日米核密約:外務官僚が管理 ― 2009/06/01
今日の朝刊に「核密約」に関する記事が掲載された。共同通信配信の大スクープだ。
1960年の日米安保条約改定に際して、核兵器を積んだ米軍の艦船・航空機の日本立ち寄りを黙認することを合意した核持ち込みに関する「密約」を歴代の外務官僚が管理し引き継いできたことと、外務省側の判断で特定の首相・外相だけにこのことを伝えていたことが分かった、というものだ。今日は専らこの事実確認や資料整理。
正直いうと、核密約問題は2000年頃から共産党が熱心に取り組んでいたので、「共産党ネタ」という意識がどこかにあって、あまり熱心には取り組んでこなかった面があるんだけど、実際はこれ大事な問題だね。日本の政治の在り方の本質を象徴的に示している。
そもそも米国の核艦船の通過・寄港が日本の安全にとって不可欠だとか、日米関係を維持する上でどうしても必要なことであったなら、国民に向けてそう説明し説得をすべきだった。
それが出来ないがどうしても必要な約束なので秘密にしなきゃならないというなら、少なくともウソをつくべきではない。「いわゆる密約の存在についてはお答えできない」とでも言うべきでしょう。
ひょっとしたら池田勇人首相が「外務省から信頼」されておらずそもそも密約の存在を知らなかったのかもしれないが、それで結果的にウソになってしまったのなら、それが分かった後は訂正して謝罪すべきじゃないか。
米側の責任者をはじめ多くの関係者が認め、米側の情報公開で現物が明らかになり、今回は歴代4事務次官が認めた。これでもなおかつシラを切れると思っているのだろうか。すでに米国は91年以降、地上発射戦術核兵器、巡航ミサイルを含む水上艦艇と攻撃型原潜の戦術核兵器を海外から撤去しており(欧州配備航空機搭載戦術核除く)、少なくとも平時には核搭載艦船の通過・寄港問題は存在しない。核密約の存在を認めること自体が具体的な米軍の活動の障害とはならないのであり、日米間の深刻な問題をもたらすとは考えられない。あるのは、過ちを認めたくはないという保身、政府と官僚制度の無謬性護持の生理反応だけではないか。
交渉担当の元外務省アメリカ局長の吉野文六氏が認めてもなお事実を認めようとしない沖縄返還協定をめぐる密約・西山事件、大量破壊兵器の存在を理由にイラク戦争を支持しながらこれがでっち上げだったことが分かった後も開き直り続けるイラク派兵問題も、まったく同根だ。誰が見ても明らかなウソを認めようとせず、シラを切ってやり過ごそうという態度こそが自らを貶めていることになぜ気付かないのだろうか。不思議だ。
共同通信記者の取材に応じた次官の1人は、「(国会で)事実と違う答弁を続け)なんだか恥ずかしいなという思いがあった」と話している。この時期に4人の元事務次官が真実を語り出したのは、偽りのままで人生を終えたくないとの思いがあるのではないだろうか。
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討論記録の該当部分(いわゆる「核密約」)
1959年6月(日米の代表が署名し公式の取決めとなったのは60年1月6日の藤山・マッカーサー会談)
A「装備における重要な変更」は、核兵器及び中・長距離ミサイルの日本への持ち込み(イントロダクション)並びにそれらの兵器のための基地の建設を意味するものと解釈されるが、たとえば、核物質部分をつけていない短距離ミサイルと含む非核兵器(ノン・ニュクリア・ウェポンズ)の持ち込みは、それに当たらない。
B「条約第5条の規定にもとづいておこなわれるものを除く戦闘作戦行動」は、日本国以外の地域にたいして日本国から起こされる戦闘作戦行動を意味するものと解される。
C「事前協議」は、合衆国軍隊とその装備の日本への配置、合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)に関する現行の手続に影響を与えるものとは解されない。合衆国軍隊の日本への配置における重要な変更の場合を除く。
D交換公文のいかなる内容も、合衆国軍隊の部隊とその装備の日本からの移動(トランスファー)に関し、「事前協議」を必要とするとは解釈されない。
※米国「国立公文書館」の「米陸軍参謀部資料」のなかの「琉球列島米国民政府の歴史」と題された文書群に収められていた公文書「日本と琉球諸島における合衆国の基地権の比較」に記載されていた。「密約」は66年9~12月に米国務省と国防総省国際安全保障担当が共同して作成し、66年末の米政府省庁間高官会議に提出した報告書「沖縄基地研究」の一部を成すもの。
※共産党・不破哲三委員長(当時)の国会質問資料より
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いわゆる「密約」問題の概略は以下
●日米安保条約下で在日米軍が日本に核兵器を持ち込んでいるのではないかという疑惑は当初から持たれていた。日米安保条約第6条に関する交換公文で「装備の重要な変更」の際は「事前協議」を行なうとしているため、「事前協議がない以上、寄港も含めて核の持ち込みはない」との理屈で日本政府は現在に至るまでこれを否定している。
●一方で米側は、核の「持ち込み」は陸上配備のみに該当し、核を積んだ艦船や航空機が日本の港や飛行場に入る場合は日米間の「事前協議」が必要な「持ち込み」にはあたらないとの解釈を採用し、当時の岸信介政権はこの米側の解釈を黙認していたと疑われている。核艦船等の通過・寄港を事前協議の対象としないことを合意した「秘密議事録」が安保改定時にかわされたという疑いがささやかれてきた。この秘密議事録が「密約」とされるものだ。(←「密約」など許されない)
●岸内閣に変わった池田勇人内閣は核搭載艦船の寄稿も「持ち込み」にあたり条約で定めた「事前協議」の対象となると国会で答弁した。(←ウソの始まり)
※志賀健次郎防衛庁長官答弁「わが方は、日本の港に寄港する場合においては、核兵器は絶対に持ち込んでは相ならぬ、かように固い約束をいたしておる」。「われわれは信頼の上に立って、もしも核装備を、核弾頭なり核を装着したものを艦艇なりあるいは飛行機に持ってくるというような場合には、必ず事前協議に付せらるべきものであると信じておるし、またアメリカとかたい約束をしておるのであります」(63年3月2日、衆・予算)
※池田勇人首相答弁「私は、核弾頭を持った船は、日本に寄港はしてもらわないということを常に言っております」「核兵器を日本に持ち込むとかなんとかいうようなことは、全然話題にも何にもなっておりません」(63年3月6日、参・予算)
●こうした経緯を米政府は重視し、当時のライシャワー駐日大使は同年4月4日、大平正芳外相(当時、後に首相)と会談し「密約」の解釈の角煮を要求。この際に大平氏は初めて密約の存在を知り了承したという。こうした経緯や解釈が日本語の内部文書に明記され、外務省の北米局と条約局で管理されてきた。文書を見たという次官経験者は、「次官引継ぎ時に『核に関しては日米間で(非公開の)了解がある』と前任者から聞いて、次の次官に引き継いでいた」と述べた。別の次官経験者は橋本、小渕両氏ら外務省が信用した政治家だけに密約内容を知らせていたと語った。さらに別の経験者は「(密約内容を話していい首相、外相かどうか)役人が選別していた」と述べた。(←今回明らかになった)
●74年9月10日、ジーン・R・ラロック米退役海軍少将は米議会で証言し「核兵器を積載する能力のあるすべての船は、核兵器を積んでいる。それらの船が日本などの港に入る時も、核兵器を外すことはない」と述べた。
●81年5月17日、「密約」の存在を裏付ける「ライシャワー発言」が明るみに出て話題になった。駐日米大使だったライシャワー氏が帰国後、毎日新聞のインタビューに応じたもので、「核積載の米艦船・航空機の日本領海・領空の通過・寄港は『核持ち込みに当たらない』との日米口頭了解が60年安保改定当時に存在、核積載米艦船は日本に寄港している」との爆弾証言である。
●これに対して日本政府は「米国からの事前協議要請がないから、『核持ち込み』はない」と強弁し続けてきた。(←苦しい)
●2000年3~4月の国会で、共産党不破委員長(当時)が、アメリカ政府が情報公開法によって公開した外交文書に基づいて「核密約」の真相を得追及した。この文書によって60年1月6日に藤山外相とマッカーサー米大使の間で結ばれた核密約の全文が明らかになった。小渕内閣及び森内閣は、これを否定する答弁を繰り返した。その内容は①過去の歴代政府が核密約の存在を否定してきた、②米政府文書とされるものの性格が不明で、日本政府は関知しないものだ、③安保条約は日米間の信頼関係によって成り立っている、④日本政府自身が持っている外交文書を調べるつもりはない、というゴマカシで逃げ切った。(←ヒドイ!)
●今回の共同通信報道を受けて、河村建夫官房長官は6月1日の記者会見で、「(同条約で定めた)核持ち込みの事前協議がない以上、核持ち込みはなかったということに全く疑いを持っていない」と述べ、密約を改めて否定した。同日、藪中三十二外務事務次官も会見で「密約はないと歴代首相、外相が説明している。それに尽きる」と否定した。
1960年の日米安保条約改定に際して、核兵器を積んだ米軍の艦船・航空機の日本立ち寄りを黙認することを合意した核持ち込みに関する「密約」を歴代の外務官僚が管理し引き継いできたことと、外務省側の判断で特定の首相・外相だけにこのことを伝えていたことが分かった、というものだ。今日は専らこの事実確認や資料整理。
正直いうと、核密約問題は2000年頃から共産党が熱心に取り組んでいたので、「共産党ネタ」という意識がどこかにあって、あまり熱心には取り組んでこなかった面があるんだけど、実際はこれ大事な問題だね。日本の政治の在り方の本質を象徴的に示している。
そもそも米国の核艦船の通過・寄港が日本の安全にとって不可欠だとか、日米関係を維持する上でどうしても必要なことであったなら、国民に向けてそう説明し説得をすべきだった。
それが出来ないがどうしても必要な約束なので秘密にしなきゃならないというなら、少なくともウソをつくべきではない。「いわゆる密約の存在についてはお答えできない」とでも言うべきでしょう。
ひょっとしたら池田勇人首相が「外務省から信頼」されておらずそもそも密約の存在を知らなかったのかもしれないが、それで結果的にウソになってしまったのなら、それが分かった後は訂正して謝罪すべきじゃないか。
米側の責任者をはじめ多くの関係者が認め、米側の情報公開で現物が明らかになり、今回は歴代4事務次官が認めた。これでもなおかつシラを切れると思っているのだろうか。すでに米国は91年以降、地上発射戦術核兵器、巡航ミサイルを含む水上艦艇と攻撃型原潜の戦術核兵器を海外から撤去しており(欧州配備航空機搭載戦術核除く)、少なくとも平時には核搭載艦船の通過・寄港問題は存在しない。核密約の存在を認めること自体が具体的な米軍の活動の障害とはならないのであり、日米間の深刻な問題をもたらすとは考えられない。あるのは、過ちを認めたくはないという保身、政府と官僚制度の無謬性護持の生理反応だけではないか。
交渉担当の元外務省アメリカ局長の吉野文六氏が認めてもなお事実を認めようとしない沖縄返還協定をめぐる密約・西山事件、大量破壊兵器の存在を理由にイラク戦争を支持しながらこれがでっち上げだったことが分かった後も開き直り続けるイラク派兵問題も、まったく同根だ。誰が見ても明らかなウソを認めようとせず、シラを切ってやり過ごそうという態度こそが自らを貶めていることになぜ気付かないのだろうか。不思議だ。
共同通信記者の取材に応じた次官の1人は、「(国会で)事実と違う答弁を続け)なんだか恥ずかしいなという思いがあった」と話している。この時期に4人の元事務次官が真実を語り出したのは、偽りのままで人生を終えたくないとの思いがあるのではないだろうか。
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討論記録の該当部分(いわゆる「核密約」)
1959年6月(日米の代表が署名し公式の取決めとなったのは60年1月6日の藤山・マッカーサー会談)
A「装備における重要な変更」は、核兵器及び中・長距離ミサイルの日本への持ち込み(イントロダクション)並びにそれらの兵器のための基地の建設を意味するものと解釈されるが、たとえば、核物質部分をつけていない短距離ミサイルと含む非核兵器(ノン・ニュクリア・ウェポンズ)の持ち込みは、それに当たらない。
B「条約第5条の規定にもとづいておこなわれるものを除く戦闘作戦行動」は、日本国以外の地域にたいして日本国から起こされる戦闘作戦行動を意味するものと解される。
C「事前協議」は、合衆国軍隊とその装備の日本への配置、合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)に関する現行の手続に影響を与えるものとは解されない。合衆国軍隊の日本への配置における重要な変更の場合を除く。
D交換公文のいかなる内容も、合衆国軍隊の部隊とその装備の日本からの移動(トランスファー)に関し、「事前協議」を必要とするとは解釈されない。
※米国「国立公文書館」の「米陸軍参謀部資料」のなかの「琉球列島米国民政府の歴史」と題された文書群に収められていた公文書「日本と琉球諸島における合衆国の基地権の比較」に記載されていた。「密約」は66年9~12月に米国務省と国防総省国際安全保障担当が共同して作成し、66年末の米政府省庁間高官会議に提出した報告書「沖縄基地研究」の一部を成すもの。
※共産党・不破哲三委員長(当時)の国会質問資料より
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いわゆる「密約」問題の概略は以下
●日米安保条約下で在日米軍が日本に核兵器を持ち込んでいるのではないかという疑惑は当初から持たれていた。日米安保条約第6条に関する交換公文で「装備の重要な変更」の際は「事前協議」を行なうとしているため、「事前協議がない以上、寄港も含めて核の持ち込みはない」との理屈で日本政府は現在に至るまでこれを否定している。
●一方で米側は、核の「持ち込み」は陸上配備のみに該当し、核を積んだ艦船や航空機が日本の港や飛行場に入る場合は日米間の「事前協議」が必要な「持ち込み」にはあたらないとの解釈を採用し、当時の岸信介政権はこの米側の解釈を黙認していたと疑われている。核艦船等の通過・寄港を事前協議の対象としないことを合意した「秘密議事録」が安保改定時にかわされたという疑いがささやかれてきた。この秘密議事録が「密約」とされるものだ。(←「密約」など許されない)
●岸内閣に変わった池田勇人内閣は核搭載艦船の寄稿も「持ち込み」にあたり条約で定めた「事前協議」の対象となると国会で答弁した。(←ウソの始まり)
※志賀健次郎防衛庁長官答弁「わが方は、日本の港に寄港する場合においては、核兵器は絶対に持ち込んでは相ならぬ、かように固い約束をいたしておる」。「われわれは信頼の上に立って、もしも核装備を、核弾頭なり核を装着したものを艦艇なりあるいは飛行機に持ってくるというような場合には、必ず事前協議に付せらるべきものであると信じておるし、またアメリカとかたい約束をしておるのであります」(63年3月2日、衆・予算)
※池田勇人首相答弁「私は、核弾頭を持った船は、日本に寄港はしてもらわないということを常に言っております」「核兵器を日本に持ち込むとかなんとかいうようなことは、全然話題にも何にもなっておりません」(63年3月6日、参・予算)
●こうした経緯を米政府は重視し、当時のライシャワー駐日大使は同年4月4日、大平正芳外相(当時、後に首相)と会談し「密約」の解釈の角煮を要求。この際に大平氏は初めて密約の存在を知り了承したという。こうした経緯や解釈が日本語の内部文書に明記され、外務省の北米局と条約局で管理されてきた。文書を見たという次官経験者は、「次官引継ぎ時に『核に関しては日米間で(非公開の)了解がある』と前任者から聞いて、次の次官に引き継いでいた」と述べた。別の次官経験者は橋本、小渕両氏ら外務省が信用した政治家だけに密約内容を知らせていたと語った。さらに別の経験者は「(密約内容を話していい首相、外相かどうか)役人が選別していた」と述べた。(←今回明らかになった)
●74年9月10日、ジーン・R・ラロック米退役海軍少将は米議会で証言し「核兵器を積載する能力のあるすべての船は、核兵器を積んでいる。それらの船が日本などの港に入る時も、核兵器を外すことはない」と述べた。
●81年5月17日、「密約」の存在を裏付ける「ライシャワー発言」が明るみに出て話題になった。駐日米大使だったライシャワー氏が帰国後、毎日新聞のインタビューに応じたもので、「核積載の米艦船・航空機の日本領海・領空の通過・寄港は『核持ち込みに当たらない』との日米口頭了解が60年安保改定当時に存在、核積載米艦船は日本に寄港している」との爆弾証言である。
●これに対して日本政府は「米国からの事前協議要請がないから、『核持ち込み』はない」と強弁し続けてきた。(←苦しい)
●2000年3~4月の国会で、共産党不破委員長(当時)が、アメリカ政府が情報公開法によって公開した外交文書に基づいて「核密約」の真相を得追及した。この文書によって60年1月6日に藤山外相とマッカーサー米大使の間で結ばれた核密約の全文が明らかになった。小渕内閣及び森内閣は、これを否定する答弁を繰り返した。その内容は①過去の歴代政府が核密約の存在を否定してきた、②米政府文書とされるものの性格が不明で、日本政府は関知しないものだ、③安保条約は日米間の信頼関係によって成り立っている、④日本政府自身が持っている外交文書を調べるつもりはない、というゴマカシで逃げ切った。(←ヒドイ!)
●今回の共同通信報道を受けて、河村建夫官房長官は6月1日の記者会見で、「(同条約で定めた)核持ち込みの事前協議がない以上、核持ち込みはなかったということに全く疑いを持っていない」と述べ、密約を改めて否定した。同日、藪中三十二外務事務次官も会見で「密約はないと歴代首相、外相が説明している。それに尽きる」と否定した。
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