すべての権力を内閣に!2009/09/24

レーニンの画
 まるで「すべての権力をソビエトへ!」をスローガンに、あらゆる国家権力を簒奪していったボルシェビキの革命を見ているようだ。確かに革命を遂行するうえで、権力の一元化は必要だった面もあったのだが…。
 議員立法禁止という報道の元ネタは、9月18日に議員会館の民主党議員の事務所に配布された小沢幹事長名の文書らしい。小沢さんは、鳩山政権が出来るやいなや、政調の廃止を命じて、この紙を配って、イギリスに行ってしまった。たらたら党内論議をしていたらとてもまとまらない可能性があったと思うが、なにしろ本人がいないんだから押し戻しようもない。渋々ながら、小沢さんの指示した方向にすすめて行かざるをえないだろう。帰国した頃にはすでに既成事実化しつつあるわけだ。見事だよ。
 政権交代の成果を手っ取り早く実現するには、意志決定や権限を一元化することが効果的なのは事実だろうが、日本の議会制民主主義がどこまで耐えられるのか、絶対に安心とも言い切れない。一直線に独裁政権になるとはぜんぜん思わないけど、こういった手法が危険で、不安を感じさせるのは事実だ。
 古くさいナンセンスな慣例主義や前例踏襲の保守性、現状維持の弥縫策に長けた官僚政治、ナアナアの国対政治といった55年体制以来の日本政治の実態は、ある意味の安定感を持ち、擬似的に国民のコンセンサスを得るシステムとして機能してきた。
 法的にはかなり強力な権限を持つ総理大臣も、キングメーカーのような有力者が裏にいたり、派閥のボス連中の合意が前提だったり、族議員がいたり、役所の協力が必要だったり、産業界との綱引きが必要だったりと、非常に多元的な力関係の中に存在していた。公式・非公式の複雑な意思形成のバランスの上の存在であり、そうそう勝手気ままに振る舞うことは出来なかったのである。
 選挙で多数になったのだから法律通りに多数決でガンガン行きます。意思形成のプロセスは一元化してシンプルにすすめます。党内の足の引っ張り合いなんて認めませんよ、って方向なんだろうけど。大騒ぎして意見を出し合いながら「落としどころ」を探ってきたコンセンス型の「民主主義」に慣れた日本社会とは馴染まないんじゃないだろうか。
(※内容については別に)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://hawhaw.asablo.jp/blog/2009/09/24/4600534/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。