被爆66周年原水禁世界大会はじまる2011/07/31

 7月31日、被爆66周年原水爆禁止世界大会がはじまった。今年の大会は、福島大会からスタート。3月の福島第一原発事故を受けて、福島大会を開くことが決まった。
 例年、原水禁大会は8月4日~6日が広島大会、7日~9日が長崎大会というスケジュールが恒例。広島大会前に国際会議を東京・京都や広島などで開いたことや、長崎大会の後に沖縄大会を開いたことはあったが、東北地方で原水禁大会を開くのはもちろんはじめて。今年は、長崎大会後に11日に沖縄大会もある長丁場だ。
 もともと福島第一原発事故への対応でてんてこ舞いのところ、急遽決まった初めての大会受け入れ、さらにこの日は震災の影響で遅れた福島市議会議員選挙の投開票日。大丈夫かいな、と実は思っていたんだわ。全国からの参加者にはフィールドワークなどの企画もあったが、僕はとりあえず日帰りで様子を見に行ってきた。
 13時から、福島駅からも近い「街なか広場」で、「放射能のない福島を返せ!原発のない福島を求める県民集会」。福島県平和フォーラムが主催したもので、前段集会的な位置づけだ。雨が降ったり止んだりのあいにくの天気の中、会場一杯の1700人が集まった。
県民集会
 お約束の、福島県平和フォーラムの竹中柳一代表の主催者あいさつ、原水禁国民会議の川野浩一議長の連帯あいさつに次いで、各地からの現状報告。計画的避難地域に指定された飯舘村の青年、警戒区域になった浪江町から南相馬市に避難している教員、郡山市の母親から報告。今後の運動提起を原利正・県平和フォーラム事務局長が行なった。
 いやいや、盛況なのはいいが、入りきらない人が会場からあふれている。ステージの音も後ろの方だと今ひとつ聞き取れないし。ちょっと、会場が狭かったんではないべか。全国から社民党の仲間や原水禁の仲間が集まっているので、うろうろしながら世間話をして歩く。
 集会アピールの確認後、繁華街を一周するデモ行進。集会には、韓国、台湾、タイ、インドなど、アジア各国からも活動者が参加していたとのこと。
平和行進
 本大会は15時から、駅前の辰巳屋ホテル・ホール。黙祷の後、川野浩一原水禁議長、竹中柳一・県平和フォーラム代表のあいさつに次いで、藤本泰成原水禁事務局長からの大会基調提起。双葉地区原発反対同盟の石丸小四郎さんの現地報告に次いで、作家の鎌田慧さんの講演「福島第一原発事故のもたらしたもの~3・11以降の世界」。
 鎌田さん、木訥となかなかいい話。広島に原爆が落とされても日本はすぐに戦争を止められず、長崎にも原爆が落とされてしまった。われわれも福島原発の事故を見ても、原発を止められていない。また事故が起きてからでは遅い」と、『さようなら原発1000万人アクション』の署名や9・19集会への参加を訴えた。関係ないけど、田さんの『日本の原発地帯』を、20年以上前に読みました。名著です。僕の原発理解の基本になっています。
鎌田慧
 鎌田さんの話の後、3人から連帯メッセージ。
 長崎で被爆した奥村英二さん(長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会事務局長)、1954年にビキニ環礁でヒバクした大石又七さん(元第五福竜丸乗組員)、チェルノブイリ原発事故の被災者支援をするアントン・ブドビチェンコさん(NGOラジニシ・チェルノブイリの子どもたち)らが発言。時間が短かったのが残念でしたが、、みなよい発言でした。
会場風景
 参加者850人。会場は超満員で、最前列の前にまで座り込む。資料も足りない。
 震災に加え、市議会議員選挙の投票日ということもあって、公的な場所が借りられず、大きい会場が確保出来なかったのこと。こうギュウギュウでは困るけど、まあスカスカよりはいいかな。
 広島大会まで数日あるので、いったん帰る人がほとんどのようだけど、流れていく人にとっては12日間の長い長い原水禁大会。ぜひ成功させたい。