上関原発予定地・岩国米軍住宅予定地視察(祝島)2010/09/27

  9月27日~28日、「『上関原発建設予定地』並びに『岩国米軍基地建設予定地』社民党国会調査団」。岩国基地・愛宕山視察を終え、祝島に渡るために室津港に移動。降ったり止んだりの雨模様の中、チャーター船を待っていると10人程の人たちがぞろぞろとやって来た。
室津港
 汽船会社の社長さんで上関町議の右田さん以下、地元推進派の皆さん。服装等から判断すると主に建設業の方々のようだ。どこで聞きつけたのか、「祝島に行かれると聞いたが、地元は推進派が多い。反対派の声だけでなく推進派の意見も聞いて欲しい」とのことであった。議論をしたそうでもあったが、予定外の出来事で時間もあまりなかったので、「それはそうですね」とあいさつ程度で切り上げて船に乗る。
船上
 今回は地元で上関原発問題に取り組んできた長島の自然を守る会の高島美登里さんが随行してくれた。雨の船上でのレクチャーとてもよくわかりました。カッパを着ているものの、みんな雨でびしょ濡れ。
田ノ浦
 中国電力が埋め立てを行なおうとしている田ノ浦。阻止行動をたたかっているシーカヤック隊のみなさんと、雨の中でエールを交換。いまこの瞬間にも中電があらわれるかもしれない最前線。本当にご苦労様です。
祝島公民館
 祝島。港に着くと大勢の島民のみなさんが出迎えてくれた。祝島では原発計画に反対して毎週島内でデモ行進を行なっている。この日は本当は1072回目のデモが行なわれる予定で視察団も参加する予定であったが、雨のため中止。祝島公民館での意見交換の会を開いた。雨でびしょ濡れになりながらも、島の人たちの熱気を受けて、福島党首、重野幹事長とも気合いが入る。
島民の会事務所
 上関原発を建てさせない島民の会事務所で、多少リラックスして意見交換。早朝からの移動で疲れていたはずだが、党首、幹事長も最後まで付き合う。小さな島で飲み屋も夜間営業している商店もないので、事務方男子は宿のおばさんい無理を言って焼酎を出してもらって、さらに深夜まで。
祝島港
 翌朝、出発しようとすると、たくさんのみなさんが港に見送りに集まってくれた。この島は社民党の支持率が日本で一番高い地域じゃないかと、福島党首もさらに気合いが入る。カメラマンの後ろにもずらりと人がいます。
田ノ浦シーカヤック
 祝島を後にして、再び田ノ浦現地に寄る。雨もあがって、大勢のシーカヤック隊が出ている。田ノ浦の海を守り抜こう、と再びエールを交換。うーん。シーカヤック乗ってみたいぞ。
 室津港で高島さんと別れて新岩国に移動。さらに新幹線で広島に。この視察で、最も不愉快な場面、中国電力本社に行って申し入れ。
中国電力
 祝島や田ノ浦でたたかうシーカヤックの人々の声を、中国電力にぶつける。福島党首、金子中国ブロック議長らが厳しく追及。もちろん、「じゃあ止めます」という回答はえられなかったが、強硬手段への一定の抑止にはなったのではないか。
 下は、中電申し入れの際に渡した文書。
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                                          2010年9月28日 
中国電力株式会社
 取締役社長 山下隆 様
                                         社会民主党党首 
                                           福島 みずほ  
             上関原発建設計画の凍結を求める申し入れ 

 中国電力が山口県上関町に計画している上関原発の建設予定地である田ノ浦付近では、海面の埋め立てに反対する漁業者やシーカヤック愛好者等との間で緊迫した状態が続いています。
 埋め立て予定地は瀬戸内海国立公園に指定され、貴重かつ希少な生物が多く生息する「生き物の宝庫」とも評される海域であり、埋め立てによってかけがえのない生態系を失うことは国民的な損失といわざるを得ません。
 また、海を隔てわずか4㎞の対岸にある祝島の漁業者は周辺海域を主な漁場としており、埋め立てが行なわれれば漁業に大きな打撃をこうむり、生計の維持が難しくなると考えられています。
 中国電力はこの建設計画を危惧する人びとと十分に話し合おうとはせず、工事に抗議する祝島島民やシーカヤック愛好者等に対して「海面埋め立て工事の妨害の禁止」を求める仮処分申請(2009年10月)や、損害賠償を求める訴訟(09年12月)等を一方的に起こし対立を深めています。「地元の理解を得る努力をする」(山下社長)といいながら、自らの生活環境や自然環境を守るためのやむにやまれぬ抗議行動を犯罪のように扱う姿勢は矛盾しているといわざるを得ません。
 柏崎刈羽原発事故で浮上した耐震性に関する疑念や、志賀原発での臨界事故、島根原発における膨大な点検漏れなどから、原発に対する安全や信頼は大きく揺らいでいます。電力需要が逼迫しているわけでもなく、いま上関原発の建設を急ぐ必要はないと考えます。
 以上をふまえて社民党として、以下の点について申し入れるものです。
                          記
1 祝島島民およびシーカヤック愛好者の「海面埋め立て工事の妨害の禁止」の仮処分申請や損害賠償請求等を取り下げること。
2 原子力発電所の建設計画を凍結し、祝島島民ら地域住民や自然保護団体等と十分に話し合うこと。
                                                以上 

消費税反対と左翼2010/09/10

 消費税の議論になると思い出すのは、15年ほど前にデンマークのアンデルセン福祉大臣(当時)の取材をしたときのことだ。当時、『月刊社会党』の編集者だった私は、たまたま来日したアンデルセン大臣の日程を確保したからインタビュー記事をつくれと半坂編集長(当時)に言われて、五島議員との対談をセットした。
 もともとぺーぺーの自分が現職の外国閣僚と直接話すつもりはなかったんだけど、たまたま時間が空いて話す機会ができた。社交辞令の後で、いきなり聞かれたのは、「社会党はなぜ消費税に反対するのか?」と。
 私はしどろもどろで、「導入の経緯が」とか「逆進性が」とか答えたわけだけど、説得力のある説明は出来なかった。もう、うろ覚えだけど概ね次のようなことを言われたのです。
 「世界中どこに行っても税金を減らせというのは右、増やせというのは左。左翼ならちゃんと税金を取って、きちんと還元することを目指すのが当然だ。」
 「どこからどう税金をとるかは国による政策も問われるが、自由な社会や自由な貿易を守ることを前提にすれば、所得への累進課税や法人課税の強化には限度がある。」
 「軍事費や無駄な経費を減らすのは当然だがこれも限界がある。最終的に国民に十分は福祉や教育を行き渡らせるには消費課税がどうしても必要になる。逆進性などの問題は緩和する様々な対策が行なわれている。」
 「多くの国で様々な経験が蓄積されており、福祉国家のためには消費税は避けて通れないことは十分理解されているはずだ。現に左翼が強い国ほど消費税率は高い傾向がある。」
 「日本の消費税の導入の経緯は問題があったのかも知れないが、社会党はすでに政権を担うことになったのだから過去のことばかり言っていられない。左翼なら正面から増税を語るべきで、社会党は政権党(当時)として、増税をして同時にその成果を国民が理解できるように還元しなくてはならない。」
 当時の私としてはこれにぜんぜん反論ができなかったんだなぁ。村山政権初期のことなんだけど、この頃はまだ89年の土井ブーム・反消費税で「山が動いた」記憶が新しかったし、村山さんが総理になったんだから消費税率アップは認められないよね、って雰囲気だった。まぁ、私も普通に反対な感じでいたのだけど、これに社会民主主義の本家からダメだし食らったわけです。
 それで、いろいろ勉強したり考えたりして、私は消費税増税論者になったのです。もちろん単に今のまま増税するのではなく、いろいろな条件がありますが。いまの消費税の仕組みには問題が多いし、法人税や高額所得者への減税の穴埋めに消費税収をつかうような現状は問題。所得の再分配機能を弱める形での消費税率アップは認められない。でも、所得や資産や相続にちゃんと課税したうえで、消費税がきちんと福祉や教育の向上に使われるのであれば、増税してもいいんじゃないか。
 現状の消費税は批判してもいいけど、むしろ大胆な消費課税も含めて国民生活向上に繋がるような税制を積極的に提案していくべきではないかという感じでいるわけです。
 いまだに党内は消費税反対の主張が多勢だし、「左翼」的勢力全体を見ても反対論が根強い状況を考えれば、消費税も含めて増税ちゃんとしましょうというコンセンサスを作るのはなかなか容難しいでしょうが。
 ちなみに私、税制は担当じゃないので、これは単なる個人的な意見にすぎません。いまや目にすることは難しいでしょうから、そのときにまとめた記事を参考までに掲載します。お二方の対談を元にまとめたものです。
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(月刊社会党95年1月号)

「北欧福祉社会と税制――デンマーク元社会大臣との対話」

                          B・R・アンデルセン・五島正規

社民党がつくった福祉社会
五島正規 今日はデンマークのアンデルセンさんを迎えて、福祉を中心に、政治的な面も含めておうかがいしたいと思います。
 いまの北欧では社会民主党と保守党の間で福祉の問題に関する大きな対立はないと聞いています。こうした状態に至るまでには福祉をめぐっての対立もあったのでしょうか。
ベント・ロル・アンデルセン 北欧だけでなくほかの国から見てもそうですが、こういう福祉社会は社会民主党がつくった、というふうに考えられています。
 党の政策綱領などを見ると、それぞれの政策に違いはあります。しかし、重要な福祉関係の法律は過半数を大きく超える賛成で成立しており、実際にはそれほどの差はないわけです。政策の違いは立場をはっきりさせるために言っているという面があって、実質的にはニュアンス程度の微妙な違いだけです。
 例えば福祉予算を削らなくてはならない場合、提案する額は保守系のほうが多く、社民系のほうが少ない。高齢者福祉のある部分を民営化しようという議論は保守党のほうに強くて、社会的・公的なものでよいという意見は社民党に強い。そういう違いはありますが、サービスが必要という点は同じです。
 福祉国家をやめようと主張している政党はどこもありません。もう少し自由な分野を大きくしようというのが保守系で、それではだめだというのが社民党の主張です。これは議論のための議論とも言えます。保守系が節約を言う理由も、福祉国家を維持するために放漫ではいけないというものです。
 われわれの福祉政策は社会主義のイデオロギーでつくられているわけではありません。どちらかというと社会的な連帯が福祉国家の理念であって、すべてを社会化していくという社会主義のイデオロギーではないのです。
五島 日本でも高齢化社会を迎えるなかで、福祉の水準を上げていかなければいけないという点ではコンセンサスがあります。
 ただ北欧型の福祉については、日本では二つの意見が出されています。一つは、北欧型福祉モデルにはカネがかかり、それを支える経済の活力が失われてしまうのではないかという意見。もう一つは、これからの福祉では「選択」が重要なウェートを持つので、より選択肢の広いシステムを考えるためには、北欧型のモデルよりも民間に依存する仕組みにしたほうがよいのではないかという意見です。その点についてどのようにお考えでしょうか。
アンデルセン 北欧型の福祉社会だと経済の活力が失われるという議論が正しいなら、公的セクターの多い国はみな経済が低迷していなければなりません。逆に公的セクターが小さい国はみなよいのか。財政は黒字なのか、貿易収支はどうか、失業率や一人あたりGNPはどのくらいなのか。OECDのデータを調べればすぐわかりますが、実際に相関性はありません。一般的に公的セクターが大きいヨーロッパが、より公的セクターが小さいアメリカや日本よりも経済的に悪いという実態はありません。
 日本の経済状態はよくても、アメリカはずっと悪かった。同じように公的セクターが小さい国でも、経済のいい国と悪い国があるわけです。ヨーロッパではデンマークは経済的に一番強い国です。デンマーク、スウェーデン、オランダ、フランスなど公的セクターの強い国は、スウェーデンを除いてみんな経済は順調です。先進国で経済状況がいい国は、概して公的セクターが大きい国と言えるのではないでしょうか。
 もう一つ重要なことは、女性がどれくらい就労しているかということです。これとパブリック・セクターの大きさは相関性があります。女性が就労すればGNPもふくらむし生産にもかかわります。同時に税金も払うことになりますから、公的セクターを大きくすることもできるわけです。
 二番目の、選択性の問題ですが、一般的な商品ならいろいろな店があれば質や価格で自分で選べるということはたしかに言えます。しかし、これは公的セクターでもできないことではありません。例えば公的義務教育でも学校の選択ができます。地域だけでなく、運営のやり方で選択することもできます。また保育園や病院も選択できます。公的セクターだからできないとは一概に言えません。それが公的セクター同士の競争にもつながっていくわけです。

大家族主義のメンタリティー
五島
 よくわかりました。  日本の場合、高齢化がきわめて遅れてしかも急激に起こってきたということが特徴です。そのためとくにお年寄りのメンタリティーの面でいろいろな問題が起こっています。北欧で高齢者が別世帯という社会習慣はいつごろからあったのですか。日本では大家族主義が長く続いて、そのなかでつくられたメンタリティーがいまだに強く残っています。そのへんの違いはどうでしょうか。
アンデルセン アジアでは一般的に大家族制の歴史が長いですが、北欧は親子が別居するのが伝統です。アジアの大家族制の理由を説明をするのが難しいように、デンマークでなぜ別居するのかを説明するのも難しい。かつて多くの国に大家族が中心の時期があったし、いまでもあるわけですが、大家族の社会の特徴は農業が中心的な産業であるということです。生産の場が農村地域から都市に移ってきて、経済の中心が二次、三次産業に移っていくときに、子どもが外に出ていきます。デンマークでは一九世紀の終わりにそれが起こり、そのころから別居が当たり前になってきました。
 日本ではまだ大家族主義の伝統があると言われていますが、どれだけこれが続けられるのか、私にはわかりません。
五島 日本も農村人口が人口の五〇%あったのは五〇年も前のことで、最近では第三次産業の人口のほうが圧倒的に多いという状態にまできています。それに加えて一極集中的な都市化が非常に進んでいて、現実には親子同居世帯は少ない。にもかかわらず、メンタリティーとしては家族主義が強く残っていて、親のほうにも子どものほうにも一緒に暮らさないことが不幸であるかのような感情が残っている。このへんが単に習慣の問題なのか、別の問題があるのか、非常に難しい問題だと思います。
 こういう国民的なメンタリティーが、福祉をパブリック・セクターで処理することに対する反対意見の一つに使われることが往々にしてあるわけです。
アンデルセン まったく同感です。南ヨーロッパにもそういうところがまだ残っています。大家族主義はうまく機能しているうちはよいのですが、うまくいかなくなったときには監獄のようになってしまいます。そのときは何かをしないと、家族機能そのものが維持できなくなります。
五島 いまの日本はまさにそういう状態にあります。しかも保守党の有力な政治家のなかには、「親孝行」といったものを軸に高齢化社会に対応する、それを軸にして税制や相続問題を考えようという人がいます。そういう政治的な力がまだ存在していることは非常に不幸です。
アンデルセン こうした議論はイデオロギーのレベルの話が多いようです。しかし、本当に変えるエネルギーになるのは人々のインタレスト、利害がポイントです。いまのところ男性の意見が力をもっていて、その限りでその価値観が表に出ています。しかし、それが通ると、高齢者自身や女性たちが苦労することになるわけです。高齢者自身や実際に介護にかかわる人が力をもたないと、制度は変わりません。とくに女性のインタレストがどれだけ表に出るかが非常に重要です。
五島 日本の場合は高齢者自身がそれを求めている面があります。
 もう一つ。経済的な問題ですが、日本では所得のフローの部分はそれなりに公平化してきていますが、資産に関しては非常に大きな格差が存在しています。世代間で見ると六五歳以上の方と、三〇歳代、四〇歳代の人の資産格差が大きい。高齢者の持っている資産をどう社会化して、福祉国家をつくるのかが大きな課題になります。デンマークでもそういう悩みはあったのでしょうか。
アンデルセン 高齢者によっていろいろ考え方は違うでしょう。例えば家を持っていても、息子が面倒を見てくれれば資産として全部渡す人もいます。家族間で給付と負担の分配をすると考える人もいます。しかし、そのコストを実際に払うのはたいていお嫁さんになるわけですが、おそらくその影響力は小さいでしょう。あるいはそれほど面倒をみない。共働きだったりすると、日中は独居で寝たきりになっている。資産を同じように持っていても、その老人にとっては公的セクターのほうがいいわけです。
 高齢者自身の状況や興味でどちらかがうまく機能すれば、本人にとってはいいのですが、なにも対策をとらないで最後のケースのようになると悲惨です。子どもは共働きで日中独居、寝たきりになると最後は入院してなかなか家にも戻れない。なにも手を出さなければそういう人がどんどん増えてきます。
 ですから、高齢者自身が本当に昔の家族的な制度を求めているのか、どういう状況を想定しているかによっても違うでしょう。改革があるときには価値観のぶつかりあいが当然あるわけで、力のあるほうに傾いていくわけです。

安すぎる固定資産税
五島
 お年寄りの資産の社会化に関してはどうですか。
アンデルセン 私は八九年から毎年、日本に来ているのですが、日本の固定資産税は安すぎる。どうしてもっと高くしないのか、経済学者として理解できません。
 借金をしてでも買った方がいいという事態が起こると、それがバブルだったわけですが、それがある日崩れれば、貸した銀行はパニックになるはずです。大蔵省があまり表に出ないようにしているのでしょう。早い時期から適正な固定資産税がかかっていれば、こういうことは起こらなかったのです。
 いますぐやったらマーケットが崩れてしまいますから、問題の解決にはなりません。資産価値が下がれば、高齢者の相対的な力も下がってしまいます。
五島 デンマークでは地方自治体の税収は所得税と固定資産税が中心と聞きましたが、その比率はどのぐらいですか。
アンデルセン それは市町村で決められます。社民党系の自治体は固定資産税が比較的高く、自由党系(昔の農民党系)のところは低い。だいたい歳入の一〇分の一ぐらいが固定資産税です。コペンハーゲンの西にあるアルバースルンという都市は社民党ですけれども、もっと高い固定資産税を決めています。
 地方交付税はだいたい一〇%ぐらいですから、いまは九割が自主財源です。かつては地方交付税が大きかったのを、だんだん自前の分を増やしてきたわけです。
五島 法人の課税はどうなっていますか。
アンデルセン 法人税は利益の三四%です。
五島 法人に対しても固定資産税があるのですか。
アンデルセン たいした額ではありません。
五島 個人も固定資産税は市ですか。
アンデルセン 固定資産税は市と県にいき、国にはいきません。基本的には市町村レベルにいく分が一番多いのです。
五島 個人の住宅の固定資産税は高いのですか。
アンデルセン 固定資産税は土地の評価額と建物の評価額で合計します。建物よりも土地のほうにかかるけれども、その土地代が安いのです。
五島 法人の固定資産税率も個人の固定資産税率も一緒ですか。
アンデルセン 法人の場合には、土地と建物のいわゆる固定資産税が市で、利益の三四%が国です。税率は個人の場合も法人の場合も同じです。商業価格の一%以下です。
五島 日本の場合、標準課税価格はマーケット価格ではありません。
アンデルセン 毎年評価を変えるのですが、下がった場合にはなかなかそれと一緒に下がらず、時間差が出てきます。

見えにくい消費税
五島
 デンマークは消費税が二五%ぐらいで、かなり高い。間接税に対する国民の意見はどうですか。
 もう一つ、福祉とか医療、教育といったパブリック・セクターから提供されるものは非課税なのですか。
アンデルセン デンマークでは消費税に関してより、所得税に関する議論の方がはるかに多いのです。所得税は可視性があるが、消費税は見えにくい。経済論で言うと、消費税が上がるとその分だけ為替レートが下がる。例えば日本の消費税を二五%にすると円の交換価値が下がります。為替が下がると、その分だけ国内産のほうが安くなる。海外から来たものが高くなりますから。ドイツでつくっている車と日本でつくっている車と、もし同じコストがかかったとすると、これに二五%の消費税をかけると、日本で売る車がドイツの車よりも高くなるはずが、実際にはなりません。国際的に動いているものは不可視的です。デンマークの消費者は、どれだけ消費税が入っているかを考えないで物を買っている。直接税の場合には背番号制もありますし、これだけ所得があって、これだけの税というのがはっきり見えます。ですから消費税に関する不満は出てきません。
 二つ目の問題ですが、公的セクターには消費税はかかりませんが、民間と公的セクターが競争している分野には消費税がかかります。例えば学校における掃除です。学校そのものは市の持ち物ですから、市が公務員として掃除婦を雇ってもいいし、掃除会社からサービスを買ってもいい。安いほうがいい。民間企業と行政サービスとの対等・平等な競争ですから、自分で公務員として雇ってやる場合にも消費税をつけなければいけません。
五島 その場合、利用者に消費税が課税されないのはわかりますが、各段階では付加価値税がかかっているはずです。インボイスなどによるゼロ%課税を言っておられるのか、あるいは非課税ということなのでしょうか。
アンデルセン ものを売ればその額に対して消費税を払う。しかし、その材料はほかの会社から買ったわけで消費税が含まていますから、税務局は買った額の二五%を返す。実際には付加価値したものの二五%だけを払うわけです。 五島 私の聞きたいのは、パブリック・セクターに対する課税の仕組みです。例えば病院でベッドを買うと、そのベッドに対して消費税を払うのですか。それともパブリック・セクターの病院ならベッドの分の消費税を払わなくていいのですか。
アンデルセン 付加価値にはつけませんが、買ったものに対してはかかります。ベットを売る会社が消費税を国に払い、それを加えて売りますから、それを買い手はそのまま払います。管理上の簡易さのために、公的なところに売るときと民間に売ったときの区別をしないで済むように、一たん全部払うのです。
五島 プライベートな病院で治療を受けると、その消費税は患者さんに転嫁されるのですね。
アンデルセン そうです。物を買ったら必ず払うわけですから。
五島 そうするとプライベート・ホスピタルを利用するよりは、パブリック・ホスピタルを利用したほうが患者さんにとっては有利ですよね。パブリック・セクターで提供されるサービスが、民間と競合しているのはあまりないんですか。
アンデルセン 公共の病院でもシーツの洗濯や、薬局などは民間を使うこともできます。薬局を行政でつくってもいい。マーメイドという大きな民間病院が今年つぶれてしまいましたが、ハムレットという心臓手術をやる病院などが残っています。
 民間病院でもいろいろなものを買って、サービスをつけて治療をするわけですが、消費税は全体の価格に対して払い、買ったものに含まれていた分は返してもらう。公立の病院の場合には、薬なりベッドなり同じものを買ったとしても、それに対しての消費税を払う。なにも売らないから、収入はない。二五%全額払わなければならない。民間は経費になる。サービスを提供したプラス・アルファのところだけの二五%になるのです。
五島 パブリックセクターの部分が大きいということで、税制などにも配慮されていることはよくわかりました。日本の場合、プライベート・セクターとパブリック・セクターが混在していますので、大変参考になりました。
アンデルセン 公的セクターか民間かというときに、公的セクターがいつもいいのだ、あるいは民間のほうがいいのだという議論はなるべく避けたほうがいい。民間のほうがいい領域もたくさんあるし、民間では全然対応できない分野もある。高齢者福祉はそういう分野で、民間で対応することは不可能です。医療の大きな部分もそうです。OECDの資料を見ても、民間でやっているアメリカの医療は非常に高くて、デンマークのほうがむしろ安いのです。

消費税と老人福祉の財源
五島
 日本では、パブリックに介護保険をつくるかどうかの議論が始まっています。一方で民間の介護保険も発足している。介護の問題についてもパブリックの部分とプライベートの部分が混合した場合、非常に複雑な問題を生み出してくるのではないかと心配しています。
アンデルセン 介護保険みたいなものをつくると、すべて問題が起こるごとに保険でつくらなければならなくなります。どうしても保険制度でやるなら、いま存在している医療保険のなかに組み込んで介護をふくらませる方がいいと思います。それならパーセントを変えるだけでいい。
 そうでなければ、消費税の一部を市町村に配ってやった方がいい。保険制度をつくってしまうと、それを維持すること自体が目的になってしまう。
五島 老人保険については拠出制度もあるわけですから、老人保険のなかに含めることが一番現実的だと思います。
伊東敬文 地方自治体に消費税を渡して老人福祉に使ってもらえば、例えば〇・五%で一兆円です。人口六五歳以上一人当たり一〇万円ぐらい配れます。
五島 バブルで税収が一番伸びているときに、消費税が導入されたので、国民に強いアレルギーがあるのです。
伊東 今度税率を上げるなら、市町村にいく〇・五%なら〇・五%が見える形でやる。老人福祉計画もつくったのだから、それを実現する自主財源とする。厚生省ではなく、むしろ自治省との連携で起債も含めてやれば、〇・五%でもかなりの額になります。いま厚生省が要求しているのは三〇〇〇億円ですから、使いきれませんよ。
五島 〇・五%で一兆二〇〇〇億ほどですから。たしかに税が国民に見えるということが大事ですね。老人保険に消費税の〇・五%を注ぎ込むという方法もありますね。ただ「消費税反対!」と言ってきた経過があるので…。
伊東 だから堂々と言えばよいのです。消費税が一番いい。
五島 消費税が産業政策などに使われるのではないかという不安があるのです。
伊東 ある程度のリターンがあれば上げられますよ。一度はそれをやっておかないと、減税で全部を使ってしまったらアウトですよ。
五島 いろいろ参考になるお話をうかがいました。どうもありがとうございました。
(※コペンハーゲン大学社会医学研究所の伊東敬文先生に通訳をお願いし、議論にもご参加いただきました。1994年10月27日)

参議院選の結果を考える(1)2010/08/25

 今回の参議院選挙の結果の深刻さは、単に得票が減少したという「量」の問題にはとどまらないことだ。
 当たり前だけど、選挙はトップで受かってもビリで受かっても当選は当選。次点で負けても落選は落選。1位当選と2位当選は同じだけど、最下位当選と次点落選では天国と地獄ほどの差がある。当落の境目というのが大きな意味を持っている。
 今回の参議院の場合はこのラインは当選者1人当り約112万票だった。次点は109万だからその差は約3万しかない。330万票と230万票は100万票違っても結果は2人当選で同じ。230万票と220満票は10万満票の差だけど当選者の数が半分になってしまう。
 なにしろ最下位当選者が社民党の吉田さんだから、社民党は崖っぷちなのである。今回2議席に達したのはただの幸運。投票率がもう少し低かったら、あるいは新党ブームで票が分散することがなかったら、当選者1ということは十分にあり得たはずだ。ちなみに前回07年の1人当選ラインは110・9万票(次点は110・7万票)、前々回04年は107・8万票(次点は105・7万票)、01年は102・3万票(次点は100・5万票)であり、少しずつ上がっている。こうしたことを深刻に考えなくてはならないと思う。

 これが衆議院の比例の場合は11のブロックに分れるのでこの傾向がより顕著となる。ものすごく大ざっぱに言うと各ブロックの当選ラインは概ね30万~35万票、全国で約350万票程度。理論上、社民党の得票が各ブロック29万9999~34万9999票の349万89票あっても当選がゼロとなる可能性がある。
 ちなみに下記は、この間の衆議院総選挙における各ブロックの最低得票の当選者の得票すなわち当選ラインである。ダントツの得票を得た候補者がいるのか、当落選付近に団子になって分布しているのか、候補者を出す政党の数や定数の規模、選挙区の事情等によっても変わって来るが、概ね30万~35万票が当選ラインだ。

■衆議院比例ブロック別最低得票当選者の得票
ブロック別当選ライン

 つまり一定のラインを切ると死票がすごく増えてしまう。政党の配置やブロックの規模等によってかなり事情が違うが、ざっと全国700万票を越せると比較的安定して議席が獲得できるし、350万を切るといきなり困難な情勢に陥ってしまう。
 例えば00年の総選挙では比例区の社民党の得票が合計560万票で比例区から15人(選挙区4人)が当選できたが、03年は302万票で5人(同1人)、05年は371万票で6人(同1人)しか当選できなかった。ちなみに09年が306万票で4人(同3人)だ。00年は、37万票で1人を当選させることができたが、03年は60万票で1人同じく05年は62万票で1人09年は75万票で1人である。
 つまり、得票が減っているところに効率が悪くなるというダブルパンチを食らうのである。得票の減少に比例してじりじりと議席が減少するわけではなく、一定の水準を切るときに議席獲得の効率自身が下がるという「質」の変化が生まれてガクッと減っていく。
 社民党にとって次期総選挙がそういう選挙になる可能性が高い。今回の参院選の得票を、つかって次回の衆議院選挙の行方を予想してみたい。

参議院選の結果を考える(2)2010/08/25

 民主党は今回の参議院選挙のマニフェストに「参議院の定数を40程度削減と衆議院比例定数の80削減」掲げている。まだまだこの通りになるのかは分からないが、秋の臨時国会にも法案を出そうという動きがあるし、次回の総選挙が削減された定数で行なわれる可能性もある。
 この場合は、当選ラインが一気に上がることになる。
 下の表は、衆議院のブロック比例について、民主党マニフェストの通りに80減った場合と、何らかの妥協で削減幅が半分の40にとどまった場合の当選ラインを予測したものである。削減後の定数は現在の定数に機械的に180分の100をかけて四捨五入をして調整したもので、具体的な情報をもとにしたものではない。まあこんな感じかな、というくらいのもの。40減の想定も同じ。
 当該選挙の結果に関する党派別議席配分表で、最低得票の当選者の得票数を当選ラインとした。定数が削減された場合の予想定数順位の候補者の得票数である。実際には有力候補が競り合うような構造や、特定候補が圧倒的な得票してしまったような場合は、あまり変わらないように見えるとか、得票の配置次第でだいぶ変わってしまうのだけど、だいたいの傾向くらいはわかる。定数40削減の場合でだいたい5~10万くらい投票ラインは上がり、35万~45万くらいになる、定数80減だと10~20万程度あがって45~60万票程度になりそうだ。

■定数80減の場合、40減の場合の想定当選ライン
衆議院ブロック別当選ライン削減時

参議院選の結果を考える(3)2010/08/25

 今回の参議院選挙の結果をもとに、次期の衆議院総選挙における社民党について検討してみた。
 下の表はこの間の、参議院比例区の得票と、衆議院ブロック比例の得票の推移である。社民党は、2000年総選挙で土井たか子党首・渕上貞雄幹事長体制で、560万票・15人当選(比例、小選挙区当選4名を加え全体で計19名当選)を獲得し、分裂後の最大得票を得た。その後、渕上幹事長が福島瑞穂幹事長に交代し、土井党首・福島幹事長下で取り組んだ参院選挙は振るわず363万票・3人当選に留まった。
 さらに02年9月の小泉訪朝後の拉致問題に関する反社民党キャンペーンや辻元さんの事件も影響して約03年の選挙では17%減の約303万票に後退。これは01年の総選挙比で約46%減、獲得議席は3分の1となる大惨敗でる。この責任をとって、土井党首が辞任し、実務責任者であった福島幹事長が党首に昇進し現在に至っている。その後の選挙結果は一進一退ながらじりじり後退し、今回ついに224万票・得票率3・84%にまで落ち込んでしまった。
■社民党のブロック別得票の推移(クリックで拡大)
ブロック別得票推移
 この間、党員数、地方議員の数、支持労組の状況などどれをとっても後退を続けており、次期総選挙でV字回復を果たす条件があるともいえない。なんとか踏ん張って現状程度を維持できた場合どうなるのか、衆議院選挙の行方について具体的に検討してみたい。
 各ブロックのグラフの赤い棒はこの間の社民党の得票数の推移。青い棒は09年総選挙時の当選ラインと、定数が80削減された場合の当選ラインの予想だ。なお、グラフの上でクリックすると拡大する。

■北海道ブロック
 北海道ブロックは00年の総選挙で比例区から1人(山内惠子議員)を当選させたが、その後の選挙はじりじりと後退し、今回はついに10万台を切ってしまった。もともと北海道は旧社会党の勢力が強固だった地域で、これが現在の北海道民主党に引き継がれている。北海道民主党自身が旧社会党的志向性を色濃く残しているため、現在の社民党が独自性を表わしずらい状況がある。現行の当選ラインに達するためには得票の5倍増が必要であり、定数が削減された場合は得票を7倍増させなくては当選ラインに達しないが、こうした条件はまったく存在せず、ブロック比例で議席を得ることは事実上困難と考えざるを得ない。
北海道

■東北ブロック
 東北ブロックは旧社会党時代からの勢力の多くがいまだ社民党に残っており、九州ブロックと並んで社民党にとっての金城湯池とも言うべきブロックである。00年選挙では52万票近く得票しており、もう少しで2議席目を狙える位置にいたが、その後は低迷して今回は20万票を切ってしまった。比較的厚い基盤を持つはずの東北ブロックでこの成績はショックだ。このままでは次期衆議院選挙では議席を失う可能性が高い。
東北

■北関東ブロック
 北関東ブロックは00年選挙で52万票を獲得したが、その後は低迷し当落線上をさまよっている。05年衆院選では日森文尋議員が当選したが、その後は当選ラインに達していない。定数が20と比較的大きな選挙区であり、議席獲得の可能性も十分あるブロックであっただけに、北関東がこのまま後退していくのか、踏みとどまって議席の回復に繋げていけるのか正念場である。今回の22万票という結果では、当選ラインに遠く及ばない。
北関東

■南関東ブロック
 00年選挙では67万票を獲得し2議席を得たが、その後は後退を続けてきた。阿部知子議員は00年に当選してから、首の皮一枚の状態で議席を守ってきたが、今回の29万票弱という得票では議席を失う可能性もある。阿部議員の個人票も一定程度は期待できるだろうが、党の票が今回のように激減してしまえば議席を維持することは難しい。
南関東

■東京ブロック
 東京ブロックの得票は、北関東と同じように当落線近くをさまよっている。典型的な都市型選挙が中心なので、票の出方の予測も難しい。現状では当選ラインを下回っており、このままでは議席獲得は難しい。
東京

■北信越ブロック
 北信越ブロックは社会党勢力が伝統的に力を持っていた地域が多いが、00年に山口わか子議員を当選させてからは、当選ラインに達していない。今一歩という状況が続いていたが、今回は16万票強と当選ラインの半分ほどまで落ち込んだ。参議院新潟選挙区で近藤正道議員が議席を失うなど、あまり好材料は見あたらず、議席回復は困難な情勢である。
北信越

■東海ブロック
 東海ブロックは自治体議員の数も少なく、党組織の力量などから考えると、相対的にはよく得票してきたともいえるが、00年以来議席が獲得できておらずじり貧傾向が強まっている。今回の20万強という数字では議席獲得は難しそうだ。
東海

■近畿ブロック
 近畿ブロックは00年には84万票を獲得し、比例で3議席を獲得。小選挙区で土井党首と辻元清美さんが当選し、計5議席を得た。その後は比例1議席となったが、2議席を窺う1議席だった。05年には土井さんが比例単独候補として得票を35万票から62万票に倍増させるなど伸びシロのある選挙区でもあった。今回は初めて30万票を下回り当選ラインを下回った。近畿社民党の顔であった土井さんが引退し、辻元さんが離党するなど、好材料は見あたらず、このままだと次回の総選挙ではついに議席を失うという可能性が高まっている。
近畿

■中国ブロック
 中国ブロックは00年に金子哲夫議員が議席を獲得して以来、20万票以下に落ち込み低迷している。今回ついに10万票を切り、議席獲得は困難な情勢だ。地方議員が減り、党勢も縮小を続けるなかで、得票を3倍増させることが出来るとは考えられない。定数削減があれば6倍増させなければならず、いよいよ絶望的だ。
中国

■四国ブロック
 四国ブロックは定数が6という規模の小さな選挙区で、現行制度下で社民党議席を得たことがない。香川のように全国的にも力量のある県もあるが、四国全体でブロック比例の議席を得る見通しがなかなか立たないのが実情である。今回の参院選の得票は6・1万票であり、現行定数のままでも議席を獲得するためには得票を5倍に増やすことが必要。定数が削減されれば8倍増が必要となる。残念ながら四国でブロック比例の議席を得ることは絶望的だ。
四国

■九州ブロック
 九州ブロックでは00年には93万票を獲得し比例で3議席を獲得している。この時は小選挙区でも大分から横光克彦議員(後に民主党に移籍)、沖縄から東門美津子議員が当選し5議席を得た。03年にも比例で2議席を得たが、05年以降は1議席となっている。とはいえ1議席の当選ラインまではだいぶ余裕があり、場合によっては2議席目を窺いうる全国的に最も力量があるブロックである。沖縄県での得票もある程度期待でき、次期選挙でも1議席の獲得は有力である。ただし、定数削減が行なわれた場合は九州ブロックも安泰とは言えない。
九州

■小選挙区
 辻元議員の離党で社民党の小選挙区選出の議員は沖縄の照屋寛徳議員と、大分の重野安正議員の2人のみとなった。小選挙区の場合は多くの場合に民主党との選挙協力(棲み分け含む)を前提に、議席を狙うことになり、比例区での得票を得るための選挙とは求められる内容もだいぶ異なってくる。比較的小さな選挙区で1つの議席を争う小選挙区の選挙では、社民党の固有の主張を繰り返すだけでは苦しい。より広範な勢力を形成し選挙区の多数派を得るための戦略は、党を前面に出して戦う比例の選挙とは別に戦略を立てる必要がある。民主党と与野党に分れて戦う場合、自民党や公明党と組むことは難しいし、多くの選挙区で独自候補を出す共産党と組むことも難しい。民主党との選挙協力なしで単独で当選を狙えるのは現状では照屋寛徳議員くらいではないか。

■まとめ
 参議院選挙後も辻元議員の離党をはじめ悪材料が増えているなかで、現在の後退トレンドを転換することは容易ではない。常識的に予測すると頑張って頑張って現状維持程度ではないだろうか。その場合は、九州ブロックの1+小選挙区で照屋議員が当選できるかということになる。得票が現状維持でも定数が削減された場合は比例ブロックの当選はゼロとなる。定数が現状維持となり、今回の漸減傾向(マイナス25%程度、九州の場合でマイナス16%程度))が続いた場合にも九州が1議席を維持できるかは微妙となる。つまり次期衆議院選挙の当選者は小選挙区で照屋さんが小選挙区で議席を維持できるかどうか、九州が1議席を確保出来るかどうかということになる。

 現行定数の場合は、九州ブロックで1議席+小選挙区
 定数削減の場合は、ブロック比例はゼロ+小選挙区

 衆議院が議席ゼロとなる可能性は決して低くないのである。それほどの切迫した状況であり正念場だということを肝に銘じなくてはならないだろう。

引っ越しました2010/08/10

第1議員会館地下2階
 今日、引っ越しました。古い衆議院第一議員会館から、新しいに衆議院第二議員会館に。当初は8月3日には引っ越す予定だったのだけど、臨時国会が入ったためにずらして、遅くなってしまった。7月中旬には、議員事務所が引っ越して、旧会館には売店や食堂もなくなり、地下の連絡通路も閉鎖されてしまったので、旧会館地下には僕たちだけ、まるでゴーストタウンのようになっていた。
 僕は、昨日まで出張していたので同僚諸氏には迷惑をかけてしまったが、なんとか無事に引っ越すことができた。バンバン段ボールに詰めて、ただ単に持ってきただけなので、まだ何がどこにあるかわからない状態だけど、まあ閉会中だし、まもなく盆だし、明日からのんびり整理しますわ。

第22回参議院選挙の結果2010/07/12

 結局、第22回参議院通常選挙の結果は、社民党は2議席となった。2議席は2議席でもギリギリの2議席。比例区の総得票数が224万2736票、前回の参議院選挙の263万から15%減、前々回の299万から25%減という厳しい内容だ。
 同じ比例2議席といっても、3に届かず2となったのと、1になりそうなところを何とか踏みとどまった2ではまったく違う。今回の数字を衆議院のブロック比例に当てはめてみれば、たぶん九州以外は全滅になるのではないか。
 政権選択が可能な状況となれば、政権を担いうる大政党以外は苦しいことは当然かもしれないが、現にみんなの党は大躍進しており、十分な準備が出来たとは思えない新党改革、たちあがれ日本のような新党も議席を獲得している。準備不足だった、時間が足りなかったといういいわけはきかないだろう。

  当選者 選挙区 比例区 今回改選 今回非改選 新勢力

選挙前

民主 44 28 16 54 62 106 116
自民 51 39 12 38 33 84 71
公明 9 3 6 11 10 19 21
共産 3 0 3 4 3 6 7
国新 0 0 0 3 3 3 6
改革 1 0 1 5 1 2 6
社民 2 0 2 3 2 4 5
たちあがれ 1 0 1 1 2 3 3
みんな 10 3 7 0 1 11 1
幸福 0 0 0 0 1 1 1
諸派 0 0 0 0 0 0 0
無所属 0 0 - 1 3 3 4
121 73 48 120(欠員1) 121 242 241

 議席を3分の1に減らした2003年の総選挙を幹事長として取り仕切った後に党首となった福島党首。その後、党の総司令官としてとりくんだ国政選挙は04参、05年衆、07年参、09年衆、今回の10年参と連続5回の大敗北。その間の地方議員選挙も大きく減らし、党員数も、支持団体数も地方議員も大幅に減少してしまった。
 こうした事態を本当に真剣に総括することが必要だ。この間、毎回、「踏みとどまった。次はもっとガンバる。」という総括を繰り返してきたわけだが、これはもはや許さないのではないか。
 党全体の責任で、党首一人に責任を押しつけて済む問題ではない、という主張がまたまた党首周辺がら出ているけどどうかなあ。一億総懺悔といって、結局、天皇の戦争責任を曖昧にしてしまったのと同じではないかなあ。軍部の責任が重く、それを支えた多くの国民にも責任があり、天皇一人に責任を押しつけて済む問題ではかっただろうけど、だからといって天皇が戦争責任を問わずに済ませたのは、僕はやはり誤りだったと思っているわけです。天皇の人柄がどうだったかとか、個人として戦争をどう思っていたかとかは関係ないので。

  今回比例得票 今回得票率 07年得票率 04年得票率 01年得票率
民主 1845万 31.56 39.48 37.79 16.42
自民 1407万 24.07 28.08 30.03 38.57
公明 764万 13.07 13.18 15.41 14.96
共産 356万 6.10 7.48 7.80 7.91
国新 100万 1.71 2.15    
改革 117万 2.01      
社民 224万 3.84 4.47 5.35 6.63
たちあがれ 123万 2.11      
みんな 794万 13.59      
幸福 23万 0.39      

参院選投開票 ギリギリの2議席2010/07/12

22参院選
 森原選対によってから、本部4階のテレビで開票速報を見る。もう11時過ぎだったので、選挙区での議席獲得が困難な状況がはっきりしている。比例で福島党首が1議席を確実にしたが、その後はなかなか票が伸びず重苦しい雰囲気が充満している。
 事前の世論調査等の分析で225万票前後という数字が頭にあったが、225万では2議席目に届くかは微妙。12時過ぎくらい、開票率10数パーセントの時点で、そのままの割合で全部開いても200万票くらいしか行かないのじゃないかという、勢いだった。
 民主党の結果も思わしくなく、自民党が復調とのことで、社民党も2議席は厳しそう…。えーい、もういいや、ということで帰っちゃおう、と。車で、森原候補や、ウサミさん、ニイツさんを送り届けて3時頃に帰宅。
 テレビやネットを見ても社民党比例はいぜん1。チャンネルちゃかちゃか回していると、お、お、2になっているところがあるぞ。お、お、おぅ、と、うろうろしていたら2議席めがとれた模様。吉田さんだな。おーおーらっきー、ということで寝ました。
 朝刊ではなぜか1となってたりして、本当にギリギリ滑り込んだ感じがありあり。実際、吉田さんは48番目、最後の議席でした。社民党の総得票224万3千をドント割2で112万1千票。47番目はみんなの党の7人目・桜内文城氏、ドントで113万4千票。次点は公明党の7人目、ドントで109万1千票。社民党票があと(3万×2=)6万票少なければ、社民2人目ではなく公明党7人目に議席が行ったということになる。
 3議席獲得までは、113万4807×3+1-224万2736=116万1686票が必要なんだそうです。3議席はだいぶ遠くなってしまった。

  みんなの党 社民党 公明党
  794万3650 13.6% 224万2736 3.8% 763万9432 13.1%
÷1 734万3600 4 224万2736 22 763万9432 5
÷2 397万1825 10 112万1368 48 381万9716 11
÷3 264万7883 17 74万7579 72 254万6477 19
÷4 198万5913 25 56万0684 99 190万9858 26
÷5 158万730 31 44万8547 125 152万7886 34
÷6 132万3942 37 37万3789 143 127万3239 40
÷7 113万4807 47     109万1347 49
÷8 99万2956 55     95万4929 57
÷9 88万2628 61     84万8826 64
÷10 79万4365          

JR不採用問題が解決2010/06/28

解決礼状
 6月28日、JR不採用事件で和解が成立した。
 1987年の国鉄分割・民営化の際に、国労や全動労などの組合員1047人がJRに採用されず国鉄清算事業団(当時)に移行、90年4月には国鉄清算事業団からも解雇された。労働者側は闘争団を組織して抵抗。90年代には、国労などが各地の地方労働委員会に救済を申し立て、各地労委は相次いで87年にさかのぼって採用することなどをJR側に命令した。中央労働委員会も北海道や九州の事件で、①不当労働行為が一部成立しJRに責任ある、②「相当数」を3年以内に就労させろ、などとする救済命令を出した。
 こうした状況をうけ、社民党が労組側の意向を受けて自民党・公明党・保守党の(当時の)与党3党と協議し2000年5月、「JR不採用問題の打開について」(いわゆる「4党合意」)に合意。しかし、この「4党合意」の方向は労働者側にとって納得のいく水準とはならず、この受け入れをめぐり国労内が大混乱に陥る。3回の全国大会や全組合員一票投票を経て、2001年1月に4党合意に基づいて政治的解決をめざす新執行部が発足したが、結局、2002年12月には国労組織内の混乱を理由に与党3党が「合意」から離脱、四党合意路線は破綻した。2003年12月には、最高裁判決がJR側の使用者責任を否定した。
 この後、解雇された組合員らのうち約900人が、国鉄清算事業団を引き継いだ「鉄道・運輸機構」を相手に損害賠償などを求めていた裁判が、今回和解に至ったもの。政権交代で社民党が政権に入ったことによる、数少ない「成果」の一つといえるかもしれない。
 政権交代後に与党3党と公明党はJR不採用問題に関する協議を行ない、和解金を約2400万円とする解決案を3月18日に政府に提出。この内容は、遺族を含めて1人平均2406万5000円の和解金を910世帯に支払というもので、総額は218億9900万円。昨年の東京高裁判決で示された慰謝料550万円に23年分の金利1182万5000円、分割民営化時の離職者への就職支援金から算出した救済金1224万円を合計したものだ。
 これに政府側から異論が出て約200万円減額されたものが今回の和解水準。4党案が求めたJRへの約200人の雇用については政府は努力するが保証は出来ないとされ、不採用者が設立した18の事業会社に対する支援金10億円の支払も削られた。
 この政府解決案を、4月12日に4者(国労闘争団全国連絡会議、鉄建公団訴訟原告団、鉄道運輸機構争訟原告団、全動労争議団・鉄道運輸機構訴訟原告団)4団体(国鉄労働組合、全日本建設交運一般労働組合、国鉄闘争支援中央共闘会議、国鉄闘争に勝利する共闘会議)が正式に受け入れたのを受けて、前原大臣が(しぶしぶながら)旧国鉄(現・鉄道建設・運輸施設整備支援機構に引継ぎ)に、和解協議を行なうよう指示したのである。
 28日午前には、最高裁第3小法廷で那須弘平最高裁裁判長立ち会いの下和解調印式が行なわれた。1世帯当たり約2200万円の解決金は、和解に応じた904世帯で計約199億円に及ぶが、実際の支払額はこれまでの裁判で支払われた賠償金など約29億円を差し引いた約170億円。不採用問題について組合側は今後争わないとすること、原告と被告の間に今回の和解内容以外に債権・債務がないことを相互に確認した。
 なお、和解金は、旧国鉄職員の年金支払いなどに充てられている支援機構の特別会計「特例業務勘定」の1兆3000億円の利益剰余金から支払われる。
―――――――――――――――――――――――――――――

【鉄道・運輸機構といわゆる1047名問題の原告904名との間の最高裁における和解の内容(概要)】


1、解決金の支払いl ・鉄道・運輸機構は原告側に対し、解決金として、総額約170億円(注)を、平成22年6月30日限り支払う。
(注)平成22年4月9日に四党から申し入れのあった解決案に沿った金額約199億円から、原告側がこれまでの判決に基づき鉄道・運輸機構から支払いを受けた金額約29億円を差し引いた金額

2. 訴えの取下げ
・原告側は、平成22年6月30日限り、各訴えを取り下げる。
3. 請求の放棄、将来の不係争、債権債務の不存在
・原告側は、鉄道・運輸機構に対するその余の詰求を放棄する。
・原告側は、国鉄改革に伴うJRへの不採用に関する不当労働行為及び雇用の存在について、鉄道・運輸機構に対して今後争わない。
・鉄道・運輸機構及び原告側は、その他本件に関し何らの債権債務のないことを相互に確認する。
―――――――――――――――――――――――――――――

いわゆる1047名問題に関する和解の成立について


平成22年6月28日
国土交通大臣談話

1、本日、最高裁判所において、鉄道・ 運輸機構といわゆる1047名問題の原告のうち904名との間で、裁判上の和解が成立いたしました。

2、この問題については、本年4月9日、民主党、社会民主党、国民新党及び公明党の四党から、人道的観点からの解決案について申し入れがありました。
 政府としては、同日、四者・四団体(原則原告団910名全員)が、次の事項について了解し、その旨を正式に機関決定することを条件として、これを受け入れることを表明しました。このことは、四党も了解されたところです。
① 解決案を受け入れること。これに伴い、裁判上の和解を行い、すべての訴訟を取り下げること。
② 不当労働行為や雇用の存在を二度と争わないこと。したがって、今回の解決金は最終のものであり、今後一切の金銭その他の経済的支援措置は行われないこと。
③ 政府はJRへの雇用について努力する。ただし、JRによる採用を強制することはできないことから、人数等が希望どおり採用されることは保証できないこと。
 その後、5月17日、四党から、原告のうち904名について、それぞれこの条件について了解し、受け入れることを承諾する旨の文書が提出されたことを受け、5月18日には、政府としてこの解決案を正式に受け入れ、同日、私から鉄道・運輸機構に対し、この解決案に沿って問題の最終解決を図るべく、裁判上の和解を行うよう指示していたところです。

3、今回の和解の内容は、四党から申し入れのあった解決案及び政府と四党で了解した解決案受け入れの条件に沿ったものです。6月30日には、鉄道・運輸機構から原告に対し解決金が支払われるとともに、原告は訴訟を取り下げることとなります。

4、四党から解決案について申し入れがあった際にも申し上げましたが、国鉄改革は、経営が破綻した国鉄を分割民営化することにより、その鉄道を我が国の基幹的輸送機関として再生することを目的とした戦後最大の行政改革と認識しており、23年以上を経た今日、国鉄改革は、国民に対して大きな成果をもたらしたものと考えております。
 しかし、一方で、国鉄改革は、約7万4千人の方が鉄道の職場を去り、鉄道の職場に残られた方々でも、約5400人の方々が北海道、九州を離れ、本州の地で生活を始めなければならなかったなど、大きな痛みを伴いました。国鉄改革は、こうした方々のご理解とご協力、そして現在まで続くご労苦の上に初めて成り立ったものであり、改めて深く敬意を表します。

5、こうした中、本問題は、当時の国鉄によるJRへの採用候補者名簿不登載に端を発し、最終的に平成2年4月1日に国鉄清算事業団を解雇された方々と国鉄清算事業団(現鉄道・運輸機構)との間で争われてきたものです。解雇から20年以上が過ぎた今、多年にわたる争いがほとんどの原告との間で終結したことは、人道的観点から喜ばしいことであります。

6、国土交通省としては、今後とも、未だ完全民営化を果たしていないJR三島会社(JR北海道・四国・九州)やJR貨物の経営の自立をはじめ、国鉄改革に関する未解決の課題への取組みを強化し、その完遂に全力を挙げてまいります。

―――――――――――――――――――――――――――――
 JR不採用事件は戦後最大の労働問題とも言われ、国際労働機関(ILO)からもたびたび「公正な解決」が勧告されてきた長年の課題であった。
 今回の和解は、不当労働行為自体を問わず金銭で解決するもので、その水準も23年間の苦労を考えると決して十分なものとはいえない。名誉回復もあいまいだし、再雇用についても「政府が努力する」としたのみで何も担保されない。これを受け入れたのは23年の闘いに疲れ、原告が高齢化する中での苦渋の選択だろう。原告のうち6人は和解に加わらず引き続き争う意向だという。
 不当労働行為をやった旧国鉄幹部や、やらせた政府の責任は一切問わず、JRに雇用されず気の毒なのでお金をあげましょう、というのはやっぱ納得はいかないわなー。結局、「ヤリ得」にになってしまう。それでも、ここで一応の解決にこぎ着けたことはよかったと言わざるをえない。正直いって、このまま何年も戦い続けても、たぶん今回以上の地点に到達することは出来なかっただろうし、闘争団にダメモトで永遠に闘い続けろというわけにはいかないよ。JRは、せめて雇用くらいはちゃんと対応してもらいたいもの。
 国鉄分割民営化当時は僕は大学生で、中曽根反動攻勢と闘わねばと思って、よく国労支援の集会にも行ったものだった。あまりにも露骨でヒドイ、と。でも、時が過ぎるにつれ怒りも風化し、その後主体的に関わることなしに、被解雇者たちの闘いをを横目で見てきたというのが正直なところ。23年間の当事者やその家族、支援関係者のご苦労を思うと本当に頭が下がるわ。
 中曽根内閣の行革路線の核とされた国鉄改革は、明らかな国家的不当労働行為だったし、総評・社会党ブロック解体を意図したものであったことは、後に中曽根元首相も認めている。国労解体は、現在の社に民党のていたらくに至る道のはじまりであったことを考えると、23年目のこの解決は感慨深い。

法務省政府三役が人権侵害救済法案を受け入れ2010/06/22

新たな人権救済機関の設置について(中間報告)
 6月22日、法務省政府三役は「新たな人権救済機関の設置について(中間報告)」を発表した。①「政府からの独立性を有し、パリ原則に適合するものとして、人権委員会を設置する」こと、②「人権委員会は内閣府に設置することを念頭」におくこと、③「報道機関等による人権侵害については、特段の規定を設け」ずに、今後の検討課題とする。といった内容。
 これは自公政権時代の旧人権擁護法案への私たちの批判に対してほぼ応えるものであり歓迎したい。2002年の第154国会に閣法として提出され、2003年10月の衆議院解散により廃案となった人権擁護法案は左右からの批判に挟まれて身動きがとれなくなっていた。右からの批判は、朝鮮籍の人や部落解放同盟の人が人権委員になるのはケシカランとか、定義があいまいで逆差別が行なわれるんだという差別意識丸出しのものだったが、左からも法務省の外局では実効性がないとか、報道の萎縮をもたらす可能性があるではないかといった批判が出ていた。
 社民党は当時の民主党、自由党と三党で実務者の会合を重ねて、対案作りに取り組み「人権侵害による被害の救済及び予防等に関する法律案」としてまとめた。その後、民主党が提案している人権侵害救済法もほぼこの内容を踏襲している。煮え切らなかった法務省政府三役も、ようやくこの方向で腹をくくったというだろう。この見解を前提に、後退することなく前向きな検討がすすめられることを期待したい。

 なお、人権擁護法案への対案について三党で以下の6点について合意していた。
 ①新たに設置する人権委員会は、「パリ原則」に沿った独立性を備えたものとするため、内閣府の外局とすること。
 ②人権救済の実効性を確保するため、都道府県ごとに「地方人権委員会」を設置すること。
 ③人権委員会の構成は、国・地方とも、ジェンダーバランスに配慮し、NGO関係者、人権問題・差別問題に精通した人材を充てること。
 ④救済手続は、任意性を基本とした「一般救済」の他、制裁を伴う調査、調停、仲裁、勧告、公表、訴訟援助、差止請求など、強制性を備えた「特別救済」とすること。
 ⑤「特別救済」は、報道の自由その他の憲法上の要請と抵触しないものとすること。
 ⑥人権擁護委員制度については、抜本的な制度改革を行い、国や都道府県に設置される人権委員会と十分連携をとりながら、地域での効果的な活動ができるようにすること。
(2003年7月10日了承)

 ③④⑤⑥などは積み残されているが、最大の懸案だった①が了とされたことは非常に大きい。なお「パリ原則」とは「国内機構の地位に関する原則」(国連人権委員会決議92年3月3日/国連総会決議93年12月20日)のことで、国内人権擁護機構の権限や責務等の原則について定めたもの。