違う。
「郷」の六角型ツリーハウス
 「郷」のツリーハウスは太い1本の樹木を中心にして独特の6角形の小屋をあげるタイプが中心。「楽園」や「ガンコ山」は、複数の樹に根田を渡してデッキを作ってその上に小屋を建てるから、全くタイプが違う。背景に太い樹木の存在や、自然環境の差がもあると思う。「楽園」には「郷」ほどの太い木は少なく、複数の木を使う方法にせざるを得なかったし、北アルプスは雪が深く冬には根雪となってかなりの重量がかかるとのことだから、デッキを広げることが不利になるのかもしれない。
六角型ツリーハウスの支え
 「楽園」は隣接して施設の建物があって、トイレ、風呂、宿泊できる和室や売店もある。主なツリーハウスはデッキでつながっているし、電気も引けるので冷蔵庫や電子レンジを置くことすら可能だ。ツリーハウスには水は引けないが、近くに洗い場がある。自然暮らし的な視点ではやや邪道かもしれない。その点「郷」は水道も電気も引かず、水は沢まで汲みに行くのが原則だ。「ガンコ山」は沢の水を貯めて利用したり、太陽光で発電して照明を付けたりしているので「郷」より少しだけ「楽園」に近い。
森のくらしの郷
 「森のくらしの郷」を見学した後、近くにあるヒロさんのお薦めの「舎爐夢(シャロム)ヒュッテ」と、「穂高養生園」という宿に立ち寄る。「シャロムヒュッテ」は、野菜料理を楽しむ穀類菜食の小さな宿。穂高養生園もヨガや散歩、大地の恵みたっぷりのオーガニックな食材を用いて、心を込めて作った食事をお楽しむ自然素材で作った手作りの建物の宿。どちらもオーガニックな感じのいいところでした。ヒマができたらゆっくり遊びに行きたい。
 ■シャロムヒュッテ http://www.ultraman.gr.jp/shalom/
 ■穂高養生園 http://www.yojoen.com/index.html

穂高養生園

上関原発予定地・岩国米軍住宅予定地視察(祝島)2010/09/27

  9月27日~28日、「『上関原発建設予定地』並びに『岩国米軍基地建設予定地』社民党国会調査団」。岩国基地・愛宕山視察を終え、祝島に渡るために室津港に移動。降ったり止んだりの雨模様の中、チャーター船を待っていると10人程の人たちがぞろぞろとやって来た。
室津港
 汽船会社の社長さんで上関町議の右田さん以下、地元推進派の皆さん。服装等から判断すると主に建設業の方々のようだ。どこで聞きつけたのか、「祝島に行かれると聞いたが、地元は推進派が多い。反対派の声だけでなく推進派の意見も聞いて欲しい」とのことであった。議論をしたそうでもあったが、予定外の出来事で時間もあまりなかったので、「それはそうですね」とあいさつ程度で切り上げて船に乗る。
船上
 今回は地元で上関原発問題に取り組んできた長島の自然を守る会の高島美登里さんが随行してくれた。雨の船上でのレクチャーとてもよくわかりました。カッパを着ているものの、みんな雨でびしょ濡れ。
田ノ浦
 中国電力が埋め立てを行なおうとしている田ノ浦。阻止行動をたたかっているシーカヤック隊のみなさんと、雨の中でエールを交換。いまこの瞬間にも中電があらわれるかもしれない最前線。本当にご苦労様です。
祝島公民館
 祝島。港に着くと大勢の島民のみなさんが出迎えてくれた。祝島では原発計画に反対して毎週島内でデモ行進を行なっている。この日は本当は1072回目のデモが行なわれる予定で視察団も参加する予定であったが、雨のため中止。祝島公民館での意見交換の会を開いた。雨でびしょ濡れになりながらも、島の人たちの熱気を受けて、福島党首、重野幹事長とも気合いが入る。
島民の会事務所
 上関原発を建てさせない島民の会事務所で、多少リラックスして意見交換。早朝からの移動で疲れていたはずだが、党首、幹事長も最後まで付き合う。小さな島で飲み屋も夜間営業している商店もないので、事務方男子は宿のおばさんい無理を言って焼酎を出してもらって、さらに深夜まで。
祝島港
 翌朝、出発しようとすると、たくさんのみなさんが港に見送りに集まってくれた。この島は社民党の支持率が日本で一番高い地域じゃないかと、福島党首もさらに気合いが入る。カメラマンの後ろにもずらりと人がいます。
田ノ浦シーカヤック
 祝島を後にして、再び田ノ浦現地に寄る。雨もあがって、大勢のシーカヤック隊が出ている。田ノ浦の海を守り抜こう、と再びエールを交換。うーん。シーカヤック乗ってみたいぞ。
 室津港で高島さんと別れて新岩国に移動。さらに新幹線で広島に。この視察で、最も不愉快な場面、中国電力本社に行って申し入れ。
中国電力
 祝島や田ノ浦でたたかうシーカヤックの人々の声を、中国電力にぶつける。福島党首、金子中国ブロック議長らが厳しく追及。もちろん、「じゃあ止めます」という回答はえられなかったが、強硬手段への一定の抑止にはなったのではないか。
 下は、中電申し入れの際に渡した文書。
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                                          2010年9月28日 
中国電力株式会社
 取締役社長 山下隆 様
                                         社会民主党党首 
                                           福島 みずほ  
             上関原発建設計画の凍結を求める申し入れ 

 中国電力が山口県上関町に計画している上関原発の建設予定地である田ノ浦付近では、海面の埋め立てに反対する漁業者やシーカヤック愛好者等との間で緊迫した状態が続いています。
 埋め立て予定地は瀬戸内海国立公園に指定され、貴重かつ希少な生物が多く生息する「生き物の宝庫」とも評される海域であり、埋め立てによってかけがえのない生態系を失うことは国民的な損失といわざるを得ません。
 また、海を隔てわずか4㎞の対岸にある祝島の漁業者は周辺海域を主な漁場としており、埋め立てが行なわれれば漁業に大きな打撃をこうむり、生計の維持が難しくなると考えられています。
 中国電力はこの建設計画を危惧する人びとと十分に話し合おうとはせず、工事に抗議する祝島島民やシーカヤック愛好者等に対して「海面埋め立て工事の妨害の禁止」を求める仮処分申請(2009年10月)や、損害賠償を求める訴訟(09年12月)等を一方的に起こし対立を深めています。「地元の理解を得る努力をする」(山下社長)といいながら、自らの生活環境や自然環境を守るためのやむにやまれぬ抗議行動を犯罪のように扱う姿勢は矛盾しているといわざるを得ません。
 柏崎刈羽原発事故で浮上した耐震性に関する疑念や、志賀原発での臨界事故、島根原発における膨大な点検漏れなどから、原発に対する安全や信頼は大きく揺らいでいます。電力需要が逼迫しているわけでもなく、いま上関原発の建設を急ぐ必要はないと考えます。
 以上をふまえて社民党として、以下の点について申し入れるものです。
                          記
1 祝島島民およびシーカヤック愛好者の「海面埋め立て工事の妨害の禁止」の仮処分申請や損害賠償請求等を取り下げること。
2 原子力発電所の建設計画を凍結し、祝島島民ら地域住民や自然保護団体等と十分に話し合うこと。
                                                以上 

上関原発予定地・岩国米軍住宅予定地視察(岩国)2010/09/27

  9月27日~28日、「『上関原発建設予定地』並びに『岩国米軍基地建設予定地』社民党国会調査団」の一員として、山口県と広島県に行ってきた。福島党首、重野幹事長以下、金子哲夫中国ブロック議長、山本宏山口県連合幹事長、山下隆夫山口県連副代表、原田正山口県連常任幹事、松江和男山口県連常任幹事、服部良一議員秘書の市来さんと福田さん、照屋寛徳秘書の塚田さん、本部国民運動の増田さん、という豪華メンバー。何しろ多忙な党首と幹事長が揃って視察に行くというのは滅多にないことだ。
 東京組は朝7時10分の新幹線に乗らなければならなかったのだが、豪雨。総武線が遅れて、東京駅では5分で乗り換えないといけないハメに。東京駅の果ての総武・横須賀線ホームから死ぬ気で走って、ギリギリセーフ。激走のため息が上がってしまって、しょっぱなからヘロヘロだ。広島でこだまに乗り換え、11時29分新岩国駅着で合流。ミニバン2台に分乗して、まずは愛宕山へ。無所属の岩国市議・田村順玄さんや愛宕山を守る会世話人代表の岡村寛さんの案内で愛宕山の開発事業地を視察した。
愛宕山
 愛宕山地域開発事業は米軍岩国基地の滑走路沖合移設事業と連動して97年に始まったニュータウン事業だ。岩国市中心部近くの愛宕山を削って岩国基地沖の埋め立て用土砂として利用し、掘削後の台地に約5600人が住む住宅地を整備する計画だった。基地の埋め立ては出来たが、跡地の開発はうまくいかず2007年に中止。山口県は国に買取を打診したのをうけ、米軍住宅の候補地とされた。
愛宕山
 さる9月3日に、榛葉賀津也防衛副大臣が二井関成山口県知事、福田良彦岩国市長と会談し、愛宕山地域開発事業跡地に米軍住宅を建設する計画を正式に伝え、市民の不安が高まっている。愛宕山は岩国市街に近い一等地で、住宅も多いため、付近の住民には反対が根強いのである。
愛宕山住民と意見交換
 福祉施設やスポーツ施設等が建設される予定の東側エリアを愛宕神社近くの空き地から視察。視察後、弁当をかっこんでから隣接住宅団地の集会所で近隣住民らと意見交換した。なにげに井原前市長が参加されていたのにビックリ。
岩国市街、岩国基地
 途中、高台から岩国基地を見るが、雨の中なのでもやってあまりよく見えない。黒いパラボラアンテナが付いているのが米軍人居住の住宅とのこと。沖縄のなんかと比べても多い印象。車で岩国飛行場の埋め立て場所付近まで行ってから岩国市役所に立ち寄って、トイレ休憩。
岩国市役所前
 すると、福田現市長があらわれる。予定になかいことだったので、具体的な話はせず、あいさつ程度の立ち話で立ち去る。
 岩国基地自体はこれまでのも何度か視察に来たことがあるし、基地内にも入って埋め立て現場に立ったこともあるのだけど、愛宕山に来たのは今回が初めて。いやいや本当に山一つつぶしちゃったんだな。愛宕山は市街地にも近く、市民の中の存在感も大きい。このあたり、少し認識が弱かったと反省。
 祝島に向かうため岩国市を後に、上関の室津港に向かう。
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                                                                        2010/09/27
                         岩国飛行場問題について(メモ)
1、経緯
  ・1993年3月 岩国基地沖合移設工事への土砂提供と宅地造成を目指す愛宕山地域開発事業基本構想策定
  ・1997年6月 沖合移設工事起工式(12月に愛宕山事業起工式)
  ・2005年10月 在日米軍再編「中間報告」に空母艦載機の岩国移転が盛られる
  ・2006年3月 米空母艦載機の移駐案受け入れの賛否を問う住民投票で反対が多数(賛成5,369 vs 反対43,433、反対87%)占める
  ・2006年4月 8市町村合併で誕生した新岩国市長選挙で井原勝介旧市長が当選
  ・2006年5月 2+2共同発表「再編実施のための日米のロードマップ」
  ・2006年10月 岩国市議選。移転容認・反対両派きっ抗。後容認派が3分の2に
  ・2007年6月 井原市長・西村副知事、愛宕山事業中止、跡地転用で合意
  ・2007年12月 新庁舎建設補助金をめぐる市議会との対立で井原市長が辞職
  ・2008年2 月 出直し市長選で福田良彦前衆院議員が井原前市長を破り初当選
  ・2009年1月 県都市計画審議会が愛宕山事業中止に伴う都市計画変更案を可決
2、米軍再編と米空母艦載機の移駐
     05年10月の米軍再編中間報告と昨年5月の最終合意では、厚木基地から空母艦載機59機を、また普天間飛行場からKC130空中給油機12機を、岩国飛行場に14年までに移転することが明記された。岩国基地所属の米軍機は現在の57機から120機に膨らむ。06年3月、当時の井原(旧)岩国市長は移転の賛否を問う住民投票を実施し、反対票が87・4%を占めた。合併後初の4月の市長選では移転計画撤回を訴えて当選し、国に計画撤回を求めた。国はこれを受け新庁舎建設への補助金を打ち切った。補助金は、沖縄の基地縮小に絡む96年の日米特別行動委員会(SACO)合意で、前市長が普天間の空中給油機を受け入れた事実上の見返りで、市は建設費の6割にあたる49億円を補助金でまかなうことを想定していた。補助金をめぐる市議会との対立し井原市長は辞職、出直し市長選では容認派の福田良彦氏が当選した。
3、愛宕山米軍施設建設計画案
   愛宕山地域開発事業は米軍岩国基地の滑走路沖合移設事業と連動して97年に始まったニュータウン事業。岩国市中心部近くの愛宕山を削って基地沖の埋め立て用土砂として利用。掘削後の台地に約5600人が住む住宅地を整備する計画だったが、2007年に中止された。山口県は国に買取を打診したが、防衛施設庁(当時)は「米軍住宅の候補地の一つ」と回答していた。
   9月3日、榛葉賀津也防衛副大臣は二井関成山口県知事、福田良彦岩国市長と会談し、愛宕山地域開発事業跡地に米軍住宅を建設する計画を正式に伝えた。跡地西側に低層の270戸(全体の4分の1)の米軍住宅を建設し、東側エリアには野球場やソフトボール場等のスポーツ施設を建設し開門時は市民も原則出入り自由とするなどとしている。岩国市長と山口県知事は「地元への配慮」を評価し前向きな態度を示しているが、米軍区域の拡大に他ならず住民の中には反対論も強い。