「原爆許すまじ」 ― 2006/09/07
大衆運動の中や周辺で「思い」を伝えるために、様々な表現方法が使われます。なかでも「歌」は簡単に多くの人が参加できる最もポピュラーな手段です。ここでは機会を見て、ごく個人的趣味で、好きな歌、大切な歌を紹介していきたいと思います。
最初に「原爆許すまじ」。
「原爆許すまじ」はたぶん日本で最も有名な、反核兵器の歌です。いまでも、広島や長崎で開かれる平和集会では必ずといっていいほど歌われます。今年の広島と長崎の原水禁大会(連合平和集会)でも歌われました。
この歌が発表されたのは1954年6月です。1953年に第1回「うたごえ祭典」が開催され、翌54年には総評の協力も得てうたごえ運動が全国的に広まりつつあるなかで、歌われるようになりました。54年3月に第五福竜丸が被ばくするなど、国民に死の灰の恐怖が広がり、広島と長崎の悲惨な被爆の実態が知られるようになる中で、この歌が多くの人の心に響いたのです。とくにこの年の11月の第2回うたごえ祭典で歌われたことを契機に、全国に普及していきました。
僕も何度も何度も歌ってきたすごく大切な歌なのですが、正直をいうとあまり好きではありません。たぶんメロディーが暗くて、陰鬱な気持ちになるからでしょう。もちろん原爆体験は、どこからどうみても悲惨なものであり、明るい歌になどなりようはないのですが…。
原爆を許すまじ
1、ふるさとの街やかれ
身よりの骨うめし焼け土に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆をわれらの街に
2、ふるさとの海荒れて
黒き雨喜びの日はなく
今は舟に人もなし
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆をわれらの海に
3、ふるさとの空重く
黒き雲今日も大地おおい
今は空に陽もささず
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆をわれらの空に
4、はらからのたえまなき
労働にきずきあぐ富と幸
今はすべてついえさらん
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆をわれらの上に
(作詞:浅田石二/作曲:木下航二/編曲:安達元彦)
千鳥ケ淵戦没者墓苑に眠る35万人 ― 2006/09/07
今日は党の「千鳥ケ淵戦没者墓苑・平和祈念施設」提言委員会。Y新聞のW主筆にお越しいただいて、氏の「靖国問題解決私案」をご説明いただき、意見交換を行なった。
Y氏案は千鳥ケ淵戦没者墓苑を拡張・整備して公的性格を与えようというものだ。隣接する公務員三番町宿舎(財務省)、宮内庁長官公邸・侍従長公邸(内閣府)、農水省分庁舎、農水省三番町共用会議所、公務員九段住宅(財務省)、農水省三番町住宅等の国有地を活用し、場合によっては国家公務員共済組合九段坂病院やインド大使館等の敷地を買収する可能性や、近くのイタリヤ文化会館の真っ赤な壁を塗り替えてもらえないかといった物理的な面から、制度的な面までを含む、極めて総合的で具体的なアイデアであった。憲法問題等、多くの課題に関して立場が異なるが、戦争に対する姿勢、戦争責任問題に対する考え方については共有できることも多かった。
千鳥ケ淵戦没者墓苑には現に引き取り手のない戦死者35万人分の遺骨が保管されている無名戦士の墓だ。靖国神社にあるのは主に厚生省からもらったただの名簿(霊璽簿)である。どちらが、慰霊に適しているかは明らかではないだろうか。
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