JR不採用問題が解決2010/06/28

解決礼状
 6月28日、JR不採用事件で和解が成立した。
 1987年の国鉄分割・民営化の際に、国労や全動労などの組合員1047人がJRに採用されず国鉄清算事業団(当時)に移行、90年4月には国鉄清算事業団からも解雇された。労働者側は闘争団を組織して抵抗。90年代には、国労などが各地の地方労働委員会に救済を申し立て、各地労委は相次いで87年にさかのぼって採用することなどをJR側に命令した。中央労働委員会も北海道や九州の事件で、①不当労働行為が一部成立しJRに責任ある、②「相当数」を3年以内に就労させろ、などとする救済命令を出した。
 こうした状況をうけ、社民党が労組側の意向を受けて自民党・公明党・保守党の(当時の)与党3党と協議し2000年5月、「JR不採用問題の打開について」(いわゆる「4党合意」)に合意。しかし、この「4党合意」の方向は労働者側にとって納得のいく水準とはならず、この受け入れをめぐり国労内が大混乱に陥る。3回の全国大会や全組合員一票投票を経て、2001年1月に4党合意に基づいて政治的解決をめざす新執行部が発足したが、結局、2002年12月には国労組織内の混乱を理由に与党3党が「合意」から離脱、四党合意路線は破綻した。2003年12月には、最高裁判決がJR側の使用者責任を否定した。
 この後、解雇された組合員らのうち約900人が、国鉄清算事業団を引き継いだ「鉄道・運輸機構」を相手に損害賠償などを求めていた裁判が、今回和解に至ったもの。政権交代で社民党が政権に入ったことによる、数少ない「成果」の一つといえるかもしれない。
 政権交代後に与党3党と公明党はJR不採用問題に関する協議を行ない、和解金を約2400万円とする解決案を3月18日に政府に提出。この内容は、遺族を含めて1人平均2406万5000円の和解金を910世帯に支払というもので、総額は218億9900万円。昨年の東京高裁判決で示された慰謝料550万円に23年分の金利1182万5000円、分割民営化時の離職者への就職支援金から算出した救済金1224万円を合計したものだ。
 これに政府側から異論が出て約200万円減額されたものが今回の和解水準。4党案が求めたJRへの約200人の雇用については政府は努力するが保証は出来ないとされ、不採用者が設立した18の事業会社に対する支援金10億円の支払も削られた。
 この政府解決案を、4月12日に4者(国労闘争団全国連絡会議、鉄建公団訴訟原告団、鉄道運輸機構争訟原告団、全動労争議団・鉄道運輸機構訴訟原告団)4団体(国鉄労働組合、全日本建設交運一般労働組合、国鉄闘争支援中央共闘会議、国鉄闘争に勝利する共闘会議)が正式に受け入れたのを受けて、前原大臣が(しぶしぶながら)旧国鉄(現・鉄道建設・運輸施設整備支援機構に引継ぎ)に、和解協議を行なうよう指示したのである。
 28日午前には、最高裁第3小法廷で那須弘平最高裁裁判長立ち会いの下和解調印式が行なわれた。1世帯当たり約2200万円の解決金は、和解に応じた904世帯で計約199億円に及ぶが、実際の支払額はこれまでの裁判で支払われた賠償金など約29億円を差し引いた約170億円。不採用問題について組合側は今後争わないとすること、原告と被告の間に今回の和解内容以外に債権・債務がないことを相互に確認した。
 なお、和解金は、旧国鉄職員の年金支払いなどに充てられている支援機構の特別会計「特例業務勘定」の1兆3000億円の利益剰余金から支払われる。
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【鉄道・運輸機構といわゆる1047名問題の原告904名との間の最高裁における和解の内容(概要)】


1、解決金の支払いl ・鉄道・運輸機構は原告側に対し、解決金として、総額約170億円(注)を、平成22年6月30日限り支払う。
(注)平成22年4月9日に四党から申し入れのあった解決案に沿った金額約199億円から、原告側がこれまでの判決に基づき鉄道・運輸機構から支払いを受けた金額約29億円を差し引いた金額

2. 訴えの取下げ
・原告側は、平成22年6月30日限り、各訴えを取り下げる。
3. 請求の放棄、将来の不係争、債権債務の不存在
・原告側は、鉄道・運輸機構に対するその余の詰求を放棄する。
・原告側は、国鉄改革に伴うJRへの不採用に関する不当労働行為及び雇用の存在について、鉄道・運輸機構に対して今後争わない。
・鉄道・運輸機構及び原告側は、その他本件に関し何らの債権債務のないことを相互に確認する。
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いわゆる1047名問題に関する和解の成立について


平成22年6月28日
国土交通大臣談話

1、本日、最高裁判所において、鉄道・ 運輸機構といわゆる1047名問題の原告のうち904名との間で、裁判上の和解が成立いたしました。

2、この問題については、本年4月9日、民主党、社会民主党、国民新党及び公明党の四党から、人道的観点からの解決案について申し入れがありました。
 政府としては、同日、四者・四団体(原則原告団910名全員)が、次の事項について了解し、その旨を正式に機関決定することを条件として、これを受け入れることを表明しました。このことは、四党も了解されたところです。
① 解決案を受け入れること。これに伴い、裁判上の和解を行い、すべての訴訟を取り下げること。
② 不当労働行為や雇用の存在を二度と争わないこと。したがって、今回の解決金は最終のものであり、今後一切の金銭その他の経済的支援措置は行われないこと。
③ 政府はJRへの雇用について努力する。ただし、JRによる採用を強制することはできないことから、人数等が希望どおり採用されることは保証できないこと。
 その後、5月17日、四党から、原告のうち904名について、それぞれこの条件について了解し、受け入れることを承諾する旨の文書が提出されたことを受け、5月18日には、政府としてこの解決案を正式に受け入れ、同日、私から鉄道・運輸機構に対し、この解決案に沿って問題の最終解決を図るべく、裁判上の和解を行うよう指示していたところです。

3、今回の和解の内容は、四党から申し入れのあった解決案及び政府と四党で了解した解決案受け入れの条件に沿ったものです。6月30日には、鉄道・運輸機構から原告に対し解決金が支払われるとともに、原告は訴訟を取り下げることとなります。

4、四党から解決案について申し入れがあった際にも申し上げましたが、国鉄改革は、経営が破綻した国鉄を分割民営化することにより、その鉄道を我が国の基幹的輸送機関として再生することを目的とした戦後最大の行政改革と認識しており、23年以上を経た今日、国鉄改革は、国民に対して大きな成果をもたらしたものと考えております。
 しかし、一方で、国鉄改革は、約7万4千人の方が鉄道の職場を去り、鉄道の職場に残られた方々でも、約5400人の方々が北海道、九州を離れ、本州の地で生活を始めなければならなかったなど、大きな痛みを伴いました。国鉄改革は、こうした方々のご理解とご協力、そして現在まで続くご労苦の上に初めて成り立ったものであり、改めて深く敬意を表します。

5、こうした中、本問題は、当時の国鉄によるJRへの採用候補者名簿不登載に端を発し、最終的に平成2年4月1日に国鉄清算事業団を解雇された方々と国鉄清算事業団(現鉄道・運輸機構)との間で争われてきたものです。解雇から20年以上が過ぎた今、多年にわたる争いがほとんどの原告との間で終結したことは、人道的観点から喜ばしいことであります。

6、国土交通省としては、今後とも、未だ完全民営化を果たしていないJR三島会社(JR北海道・四国・九州)やJR貨物の経営の自立をはじめ、国鉄改革に関する未解決の課題への取組みを強化し、その完遂に全力を挙げてまいります。

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 JR不採用事件は戦後最大の労働問題とも言われ、国際労働機関(ILO)からもたびたび「公正な解決」が勧告されてきた長年の課題であった。
 今回の和解は、不当労働行為自体を問わず金銭で解決するもので、その水準も23年間の苦労を考えると決して十分なものとはいえない。名誉回復もあいまいだし、再雇用についても「政府が努力する」としたのみで何も担保されない。これを受け入れたのは23年の闘いに疲れ、原告が高齢化する中での苦渋の選択だろう。原告のうち6人は和解に加わらず引き続き争う意向だという。
 不当労働行為をやった旧国鉄幹部や、やらせた政府の責任は一切問わず、JRに雇用されず気の毒なのでお金をあげましょう、というのはやっぱ納得はいかないわなー。結局、「ヤリ得」にになってしまう。それでも、ここで一応の解決にこぎ着けたことはよかったと言わざるをえない。正直いって、このまま何年も戦い続けても、たぶん今回以上の地点に到達することは出来なかっただろうし、闘争団にダメモトで永遠に闘い続けろというわけにはいかないよ。JRは、せめて雇用くらいはちゃんと対応してもらいたいもの。
 国鉄分割民営化当時は僕は大学生で、中曽根反動攻勢と闘わねばと思って、よく国労支援の集会にも行ったものだった。あまりにも露骨でヒドイ、と。でも、時が過ぎるにつれ怒りも風化し、その後主体的に関わることなしに、被解雇者たちの闘いをを横目で見てきたというのが正直なところ。23年間の当事者やその家族、支援関係者のご苦労を思うと本当に頭が下がるわ。
 中曽根内閣の行革路線の核とされた国鉄改革は、明らかな国家的不当労働行為だったし、総評・社会党ブロック解体を意図したものであったことは、後に中曽根元首相も認めている。国労解体は、現在の社に民党のていたらくに至る道のはじまりであったことを考えると、23年目のこの解決は感慨深い。