3年B組 金八先生・ファイナル見た ― 2011/03/27

3年B組金八先生を見てたら親父のことを思い出した。96年の8月に亡くなって、すでに15年になるが、福島で中学校の数学の教師をしていた。
生徒が補導されたといっては警察に行き、生徒の家でトラブルがあったと聞けば夜でも休みでも出かけていく。普段も朝早く出て、夜に家にいてもいつもガリ版切ってプリント作ってる。休みの日も部活だ、行事だと忙しいばかりに見えた。子供心に、大人になっても学校の先生にはなるまいと思っていた。なにしろ大変そうだったから。
親父は、内心は僕を教師にしたかったようで、何度かさりげなく言われたけど、そのときはまったく魅力を感じなかった。職業活動家になりかけで、大言壮語したい年頃だったんだよね。
結局、50代中頃に心筋梗塞を起こして、だましだまし定年まで勤め上げて、ほどなく死んだ。僕が喪主をやったのだけど、現役ではなかったので、親戚と教員仲間でせいぜい100人弱くらいと見込んで葬儀の手配をした。
それがどこで聞きつけたのか、葬儀場にたくさん教え子が集まってくれたんだよね。二百人以上も想定外の教え子さんたちがきたので葬儀場は大混乱になった。なんだよ、お父ーちゃん、俺の知らないところでずいぶん生徒に慕われてたんじゃん。って驚いた。
その後も自宅に線香をあげに来てくれる教え子さんたちと話していると、結構、金八先生してたみたいなんだな。そういう教え子さん、たいていはかつての「不良」生徒で、「先生がいなければいまの自分はなかった」って言って帰って行く。
それでようやく、あー、お父ちゃんはそういう仕事をしてたんだ-、ってわかってきたんだよね。先生って大変な仕事だけど、一人一人の生徒と向き合って、それぞれの人生に決定的な役割を果たせるすごい仕事なんだなあと。僕は、教育基本法を守れとか、民主教育を守れとか大きなことを言っているけど、ただ一人の子どもを救うこともできていない。教師ってすごい仕事だなー、僕も教職をもっと本気で考えればよかったなー、と思った。金八先生を見てたら、そんな気持ちを思い出した。
生徒が補導されたといっては警察に行き、生徒の家でトラブルがあったと聞けば夜でも休みでも出かけていく。普段も朝早く出て、夜に家にいてもいつもガリ版切ってプリント作ってる。休みの日も部活だ、行事だと忙しいばかりに見えた。子供心に、大人になっても学校の先生にはなるまいと思っていた。なにしろ大変そうだったから。
親父は、内心は僕を教師にしたかったようで、何度かさりげなく言われたけど、そのときはまったく魅力を感じなかった。職業活動家になりかけで、大言壮語したい年頃だったんだよね。
結局、50代中頃に心筋梗塞を起こして、だましだまし定年まで勤め上げて、ほどなく死んだ。僕が喪主をやったのだけど、現役ではなかったので、親戚と教員仲間でせいぜい100人弱くらいと見込んで葬儀の手配をした。
それがどこで聞きつけたのか、葬儀場にたくさん教え子が集まってくれたんだよね。二百人以上も想定外の教え子さんたちがきたので葬儀場は大混乱になった。なんだよ、お父ーちゃん、俺の知らないところでずいぶん生徒に慕われてたんじゃん。って驚いた。
その後も自宅に線香をあげに来てくれる教え子さんたちと話していると、結構、金八先生してたみたいなんだな。そういう教え子さん、たいていはかつての「不良」生徒で、「先生がいなければいまの自分はなかった」って言って帰って行く。
それでようやく、あー、お父ちゃんはそういう仕事をしてたんだ-、ってわかってきたんだよね。先生って大変な仕事だけど、一人一人の生徒と向き合って、それぞれの人生に決定的な役割を果たせるすごい仕事なんだなあと。僕は、教育基本法を守れとか、民主教育を守れとか大きなことを言っているけど、ただ一人の子どもを救うこともできていない。教師ってすごい仕事だなー、僕も教職をもっと本気で考えればよかったなー、と思った。金八先生を見てたら、そんな気持ちを思い出した。
スキーに行ってきました ― 2011/02/13

2月12~13日、軽井沢にスキーに行ってきた。2月の連休の繁忙期に軽井沢プリンスホテルのコテージに泊まって、スキーというのは我が家にとってはかなり贅沢なプラン。妹家族と友人ナカジマ君家族と行く予定だったが、直前になってナカジマ君一家がキャンセルとなってしまったため、急遽別の友人一家に行ってもらうことにした。
結局、うち、娘の友達の母子、妹家族、友人家族の都合13人で2棟のコテージに宿泊。軽井沢プリンスはスキー場とホテルやコテージが同じ敷地にあって、連泊していればコテージから直接ゲレンデに行けて便利快適な感じ。僕らは1泊だけなので、途中でチェックイン・チェックアウトしなきゃいけなかったし、半端にけちって施設外の安いレンタル屋で板を借りたりしたので、重いスキー靴を履いて行ったり来たりするハメとなったので、今ひとつ利便性を感じることはできなかった。
まあ隣接するアウトレットでショッピングができたりして、いいところなんだけど、全体に物価が高くて気が休まらないんだわ。日にもよるんだけど、4人家族で朝食のみ1泊で6万は高い。レンタルのセットは1日5000円もするし、ちょっとなぁ。
結局、うち、娘の友達の母子、妹家族、友人家族の都合13人で2棟のコテージに宿泊。軽井沢プリンスはスキー場とホテルやコテージが同じ敷地にあって、連泊していればコテージから直接ゲレンデに行けて便利快適な感じ。僕らは1泊だけなので、途中でチェックイン・チェックアウトしなきゃいけなかったし、半端にけちって施設外の安いレンタル屋で板を借りたりしたので、重いスキー靴を履いて行ったり来たりするハメとなったので、今ひとつ利便性を感じることはできなかった。
まあ隣接するアウトレットでショッピングができたりして、いいところなんだけど、全体に物価が高くて気が休まらないんだわ。日にもよるんだけど、4人家族で朝食のみ1泊で6万は高い。レンタルのセットは1日5000円もするし、ちょっとなぁ。
ちょっとだけ開墾 ― 2011/01/23
1月23日、塩山のジャングル開墾にちょっとだけ行ってきた。
この間の「開墾」プロジェクトは、だいたい土曜に集まって打ち合わせて、温泉に行って、古民家で夕食・懇親・宿泊して、日曜に朝からちょっとだけ作業というのがパターンになっているけど、今回は日曜にヒロさんが作業をするからちょっくら手伝いに行くかという感じの日帰りの企画。そもそもあまり広く呼びかけていないので、参加はヒロさんと地元の友人、ヒロさんの弟夫婦と僕らの計7人だけ。
この間の「開墾」プロジェクトは、だいたい土曜に集まって打ち合わせて、温泉に行って、古民家で夕食・懇親・宿泊して、日曜に朝からちょっとだけ作業というのがパターンになっているけど、今回は日曜にヒロさんが作業をするからちょっくら手伝いに行くかという感じの日帰りの企画。そもそもあまり広く呼びかけていないので、参加はヒロさんと地元の友人、ヒロさんの弟夫婦と僕らの計7人だけ。

娘は「開墾」大好きなので、ほぼ必ずついてくる。この日はバレエの習い事をサボってきました。今回は、お母さんも一緒に来たので大はしゃぎ。さすがにチェーンソーは危ないので、使わせてはもらえずポーズだけ取ってパシャッ。


早ければ3月末にも、重機を借りてきて根を掘り出して土を掘り返す予定なので、それまでの間は重機が入れるような準備作業をする。伐採した木は、マキとして使う部分を除いて燃やして埋めてしまうしまう予定。

使えそうな部分は、細かく輪切りにして端の方に集める。丸太というのはかなり重いので、短い距離だが台車やネコ車で運ぶ。地面が平坦でないので、結構コツがいります。

娘は、ススキのワラを熊手でかき集める作業が気に入ったようだ。かき集めるよりまき散らしている事も多いようだけど…。

しばらく熱中していたが、やがて飽きて遊び出す。ヒロさんの弟さんの飼い犬クーを威嚇して、支配下に。娘の変なちょんまげ型に結んだ頭に怯えるグー。甲斐犬ベースの雑種犬で4ヵ月程度の子犬らしい。耳が前に垂れていてかわいい。

残った木に絡まったツタにつかまってターザンロープ。「アッ、アッ、ア~ッ」という雄叫びがいつまでも響き渡る。

僕がまねしたら、ツタが切れてドスンと尻餅をついてしまいました。
3時前に切り上げて、大菩薩温泉に立ち寄って帰りました。
ヒロさんのブログでも紹介されています。↓
トム・ソーヤ倶楽部: http://ameblo.jp/tomsawyerclub/entry-10780594181.html
3時前に切り上げて、大菩薩温泉に立ち寄って帰りました。
ヒロさんのブログでも紹介されています。↓
トム・ソーヤ倶楽部: http://ameblo.jp/tomsawyerclub/entry-10780594181.html
2011年大新年会 ― 2011/01/09

1月9日に、自宅マンションのパーティールームで新年会を開催した。本当は忘年会をやりたかったのだけど、会場がとれなかった。年明けの連休の真ん中というのは、日程的にはイマイチな感じだけど、そこしか都合がつかなかった。居住がなんとなく近そうな50人ほどにメールで案内を送ったら、だいたい半分くらいの人が来てくれた。
同じ場所で夏に暑気払いをした時は、自分で食材を買いに行ったんだけど、今回はフードコーディネーターの友人が小規模の仕出しにも対応してくれるとのことで、お願いしてしまった。なんといっても楽ちんだし、センスも味もいい。
12時半~17時までやったが、僕は初っぱなから酔っぱらい、ぐでんぐでん。その後、砂町銀座の居酒屋に行って二次会をした頃のことはまったく記憶がない。うー、失礼があった方、はどうかお許しください。
同じ場所で夏に暑気払いをした時は、自分で食材を買いに行ったんだけど、今回はフードコーディネーターの友人が小規模の仕出しにも対応してくれるとのことで、お願いしてしまった。なんといっても楽ちんだし、センスも味もいい。
12時半~17時までやったが、僕は初っぱなから酔っぱらい、ぐでんぐでん。その後、砂町銀座の居酒屋に行って二次会をした頃のことはまったく記憶がない。うー、失礼があった方、はどうかお許しください。
ツリーハウスの手すり ― 2010/12/19
12月19日、ツリーハウス村の忘年会の翌朝。寒いから、とりあえず焚き火。
実は昨年の5月にステインを塗り直して以来、わがツリーハウスはほとんど変わっていない。遊びに来るのは何回か来たけど、単に宴会してメシ食って帰るだけだった。一定のとこまで来たので、まあいいかって感じになってしまったんだな。やるとすれば、手すり、内装、遊具、新たなデッキ、棚…、いろいろやりたいことはあるのだけど。
実は昨年の5月にステインを塗り直して以来、わがツリーハウスはほとんど変わっていない。遊びに来るのは何回か来たけど、単に宴会してメシ食って帰るだけだった。一定のとこまで来たので、まあいいかって感じになってしまったんだな。やるとすれば、手すり、内装、遊具、新たなデッキ、棚…、いろいろやりたいことはあるのだけど。

この日は、自転車君一家は早々に帰ってしまったので、僕も道が混まないうちに帰るかなーと思っていたんだけど、掃除をしていたらデッキの手すりがグラグラ。この手すりは自転車君が一昨年の5月頃、あり合わせの廃木を組み合わせて応急処置で作ってくれたのをそのまま使ってきたもの。もともと耐久性のある仕様ではなく、よく持ったな~って感じ。

まあ、時間もあったので、直すことにしました。以前に手すりに使おうと切ってあった2×材で東面だけ。東面だけといっても全長こそ南面に及ばないけどジグザグになってて結構面倒なところなのだ。2~3時間かかってなんとかできた。

この際南面まで全部やっちゃおうかと一瞬思ったけど、やめておく。始めたら途中でやめられないし暗くなってしまいそうなので。一番長い南面の手すりはしばらく自転車君作の応急版のままでいいや。
楽園の旧森のレストラン部分をBBQサイトにする工事がだいぶすすんでいました。デッキの撤去は終わり重機で整地をしているところ。広いデッキがなくなるのは少しさびしいが、楽園が賑やかになるならやむを得ない。
楽園の旧森のレストラン部分をBBQサイトにする工事がだいぶすすんでいました。デッキの撤去は終わり重機で整地をしているところ。広いデッキがなくなるのは少しさびしいが、楽園が賑やかになるならやむを得ない。

忘年会だけ出てパッパと帰るつもりだったのだけど、結局、手すり東面の整備という5月以来の大きな前進を果たしたのでした。
「楽園」ツリーハウス村忘年会 ― 2010/12/19
12月18日河口湖「森と湖の楽園」ツリーハウス村の忘年会に行ってきた。
今年はやや集まりが悪かったが、十数人が集まった。自然大好き人間の集まりだが、河口湖の12月はさすがに寒すぎるので、自然学校校舎内で行なう。
今年はやや集まりが悪かったが、十数人が集まった。自然大好き人間の集まりだが、河口湖の12月はさすがに寒すぎるので、自然学校校舎内で行なう。

たまたま樹上庵(ツリーハウス村最大級のアカオさんのツリーハウス)に遊びに来ていた寿司職人さんが、ネタが少しあまっているからと、寿司握りを実演をしてくれた。みんな大喜び。

楽園スタッフのまっさんのピアノ演奏もあり。どう見ても普通のオッサンなのにピアノが弾けるとはビックリ。しかもかなりうまい。即興の曲を何曲か披露してもらう。
一次会終了後に残った数名で、ヒロさんのドームハウスのデッキで二次会。さすがに12月の河口湖は少々火を焚いても寒い。それでも深夜まで、話が弾む。
一次会終了後に残った数名で、ヒロさんのドームハウスのデッキで二次会。さすがに12月の河口湖は少々火を焚いても寒い。それでも深夜まで、話が弾む。

最近、ジャングル開墾プロジェクトがスタートしたこともあって、ツリーハウスに来る頻度がだいぶ下がっている。開墾は開墾として、まだまだ整備途上のツリーハウス村の作業もちゃんとすすめないとね。
2時近くになって解散。久しぶりに自分たちのツリーハウスで自転車君と2人で寝る。自転車君の家族は寒さに耐えられないだろうということで、楽園の和室泊。よい選択。奥さんたぶん、ツリーハウスで寝たら寒さには耐えられず、翌日超不機嫌になるところだったよ。めでたしめでたし。まあマイナス7~8度程度なんだけどね。
2時近くになって解散。久しぶりに自分たちのツリーハウスで自転車君と2人で寝る。自転車君の家族は寒さに耐えられないだろうということで、楽園の和室泊。よい選択。奥さんたぶん、ツリーハウスで寝たら寒さには耐えられず、翌日超不機嫌になるところだったよ。めでたしめでたし。まあマイナス7~8度程度なんだけどね。
ジャングル開墾 第2弾 ― 2010/11/28
11月27日・28日、ジャングル開墾プロジェクトの第二回目。
前回、雑草やススキの林を刈りとったのを、きれいにする予定だった。チッパーという機械でバリバリ粉砕し、倒した木を切って薪割りしたり、という感じで…。
うちは今回も娘と僕の2人参加。若干遅れて到着すると、どうも、頓挫している雰囲気が濃厚に漂っている。ぬぁんと、チッパーが壊れていて動かないんだと。
前回、雑草やススキの林を刈りとったのを、きれいにする予定だった。チッパーという機械でバリバリ粉砕し、倒した木を切って薪割りしたり、という感じで…。
うちは今回も娘と僕の2人参加。若干遅れて到着すると、どうも、頓挫している雰囲気が濃厚に漂っている。ぬぁんと、チッパーが壊れていて動かないんだと。

直す工具も持ち合わせがなく、土日で農協も休みのためお手上げ。全部、人力でやったら戦後の開拓移民状態になっちゃし。ああでもないこうでもないと相談して、刈った草はこのままにして、根っこを掘り出したときに穴を掘ってそのまま土と混ぜてしまうことにしたらどうかということに。

この根っこの固まり↓がくせ者。これが数百単位で埋まっている。人力で掘り出したら大変な作業になりそう。業者から重機を借りて一気に掘り出してしまう予定だったが、いろんなアドバイスをもらっているTさんが知り合いを紹介してくれて、手持ちの重機で手伝ってもらえることになった。

ユンボを個人で私有している人がいるとは思わなかったが、自ら山林を開拓して、ログハウスを建てたという方だ。人の縁というのはありがたいですね。来年の春から重機を運んで作業を手伝ってくれることになった。当初予定よりスケジュール的には遅れるが、重機を持つ開拓経験者に助けてもらえるとはこんな心強いことはない。ということで開墾作業は来春再開。

ということで、今回はやることがなくなってしまったので、夕食の材料確保を兼ねて大根堀にヒロさんの畑に行く。大根を引き抜くために子どもたちは悪戦苦闘。力任せに引っ張ってもなかなか抜けない。


家へのお土産用に1本引き抜いて大喜び。前回も行った温泉「大菩薩の湯」に行き、泥を落とす。先月は、いっしょに男湯に入ったのだけど、今回は1人で女湯に入ると言われてちょびっとさびしい。まあ、途中でやっぱりいっしょに入ると移って来ちゃいましたが。
ハギさんたちは、この日に帰る予定なので、大急ぎで古民家に行き夕食の準備。
ハギさんたちは、この日に帰る予定なので、大急ぎで古民家に行き夕食の準備。

1回目とくらべると参加者は少なく、しかも日帰り組が多いので、アルコールも控えめに夕食懇親。ほうとうと煮物、漬け物など、自然な食材を使ったシンプルでおいしい食事。ヒロさんの「農的な暮らし」と「Natural Farmer's Village構想」について語り合う。
日帰り組が帰った後はアルコール込みの懇親。想定外だったのはだったのは、泊まりの子どもがいなくなってしまったこと。子どもが複数いないと、矛先が大人にきちゃうのだ。うちの娘の激しいちょっかい攻撃をかわしつつ深夜まで話しました。
日帰り組が帰った後はアルコール込みの懇親。想定外だったのはだったのは、泊まりの子どもがいなくなってしまったこと。子どもが複数いないと、矛先が大人にきちゃうのだ。うちの娘の激しいちょっかい攻撃をかわしつつ深夜まで話しました。

翌朝は朝食後、開墾地に寄って、打合せ。ヒロさんが用意しておいてくれたおいしいお弁当と巨大な爆弾コロッケを受取って、解散。子どもはズーッと走り回っていました。
司法修習給費制の廃止1年延期 ― 2010/11/18
司法修習生の給費制廃止を1年延期することが決まった。18日、民主・自民・公明幹事長が合意。先月末に一度決まりかけたが、自民党内がまとまらなかった。「もはやこれまで」というあきらめ感が漂っていたが、滑り込みセーフという感じ。24日にも衆院法務委員会で委員長提案で可決する見込みだ。
今月1日に給費制を廃止するための裁判所法一部改正が施行され、いったん廃止となった後も、若い修習生や法科大学院生たちが議員会館の前で粘り強くアピールをしていたけど、本当によかった。今年の司法試験合格者の修習が始まる11月27日までに成立すれば、実害は生じずにすむ。
自民党が「民主党内がまとまっていない」という理由で反対したことからも分かるように、実は民主党内もまとまっていない。社民党も国民新党や新党日本に給費制の継続を持ち出したが、同意を得られなかった。法曹は「権利の守り手」であり公共的・公益的役割果たせるよう経済的な保障をしろという主張は、なかなか他の職種からの理解を得られないのだ。公共的・公益的な仕事は法曹だけじゃないだろう、他の公共的・公益的な職業資格を得るためにも給費しろよ、とか言われてしまう。
私自身は給費制度を断固維持すべきという立場だが、正直いって遅すぎると思っていた。給費制度の廃止・貸与制への切り替えはすでに2001年6月の司法制度改革審議会意見書に明記されており、日弁連もパッケージで合意している。司法制度推進委員会には日弁連も入り、法曹三者の合意の下で司法制度改革・法曹養成制度改革に取り組んで来たのだ。給費制廃止を決めた04年6月の司法制度改革推進本部事務局法曹養成検討会には日弁連も入っている(ただし川端弁護士は少数意見を付した)。
当初は新たな法科大学院卒の最初の司法修習生が生まれる06年から貸与制に切り替える予定であったが、法科大学院生や修習生の反対運動もあって今年まで延期されていたもの。日弁連本体がきちんと反対しようとすれば十分な時間があったはずなのだ。
実際には、今年の4月に宇都宮健児弁護士が日弁連会長に就任して執行部の体制が変わり、日弁連の方針が変わったためなのだが、他の関係者が「いまさら言われても」となるのはそれはそれで理解できる。弁護士側として取るものは取っているわけだから。司法制度改革全体のパッケージからいいとこ取りするなよと。
それにしてもよかったです。でも、これはとりあえず一息という程度に過ぎません。廃止が1年延期されただけで、来年に困窮者への返済免除などの措置を講じたうえで貸与制に移行する予定は変っていないのです。現実的には来年度予算案が出来る本年末前に、廃止の廃止を勝ち取りたいところ。来年の秋になって反対してもダメですよ。日弁連様、お願いします。
-----------------------------------------------------------
■参考:04年夏頃の反対運動用に作りました
司法修習給費制度に関する要請
政府は、司法修習生に給与を支給する制度(給費制)を廃止する方向を固め、今秋の臨時国会に関連法案が提出される予定と伝えられています。これは、質の高い法曹を多数養成し、法の支配を社会の隅々に行き渡らせるという、司法制度改革の理念に完全に逆行するものであり、容認できません。
そもそも、給費制度は修習生の生活を保障することによって修習に専念させ、高度の専門的能力と職業倫理を兼ね備えた質の高い法曹を養成することが目的です。兼職も禁じられ、多くの修習生が給費なしには生活を維持することすら困難です。司法修習生が生活の保障なしに極めて多岐にわたる課題の修習を全うすることは不可能であり、医師養成の分野において研修医を研修に専念させるため国費投入の必要が議論されていることを見ても、時代に逆行するものといわざるを得ません。このような重大な制度変更が、当事者が不在のまま密かに決めらていくことに、私たちは強く反対するものです。 給費制に代えて貸与制度を設け無利子で貸し付けること、裁判官か検察官に任官した場合に返済を免除すること、などが検討されているようですが、すでに法科大学院の高額な学費を負担している修習生にとって、さらに莫大な借金を負うことは容易ではありません。給費制の廃止は、経済的に恵まれた条件にない者を法曹から事実上排除し、人材の多様性を失わせることが明らかです。また、任官者のみ返済を免除するとの発想は、弁護士の公的側面を軽視するものであり、法曹三者間の統一・公平・平等の理念に基づく司法修習を変質させ、法曹の在り方に重大な変質をもたらすことでしょう。
国は、司法制度改革を実現するために必要な財政上の措置を講じることが義務付けられているのであり(司法制度改革推進法6条)、財政的事情から司法修習生の給費制を廃止することはまさに本末転倒であります。司法制度改革の本来の趣旨をふまえ、司法修習生への給費制度を堅持し、法曹養成のあり方を検討するにあたっては、司法大学院生、司法受験生など当事者の意見を十分に踏まえたものとすることを要請します。
司法制度改革推進本部本部長 小泉純一郎 殿
わたしたちは、次のことを求めます。
1、司法修習生への給費制度を堅持すること。
2、法曹養成のあり方を検討するにあたっては、司法大学院生、司法受験生など当事者の意見を踏まえること。
※主体は有志
―――――――――――――――――――――――――――――
司法修習給費制度の廃止について
●司法修正給費制度とは
司法修習生に対する給費制は、現行裁判所法が成立した1947年、法曹一元の理念のもと統一修習制度が開始されたことにともない、司法修習生の経済的自立を保障し、司法修習に専念することを可能にする制度として導入されたものである。現在、年間330~360万円が給与として支払われている。
給費制の在り方を検討すべきとした司法制度改革審議会意見書(01年6月)に対し、財務省の財政制度等審議会が「平成16年度予算編成の基本的考え方について」(03年6月)の中で給費制の早期廃止を提言するなど圧力を強め、03年7月には司法制度改革推進本部法曹養成検討会において「貸与制への移行という選択肢も含めて柔軟に検討する」との座長とりまとめを行なうに至った。04年6月の検討会で、給費制廃止・貸与制導入の方向で意見をまとめた。
政府は、これを受け新司法試験合格者の修習が始まる06年度から、給費制を廃止し貸与制を導入する方針である。新たに貸与制を導入し、現行の給付額を目安に無利息で貸し付けること。返済は10年程度で、裁判官や検察官など公益性の高い職種についた場合は返済を免除すること等が検討されている。04年9月から(予定)の臨時国会に裁判所法改正案が提出される予定。
司法制度改革推進本部事務局法曹養成検討会(第23回) 平成16年6月15日
【意見の整理】
新たな法曹養成制度の整備に当たり、司法修習生に対して給与を支給する制度(給費制)に代えて、国が司法修習生に対して貸付金を貸与する制度(貸与制)を平成18年度から導入することとする。貸与制の具体的制度設計については、次の点に留意するものとする。
1 貸付額については、司法修習生が修習に専念する義務を負うことを考慮た額とすること。
2 返還は10年程度の年賦等による分割払とし、繰上返還も認めるほか、情に応じて返還猶予を認めるものとすること。
3 返還期限が経過するまでは無利息とすること。
4 具体的な返還免除や返還猶予のあり方については、関係機関の意見をもまえつつ、引き続き検討すること。
5 貸付金に係る国の債権管理、事務処理などについては、アウトソーシンなどによる効率化を図ること。
6 司法修習生に対して旅費(実務修習地と司法研修所との往復など)を支するものとすること。
(少数意見)
川端委員は「給費制は、厳しい専念義務の下での充実した、修習の基盤となり、また公益的活動を支える使命感醸成の効果ももたらしているのであり、経済的事情から法曹への道を断念する志望者が出ることを防ぐためにも、なおこれを堅持すべきである」との少数意見を述べた。
―――――――――――――――――――――――――――――
※法曹養成検討会メンバー(11人)は、田中成明(京大副学長)、井上正(東大教授)、今田幸子(日本労働政策研究・研修機構統括研究員)、加藤新太郎(司法研修所教官・判事)川野辺充子(秋田地方検察庁検事正)、川端和治(弁護士)、木村孟(元東工大学長、大学評価・学位授与機構長)、ダニエル・フット(東大教授)、永井和之(中央大学教授)、牧野和夫(国士舘大学教授)、諸石光熙(住友化学工業専務取締役)
今月1日に給費制を廃止するための裁判所法一部改正が施行され、いったん廃止となった後も、若い修習生や法科大学院生たちが議員会館の前で粘り強くアピールをしていたけど、本当によかった。今年の司法試験合格者の修習が始まる11月27日までに成立すれば、実害は生じずにすむ。
自民党が「民主党内がまとまっていない」という理由で反対したことからも分かるように、実は民主党内もまとまっていない。社民党も国民新党や新党日本に給費制の継続を持ち出したが、同意を得られなかった。法曹は「権利の守り手」であり公共的・公益的役割果たせるよう経済的な保障をしろという主張は、なかなか他の職種からの理解を得られないのだ。公共的・公益的な仕事は法曹だけじゃないだろう、他の公共的・公益的な職業資格を得るためにも給費しろよ、とか言われてしまう。
私自身は給費制度を断固維持すべきという立場だが、正直いって遅すぎると思っていた。給費制度の廃止・貸与制への切り替えはすでに2001年6月の司法制度改革審議会意見書に明記されており、日弁連もパッケージで合意している。司法制度推進委員会には日弁連も入り、法曹三者の合意の下で司法制度改革・法曹養成制度改革に取り組んで来たのだ。給費制廃止を決めた04年6月の司法制度改革推進本部事務局法曹養成検討会には日弁連も入っている(ただし川端弁護士は少数意見を付した)。
当初は新たな法科大学院卒の最初の司法修習生が生まれる06年から貸与制に切り替える予定であったが、法科大学院生や修習生の反対運動もあって今年まで延期されていたもの。日弁連本体がきちんと反対しようとすれば十分な時間があったはずなのだ。
実際には、今年の4月に宇都宮健児弁護士が日弁連会長に就任して執行部の体制が変わり、日弁連の方針が変わったためなのだが、他の関係者が「いまさら言われても」となるのはそれはそれで理解できる。弁護士側として取るものは取っているわけだから。司法制度改革全体のパッケージからいいとこ取りするなよと。
それにしてもよかったです。でも、これはとりあえず一息という程度に過ぎません。廃止が1年延期されただけで、来年に困窮者への返済免除などの措置を講じたうえで貸与制に移行する予定は変っていないのです。現実的には来年度予算案が出来る本年末前に、廃止の廃止を勝ち取りたいところ。来年の秋になって反対してもダメですよ。日弁連様、お願いします。
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■参考:04年夏頃の反対運動用に作りました
司法修習給費制度に関する要請
政府は、司法修習生に給与を支給する制度(給費制)を廃止する方向を固め、今秋の臨時国会に関連法案が提出される予定と伝えられています。これは、質の高い法曹を多数養成し、法の支配を社会の隅々に行き渡らせるという、司法制度改革の理念に完全に逆行するものであり、容認できません。
そもそも、給費制度は修習生の生活を保障することによって修習に専念させ、高度の専門的能力と職業倫理を兼ね備えた質の高い法曹を養成することが目的です。兼職も禁じられ、多くの修習生が給費なしには生活を維持することすら困難です。司法修習生が生活の保障なしに極めて多岐にわたる課題の修習を全うすることは不可能であり、医師養成の分野において研修医を研修に専念させるため国費投入の必要が議論されていることを見ても、時代に逆行するものといわざるを得ません。このような重大な制度変更が、当事者が不在のまま密かに決めらていくことに、私たちは強く反対するものです。 給費制に代えて貸与制度を設け無利子で貸し付けること、裁判官か検察官に任官した場合に返済を免除すること、などが検討されているようですが、すでに法科大学院の高額な学費を負担している修習生にとって、さらに莫大な借金を負うことは容易ではありません。給費制の廃止は、経済的に恵まれた条件にない者を法曹から事実上排除し、人材の多様性を失わせることが明らかです。また、任官者のみ返済を免除するとの発想は、弁護士の公的側面を軽視するものであり、法曹三者間の統一・公平・平等の理念に基づく司法修習を変質させ、法曹の在り方に重大な変質をもたらすことでしょう。
国は、司法制度改革を実現するために必要な財政上の措置を講じることが義務付けられているのであり(司法制度改革推進法6条)、財政的事情から司法修習生の給費制を廃止することはまさに本末転倒であります。司法制度改革の本来の趣旨をふまえ、司法修習生への給費制度を堅持し、法曹養成のあり方を検討するにあたっては、司法大学院生、司法受験生など当事者の意見を十分に踏まえたものとすることを要請します。
司法制度改革推進本部本部長 小泉純一郎 殿
わたしたちは、次のことを求めます。
1、司法修習生への給費制度を堅持すること。
2、法曹養成のあり方を検討するにあたっては、司法大学院生、司法受験生など当事者の意見を踏まえること。
※主体は有志
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司法修習給費制度の廃止について
●司法修正給費制度とは
司法修習生に対する給費制は、現行裁判所法が成立した1947年、法曹一元の理念のもと統一修習制度が開始されたことにともない、司法修習生の経済的自立を保障し、司法修習に専念することを可能にする制度として導入されたものである。現在、年間330~360万円が給与として支払われている。
給費制の在り方を検討すべきとした司法制度改革審議会意見書(01年6月)に対し、財務省の財政制度等審議会が「平成16年度予算編成の基本的考え方について」(03年6月)の中で給費制の早期廃止を提言するなど圧力を強め、03年7月には司法制度改革推進本部法曹養成検討会において「貸与制への移行という選択肢も含めて柔軟に検討する」との座長とりまとめを行なうに至った。04年6月の検討会で、給費制廃止・貸与制導入の方向で意見をまとめた。
政府は、これを受け新司法試験合格者の修習が始まる06年度から、給費制を廃止し貸与制を導入する方針である。新たに貸与制を導入し、現行の給付額を目安に無利息で貸し付けること。返済は10年程度で、裁判官や検察官など公益性の高い職種についた場合は返済を免除すること等が検討されている。04年9月から(予定)の臨時国会に裁判所法改正案が提出される予定。
司法制度改革推進本部事務局法曹養成検討会(第23回) 平成16年6月15日
【意見の整理】
新たな法曹養成制度の整備に当たり、司法修習生に対して給与を支給する制度(給費制)に代えて、国が司法修習生に対して貸付金を貸与する制度(貸与制)を平成18年度から導入することとする。貸与制の具体的制度設計については、次の点に留意するものとする。
1 貸付額については、司法修習生が修習に専念する義務を負うことを考慮た額とすること。
2 返還は10年程度の年賦等による分割払とし、繰上返還も認めるほか、情に応じて返還猶予を認めるものとすること。
3 返還期限が経過するまでは無利息とすること。
4 具体的な返還免除や返還猶予のあり方については、関係機関の意見をもまえつつ、引き続き検討すること。
5 貸付金に係る国の債権管理、事務処理などについては、アウトソーシンなどによる効率化を図ること。
6 司法修習生に対して旅費(実務修習地と司法研修所との往復など)を支するものとすること。
(少数意見)
川端委員は「給費制は、厳しい専念義務の下での充実した、修習の基盤となり、また公益的活動を支える使命感醸成の効果ももたらしているのであり、経済的事情から法曹への道を断念する志望者が出ることを防ぐためにも、なおこれを堅持すべきである」との少数意見を述べた。
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※法曹養成検討会メンバー(11人)は、田中成明(京大副学長)、井上正(東大教授)、今田幸子(日本労働政策研究・研修機構統括研究員)、加藤新太郎(司法研修所教官・判事)川野辺充子(秋田地方検察庁検事正)、川端和治(弁護士)、木村孟(元東工大学長、大学評価・学位授与機構長)、ダニエル・フット(東大教授)、永井和之(中央大学教授)、牧野和夫(国士舘大学教授)、諸石光熙(住友化学工業専務取締役)
赤ちゃんがやってきた ― 2010/11/14

11月9日、義妹が子どもを産んだ。赤ちゃんは小さいなぁ。5日ほど入院して、14日にうちに来た。義妹と子どもの世話をするために、義母も来た。産後の養生の為にしばらくうちで暮らす。義姉の家の家で産後を過ごすというのはめずらしいらしいが、実家は遠いし、すぐに実家に行ってしまうと義弟が赤ちゃんと接する機会が制限されてしまうので、近くに住んでいて、空き部屋があるうちに来ることになった次第。
別にいいんだけど、赤ちゃん以外は全員が女で、かなり姦しい感じ。しばらく片隅に追いやられる気分だが、まぁいいのだ。私には赤ちゃんを手なずけてしまうという野望があるのだ。産まれてすぐのころから、おじさんへのシンパシーを植え付けるのだ。無理かなぁ。
別にいいんだけど、赤ちゃん以外は全員が女で、かなり姦しい感じ。しばらく片隅に追いやられる気分だが、まぁいいのだ。私には赤ちゃんを手なずけてしまうという野望があるのだ。産まれてすぐのころから、おじさんへのシンパシーを植え付けるのだ。無理かなぁ。
領土問題は難しい ― 2010/11/10
尖閣諸島沖の中国漁船衝突問題(9月7日)、ビデオ公開の問題も加わって複雑化している。そもそも尖閣問題どうすんだ、もっと踏み込んだ方針を示せとせっつかれるが、なかなか一発解決の妙案はない。
領土問題っていうのは難しい。一歩間違えば、「ナショナリズム」を相互にエスカレートさせてコントロールが効かなくなる。過剰に譲歩したように見えれば批判の的になることがわかっている。しかし典型的なゼロサムゲームだから、強硬一辺倒では落としどころは見つからない。強硬対応の応酬をしていけば行き着く先は戦争だ。
ちなみに日本政府は尖閣は固有の領土で領土問題は存在しないという立場で、私らもこの立場を支持しているわけなんだけど、「領土問題はない」と言ったって、それを認めない国があるのだから無視して済むわけではない。
中国漁船衝突の直後の9月15日、ロシアとノルウェーは、バレンツ海・北極海について国境線を画定する合意文書に調印した。お互い譲り合って合意したことで、資源開発に乗り出すことが可能となった。この問題は1970年、旧ソ連時代から40年間にわたる領有権争い。世界にはこうした領有権紛争がゴマンとある。
例えば有名どころでは、アイルランドをめぐるイギリスとアイルランド。カシミールをめぐる印パ、中国。ゴラン高原をめぐるシリアとイスラエル、ナゴルノ・カラバフをめぐるアゼルバイジャンとアルメニア等々。マレーシアサバ州をめぐるフィリピンの主張。ハンス島をめぐるカナダとデンマークの領有主張。ジブラルタルをめぐるイギリスとスペインなど、主要国間で長年続いている紛争も少なくない。
日本に直接関わるのは尖閣諸島、竹島、千島列島(北方領土)だが、宗教を背景に長年の血で血を洗う抗争を経験してきたパレスチナやアイルランド問題などと比べれば、深刻度はずっと低いはずだ。中でも尖閣諸島は現住民がいないのだから、権益を確保しながら互いの利益を得られる妥協点を探せばよい。ただ、ナショナリズムが加熱した状況下では、冷静な議論ができないので、環境を見定めながら進める必要がある。その意味では、とりあえず棚上げして、議論のタイミングを探ることがよいと思うが、こうした主張は「弱腰」と受け止められるおそれもあるので難しい。もちろん棚上げにするとして永遠ではなく、その間も主張すべきは主張しておく必要があることは当然である。
いずれにしても、国境を接する国の間で、領有をめぐる争いや議論があることはむしろ当たり前のことだ。こうした意見の相違を長い時間をかけて解決をしてきた。失敗すると泥沼の混乱に至る。僕らが肝に銘じるべきは、とにかく頭を熱くして軍事的な対応に流れるようなことがあってはならないということだ。
ところで、国内でも深刻な領土問題がたくさん残っている。東京新聞(11月8日朝)によると、江東区と大田区の間の埋め立て地(中央防波堤周辺/現在377ヘクタール・将来989ヘクタール予定)をめぐる領土紛争が激しくなっているらしい。1973年から江東区が建築確認などの行政事務を暫定的に担い「実効支配中」。江東区が「埋め立て工事車両の渋滞や騒音に耐えてきた」と訴えれば、大田区は「のり漁場を放棄した場所」と反論し、互いに「歴史的経緯」を主張しているという。2002年までは品川、港、中央の3区も帰属を主張していた。江東区は9月28日、「歴史的経緯を踏まえれば、本区へ帰属することが当然」とする意見書案を区議会に提出。大田区は翌29日に「大田区に帰属すべきもの」との主張を加えた意見書を区議会に出し、互いに譲る気配はない。かつて、お台場の帰属をめぐっても5区が争い、都の自治紛争調停で解決した経緯もあったっけ。
蔵王山の県境(山形県と宮城県)が裁判で争われ、30年かけて1990年代半ばにようやく解決した。廃藩置県以来の争いであった十和田湖の青森県と秋田県の争いは2008年8月に137年を経てようやく確定。富士山山頂の帰属をめぐる静岡県の争いはまだ係争中だ。 都内だけでも、東京高速道路部分の中央区・千代田区・港区、荒川河口部の江東区・江戸川区、鳥島をはじめ10カ所程の区境は未確定だ。時に、厳しいやりとりもあるが、それなりにコントロールしながら少しずつ合意点を見いだしたり、当面棚上げのまま現実的に対処したりしているのである。
自治体間の境界と、国と国の境界では話が違うが、権力や権限の境界を引くというのはなかなか難しい作業だということでは同じ。焦らず、拙速に短絡的な手段に流れることなく、ゆったり構えて、最適の解を見つけていくしかないと思うのだが…。
領土問題っていうのは難しい。一歩間違えば、「ナショナリズム」を相互にエスカレートさせてコントロールが効かなくなる。過剰に譲歩したように見えれば批判の的になることがわかっている。しかし典型的なゼロサムゲームだから、強硬一辺倒では落としどころは見つからない。強硬対応の応酬をしていけば行き着く先は戦争だ。
ちなみに日本政府は尖閣は固有の領土で領土問題は存在しないという立場で、私らもこの立場を支持しているわけなんだけど、「領土問題はない」と言ったって、それを認めない国があるのだから無視して済むわけではない。
中国漁船衝突の直後の9月15日、ロシアとノルウェーは、バレンツ海・北極海について国境線を画定する合意文書に調印した。お互い譲り合って合意したことで、資源開発に乗り出すことが可能となった。この問題は1970年、旧ソ連時代から40年間にわたる領有権争い。世界にはこうした領有権紛争がゴマンとある。
例えば有名どころでは、アイルランドをめぐるイギリスとアイルランド。カシミールをめぐる印パ、中国。ゴラン高原をめぐるシリアとイスラエル、ナゴルノ・カラバフをめぐるアゼルバイジャンとアルメニア等々。マレーシアサバ州をめぐるフィリピンの主張。ハンス島をめぐるカナダとデンマークの領有主張。ジブラルタルをめぐるイギリスとスペインなど、主要国間で長年続いている紛争も少なくない。
日本に直接関わるのは尖閣諸島、竹島、千島列島(北方領土)だが、宗教を背景に長年の血で血を洗う抗争を経験してきたパレスチナやアイルランド問題などと比べれば、深刻度はずっと低いはずだ。中でも尖閣諸島は現住民がいないのだから、権益を確保しながら互いの利益を得られる妥協点を探せばよい。ただ、ナショナリズムが加熱した状況下では、冷静な議論ができないので、環境を見定めながら進める必要がある。その意味では、とりあえず棚上げして、議論のタイミングを探ることがよいと思うが、こうした主張は「弱腰」と受け止められるおそれもあるので難しい。もちろん棚上げにするとして永遠ではなく、その間も主張すべきは主張しておく必要があることは当然である。
いずれにしても、国境を接する国の間で、領有をめぐる争いや議論があることはむしろ当たり前のことだ。こうした意見の相違を長い時間をかけて解決をしてきた。失敗すると泥沼の混乱に至る。僕らが肝に銘じるべきは、とにかく頭を熱くして軍事的な対応に流れるようなことがあってはならないということだ。
ところで、国内でも深刻な領土問題がたくさん残っている。東京新聞(11月8日朝)によると、江東区と大田区の間の埋め立て地(中央防波堤周辺/現在377ヘクタール・将来989ヘクタール予定)をめぐる領土紛争が激しくなっているらしい。1973年から江東区が建築確認などの行政事務を暫定的に担い「実効支配中」。江東区が「埋め立て工事車両の渋滞や騒音に耐えてきた」と訴えれば、大田区は「のり漁場を放棄した場所」と反論し、互いに「歴史的経緯」を主張しているという。2002年までは品川、港、中央の3区も帰属を主張していた。江東区は9月28日、「歴史的経緯を踏まえれば、本区へ帰属することが当然」とする意見書案を区議会に提出。大田区は翌29日に「大田区に帰属すべきもの」との主張を加えた意見書を区議会に出し、互いに譲る気配はない。かつて、お台場の帰属をめぐっても5区が争い、都の自治紛争調停で解決した経緯もあったっけ。
蔵王山の県境(山形県と宮城県)が裁判で争われ、30年かけて1990年代半ばにようやく解決した。廃藩置県以来の争いであった十和田湖の青森県と秋田県の争いは2008年8月に137年を経てようやく確定。富士山山頂の帰属をめぐる静岡県の争いはまだ係争中だ。 都内だけでも、東京高速道路部分の中央区・千代田区・港区、荒川河口部の江東区・江戸川区、鳥島をはじめ10カ所程の区境は未確定だ。時に、厳しいやりとりもあるが、それなりにコントロールしながら少しずつ合意点を見いだしたり、当面棚上げのまま現実的に対処したりしているのである。
自治体間の境界と、国と国の境界では話が違うが、権力や権限の境界を引くというのはなかなか難しい作業だということでは同じ。焦らず、拙速に短絡的な手段に流れることなく、ゆったり構えて、最適の解を見つけていくしかないと思うのだが…。
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