中国へ植樹の旅2012/04/24

日中友好21の会の第12次植樹訪中団に家族で参加した。
日中友好21の会は民間の日中友好運動団体だが、元社会党副書記長の曽我祐次さんが会長を務め、社民党・旧社会党関係者とくに品川総支部の仲間が中心で運営している団体だ。12年前から毎年春に(昨年は震災のため秋に延期)中国を訪問して植樹を行なっており、「曽我団」とも称される恒例行事となっている。まあ、一度は行ってみるかと前から思っていたものだ。
第1回から10回までは陝西省咸陽市で行なったが、2011年からは河南省衛輝市に場所を変えて継続している。今回は2回目の衛輝市で植樹の後、後半は雲南省の観光。4月19日から24日まで、国会開会中に平日4日間も休むのは気が引けないでもないが、まあいいや。ちなみに自費参加だから、3人分60万円強です。とほほ。
4月19日は移動日。羽田→上海→鄭州→新郷。
4月20日は朝から植樹。衛輝市の唐荘鎮西山というところ。
河南省衛輝市植樹現場
植樹現場。結構手が入っていて、植えるばかりになっている。しかも実はすでに地元の農民の方々が穴を掘って、苗木を準備してくれている。あとは土をかぶせるばかりという至れり尽くせりなのだ。
土をかける
それでも高齢者が多いのでへろへろになっている人もいる。子どもはすぐに飽きてしまって、あたりを走り回るだけ。結局、農民の方に手伝っていただいた部分が非常に多く、マンパワーとしてはわざわざ日本から行ったほどの意味はないなぁ。日中友好という理念を大切にしましょうということだな。
38名の訪中団
御年86歳の曽我団長以下、最年少が10歳のうちの娘、全部で38人の訪中団。迷子にならなうよう、このどぎつい緑のジャンパー着用が義務づけられ、うちの家族にはかなり不評だ。
この後、衛輝市の唐荘鎮西山コミュニティ小学校を訪問し交流。文房具やサッカーボールなどを寄贈する。立って話しているおじいさんが曽我さん。
唐荘鎮西山コミュニティ小学校
その後、衛輝市内で市長の歓迎宴。鄭州に戻ってから、空港近くの凱芙建国ホテルで河南省の外事弁公室副主任の宴。中国の政治家の一つのパターンだが、どちらとも「カンペー、カンペー」ってご機嫌でどんどん飲む。酒に強くないと中国の政治家は務まらんなと思ったが、実際は下戸の人もおり、物静かな人も、謹厳実直なタイプもいるそうで、まあそりゃそうですな。河南の郭副主任には「北国の春」をアカペラで披露していただきました。なかなか上手。
21日は移動日。鄭州→昆明→麗江。
回るテーブル
麗江で夕食。子どもは回るテーブルが好き。まあ、僕も好きです。回るの。その後、古城の中のホテルまで、ガイドさんに古城内を引き回される。
僕は9年前にも麗江・古城に来たことがあるのだが、だいぶ観光地化が進んだ印象。派手な音楽を鳴らしているバーがならび、ケンタッキーとかハーゲンダッツとか外資系の店舗が多くなったような気がする(←厳密に数えたわけではない)。世界遺産になって、豊になった中国人のあこがれの観光地になっているとのこと。
麗江古城で
ナシ族が他の少数民族の影響を受けながら作り上げた麗江・古城。趣のある景観を再び見るのを楽しみにしていたのだが、テーマパーク化が進んだ感じで少しさびしい。ホテルに着いたのは11時過ぎでみなへろへろ。
20元の織物を買う
翌朝は玉龍雪山へ。娘は古城の路上で売りつけられた20元の織物を羽織ってご機嫌です。玉龍雪山は結構寒いのでちょうどよかった。
以前は直接車で麓に乗り付けて、スキー用のリフトのようなもので山頂近くまで行ったと記憶しているが、世界遺産になって観光客が増えたとかで施設もかなり整備され、輸送力が増強されている。だいぶ手前で「エコバス」に乗り換えて麓に行って、8人乗りのゴンドラで上って、そこから電動カートに乗る。いちいち行列でなかなかすすまんのです。
玉龍雪山でヤク牛
9年前に来たときとは様変わりで驚く。建物の表示によると、2008年頃にリニューアルしたみたい。ヤク牛がうろうろしているのはかわらない。
玉龍雪山
後ろが玉龍雪山。ナシ族の信仰の対象でもある。標高は5596メートルでシャングリラより低いものの急峻な地形のため人類未踏の処女峰だとのこと。ロープウェーや電動カートで上れるのは4500メートまで。さすがに結構寒いです。9年前に来たのは8月で、同じところまで来たのだが、霧がかかっていて玉龍雪山の山頂は見えなかった。今回はハッキリ見えたので運がいいらしい。
玉龍雪山から下りて白沙へ。有名な壁画を見た後、街を散策。街中の食堂で昼食をとる。
白沙
昼食後は美術品を売っている店によってから東河古鎮へ。距離的にはすぐそばのようで、バスで10分程で到着。古城ほどではないけ白沙も東河古鎮も、かなり観光地化しているなぁ。東河古鎮では高倉健の「単騎、千里を走る」のロケが行なわれたそうで、日本人の観光客が増えているんだそうです。
東河古鎮
ガイドさんが「ちゃまこーど、ちゃまこーど」って言ってたがなんだろうと思っていたら、このあたりは「茶馬古道」といって雲南とチベットを結ぶ交易路だったそうな。唐の時代から雲南の茶と、チベットの馬の貿易があって、茶馬古道は「もうひとつのシルクロード」とも言われるらしい。雲南からラサまで2000キロ程の道程だったとのこと。子どもは馬車に乗って大喜びだったが、僕はデジカメを落として壊してしまいガックり。ここからは予備の別カメラ。
翡翠の土産物屋に連れて行かれた後、再び古城に。ナシ族のガイドのお姉さん、すぐに土産物店に連れて行こうとするんだわ。
麗江で夕食のあと、麗江駅に。麗江から昆明までは夜行列車で1泊。10時少し前に麗江駅を出て朝7時頃昆明駅に到着。子連れだからとVIPルームを割り当ててもらったが、それでも狭い狭い。まあ、子どもは大喜びだし、星を見ながら眠る夜行列車の旅も良い経験となった。昆明から30時間以上かけて北京に行くような列車も普通にあるようで、寝台列車はめずらしくないとのこと。
昆明駅
↑昆明駅で大量の荷物を運ぶポーターさんに見とれる。
4月23日。昆明駅近くのホテルで朝食後、西山竜門に。清代に神のお告げを聞いた僧が70年以上かけて作りあげたとかで、道教信仰の中心だと。「竜門」は「登竜門」の語源だそうで、触ると出世するらしい。一応ぐりぐり触っておいた。長い石段を登っていくと、昆明湖を一望する絶景スポットとなる。
目的地の近くまで行って、エコバスに乗り換えて、さらに電動カートに乗り換えてすすむというのは、中国の観光地の最近のパターンになっているような感じだ。歩いて上る信者らしき集団とすれ違う。
西山竜門
この後、バスに乗り石林へ。昆明市街から100キロほど東にある名勝地で、海の底だったところが2億7000年かけて隆起した石灰岩のカルスト台地だ。長年の風化で石の林のようにも見え、2007年には世界遺産に認定されている。
石林
とにかく、ものすごい人。昆明からバスで1時間以上かかり、さらに電動カートを乗り継いで来るのだが、中心部はどこから来たのか通勤ラッシュの駅のホームのような混雑だ。
石林ではしゃぐ
まあ、石の林のような石林の景色は興味深いもので、一度は見ておいて損はない。こういう機会でもないとなかなかここまで来ないような気もするし。
石林の景色
と、いうことで石林一通り見てから、昆明に帰って最後の晩餐。翌24日は、上海経由で帰国だ。
そもそも5泊6日で、河南省から雲南、麗江というのはかなり苦しい日程だ。移動の時間が長く、1泊は寝台列車泊というハードな旅を、高齢者中心のこの訪中団でよくやったなというのが正直なところ。受け入れてくれた中連部(中国共産党中央対外連絡部)には相当なご苦労をおかけしたかなーと思います。ありがとうございました。
僕は9年前に北京、上海と雲南・麗江に来たことがあるのだが、その時と比べてだいぶ変わったように感じた。全体に人が多くなって、どこに行っても混雑がひどい。人口が急に増えたわけではないので、やはり経済成長によって観光に行く人が増えてきたというのは本当だなー、人間の移動が活発化しているのだなーということを実感した。
高度経済成長期の農協旅行のような(←勝手なイメージですが)団体旅行でぞろぞろ歩くのは、団体行動が苦手なつれあいと子どもにぶーぶー言われたけど、僕的にはお任せで気楽な面もあってたまにはアリかな、って感じでした。