大田リョウのこと2010/10/03

大田リョウさん
 10月3日は、大切な友人・大田リョウの命日だ。
 大田リョウは2002年10月3日に、39才の若さで病死した活動家。元テキ屋、反天皇制全国個人共闘<秋の嵐>のメンバー、救援連絡センター事務局員、中核派に籍を置いていたこともある。セクシャルマイノリティーや表現の自由に関する活動家、高円寺のガード下の占い師と、いわゆる「活動家」の枠に収まらない謎の存在だった。本名、木村美治。大田リョウというのは元トロツキストの「太田竜」からとったらしい。別に太田竜を支持していたわけではなさそうなので、たぶんゴロがよかっただけだろう。
 僕が知り合ったのは<秋の嵐>の活動を通じてだった。大田は原宿のホコ天にトラメガを持ち込んで、通りがかった人に自由に話させる「スピーカーズコーナー」という行動を組織して、X-day後の弾圧を経て停滞していた<秋の嵐>の活動を盛り上げた。テキ屋仕込みの彼の口上がなければ、スピーカーズコーナーの成功は無かったはず。<秋の嵐>中興の立役者だ。もっとも大田リョウが<秋の嵐>として活動したのは主に90年10月頃から91年5月頃で、僕は天皇X-day弾圧のあった89年夏くらいには<秋の嵐>の活動からは離脱していたので、直接いっしょの活動をしたわけではないのだが。
 大田リョウは僕の知っている活動家の中で最も「バカ」でそして最もやさしい人間だった。小利口で計算高いタイプの僕にとって、彼のような常識にとらわれないバカさ加減はうらやましくもった。実際、世の中を動かすのは大田のようなバカヤローなんだよ。
 大田リョウのエピソードを語れば限りない。例えばエイプリルフール警視庁乱入事件。90年4月1日、大田は単身で桜田門の警視庁本庁に乱入したのである。数ヵ月前に中核派の活動家の女性が屈辱的な身体捜索を受けたことへの抗議だった。宿直の警官に「警視総監に会わせろ、いなければここで一番偉い奴を出せ」とわめき散らし、小馬鹿にしたように「一番偉いのはオレだよ」と言った警官を殴り飛ばしたのだ。その場で逮捕され起訴された。当然だよね。バカとしか言いようがない愚かな行為だけど、妙に小気味よく感じてしまう。不器用でやさしい大田リョウにはそれしか出来なかったんだよ。
 大田リョウが死ぬ数日前、しばらく風呂に入っていないから入りたいというので、彼のアパートに行った。大勢の仲間が心配して連日集まっていたけど、車を持ってる人がいなかったので僕が呼ばれたんだね。風呂付の部屋に住んでる友人の家まで乗せていって、ゆっくりねと待っていた。1時間以上しても出てこないので、大丈夫かなってのぞいたら、一生懸命掃除してるんだよ。風呂を。腹水がたまって歩くことさえままならない状態で、這いつくばって掃除をしていた。「そのくらいしかお礼できることがない」と。こいつクルクルパーだな、って涙が出たよ。
 大田リョウがいなくなって、世の中、確実につまらなくなった。結局、僕は彼のことが好きだったんだよね。

※「馬の骨」、<秋の嵐>と行動を共にした鹿島拾市が、山本夜羽音のブログ「DOXA:独立左派」に大田リョウのことを書いている。
「馬の骨」のころ・後編:http://d.hatena.ne.jp/johanne/20040528